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雑読にき

2011-06-07

「見仏記[3]海外編」いとうせいこう・みうらじゅん

見仏記〈3〉海外編 (角川文庫)

見仏記〈3〉海外編 (角川文庫)

中学高校を通じて修学旅行は京都・奈良だった。

うちの中学修学旅行をまさに「修学」の機会ととらえており、行く前からみっちりと勉強させられる上、グルーレポートなんかも書かせられた。うちの班は「古代集権国家都市計画」がテーマで、平城京、長岡京、平安京が唐の長安をモデルに碁盤の目の都市を造った経緯なんかを調べて壁新聞?にしたような記憶がある。

あとで他の中学はそんな習慣がなく、みんなで楽しく遊んでたと聞き、なんとなく損した気分になったものだ。


旅行前の「修学」は、歴史時間はもちろんのこと、美術にも及んでいた。

京都・奈良で見学予定の仏像や寺社建築について、時代ごとの建築様式や仏像様式について、事前に精密なレポートを出させられる。

制作技法一つとっても、金銅、乾漆、塑像に石像、一木彫りに寄せ木造り。

顔の表情はガンダーラの影響が強い飛鳥系、純和風の白鳳系。奈良・平安は印象が薄く、鎌倉になって武士の趣向を反映した力強い仏がつくられるようになった…ウンヌン。

そんな授業が1ヶ月も続くものだから旅行に行くころには写真を見ただけで、「あ、この人の鼻、白鳳だね」とか、「観音は如意輪より不空羂索でしょ」とか、「個人的には垂木は二軒(ふたのき)より一軒(ひとのき)の方がさっぱりしてて好きだな、ビバ!天平」とか、下校途中にそんな会話を交す女子中学生ができあがったわけで。

(ちなみに私の心の恋人は奈良・興福寺阿修羅像。仏像界のフレディ・マーキュリーってくらい有名なんで、人に話すのは恥ずかしいんですが…。)

親友のMは仏像熱が高じて大学サークル仏教美術系。春休みには2人でタイ仏像巡りに行ったりもした。あー仏像見てぇ。


まぁそんな親父臭ただよう趣味、人に漏らしたらドン引きされるのは必至。

心の奥底に閉まってこっそり生きてきた私だが(それにカナダには仏ないし)、「仏好き」って意外にメジャー趣味なんだ、と教えてくれたのがこの「見仏記」。

1995年くらいからずーっとやってるのかな?

みうら・いとうの仏好きコンビが日本中の仏・秘仏を見て回る1、2巻に続き、この第3巻ではついに海外へ。

韓国タイ→中国→インドと日本への仏像伝来ルートを逆行し、ルーツを探る抱腹絶倒の旅である。

いとうさんの文章とみうらさんの独特なイラストが相変わらずゆるーい雰囲気をかもしだしている。


みうらさんはとことんマイペース。変なみやげもの(orいやげもの、もらったら嫌だから)に一喜一憂し、仏に「シャワールーム仏」だの「プリティ上人」だの変なあだ名をつけては浮かれてるみうらさんに引きずれつつ、必死でツッコむいとうさん。最初常識人だったいとうさんも3巻目になるとすっかりみうら化していて、インドでは一体の仏像をみるだけのために往復16時間小型車に揺られたりするわけだ。


仲良いおっさん2人の道中記がこんなにも面白いのは、いとうさんの筆によるところが大きい。

小学生のころから仏像スクラップブックをつくるほどの「見仏のプロ」であるみうらさんが、各寺・各仏の前ではしゃぐ様子やつぶやくオモシロ台詞を「見仏のアマ」として克明に描写してくれている。読んでるこっちはいとうさんの目を通してみうらさんを見ている気分になる。みうらさん、あんたいい加減にしなよw


今回の海外編で面白かったのはインド。

ヒンズー教の神像は日本に伝来した仏像元祖というべき要素を多く含んでいた。

リンガ十一面観音ルーツを見、3つの顔を持つブラーマに阿修羅のヒントを、ヴィシュヌファッション四天王への影響を見いだし、2人はこんな結論に達した。

「昔から、インドの人はうまいわ。ぶっちぎったね、文明

「進みすぎたのかもね。それで現代に向かなくなった。」


そして2人は釈迦入滅の地・クシナガラで涅槃像に出会う。

いとうさんはその時のみうらさんの様子がまるで「祖父を看取る孫のよう」だと思い、くしくもみうらさんは祖父の最期を思い出していた。長い長い旅路の果て、2人は釈迦の死に目に会えたのだ。

釈迦の手を握れば良かった」とつぶやくみうらさん。

見仏とは悟りを目指すことじゃなく、死んじゃった人への思いとか、一緒にいる人の大切さとか、今生きてる人が大事な何かに気付く術なんだろう。

ゆるゆる道中の果てにちょっと切ない結論にたどり着いた見仏コンビ、次はどこに行くのかな?

2011-06-01

「放浪記」林芙美子

放浪記 (新潮文庫)

放浪記 (新潮文庫)

貧乏自慢が嫌いだ。

院生なんかやってると、一言めには「金がない」という同級生達と呑みに行く羽目になる。金がないなら呑みにくるなよ、といつも思うのだが、彼らが飲み会を欠席した試しはない。うちらが大学からもらう給料はほぼ同じ…ならネタにするほど貧乏でもないだろう、オマエら。

「昨日2時間しか寝てないんだよね〜」の睡眠不足自慢や、テスト前の「全然勉強してない」自慢も同類だ。欲しいのは同情か、軽蔑か、はたまた尊敬なのか?どっちにしても自分に足りないものを恥じるどころか自慢の種に使う神経が理解できない。「金がない」と他人に言うほど恥ずかしいことは世の中にないと思うのだが。

から、どんづまりの貧困をただ描いてる小説は嫌いだ。極貧に極貧を描き連ねて、不公平感を煽って、読者を不快にさせるだけさせて、同情の涙をさそうなんていかにも三文芝居。貧乏が辛いのは当たり前、貧困を詠った啄木にしても、そのあくまでも一人称の不幸を叙情に変え、果ては生きる力昇華しているから人の心を打つのであって、貧乏の波にもみくちゃにされてあっぷあっぷしてるだけの物語なんて読むに値しない。


林芙美子さんの前半生は貧乏百貨店だ。

行商玩具工場女工、子守りに女中に果てはカフェーの女給。薄給の食を転々とし、男に捨てられ蹴られ殴られ、時には死をすぐ隣に感じるほどまで追いつめられる。飢えと隣り合わせで寝る不安定な毎日

それでもこの自叙伝は底抜けに明るい。

貧乏や屈辱がまるで文学へのエネルギーにそのまま置換されているかのように、自分の貧しさ・卑しさを恥じる言葉すら情感的だ。

例えば、薄汚れたカフェーの2階で雑記帳の端に別れた男への手紙をかく。

「...金が欲しい。白い御飯にサクサクと歯切れのいい沢庵でもそえて食べたら云う事はありませんのに、貧乏をすると赤ん坊のようになります...弱き者よの言葉は、そっくり私に頂戴できるんですけれど、それでいいと思います。

性的で行儀作法を知らない私は、自然へ身を投げかけてゆくより仕方がありません...」

例えば、尽くした男の裏切りに気付いて書き付ける。

地球パンパンとまっぷたつに割れてしまえと、怒鳴ったところで私は一匹の烏猫だ。」

疲れきってあきらめきって、そこでこんなに洒脱な言葉を紡げる人を、私は知らない。


印象的なのはどん底生活にありながら本を買い続けていること。

チェーホフハイネプーシュキン。ユージン・オニールストリンドベリィ。果てはスチルネル(マックス・シュティルナー)の自我から伊勢物語まで、活字で腹を満たすとばかりに読みあさり、やっぱり腹は膨れないのですぐに古本屋に売り払う。そのチェーホフを我慢すれば支那そばが食べられるでしょうに、それでも読むその一点豪華主義がたまらない。

放浪記を貫いて流れる強烈な生命力は、きっと本への執着という文学者の矜持からきているのだろう。

放浪記を彩るきらめくばかりの文才は、時折挿まれる詩に結集されている。

富士山よ!

お前に頭をさげない女がここにひとり立っている」

「ああ二十五の女心の痛みかな」

地球の廻転椅子に腰を掛けて

ガタンとひとまわりすれば

引きずる赤いスリッパ

片っ方飛んでしまった。」

おそらく貧乏や不幸や世の中の不条理を煮詰めに煮詰めて結晶化させたら、こんなに奔放で情感的な生命の詩ができるのだろう。

2010-06-12

「歌よみに与ふる書」正岡子規

歌よみに与ふる書 (岩波文庫)

歌よみに与ふる書 (岩波文庫)

正岡子規と言えば、

「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」

「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに春雨のふる」

の2作品しか知らなんだ。


前者が芭蕉の「松島やああ松島や松島や」とならぶ駄作(どちらも…だから?と問いたくなる)なのに対し、後者はしとしと庭を濡らす春雨の情景がまざまざと浮かんでくるような美しい詩なので、歌よみとしては出来のいい歌と悪い歌の差がありすぎるほどある、いわばMan of Extremeなんだろうと思っていた。


あとは歴史の授業でちらっと習った「ホトトギス」文芸復興運動だとか、肺結核を長く患いながらも「啼いて血を吐くホトトギス」を雅号にする反骨精神の持ち主だったとか、夏目漱石の名付け親?だとか、まぁそんな通り一遍の知識だろうか。

それが司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んで一変した。正岡さんちのノボルさんは、風雲急を告げる明治日本にあって、たった一人で既存の歌壇に殴り込みをかけた、鳥肌がたつくらいかっこいい人だったようだ。


子規が陸羯南の新聞「日本」に連載したエッセイ「歌よみに与ふる書」は旧弊にとらわれ活力を失った日本の短歌・俳句を一新してやろうという煮えたぎるような意欲に満ちあふれている。

若さだろうか、病身ゆえの偏執的な集中力の賜物だろうか、子規のラディカルな舌鋒は留まるところを知らない。


たとえば連載第2回の冒頭、子規は歌聖とされた紀貫之をばっさりと切り捨てる。

「(紀)貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」

簡潔に言えばすむものを、長々と理屈をこねて冗漫にしやがって!と舌鋒鋭くこきおろす。


傑作なのは凡河内躬恒(おおしかわちのみつね)の

「心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花」

を「此の歌は嘘の趣向なり」と罵倒していることだ。

初霜が降りたくらいで白菊が見えなくなる訳ないだろ!どうせ嘘をつくならもっと上手い嘘をつけ!とからかっている。

確かに古今の歌人は自分でやらなそうな雑用(薬用に使われた白菊を摘みにいくとか)をあたかも自分でやったように詠って机上の技巧に終始するもんな…。言葉遊びのためならば、アンタそれホントに自分で見たんかい!?というような情景を詠うこともいとわないし。そんな「嘘」をばっさばっさと大鉈ふるって切り捨てていく子規の評論には、思わずニヤリとさせられる。


さらに面白いのは「外国の文学思想を積極的に取り入れたらいいじゃない」というくだり。

「従来の和歌を以て日本文学の基礎とし城壁と為さんとするは弓矢剣槍を以て戦はんとすると同じ事にて明治時代に行はるべき事にては無之候。」

怒濤の文明開化を目の当たりにした明治日本。雪崩を打って輸入される西洋文化に恐れをなし、短歌や俳句を砦とすべし!とぶちあげる旧弊を笑いとばし、

「英国の軍艦を買ひ独国の大砲を買ひそれで戦に勝ちたりとも運用したる人にて日本人ならば日本の勝と可申候。」

外国のものを輸入して日本国が発展するならそれでいいじゃない。どうせ俳句だって短歌だって日本文学だって、中国から輸入した漢語なしには成り立たないんだからさ。


…いいなァ。日本人のアイデンティティってなんだ?と聞かれて、こんだけエネルギッシュな答えができる時代に生まれたかったよ。このくだりが示すように、子規は明治日本に生きた若者らしく、満ちあふれる愛国心をそのまま表現していたように思う。太宰治に通じる源実朝好きも、技巧より実直を重んじる武士(もののふ)の心を詠った歌にシンパシーを感じたからだろう。


子規が名句とした実朝の歌の中で、自分が気に入ってるヤツを2首あげておこう。

「時によりすぐれば民のなげきなり 八大竜王雨やめたまへ」

「大海のいそもとどろによする波 われてくだけてさけて散るかも」