講座「司馬遼太郎と歴史街道をゆく」 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-01-30

「司馬遼太郎と歴史街道をゆく」第12回「阪神淡路ゆかりの司馬文学2(「竜馬がゆく」「播磨灘物語」と阪神淡路大震災)」

司馬遼太郎と歴史街道をゆく」第12回
阪神淡路ゆかりの司馬文学2(「竜馬がゆく」「播磨灘物語」と阪神淡路大震災)」
シラバスより】
阪神淡路大震災で大きな被害を受けた司馬遼太郎の故郷・関西。前回に続いて、阪神間を舞台とした司馬作品を読みましょう。『竜馬がゆく』では、若き竜馬が勝海舟のもと、神戸海軍塾で日本の海軍の先駆けとなりました。また、天下統一を目指す秀吉黒田官兵衛の活躍を描いた『播磨灘物語』では、播州路から畿内を舞台に、戦国大名たちの権謀術数が繰り広げられます。阪神間の歴史絵巻を、改めて楽しみましょう。】

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1.『竜馬がゆく』から『坂の上の雲』へ〜司馬遼太郎に学ぶ幕末、明治

1)土佐と松山
 坂本竜馬が死んだあと、土佐藩官軍となり、『坂の上の雲』の松山を占領しました。正岡子規の生家は、松山藩の御馬廻番で、世が世なら上級武士の家ですが、明治維新賊軍となったため、子規が物心ついたころには、家は没落していたのです。

2)司馬遼太郎で学ぶ幕末、維新
 明治国家は、幕末の争乱の中から、江戸徳川幕府を倒して、当時の実力藩である薩摩藩長州藩、それに土佐藩佐賀藩を中心に、天皇を上にいただく国家を作ったのです。
 それは、形の上では、大政奉還という政権委譲から、幕府江戸退去、そして内戦である戊辰戦争をへて、版籍奉還廃藩置県という「無血革命」によってできたことになっています。
 その辺りの経過は、司馬遼太郎のいわゆる幕末ものを読むと、とてもわかりやすく描かれています。
 例えば、幕末から明治維新への前段階のことは、幕末の志士たちの群像を描いた『竜馬がゆく』と『燃えよ剣』、『世に棲む日々』などを読むとよいでしょう。
 坂本竜馬西郷隆盛桂小五郎高杉晋作、吉田松蔭といった、幕末の志士たちの生き様を通じて、歴史の動きが描かれています。
 さらに、幕府を守ろうとした新撰組の人々の生き様を描いた『燃えよ剣』を読むと、徳川の側からみた幕末の姿がよくわかるのです。

3)幕末の世界情勢と日本
 当時、日本は、徳川幕府鎖国をしていて、帝国主義の世界情勢から孤立していました。
 孤立を続けることができた理由の一つは、「極東」といわれるように、日本が欧米からみて、東の最果ての孤島だったことが挙げられます。
 これより前、16世紀の大航海時代には、有名な探検家マルコポーロが、「日本は黄金の国」という情報をヨーロッパにもたらしたため、黄金伝説にひかれて日本を目指した探検家もいました。
 また、当時は、カトリックイエズス会宣教師が、世界各地に宣教に旅していた時代でした。その宣教師たちは、日本でも布教し、一時は大名の中にもカトリック信者のものが大勢いました。
 しかし、それも、キリスト教が禁止され、鎖国になってからは、ヨーロッパとの交流も廃れてしまいました。
 だから、200年以上、孤立したままでいた日本が、突然、世界の帝国主義の荒波に立ち向かうことになったとき、いかに大変だったか、想像してみてください。
 なにしろ、たとえば、船にしても、日本の帆船は、遠洋航海ができないように幕府が禁止したため、欧米の船のように竜骨や、甲板がないのです。帆をたくさん張ってスピードを出せるようにもできないのでした。
 また、欧米で巻き起こった産業革命から、はるかに取り残されていたため、蒸気機関というようなものも日本にはありませんでした。だから、幕末の黒船騒動のとき、蒸気機関で走る機帆船のアメリカ軍艦をみて、あれほどみんな驚いたのです。
一方、武器にしても、幕府が諸大名の反乱を恐れて、進んだ武器を開発できないようにしたため、日本の鉄砲や大砲といったものは、関ヶ原合戦のころから大して進んでいませんでした。
 だから、黒船の大砲に対して、抵抗したくても、日本の大砲(おおづつ)は、まったく射程距離も威力も足りなかったのです。
このように、世界から孤立して、技術面で完全に遅れてしまっていた日本が、もし鎖国を解いて開国しなければ、どうなっていたでしょうか?
 そのまま、鎖国を続けて孤立していられたかというと、そうはいかなかったのです。
 日本よりも前に、当時の中国である清帝国は、イギリスの侵略に対してなすすべもなく、アヘン戦争で散々に破れたのでした。日本も、そのままでは、欧米の侵略を受けるのは明らかだったのです。
 その危機感から、日本人にいわゆる攘夷のムードが盛り上がっていきました。
 明治維新は、もともとは、外国の侵略から国を守る、という防衛本能からスタートしたのでした。
 明治国家は、幕末の争乱の中から、江戸徳川幕府を倒して、当時の実力藩である薩摩藩長州藩、それに土佐藩佐賀藩を中心に、天皇を上にいただく国家を作ったのです。
 それは、形の上では、大政奉還という政権委譲から、幕府江戸退去、そして内戦である戊辰戦争をへて、版籍奉還廃藩置県という「無血革命」によってできたことになっています。

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2.播磨灘物語にみる瀬戸内海阪神淡路

1)黒田官兵衛VS毛利水軍

2)黒田官兵衛四国攻め

※引用
秀吉が官兵衛を鳥取によんだのは、「四国のこと、名代として行ってくれ」ということだった。
(中略)
四国は、糸のもつれのようなもので」
官兵衛がにがい顔でいうと、秀吉は「幾筋の糸がもつれているのかもわからぬ」といって笑った。うっかり妙な糸を引けば、かえってもつれがひどくなるのである。
四国は、かつては阿波に本拠を置く勢力が、四国全土を制した。阿波は物成のいい国であるとともに、淡路島を飛び石として畿内との交通条件もいい。》

しかし、播州が切羽詰まってきたため、四国攻めは中断し、官兵衛も秀吉軍に合流する。その後、本能寺の変が起こるのである。

信長の死後、秀吉の天下統一を補佐していた官兵衛は、天正13年(1585年)の四国攻めで、讃岐国から攻め込んだ宇喜多秀家の軍勢の軍監として加わり諸城を陥落させていった。植田城に対してはこれを囮であると見抜いて阿波国へ迂回するなど、敵将・長宗我部元親の策略を打ち破ったと言われる。阿波国の岩倉城が攻略されたところで長宗我部軍は撤退、降伏した。

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3.司馬遼太郎阪神淡路

司馬遼太郎阪神淡路瀬戸内海関連の小説作品」

昭和36年(1961)『戦雲の夢』(講談社)
昭和38年(1963)『竜馬がゆく』(文藝春秋、〜昭和41年、全5巻)
昭和39年(1964)『燃えよ剣』(文藝春秋新社、全2巻)、
新選組血風録』(中央公論社
『尻啖え孫市』(講談社
昭和40年(1965)『功名が辻』(文藝春秋新社、全2巻)、
国盗り物語』(新潮社、〜昭和41年、全4巻)
昭和41年(1966)『俄−浪華遊侠伝』(講談社
昭和43年(1968)『夏草の賦』(文藝春秋)、
『新史太閤記』(新潮社、全2巻)、
義経』(文藝春秋)、
昭和44年(1969)『坂の上の雲』(文藝春秋、〜昭和47年、全6巻)
昭和46年(1971)『世に棲む日日』(文藝春秋、全3巻)、
昭和50年(1975)『播磨灘物語』(講談社、全3巻)
空海の風景』(中央公論社、全2巻)
翔ぶが如く』(文藝春秋、〜昭和51年、全7巻)
昭和56年(1981)『ひとびとの跫音』(中央公論社、全2巻)
昭和57年(1982)『菜の花の沖』(文藝春秋、全6巻)

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4.司馬遼太郎大阪
1)「司馬遼太郎大阪関連の小説作品」
大阪府立中央図書館資料展示「司馬遼太郎関連図書」より
上方(ぜえろく)武士道( 春陽文庫 )
菜の花の沖 1( 文春文庫 )
大坂
花神 上巻( 新潮文庫 )
国盗り物語 前編 斎藤道三
坂の上の雲 1( 文春文庫 )
城塞 上巻
尻啖え孫市( 角川文庫 )
新史太閤記 上巻( 新潮文庫 )
新選組血風録( 角川文庫 )
関ケ原 上巻
峠 上巻( 新潮文庫 )
翔ぶが如く 1
豊臣家の人々( 角川文庫 )
俄 浪華遊侠伝( 講談社文庫 )
覇王の家( 新潮文庫 )
播磨灘物語

2)大阪出身の武将はいたか?

源義家八幡太郎義家/頼義の嫡男河内源氏三代目棟梁羽曳野市
楠木正成南北朝時代の武将/千早赤阪村
中川清秀戦国時代の武将/茨木市
高山右近キリシタン大名豊能町説あり)
小西行長安土桃山時代の武将/キリシタン大名
木村重成(安土桃山時代の武将/大阪市
など

3)司馬の大阪への屈折した思いをのぞきみる
※引用
《市が街路樹をうえても、だれかがひきぬいてしまう。小型の犯罪が連日多発するため警察署は多忙で、署員五百人を擁している。
「つまり、そういうところが、まあいいんですな」
と、私は答えるのだが、何だかやけくそじみてきこえるのか、たいていのひとは憫笑するばかりで、まじめにうけとってくれない。実際私は人の口臭のにおう、黄塵万丈の雑踏が好きで、そこでしか気持が落ちつかないのである。(『歴史の中の日本』より)》
※引用
《「よほど大阪が好きなんですね」
とよくいわれるが、そうでもない。人間というものは、病的な自己愛のもちぬしでないかぎり、鏡の中の自分の顔や、テープに再現された自分の声を、冷静に見たり聴いたりすることができないはずである。つねに多量の、もしくは微量な嫌悪感がつきまとう。私の大阪への感情もそれに似ている。(『十六の話』より)》

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5.司馬文学の女性像
【『坂の上の雲』にみる明治の女子の生き方〜主人公たちを支えた家族】
 秋山兄弟の母や、正岡子規の母、そして妹の律は、明治群像を陰で支えた家族の典型といえるでしょう。
 小説『坂の上の雲』は、歴史の中で戦いを演じていく主人公たちを、支え続けた家族の物語でもあるのです。
 秋山兄弟の両親も、正岡子規の母妹も、四国松山から、上京後の子どもたちの活躍を応援していました。けれど、時代の流れとともに、やがて家族ごと上京し、戦争の波に翻弄されていきます。  
 同じ町内出身の3人は、時代の中で、成り行きで偉人になってしまった主人公たちなのです。その活動を支えたのは、母や妹、そして妻たちでした。
 明治の時代、まだ女性の社会進出は進んでおらず、女性の生き様は、夫や子供のために家を守る、というものでした。そういう意味で、秋山兄弟の母も、子規の母や妹も、そして秋山兄弟の妻たちも、明治の女性の典型だったといえます。
司馬遼太郎の結婚観、女性観をのぞきみる】
※引用
《あのな。
と、私が、われわれの生涯でもっとも重要なことを発言しかけたのは、真夏の夕暮れであったようにおぼえている。ここのところ、正確に書くのは、はずかしからいやだ。
場所は、当時私のいた新聞社の近くの、桜橋という市電の停留所であった。われわれは多勢の人といっしょに、安全地帯で市電を待っていた。
「あのな、あんた。つまり、僕の嫁はんになる気はないやろな」(『歴史の中の日本』より)》
※引用
《「あたし、会社、辞めるの?」
「それァ、そうや」
「じゃ、結婚やめるわ」
堂々と、ぬかしャがった。このときのつら憎さ、当事者の私でないとわからない。
しかもそのリクツたるや、「お嫁だけになってしまえば、あたしは人類として居なくてもいい人間になってしまうわ」
というのである。(同)》

【講座まとめ】
歴史小説=歴史物語:国民的叙事詩平家物語太平記)を目指したのが司馬文学である。
その観点から『竜馬がゆく』『翔ぶが如く』『坂の上の雲』の連作を読むと、日本の幕末〜近代史が一貫した物語として理解できる。
しかし、司馬史観=司馬歴史物語を読んで、日本の歴史をどう考えるか、ということは個々の読み手にゆだねられている。