研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

下流社会についてメモ

SPA!http://spa.fusosha.co.jp)の今週号で『楽しい[下流社会]の歩き方』という特集が組まれ、ゲストハウスとかルームシェアとかが紹介されている。私も以前ゲストハウスに住んでいて、今もたまに遊びに行く。私の知っているところだけをみると、最近は日本人(フリーターや派遣が多い)が増えているが、欧米系(語学教師バイトが多いが、定職系もいる)やアジア系(私の知り合いは、南アジア系で出稼ぎ。基本は飲食かブルーワーカー。韓国、中国系は学生が多いかなぁ)もけっこう住んでいて、しかも入れ替わりは激しく、面白い。ゲストハウスごとにカラーは全然違ったりするから、SPA!に書いてあるように当たり外れはあるけど。

ただ、基本的にああいう暮らし方は、家庭をもっている人や高齢者にはできませんから。独り者の元気な若者の「下流社会」は気楽でいい。問題は、「下流社会」に生きる家族や高齢者ですから。教育費や医療費など、子どもや高齢者はお金がかかるのだ。家庭を持つ人は、「収入源が断たれても、しばらくカップ麺と松屋吉野家と立ち食いソバで我慢すればいいか」というわけにはいかない。ホリエモンのお話も掲載されているが、彼の「お金なんてたいして重要じゃない」発言も、独り者の元気な若者にしか通用しませんから。

話変わってサイゾーのMM対談も最近よく格差論を取り上げるんだけど、宮台氏は自分の「格差肯定」の発言が社会のどういう層を喜ばせるか考えているように思えない。ああいう発言は、薄めに薄められて、結局ホリエモン発言と同じ水準で受容される可能性が高いのではないか。ここでの言及も同じだ。

『M2第四弾への後書:小泉自民党大勝に見る「バカの壁」』
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=311&catid=4

■私は古くから「第三の道」にコミットするが──因みに先の「自治と補完の原則」も「動機づけの支援(ポジティブウェルフェア)」と並ぶ「第三の道」の基本原則──、リスクテイカーと努力する者には、そうでない者と区別して、手厚く報いることを全面肯定する。
■一口で言えば「やりたい者」と「やり直したい者」を支援する代わりに、「やりたくない者」と「やり直したくない者」に最小限の支援しか与えない。これを(広義の)社会参加の支援と呼ぶ。そこで問題になるのが「参加が推奨されるのがどんな社会ゲームか」だ。
■ここで漸く「希望格差論」を論じるべき段取だ。「やる気」が親の階級的位置で決まる(ので本人責任に帰属できない)とする苅谷剛彦や山田昌宏の議論である。前述のリベラル左翼は、これを再分配や平等教育(反ゆとり教育)による階級格差是正論へと結合する。
■それは違う。上述の歴史を踏まえて言えば、否定されるべきは「(親の)階級格差による(子の)やる気の決定」で、「やる気による(本人の)階級格差の決定」は肯定されるべきだ。「階級格差によるやる気の決定」の緩和こそ、学校教育に期待される機能だろう。
■だがそれは、教養なき苅谷の言う「旧来の万人競争化」の如きとは、別物だ。自分に可能で楽しいと思う者は「仕事での自己実現」や「消費での自己実現」を目指して競争せよ。だが「皆が仕事や消費での自己実現を目指すべし」となれば失意と落胆が大量生産される。
■競争を肯定する場合でもせいぜい「(何度か)競争し、負けたら諦めてリスペクトせよ」に留まるべきだ。希望格差(がもたらす階級格差)は、「降りる自由」の観点からして望ましい。希望格差否定はリベラルに見えて、ポストフォード主義を分裂生成的に翼賛する。

こういう視点は「フリーターがフリーターのまま幸せになれる社会」という目標を持つ宮台からしたら当然のものだろうし、私も共感するところが多い。だが、もっときちんと「降りた人たち」が安心して働き、家庭を築き、老後を迎えるにはどういう制度が必要か、ということを考えないと、結局この「降りる自由」の議論はSPA!ホリエモンの「下流社会肯定論」と同じ水準でしか受容されないのではないのだろうか。

で、そういう制度について考えていくには、どう考えてもギデンズの「第三の道」論やリベラリズムの政治哲学だけでは不十分だと思うんだけど(『第三の道』は昔読んだものの、最近その元ネタである『左派右派を超えて』を読もうとして退屈で途中で投げ出した私にギデンズを語る資格はありませんが。)

くり返すけど、「降りる自由」を賞揚するのはいいけれど、降りた人たちが幸せな中年・老後生活を描けるような図も同時に見せてくれないと、結局、ちまたの(ネオリベ的?)格差肯定論と同じように受容されてしまう。ところが宮台が提示する「フリーターがフリーターのまま幸せになれる社会」像は、あいかわらず第三の道リベラリズムの抽象論を一歩もでていない。

宮台真司がそんなことがわからないとは思えないので、民主党へのロビイングもいいけれど、言論活動でもそういうことにもっと気をつかってほしい。