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2009-10-08

[][]「ニートの海外就職日記」雑感 「ニートの海外就職日記」雑感を含むブックマーク

最近知って、面白く読んでる煽り系ブログ

「ニートの海外就職日記」

http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/

いちいちもっともだと思うことばっかり。

BtoC(Business to Consumer:銀行窓口とかスーパーとかカフェとかでのやり取り)でもBtoB(Business to Business:企業同士、法人同士の商売のやり取り)でも、「日本の接客態度は世界一丁寧」とか「日本の顧客対応は世界一誠実」だと思ってる人は多いと思うし、自分もそう思う。

海外に住む日本人のグチも、多くは日本と比べたときの接客水準や顧客対応や仕事のパートナーのいいかげんさに関わるものが多いと思う。実際、自分が引っ越すに当たって情報収集のためにいろいろブログをみたり、こっちに来て日本人にあったりすると、「海外からお客さんが来てるのに、4時に保育園に子どもを向かえに行くためにさっさと帰ってしまった」とか「納期を平気で破る」とか「こっちに2年以上住むと怠けてしまってダメになる」などなどのさまざまなグチを収集することができた。

自分としては、海外から客が来てるくらいで子どもを迎えに行かないほうが変だと思うし、納期を平気で破られるのは嫌だが、無理難題な納期ならたまには破りたいこともあるので相手の破りも多少は多めにみたい気もするし、少し怠けるぐらいはリラックスしてていいと思う。(ただ、自分は海外で働いたことがないのでその悪い面をちゃんと見ていないという限界はある。また医療などについて同じような考え方が適用できるのかは難しい面もある。これについては、自分の研究にも多少絡むので、もう少し事情を把握してからそのうち書きたい)

だが、多くの日本人はこのような事態をよしと思わないのかもしれない。海外からの顧客来訪のために親が迎えに来ない子どもはかわいそうだが、それはそれで一つの考え方ではある。

けれども、そういう日本の消費者・顧客としての居心地のよさのしわ寄せは、労務・サービス提供者側の「クソ労働環境」に確実に来ることは認識する必要がある。両者にはトレードオフの関係があるのだ。

サービスを提供する側とされる側が入れ替わりながら交互に首を絞め合う社会w

これは以前も紹介したコメントだけど、お客様wとして過度なサービスを求めるから、働く側になった時に過度に働かなくてはならないという罠w。結局のところ、過度のサービスとクソ労働環境は表裏一体って事。サービスを提供する側とされる側が入れ替わりながら交互に首を絞め合う社会w。マジで誰が得すんの?って感じだな、これw。「仕事の神聖化」とか「奴隷型顧客満足第一主義」なんて美徳でもなんでもないんだから、程々で満足して早く楽になってくれよ、マジで。

http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/blog-entry-300.html

これは自分も常々感じていた。BtoCについては多くの人が経験があるはず。BtoBは自分もそんなに多くの経験はないが、顧客の要望にこたえるための深夜残業など、思い当たる節はいろいろある。

もちろん、「奴隷型顧客満足第一主義」を脱したときには、消費者として、発注者側として、仕事のパートナーとして、我慢しなければならないこともいろいろ増えるから、どっちがいいとは簡単にはいえない。もしかしたら、多くの日本人は、日本のサービス水準が下がったり、顧客との円滑な関係(?)がなくなるぐらいなら、自分の残業時間が減らなくてもいいからこれまでと同様に働き続けたい、と思っているかもしれないわけだし。だが、繰り返しになるが、この消費の安楽と労働のストレスのトレードオフは、きちんと認識されたほうがよいように思う。

では、こういう(個々人ではなく)社会全体としての消費の安寧と労働(時間?密度?)のトレードオフの話は経済学ではどのように扱っているのだろうか?

ミクロ経済学の部分均衡モデルの厚生分析では、CV(補償変分)とかEV(等価変分)とか消費者余剰と生産者余剰などの厚生概念はあっても、労働の効用・不効用はその中には直接的には含まれない。一般均衡分析では労働者の賃金率という価格を通じてうんぬんかんぬん...(ここまではベーシックだが、もう少し高度な話が続く)という話を、最近、お世話になっている経済学者の方から聞く機会があり、ちょっと考えたが、ボロがでそうなのでここでやめておく。

理論もそうだが、こういうネタを実証的に分析した論文はあるだろうか。

マクロ経済学だと、さらにいろいろな議論ができそうだが、どんな議論があるのだろう。

それにしても、自分も経済学をもう何年も勉強しているはずなのに、「サービスを提供する側とされる側が入れ替わりながら交互に首を絞め合う社会w」という現実を、よりクリアに経済学の言葉で説明する術を持たないのは哀しい。初歩的なゲーム理論とかで説明はできそうだが、だからどうなんだという気もしないでもない。周到な実証分析付きの研究ならば非常に面白そうだけど、どうやってやったらいいのか今は(ずっと?)検討もつかない。むしろ社会学や政治学や労働政策論による説明・分析のほうが蓄積も説得力もありそうな気がする。歴史的に労働組合がどうたらこうたらで、労働環境がどうたらこうたら、といった類の。

ただの自分の不勉強かもしれないので、自分で研究する予定はないものの、もう少ししぶとくサーベイしてみたいとは思う。

追記1:コメント欄のJW氏のご指導および私のリプライを参照。ボロはすでに出ていた笑

追記2:ただ、最も基礎的なCV,EVっていうのは、他の価格を固定しておいて、一つの価格の変化による厚生変化を見るわけだから、一般均衡分析に拡張可能とはいえ、部分均衡分析にも含まれるといってもいいのだろうか。いくつかの教科書をちらりと見てみたが、よくわからない。最初にCVとEVの議論をしたのはヒックスの『価値と資本』らしいので邦訳の該当箇所を探してみて、たぶんそれは第二章の消費者需要・消費者余剰の議論のところだと思うのだが、ここは基本的にマーシャルの消費者余剰分析をベースに一財について考察しているっぽいので、部分均衡の話のような気もするのだが・・・。定義的な問題で、そんなに重要じゃないのかもしれないが。また、労働の効用不効用が基本的な厚生分析に含まれているというのは、確かに労働・余暇を含んだモデルで厚生分析を行うという演習問題が普通にでてくるし、最適課税論の議論とかでも普通に出てくるのでその通りのようだが、ただこれは上記エントリの社会全体としての「消費と労働のトレードオフ」とはやはり異なる。厚生分析や費用便益分析というのは、これまで経済学の中ではあまり魅力を感じない領域だったのできちんと研鑽したことがなかったが、今はそうもいってられないので、これを機にちゃんと勉強してみなければ。

追記3:ただ、当初はとある経済学者との会話ということから厚生分析について言及したが、この問題を考えるにあたっては必ずしも厚生分析を経由する必要はないかもしれない(所得税制や労働規制について考える場合はそうではないのだろうが)。とりあえず以下の実証研究などを出発点に、たまに息抜きがてら調べるといいかも。

大竹・奥平(2009)長時間労働の経済分析

http://www.kiser.or.jp/ja/others/pdf/01.pdf

追記4:まだちゃんと読んでないのでアレだが、上記大竹・奥平(2009)論文は、行動経済学的視点からの個表分析であるため、長時間労働の要因を個人的特性に帰着させるという仮説設定・実証分析になっているようだ(いくつかのダミー変数を除いて)。たとえば、日本の中でも「顧客の要求水準」が高い業界とそうでない業界を分けることができれば、何らかの個表データあるいは集計データからこの「首の絞めあい」仮説の検証が可能かもしれないが、そんなことはできるだろうか。

追記5:こんなのもあった。まさに「サービスを提供する側とされる側が入れ替わりながら交互に首を絞め合う社会w」を上品に指摘している。

働き方の日欧比較 〜海外駐在経験者等ヒアリングから見えてくるもの〜

http://www.esri.go.jp/jp/archive/hou/hou050/hou42_gairyaku3.pdf

顧客ニーズ対応のあり方

「仕事に手間ひまがかかる一因として日本の顧客の要求水準の高さがある。」―消費生活の利便性は高まるものの、支える労働生活は長時間労働というアンバランスな構図を変える必要。顧客とのコミュニケーションの下、真に必要なサービスの洗い直しが必要か。まずは、顧客に影響の及ばない社内資料等の扱いから。

追記6:過剰就業(オーバー・エンプロイメント)―非自発的な働きすぎの構造、要因と対策

http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/08j051.pdf

【要旨】

本稿はオーバー・エンプロイメント(過剰就業)とアンダー・エンプロイメントの双方を含む就業時間のミスマッチについて、わが国に過剰就業が広範に存在していることをまず示した後、過剰就業とその要素である非自発的フルタイム就業と非自発的超過勤務についてその構造と要因を明らかにする。過剰就業は、希望就業時間以上に実際の就業時間があることで定義され、他の条件が同じなら実際の就業時間が多いほど、希望就業時間が少ないほど、また希望と実際の関連度が低いほど過剰就業が生まれやすいが、実際には相対的に希望就業時間の多いパート・臨時と比べた常勤者や、女性と比べた男性,の方に、希望就業時間の差の影響を上回る実際の就業時間差の影響があって、常勤者や男性の方が過剰就業になることを示し、また常勤者の場合は短時間勤務、男性の場合は残業なしのフルタイム勤務、といった特定の就業時間希望が、それぞれパート・臨時や女性と比べて特に実現しにくいことから過剰就業が生じることを示す。また時間的に柔軟な職場は過剰就業度を大きく減らすこと、管理職は他の職より過剰就業度が大きいこと、通勤時間が大きいことが非自発的フルタイム就業を増やしていること、男女の過剰就業度の差は、6歳未満の子を持つ場合に企業の性別による対応の違いにより、最大となること、などを示す。最後に今後のわが国における過剰就業の緩和への道筋について議論する

イギリス在住者イギリス在住者 2009/10/09 09:46 非常に興味深いエントリであり、コメントしたく思います。私は現在イギリスに住んでおりますが、『下取りセールで回収された古靴の行方』の記事内の百貨店の

「…お客さまを30分以上待たせてしまう…」

というコメントを目にし、衝撃を受けていたところでした。私のこれまでの浅く短い経験の範囲内では、『お客さまを待たせてしまう』という意識、観点はここイギリスには非常に希薄であるように思います。それが良いか悪いかについては残念ながら、私には判断できません…。

記事リンク:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091004-00000516-san-soci

RBRB 2009/10/10 16:14 過重労働が存在する、という点と、サービス受ける側もほどほどで満足するのがいいんじゃない?っていうのはアリとしても、確かに医療に関してはちょっとスジが違う感じですね。
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20091010
過重労働があっても「サービスを提供する側とされる側が入れ替わ」ることは基本、無いわけですから。非対称性が高い?

「交互に首を絞め合」ってるのかもしれませんが(”立ち去り型ナントカ”)、因果関係がより実感されにくい(双曲割引?合成の誤謬?共有地のナントカ?)。

安全神話?>過重労働>医療サービスの低下(治療成功率・事故率)>医療不信?

http://square.umin.ac.jp/~massie-tmd/jfda3.html
"”厚生労働省がけしからん”という決まり文句は、厚労省に対する依存心の表出である。けしからんということは、もっと仕事をしてください、お願いしますという意味である。つまり、厚労省を頼りにしていることになる。"

RVRV 2009/10/10 18:20 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-5f77.html
>清家先生の味わいのある言葉: EU労働法政策雑記帳
>他人を忙しく働かせておきながら、自分だけはゆとりある生活をしたいというのは虫がよすぎる話である。もし自分がゆとりある生活をしたいのなら、例えば商店やコンビニ、あるいは宅急便などサービス業の営業時間規制などにも協力すべきであろう。

塾長…

JWJW 2009/10/11 01:30 <<ミクロ経済学の部分均衡モデルの厚生分析では、CV(補償変分)とかEV(等価変分)とか消費者余剰と生産者余剰などの厚生概念はあっても、労働の効用・不効用はその中には直接的には含まれない。>>
→人がもっている時間は限られているから,経済学的には労働ってのは余暇消費の減少として捉えられ,余暇消費(=労働供給)は通常の厚生分析の重要な要因のひとつです.だから,労働の不効用は厚生分析には含まれますよ.ちなみにCV,EVは部分均衡ではなく,一般均衡での概念です.

dojindojin 2009/10/11 04:15 >余暇消費(=労働供給)は通常の厚生分析の重要な要因のひとつです.
需要関数導出と同様のロジックでmax u(x,L) s.t.ΣpX+wL=wT+I(Lは余暇)で労働供給関数を導出するという話では余暇消費及び労働(前者は効用にプラスの影響、後者は効用にマイナスの影響)が出てきますが、これは「厚生分析」ではないですよね。実現する経済状況がより豊かなのか、そうではないのかという「厚生分析」については、基本的なミクロ経済学では消費者余剰と生産者余剰(特に前者)が議論の出発点となっているはずです。もちろん、労働者の労働の効用不効用を厚生分析に取り入れた分析も、これだけ世の中に経済学者がいるのですからあるのかもしれませんが、「通常の厚生分析」と呼べるまでのものではないと思います。まぁ私が不勉強で知らないだけかもしれませんが。

>ちなみにCV,EVは部分均衡ではなく,一般均衡での概念です.
そんなことはないです。多くの教科書では、まずは部分均衡(というか消費者理論のところ)のところでCV、EVでてくると思います。
http://www.kier.kyoto-u.ac.jp/~mori/courses/micro06/sekiguchi/note_0703.pdf

JWJW 2009/10/11 19:42 >>まぁ私が不勉強で知らないだけかもしれませんが。
EV,CVは効用関数から導出される歳出関数を用いて定義されていますから,労働が可変(余暇時間を選択できる)というモデルの設定を行っていれば,定義によって,労働の不効用(余暇の効用)を考慮しています.また,費用便益分析では所得税などの租税の歪みを考慮したMCPFを用いて費用を実質化しますから,これも定義によって,労働による不効用を考慮しています.費用便益の理論的基礎で有名なところでは,例えば,Boadway and Bruceの Welfare Economicsなどをみてください.

>>>ちなみにCV,EVは部分均衡ではなく,一般均衡での概念です.
>>そんなことはないです。多くの教科書では、まずは部分均衡(というか消費者理論のところ)のところでCV、EVでてくると思います。
リンクが張られている講義ノートに書かれているように,CVやEVは,ある政策によって価格ベクトルが変化する前後の厚生指標の差を表しています.ここでは厚生評価の対象となる個人が直面する全ての価格が考慮されていますから,つまり,関連する複数の市場における価格の組合せを考慮していますから,定義によって,部分均衡の概念ではありません.というのも部分均衡なら関心のあるひとつの市場での価格変化で足ります.リンク先の講義ノートは題名からすると多少ミスリーディングではあるとおもいますが,おそらく,効用関数が準線形型であるならば,一般均衡においても部分均衡の分析で足りるといいたいのではないでしょうか?実際,その場合は,この講義ノートに書いてありますように,部分均衡で議論される消費者余剰はEVとCVと同じ数量になるますから(一般的には,つまり,一般均衡的に考える場合はこれら3つは異なります).

また,シトフスキーパラドックなど仮説的補償原理の批判をするとき,CVやEVを使って議論しますが,あの議論では効用可能性フロンティア上の比較を行っているため,明らかに一般均衡の議論ですよね.これも上の,Boadway and Bruceや,例えば日本語では奥野・鈴村『ミクロ経済学II』(岩波書店)で議論されていたと思います.

dojindojin 2009/10/11 22:28 なーるほど。確かにそうですね。勉強になりました。ご丁寧にありがとうございます。出直してきます。本文にも追記しておきました。

Maggie Q2000Maggie Q2000 2009/10/19 04:55 ご無沙汰です。すっかり寒くなってきましたねえ。
ところで海外に住んでいると当然日本の抱える問題もはっきり見え てくるのですが、海外在住の日本人がブログなのでそういったことを指摘するのを読むのは日本在住の日本人にとっては気分のいいものではないのは想像に難くないので僕は極力控えております。しかしそういうブログの存在は面白いですね。
日本の問題は「結局のところ、過度のサービスとクソ労働環境は表裏一体って事。サービスを提供する側とされる側が入れ替わりながら交互に首を絞め合う社会w。」この言葉がうまく表現してますね。そして、スウェーデンはその対極にある社会で、さらに日本と同じく豊かであるという点で勝ち組国家だということでしょう。じゃあ、スウェーデンがユートピアか?日本人が楽しく生きていけるか?というとそうでもないのですが、その指摘に関しても僕は控えることにしました。そしたらブログになにも残らなくなりそうですが(笑)。

dojindojin 2009/10/19 07:20 コメントありがとうございます。正直、外、いきなり寒くなりすぎです。。。今これってどういうことでしょうか。

>日本在住の日本人にとっては気分のいいものではない

このブログ主は、半ば本気で日本の「社蓄」環境を変えるべく、ネットを使った価値観闘争を仕掛けているのだと私は解釈しています。そういう意味では、あえて日本の労働環境やサービス環境に肯定的な人々の気分を悪くさせるべく挑発的な書き方をしているとも言えると思います。ただし、彼のブログに対するはてブにも共感意見が多いということは、一定数の日本人はこのエントリに共感しているようです。ただ、この共感が少数意見なのか多数意見なのかははてブだけからはわかりませんが。。。

>スウェーデンがユートピアか?日本人が楽しく生きていけるか?というとそうでもない

その通りだと思います。多くの日本人にとって、海外での生活は不便・不快・退屈も伴うものであって、議論のために他の要因を無視して労働VS消費(ただし消費にはBtoBのクライアント側の居心地の良さや広義の(非市場的な)消費文化・消費生活も含める)に話を単純化すると、たとえ国を自由に選べたとしても、両者を天秤にかけて日本での生活を選好する人も多いと思います。

ただ、上記ブログの指摘で面白かったのは、個々人の選好がどんなものかということや、どの国がよいかという話ではなく、長時間労働の原因として過度なサービス要求があり、労働と消費にトレードオフがあるにもかかわらず、みんなそれにあまり気づかずに「首を絞めあっている」と指摘している点です。

これまで日本企業の労働時間短縮の運動は、もっぱら生産性の向上や無駄な仕事・会議の削減などが中心だったと思うのですが、もし顧客の要求水準の高さが長時間労働の主要な要因であれば、これを所与とした元での生産性向上や無駄な仕事・会議の削減などはたたがしれている可能性があるということです。

だとしたら、労働時間短縮を目指すのならば、顧客や消費者の要求水準を下げるということを目指さなければならない。だけれどもこれは、一度日本のように高い要求水準が普通になってしまったところでは、自分の顧客・消費者としての要求水準を下げることが自分の労働環境の改善になんらかの形でダイレクトに影響しない限り(そんな人はほとんどいないでしょう)、自ら率先して顧客・消費者としての要求水準を下げるインセンティブなんてありません(そんなことをしたら自分が損するだけです)。

すると、たとえ全ての人が自らの過度な顧客・消費者としての要求水準を下げる見返りに自らの労働時間を減少させることを選好したとしても(もちろん、スウェーデン並とはいいませんが、多少バランスを変えるくらいなら、同意する人も多いでしょう)、現状は変わらない可能性があります。

その観点からは、もしスウェーデンが日本よりも勝ち組であるとしたら、スウェーデン人は比較的働かなくても豊かであるということよりも、スウェーデン人が現状の労働と消費のバランスに満足しているのに対し、日本では「社蓄」は嫌で全体的にもう少し「ゆるく」なったほうが望ましいと思っている人が増えつつあるのに、なかなか労働と消費のバランスが満足いくところに落ち着いてくれない、ということかもしれません。

まぁここでの話はいろいろな前提(労働と消費にはっきりとしたトレードオフがある、とか、日本人とスウェーデン人の労働環境・消費環境・選好がそれぞれ単一的だ、とか)に乗っかった上での話なので、実際のところはどうだかはわかりませんが、ちょっとそんなことを考えました。

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