文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「小泉靖国参拝」は「英霊への冒涜」だ。

 「諸君」九月号の座談会で一箇所だけ私が感動したのは、遠藤浩一福田逸の「小泉靖国参拝」をめぐる次のようなやり取りだった。

===================================
  《福田   彼は、靖国参拝は「こころの問題」だとよく言いますが、首相になった一年目の゛八月十三日゛前だおし参拝から、こりゃだめだと思いました(笑)。参る、祀るとは「型」の問題です。八月十五日、あるいは春秋の例大祭など、そのけじめの日に行くことが大事であって、彼が本当に「こころの問題」と考えているならば、宗教を超えた靖国という存在に対して、きっちりと型を守ったことでしょう。


   遠藤   小泉さんにとっては「こころの問題」などではなく、靖国参拝も政略上の要請によるものです。・・・・・・個人的には、小泉さんに靖国のこころを語ってほしくありませんね。


   福田   最後の最後の゛死に体゛になった任期満了の年の八月十五日に、行っていただきたくないと思います。》
===================================

  この議論はかなり本質的な問題を提起している。「小泉靖国参拝」を批判すると、小泉一派や小泉擁護派からは、必ず「中国や」韓国の言いなりになれと言うのか」という反論が返ってくるが、この二人の発言は、その反論そのものの欺瞞性と陰謀を暴きだす議論になっている。


 要するに、「小泉靖国参拝」批判は、小泉一派が主張するするような、中国や韓国の批判に屈するか屈しないかというような問題ではない。むしろ、靖国参拝問題を、中国や韓国の外交問題に論点を擦り替え、「反中国」「反韓国」というカードを売り物にしつつ、政権維持のダシに使って政治利用しているのは小泉純一郎自身であり、彼の取り巻きである。


 たとえば私も「小泉靖国参拝」に批判的だが、私が「小泉靖国参拝」に反対するのは、福田や遠藤が、あるいは木村三浩が「週刊朝日」で言うように、それが、「心にもない政略的な不謹慎な参拝」であり、それは結果的には「英霊への冒涜」でしかないからだ。
にほんブログ村 政治ブログへ