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哲学者=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』 このページをアンテナに追加 RSSフィード



【山崎行太郎の著書】



哲学者=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』
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2007-07-16

曽野綾子は、何故、権力べったりの「保守おばさん」に堕落したのか?

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ネット右翼レベルの薄っぺらな保守文化人に混じって、最近保守論壇を跋扈しているのは、権力利権が大好きな「保守おばさん」たちである。たとえば、桜井よしこ、曽野綾子、上坂冬子、さかもと未明…。別に彼女たちの政治思想や議論の中身が間違っていると言いたい訳ではない。ただ、あまりにも幼稚で、くだらないので、顔を背けたくなると言いたいだけである。僕が、最近保守論壇や保守ジャーナリズム、そしてその「保守おばさんたち」が支援する「安倍政権」に批判的なのも、彼らの思想性や党派性に批判的だからではない。ただ、単に思想レベルが低すぎるというだけの理由からである。憲法改正も教育基本法改正も、そして「防衛庁」の「防衛省」への昇格も反対ではない。ただ、安倍一派や、安倍一派を支援する保守文化人思想的なレベルの低さに違和感を持つに過ぎない。つまり、安倍一派とともに憲法改正を語りたくもないし、また憲法改正を実行したくもない。僕は、安倍安倍一派の考える憲法改正なら、やらない方がましだと思う「保守」である。ちなみに、某素人ブログ(iza)によると、僕は読んだことは無かったが、曽野綾子は、十数年前に、こんなことを書いていたということである。

 素人が現政権の批判をするということほど、気楽な楽しいことはない。

 総理の悪口を言うということは、最も安全に自分をいい気分にさせる方法である。

 なぜなら、時の総理が、自分の悪口を言った相手をぶん殴りに来たり、名誉毀損で訴えたりするということはほとんどないのだから、つまりこれは全く安全な喧嘩の売り方なのである。

 これが相手がやくざさんだったら、とてもそうはいかないだろう。

 しかも相手もあろうに、総理の悪口を言えるのだから、自分も対等に偉くなったような錯覚さえ抱くことができる。

 これは、1992年3月に、曽野綾子が書いた文章らしいが、この時の「総理」は宮沢喜一だったらしい。曽野綾子によると、保守とは、現政権の批判はしてはいけないものらしい。現政権奴隷となり、ひたすらゴマスリとタイコモチに終始するのが、保守文化人ということだろう。曽野は、偉そうに「素人は…」なんて書いているが、自分は「プロ」のつもりか。曽野は、いったい何のプロのつもりなのか。それにしても、いつから、保守文化人は、権力や体制の奴隷になったのだろうか。僕の尊敬する保守文化人は、誰一人として権力や体制の奴隷ではなかった。小林秀雄、田中未知太郎、福田恒存、三島由紀夫、江藤淳…。みんな、現政権にゴマスリしたり、タイコモチしたりすることが自分の役割だと思っているような奴隷文化人ではなかった。曽野綾子は、一応、作家ということになっている。「一応」というのは、僕の眼から見れば、曽野綾子は、石原慎太郎とともにすでに作家としての命脈は尽きていると思うからである。今、曽野綾子は、保守論壇や保守ジャーナリズムに生息する保守文化人としては重鎮の一人であるらしい。産経新聞やそれに類する雑誌や週刊誌に、毎月、毎週、毎日、登場しない日はないと言っていい。要するに、権力利権の周りに巣食う御用文化人の典型である。商売繁盛で結構なことだが、作家といいながら、作家とは名ばかりで、もっぱら「保守おばさん」として低俗人生論やお説教を垂れ流してばかりである。文学が枯渇するはずである。曽野綾子と言えば、沖縄の集団自決事件を取材し、「日本軍による集団自決命令はなかった」と主張した『ある神話の背景』が知られているが、その時、曽野がターゲットにしたのは大江健三郎の『沖縄ノート』だったはずだが、僕は、その主張の中身がどうであれ、曽野綾子を尊敬する気にはなれない。曽野はどう転んでも「三流作家のはしくれ」でしかないが、依然として大江健三郎は超一流の作家だと思っている。「総理の悪口を言うな」「素人は黙っていろ」と言うような作家が、まともな作家であるはずがない。むろん、僕としては、作家は政治的発言をするべきではない、と言いたいわけではない。作家として政治的発言をするなら、作家らしくもっと本質的、原理的な発言をしろ、と言いたいだけである。本質的に、あるいは原理的に政治問題を考えるならば、朝日新聞批判や中国批判だけでなく、ある場合には三島由紀夫や江藤淳のように、現政権批判に至るのも当然ではないか。僕は、曽野綾子のような権力べったりの「保守おばさん」を心底、軽蔑するが、大江健三郎とは政治思想的な立場はまったく反対にもかかわらず、それでも大江健三郎の政治的、思想的な一貫性と徹底性を尊敬している。作家を名乗りたいなら、大江健三郎の爪の垢でも煎じて飲め、と言いたい。「奴隷思想を排す」(江藤淳)である。ところで、少し話は変わるが、曽野は、「保守文化人」を気取りながら、靖国神社に代わる無宗教の代替追悼施設建設に賛成らしいし、国のために命をささげた日本の軍人(特攻隊の青年たち)より、殉教したイエズス会の神父たちの方が偉い、と話すような暢気な「保守おばさん」らしいね。さて、その某ブログ(iza)にはこんな書き込みが……(笑)。

 以下の文章の内容は気に入った。書き記して、紹介する。原文は一段落で改行がないが、読みやすいように、一文ごとに行を分けた。

 「素人が現政権の批判をするということほど、気楽な楽しいことはない。

 総理の悪口を言うということは、最も安全に自分をいい気分にさせる方法である。

 なぜなら、時の総理が、自分の悪口を言った相手をぶん殴りに来たり、名誉毀損で訴えたりするということはほとんどないのだから、つまりこれは全く安全な喧嘩の売り方なのである。

 これが相手がやくざさんだったら、とてもそうはいかないだろう。

 しかも相手もあろうに、総理の悪口を言えるのだから、自分も対等に偉くなったような錯覚さえ抱くことができる」。

 これは、1992年3月に書かれた曽野綾子氏の文の一部で、同・悪と不純の楽しさ(ワック、2007。初文庫化、1997)に収載されている(p.35)。この時の「総理」は宮沢喜一だった。

 いろいろなブログを拝見していると、その中には、安倍シンゾーとかアベ・シンゾーとか呼び捨てにして、読むに耐えない罵詈雑言的言辞を安倍首相にぶつけているものもある。

 さしあたり、「きっこの−」や「山崎行太郎の−」とかを私は思い浮かべてしまうのだが、彼ら「素人」は、上の文章にどういう感想をもつのか、可能ならば、尋ねてみたいものだ。

「彼ら『素人』は、上の文章にどういう感想をもつのか……」だって。むろん、僕は何事であれ、「素人」であることを誇りとしているが、曽野は、いったい何のプロなのか。まさか、文学のプロではないよね(笑)。










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