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文芸評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』 このページをアンテナに追加 RSSフィード

哲学者=山崎行太郎の政治ブログ
『毒蛇 山荘日記』

2007-11-13

大江健三郎は集団自決をどう記述したか?


意外かもしれないが、僕は、沖縄の集団自決において「軍命令」があったかどうか、あるいは教科書から「軍命令」の文言を削除すべきか、削除すべきでないか、というような議論に無関心だというわけではないが、今や、あまりにも政治問題化しているが故に、逆にそれほど興味はない。僕は、「文学批評」を専門にしているが、どちらかと言えば、「保守反動派」(笑)の文藝評論家なので、文学の世界で必要以上に持てはやされる広島や沖縄や韓国に関する左翼的言説や戦後文学的言説には身構える習性が身についている。広島の原爆や、沖縄の地上戦体験や、あるいは韓国の植民地体験などを主題にする文学や小説を、必要以上に持ち上げ、過剰に優遇する「戦後文学」的な価値観に、僕が一貫して反対してきた所以である。たとえば、芥川賞の歴史を点検してみればすぐ分かることだが、戦後文学は、広島や沖縄や韓国に、明らかに甘い。沖縄返還の頃、大城立裕の『カクテル・パーティ』が芥川賞を受賞した頃から、沖縄からは続々と芥川賞作家が誕生しているが、むろん、大部分はそれなりの必然性があるだろうが、しかし、そこに文学的配慮というより政治的配慮とでも呼ぶべきものが働いていることは言うまでもない。同じことが、広島の原爆をテーマにした文学にも言えるし、韓国・朝鮮系の、つまり在日韓国人や在日朝鮮人在日文学についても言える。われわれ日本人に、広島や沖縄や朝鮮・韓国への「贖罪意識」があるがゆえに、彼らの文学に異常に甘いのである。僕は、その「甘やかし」こそ逆差別だと思うがゆえに、沖縄文学や在日文学、あるいは原爆文学を過剰に評価し、過剰に優遇することに反対してきたつもりである。さて、僕は、講談社の『日録20世紀』に歴史コラムを連載していた時、沖縄戦記や集団自決に関する文献類に出会ったが、その時の僕の印象は、それらの実録的な文献類にも、意識的か無意識的かは別として、かなりの脚色、創作があるなあ、というものだった。それは、沖縄の悲惨な陸上戦という戦争体験や戦後の占領体験を考慮するならば仕方ないことかもしれないが…。たとえば、沖縄一高女の女子学生たちの悲劇を伝える「ひめゆりの塔」に関する美談にも、あまりにも美しすぎる美談であるがゆえに、僕は不信と疑問を持っている。しかも、僕は、これは沖縄の女子高生全体の悲劇=美談かと思っていたが、そうではなく、ひめゆり美談においては、悲劇のヒロインは沖縄県立一高女に限定されているのだ。何故、二高女の女子学生たちの悲劇(「白梅の塔」)が、そこから排除されているのか。何故、県立一高女のひめゆり美談だけが声高に叫ばれているのか。それが不可解である。当然のことだが、沖縄一高女のエリート女子高生だけが戦争被害者ではなかろう。同じように、たとえば、不思議なことだが、沖縄で芥川賞を受賞するのは、県庁職員、公立高校職員、市役所職員など、みな沖縄本島の公務員である。何故か。何か理由でもあるのだろうか。沖縄の内部に差別がある、と僕は、石垣島出身の作家小浜清志から聞いたことがある。だから、僕は、沖縄の人々が固執する戦争体験談や戦闘体験にまつわる言説や物語を全面的に信用し、擁護し、支持しているわけではない。むしろ、いつも不信と懐疑の念をもちつつ読んでいるというのが現実である。たとえば、沖縄の「悲劇の歴史」を、修学旅行生や観光客相手に語り伝える「語り部」なる人々の存在についても、僕はかなり批判的で、お涙頂戴の安っぽいメロドラマの押し売りは、もういい加減にしてくれ、と思っている。つまり僕は、広島や沖縄の悲劇を拡大解釈し、広島や沖縄の人々や歴史を、腫れ物に触るように馬鹿丁寧に扱うことに反対である。そこで、それならば、何故、おまえは、今回の、大江健三郎の『沖縄ノート』を標的にした「集団自決裁判」に反対し、批判するのかと問う人がいるかもしれない。大江健三郎の『沖縄ノート』こそ、沖縄の歴史を拡大解釈し、沖縄の文化や歴史を過剰に評価し、過剰に賛美する本ではないか、と。確かにその通りである。僕も、最初、この本を読んだときには、とてもではないが、その過剰な沖縄賛美の文体についていけなかった。これは、沖縄を、完全に、見世物的に、つまり「オリエンタリズム」(サイード)として扱っている、と。エキゾチシズムとロマンチシズムの対象として「沖縄」や「沖縄の悲劇」を拡大解釈して過剰な身振りで、東京在住の文化人が、自分の問題であるかのように取り扱うことは、沖縄の歴史や沖縄の人々を、むしろ逆に冒涜するものであり、失礼ではないか、と。確かにその通りなのだが、少なくとも大江健三郎の『沖縄ノート』の記述に関しては、少し、事情が違うというのが、僕の解釈であり、僕の意見である。ましてや、裁判おや、である。明らかに、『沖縄ノート』を名誉毀損で訴えた側に、誤解と誤読に基づく、大きな勘違い思想的退廃がある。こういう裁判を起こして、被告としての大江健三郎を法廷に引きずり出し、それを外野席から嘲笑して、いい気になっているのが、最近の日本の保守論壇であり、保守思想だとすれば、僕は、その保守論壇や保守思想というものの思想的退廃を軽蔑こそすれ、とてもじゃないが、まともに相手にする気になれない。大江健三郎の『沖縄ノート』の記述や思想的立場を批判したければ、裁判ではなく、思想論争や言論戦で挑むべきだろう。たとえば、原告の梅沢某や赤松某は、自ら積極的に挑んだ裁判ではなく、元同僚など、他の保守勢力に嗾けられて挑んだ裁判らしいが、それ故に、原告たちはまともに大江健三郎の『沖縄ノート』そのものの当該箇所の記述すら読んだことがないというところからも、原告たちもまたこの裁判の被害者だと言えるかもしれない。ところで、先日の沖縄集団自決裁判に関する新聞やブログの論評やコメント類を点検していくと、ほとんどが大江健三郎の『沖縄ノート』を読んでいないということがわかる、と前回、書いたが、では、大江健三郎はその問題の『沖縄ノート』で、集団自決をどう記述しているのだろうか。誰かが引用するだろうと思って、意識して引用せずに議論していたのだが、予想通り、誰も引用する気配がないので、つまり誰もテクストを読んでいないことが明らかなので、参考までに、その一部を、僕がここに引用しておこう。最終的な判断は各自ですればよいだろう。

慶良間島においておこなわれた、七百人を数える老幼者の集団自決は、上地一史著『沖縄戦史』の端的に語るところによれば、生き延びようとする本土からの日本人軍隊の「部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食料を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ」という命令に発するとされている。沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生、という命題は、この血なまぐさい座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場においてはっきり形をとり、それが核戦略体制のもとの今日に、そのままつらなり生きつづけているのである。生き延びて本土にかえりわれわれの間に埋没している、この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、いま本土の日本人が綜合的な規模でそのまま反復しているものなのであるから、かれが本土の日本人にむかって、なぜおれひとりが自分を咎めねばならないのかね? と開きなおれば、たちまちわれわれは、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうだろう。

慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、どのようにひかえめにいってもすくなくとも米軍の攻撃下で住民を陣地内に収容することを拒否し、投降勧告にきた住民はじめ数人をスパイとして処刑したことが確実であり、そのような状況下に、「命令された」集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が、戦友(!)ともども、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた。僕が自分の肉体の奥深いところを、息もつまるほどの力でわしづかみにされるような気分をあじわうのは、この旧守備隊長が、かつて「おりがきたら、一度渡嘉敷島にわたりたい」と語ったという記事を思い出す時である

これが、大江健三郎の『沖縄ノート』の中の「集団自決と守備隊長」に関する記述の主要部分である。他にも数箇所、これに関連する記述があるが、それは大江健三郎の解釈や分析が中心であって、いわゆる「集団自決と守備隊長」に関する具体的な記述とは言いがたい。要するに、全部合わせても、わずか一ページにも満たない記述である。しかもここには具体的な個人名は記述されていないし、また集団自決の情報の出典も明記されているし、集団自決の「軍命令」も、沖縄のジャーナリズム研究者、沖縄住民の間で、通説化=定説化しているようだ、という前提を元に書かれている。もし、この記述が名誉毀損に当たるとすれば、名誉毀損裁判の「被告席」に座るべきは、大江健三郎や岩波書店ではなく、「沖縄のジャーナリズム、現地研究者、沖縄住民」ということになろう。では、何故、そうならなかったのか。何故、大江健三郎と岩波書店が被告でなければならなかったのか。むろん、それは原告側に、あるいは原告を裁判へと嗾け、支援しているグループの側に、思想的な下心というか、政治的な戦略があったからだろう。この裁判の原告たちの背後にいて支援しているのが、昨今の保守論壇や保守思想家と呼ばれる人たちであることは言うまでもない。僕が、保守論壇や保守思想思想的退廃を指摘する所以である。「くだらない左翼より、優秀な保守右翼の方がいい。」と言って保守派の江藤淳と意気投合した左翼思想家・吉本隆明を思い出す。江藤淳や三島由紀夫が生きていれば、今の保守論壇の思想的退廃をどう思うだろうか。おそらく絶望的な気分なるのではなかろうか。いずれにしろ、この程度の歴史記述が、「沖縄集団自決裁判(名誉毀損)」に匹敵するものなのかどうか、はなはだ疑わしく思われる、というのが、僕の正直な感想である。皮肉なことに、この程度の歴史記述で、名誉毀損になり、裁判沙汰になるのだとすれば、「日本軍国主義」の言論統制下にあった戦時中の日本の言論状況の方が、あるいは敗戦直後の「閉ざされた言語空間」(江藤淳)の言論状況の方が、まだ自由で、のびのびしていたと言うことになるかもしれない。皮肉をこめて言うのだが、恐ろしい時代が来たものである。(続)



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