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文芸評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』 このページをアンテナに追加 RSSフィード

哲学者=山崎行太郎の政治ブログ
『毒蛇 山荘日記』

2007-11-22

渡部昇一よ、お前もか。『沖縄ノート』も読まずに、「万犬、虚に吼えている」というわけか(笑)。

渡部昇一の『自由をいかに守るか……ハイエクを読み直す』(PHP新書)を、たまたま駅の売店で見つけたので、暇つぶしに読んでいるが、評判の割には思想的な中身が薄く、ちょっとがっかりである。たとえば、渡部昇一は、経済学者ハイエクの経済学という専門領域を超えた哲学的深さと広がりを強調して、ハイエクの『隷従への道』をマルクスの『資本論』等と並べて20世紀の名著と絶賛した上で、その根拠を、左右の「全体主義」を批判し、人間の自由を強調したところに、たとえば、20世紀知識人を捉えたマルクス主義的な統制経済主義の呪縛から解放したところに、言い換えれば、ソ連崩壊を導いた理論的根拠を与えたのがハイエク理論であつたところに、求めているが、この分析は、ちょつと単純素朴すぎると僕は思う。渡部昇一は、『資本論』が、マルクス主義的な統制経済を主張しているかのように書いているが、ここから、渡部昇一が、マルクスの『資本論』を読んでいないし、また理解もしていないことがバレバレであることがわかる。今さら繰り返すまでもなく、マルクスの『資本論』は、いわゆる世間に流布している「通俗マルクス主義」、たとえば「統制経済・計画経済」論や唯物史観、共産主義等を主張している本ではく、資本主義の原理と秘密を解明しようとした本であって、資本主義を批判して共産主義の哲学などを主張した本ではない。渡部昇一は、ハイエクについて、国家による統制や支配管理に対立する、かなり過激な自由主義を強調したことの思想史的意義を力説するが、ハイエクの自由主義そのものに哲学的深みがまったく感じられない。ナチズムやファシズムなどの全体主義に対して、それに対抗するものとして自由主義を主張したというだけの話では、明らかに底が浅い。ヒットラーやムッソリーニの思想の中に「自由」や「解放」を見出すことは不可能ではない。その意味では、ナチズムについて独自の思考を展開したハイデガーやカール・シュミットの方がはるかに思想的な深みがあり、面白い。渡部昇一の思考が薄っぺらなのか、ハイエクの思考そのものが薄っぺらなのか、今のところ、まだ判断を留保するが、しかしいずれにしろ、渡部昇一もハイエクも思想的には凡庸そのもので、思想家としてはたいしたことはない、と思われる。ところで、話は変わるが、渡部昇一は、最近保守論壇では重鎮の一人らしく、何がエポックメーキングな話題があると、必ず出てきてコメントしているようだが、いわゆる「沖縄集団自決」問題についても、例によって、積極的に介入し、かなり激しい発言をしているようだ。たとえば、「will」12月号に、「歴史教育を歪めるもの」を書いているが、そこで、朝日新聞、岩波書店、それに沖縄の新聞メディアの偏向性などを激しく批判・罵倒している。そして集団自決問題については、渡部昇一も、曽野綾子の間違いだらけの大江健三郎『沖縄ノート』批判を鵜呑みにして、しかも誤字をそのままに誤読したままに、こんなことを書いている、

沖縄報道の中心になった出版社がいずれも岩波書店だというのは、注目に値します。曽野綾子さんはこれらの書籍を読んだうえで、次のようなことを述べています。

このような著書を見ると、一斉に集団自決を命じた赤松大尉を人非人、人面獣心などと書き、大江健三郎さんは『あまりに巨きい罪の巨魁』と表現しております。私が赤松事件に興味を持ったのは、これほどの悪人と書かれている人がもし実在するならば作家として会っておきたいという無責任な興味からでした。私は赤松氏と知己でもなく、いかなる姻戚関係にもなかったので気楽にそう思えたのです。もちろん私は特別な調査機関もありません。私はただ足で歩いて一つ一つ疑念を調べていっただけです。本土では赤松大尉にも個別に会いました。(中略)渡嘉敷に何度も足を運び、島民の人たち多数会いました。大江氏は全く実地を調査していないことは、その時、知りました」

そして曽野綾子さんが足を使って綿密な取材をした結果、ついに赤松大尉が「集団自決」命令したという事実はどこからも出てこなかったのです。曽野さんが取材した当時は、「集団自決」を知る村の関係者は存命であり、赤松大尉も隊員も生きていました。しかしその誰からも、事実が出てこなかったのです。

渡部昇一は、曽野綾子の文章の出典も明らかにしていないが、ここに決定的なミスがあることは、当ブログの読者なら、すぐにわかるだろう。驚くべきことだが、「誤報」や「調査」や「足を使った現地取材」に拘っているにもかかわらず、渡部昇一のこの発言の中にも、曽野綾子の「誤読」が、何の疑いも無く、そのまま引用されていることがわかるだろう。「足を使った現地取材」には敏感だが、曽野綾子も渡部昇一も、テキストの解読や点検には無頓着というわけだろうか。学者失格、思想家失格である。繰り返すまでも無く、大江健三郎は、『沖縄ノート』の中で、≪あまりに巨きい罪の巨魁≫とは書いていない。曽野綾子の誤読であり、漢字の見間違いである。大江健三郎は、≪あまりに巨きい罪の巨塊≫と書いている。当然のことだが、「罪の巨塊」を「罪の巨魁」と誤読すると、意味が決定的に違ってくる。というわけで、渡部昇一は、曽野綾子の誤読を、そのまま鵜呑みにして、大江健三郎批判や岩波書店批判、沖縄マスコミ批判を展開しているわけだが、出発点が間違っている以上、間違いの上に間違いを積み重ねていく議論に何の価値も無いのは当然だろう。それよりも、渡部昇一が、曽野綾子の発言を鵜呑みにして、誤読を誤読のまま引用しているということは、渡部昇一自身が、大江健三郎の『沖縄ノート』そのものを読んでないということだろう。渡部昇一よ、大江健三郎の『沖縄ノート』裁判に口出ししたいなら、先ず、『沖縄ノート』を読め。そして、誤読と誤字を訂正せよ。「年寄りの与太話」(笑)はそからでも遅くは無いだろう。



資料?(過去エントリー)

大江健三郎を擁護する。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071110/p1

■誰も読んでいない『沖縄ノート』。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071111/p1

■梅沢は、朝鮮人慰安婦と…。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p2

大江健三郎は集団自決を記述したか? http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p1

■曽野綾子の誤読から始まった。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071118

資料2

大江健三郎・岩波書店沖縄裁判の争点http://www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/souten.html

大江・岩波沖縄戦裁判の支援の会・ブログhttp://okinawasen.blogspot.com/

大江・岩波沖縄戦裁判支援会 http://www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/news.html


資料3

池田信夫ブログ http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ec0ed69b8abf25fb6e59671cf0c11beb

馬鹿につける薬はない」という諺の、いい見本だな。(笑) コレ ↓↓↓

池田信夫ブログ http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ec0ed69b8abf25fb6e59671cf0c11beb

(*)先日の実名公表が大反響だったようなので、好評(?)に答えて実名シリーズ第2弾:山崎行太郎とかいう自称評論家が、曽野氏の発言で「巨魁」と表記されているのを「誤読」だと書いているが、これは対談なんだよ。彼女は「キョカイ」と発音し、それを「巨魁」と誤記したのは編集部である。売れない評論家は、対談もやったことないのか。だいたいこんな表記の問題は、論旨と何の関係もない。





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