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文芸評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』 このページをアンテナに追加 RSSフィード

哲学者=山崎行太郎の政治ブログ
『毒蛇 山荘日記』

2007-11-27

曽野綾子の「誤字」「誤読」の歴史を検証する。


 曽野綾子の『ある神話の背景』の再刊本(『「集団自決」の真実』)において、大江健三郎の『沖縄ノート』からの引用部分が、滅茶苦茶な誤字(「巨塊」を「巨魂」と誤記?)を使っていること、あるいはその解釈が誤読(「巨塊」を「巨魁」と解釈している?)だらけだということは、既に指摘しておいたが、「愛・蔵太の少し調べて書く日記」というブログ(http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20071128)が、国会図書館にまで足を運んで、曽野綾子のこれまでの書籍における引用文を、全部、確認してきてくれたようだ。それによると、誤読は勿論だが、誤字(「巨魂」)の使用は、読売新聞社から 1984.6月に刊行された「曽野綾子選集」あたりから始まっているようで、1992.6月刊行のPHP文庫も、最新刊のwacも、ろくに原著との照合を放棄しているようだが、誤字をそのまま放棄して悠然と裁判などに血道を上げている曽野綾子本人の無責任な態度は言うまでもないが、曽野綾子担当の編集者達は何を考えているのだろう。まことに驚くべき誤字、誤読の歴史と言っていい。現在発売中の「サピオ」対談でも、曽野綾子は、池田信夫とかいう怪しいイナゴ・ブロガー(笑)を相手に、今まさに裁判の渦中であるにもかかわらず、堂々と「巨魁」という誤字を披露してくれているわけだが、それに対して、「誤字なんて『サピオ』編集部のミスだ……」とか、「誤字なんて対談の趣旨とは関係ない……」と言い放つ基地外(池田信夫? http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo)は別として、これはやはり、常識的に考えても、文学者思想家にとつては、致命的というか、文学者運命を左右するような、取り返しのつかない大失策だろうと思うのだが、曽野綾子自身はどう考えているのだろうか。曽野綾子による『沖縄ノート』の誤字・誤読の歴史については、くわしいことは、以下の「「愛・蔵太の少し調べて書く日記」ブログからの引用をお読みいただきたいが、まったく、目を覆いたくなる惨状である、と言わなければならない。曽野綾子よ、大江健三郎を相手にして、裁判ごっこをやつたり、くだらない人生論的エッセイを書き散らす暇があったら、もつと真剣に著書の校正や誤字訂正などを、地道にやるべきだろう…なんて言いたくなる、今日、この頃である。

■「愛・蔵太の少し調べて書く日記」ブログ http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20071128


ということで、曽野綾子『ある神話の背景』には、過去に書籍の形で流布したテキストが5種類あります。

 国立国会図書館ではこんな感じ。



1. ある神話の背景 / 曽野綾子. -- 文芸春秋, 1973

2. ある神話の背景 / 曽野綾子. -- 角川書店, 1977.11. -- (角川文庫)

3. ある神話の背景 / 曽野綾子. -- PHP研究所, 1992.6. -- (PHP文庫)

4. 沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実 / 曽野綾子. -- ワック, 2006.5. -- (WAC bunko)

5. 曽野綾子選集. II 第2巻. -- 読売新聞社, 1984.6



 刊行順だと「12534」なのですが、これらの本の中で「罪の巨塊」という元テキストがどのように扱われているかを少し調べてみました。

 手元には「ワック」の本(4番目の本)しかないのですが、その中ではこんな感じ。p295〜p296

 大江健三郎氏は『沖縄ノート』の中で次のように書いている。

「慶良間の集団自決責任者も、そのような自己欺瞞と他社への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりに巨きい罪の巨魂のまえで……(後略)」

 このような断定は私にはできぬ強いものである。「巨きい罪の巨魂」という最大級の告発の形を使うことは、私には、二つの理由から不可能である。

 曽野さん、「あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き延びたいとねがう」と、主語を略して引用してはいけません。もうみんな、それで『沖縄ノート』読んでない人は大混乱だよ。

 それはさておき、国会図書館の本で確認した限りでは、問題のテキストは以下のような感じでした。


1…罪の巨塊

2…罪の巨塊

5…罪の巨魂

3…罪の巨魂

4…罪の巨魂


 どうも、『曽野綾子選集』を出すときに元テキストが間違ってしまい、それ以降は大江健三郎氏は「罪の巨魂(あるいは巨魁?)」と言ったことに、曽野綾子氏のテキストしかみない人にはなっている、という、ちょっと考えられない状況が存在しているのが現在の状況。

 元テキストを批判するにしろ擁護するにしろ、書いてもいないことを書いたと書く(言う)のはちょっとマズいのでは、というのがぼくの感想です。曽野綾子さんが大江健三郎さんに対してどのようなことを書こうとも(言おうとも)、大江健三郎さんは「罪の巨塊」としか書いていません。

■「愛・蔵太の少し調べて書く日記」ブログ  http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20071128



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