文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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「土民」は日本軍の軍隊用語だった。

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大江健三郎の『沖縄ノート』に「土民」という言葉が、括弧つきで使われているが、この『沖縄ノート』で使われている「土民」という言葉だけを取り出して、大江健三郎は沖縄現地住民を侮蔑的に「土民」と差別的な意味をこめて呼んでいると、反大江側の弁護団をはじめ応援団の面々は、大江健三郎批判を展開しているわけだが、しかし、この大江健三郎批判においても、原告側弁護団や応援団の面々の言い分は、まったく日本語のテクストをろくに読みもせずに、つまりテクストをまったく無視して作り上げたイカサマの論理である。沖縄現地住民を「侮蔑」し、「差別」して、「土民」と呼んでいたのは、大江健三郎ではなくて、帝国軍人、つまり赤松隊長以下、いわゆる赤松部隊の面々だったというわけであって、大江健三郎は、それを揶揄して、わざわざ括弧をつけて「土民」書いたのである。まず、日本軍の文書において、「土民」という言葉の使い方の具体的な実例を見てよう。(以下は「ni0615」氏のコメントより。http://d.hatena.ne.jp/yama31517/20080715)

「主陣地ノ構築ヲ第一ニ着手シ偽陣地前進陣地海岸陣地ノ順ニ構築ス主陣地以外ハ成シ得ル限リ土民ヲ利用ス」


 独立混成第15連隊 第2大隊本部陣中日誌・西地区守備隊主陣地構築要領
土民とは沖縄県民を指す)


http://w1.nirai.ne.jp/ken/syo2.htm

軍隊用語では、「土民とは沖縄県民を指す」……。なかなか意義深い言葉である。おそらく、大江健三郎も、その意味で、敢えて、この「土民」という言葉を、一種の軍隊用語として、つまり沖縄現地住民を侮蔑し、差別する言葉として赤松等が使っていることを承知の上で、使ったのであろう。したがって、大江健三郎が「土民」という言葉を使ったからと言って、大江健三郎が沖縄現地住民を侮蔑しているという原告側弁護団小林よしのり、あるいは支持者達の言い分は通らない。むしろ、大江健三郎は、赤松等、つまり日本の職業軍人たちが、かねてから、沖縄現地住民を、「土民」と言っていること、及び赤松等が「土民」という言葉で、沖縄現地住民を、差別し、侮蔑していたこと、そのことを、表現したかったのであろう。ちなみに、「控訴理由書」には、こう書いてある。

3 また、原判決は何ら触れるところがないが、『沖縄ノート』は、「屠殺者」という差別語を用いて赤松大尉を罵っています。そして赤松大尉の内心の言葉として、「あの渡嘉敷島『土民』のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受け入れるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったではないか」と言わせ、集団自決で死んだ渡嘉敷島の村民を、命令のままに集団自決する主体性なき「土民」と貶めています。

小林よしのり氏は、漫画「ゴーマニズム宣言」で、この点を指摘し、「『沖縄ノート』は究極の差別ブンガクであり、大江健三郎は究極の偽善者である。沖縄法廷で裁かれるべきは大江本人であろう。」としています。

差別ブンガクという表現が適切かどうかはさておき、それほどまでに『沖縄ノート』の表現は、異様であり、執拗かつ粘着的であり、憎悪をかきたてずにはおれない煽情的なものであり、悪意に満ち、人間の尊厳と誇りを内面から抉るように腐食するものであり、高見に立って地上で懸命に生きる人々を見下ろす独善と侮蔑的な差別感情に溢れています。それは究極の人格非難であり、個人攻撃でした。 

この「控訴理由書」は、論理的にまつたくデタラメである。「そして赤松大尉の内心の言葉として、「あの渡嘉敷島『土民』のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受け入れるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったではないか」と言わせ、集団自決で死んだ渡嘉敷島の村民を、命令のままに集団自決する主体性なき「土民」と貶めています。」と言う解釈のようだが、この解釈が、大江健三郎の日本語テキストを、180度転倒した上に、ものの見事に誤読したトンデモ解釈であることは明らかである。「あの渡嘉敷島『土民』のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受け入れるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったではないか」というのは、大江健三郎が分析した赤松隊長等の心理、あるいは深層心理であって、沖縄現地住民を、「土民」と言って貶めているのは、赤松等であって、大江健三郎ではない。大江健三郎は、その赤松らの渡嘉敷島の人々への差別意識、侮蔑意識を批判的に告発しているに過ぎない。したがって、小林よしのりのように、ここで、「差別ブンガク」などと、大江健三郎の文学的表現を呼ぶことは、まったくのデッチアゲのデマにほかならない。渡嘉敷島の現地住民を、「命令のままに集団自決する主体性なき「土民」と貶めて……」いるのは、つまり、沖縄を徹底的に差別し、侮蔑しているのは、「全体主義の島」だの「主体性なき住民」「同調圧力」だのと言っている、「小林よしのりよ、お前だろう!!!」とでも言うしかない。



(この稿、続く)


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資料1(過去エントリー)

大江健三郎を擁護する。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071110/p1

■誰も読んでいない『沖縄ノート』。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071111/p1

■梅沢は、朝鮮人慰安婦と…。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p2

大江健三郎は集団自決をどう記述したか? http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p1

曽野綾子の誤読から始まった。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071118

曽野綾子と宮城晴美 http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071124

曽野綾子の「誤字」「誤読」の歴史を検証する。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071127

■「無名のネット・イナゴ=池田信夫君」の「恥の上塗り」発言http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071129

■「曽野綾子誤字・誤読事件」のてんまつ。曽野綾子が逃げた? http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071130

曽野綾子の「マサダ集団自決」と「沖縄集団自決」を比較することの愚かさについて。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071201

曽野綾子の「差別発言」を総括する。 http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071202

曽野綾子の「誤字」は最新号(次号)で、こっそり訂正されていた(続)。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071206