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文芸評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』 このページをアンテナに追加 RSSフィード

哲学者=山崎行太郎の政治ブログ
『毒蛇 山荘日記』

2008-07-20

曽野綾子は、何故、鬱病になったのか?


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三浦朱門の「妻・曽野綾子はうつ病に罹った時」とかいうエッセイを、今月号の「文藝春秋」(2008/8)で読んだが、それによると、曽野綾子の「鬱病」の発症時期とその回復のタイミングが、「沖縄集団自決取材」開始の時期と微妙に重なっていることがわかる。沖縄取材に当たって、「慶良間ケラケラ、阿嘉んべ 座間味ヤガレ ま渡嘉敷(かしとき)……」とかいう自製の戯れ歌を、『ある神話の背景』の冒頭に書いているが、こういう侮蔑的、差別的な戯れ歌を、得意げに披露することころに、曽野綾子の当時の精神状況がよく現れていると言っていいのではないか。それにしても、三浦は、何故、この微妙な時期に、「妻・曽野綾子はうつ病だった……」と公表する必要があったのだろうか。曽野綾子が実質的に中心的役割を果たしている「沖縄集団自決裁判」において、大阪地裁判決の「惨敗」という現実を突きつけられ、あるいは大江健三郎が書いた「罪の巨塊」という言葉を「罪の巨魁」と誤読しているという、いわゆる「曽野綾子誤字誤読事件」を、誰が見ても明らかな決定的証拠つきで、大江健三郎や小生(山崎行太郎)等に指摘され、いよいよ形勢不利と読んで、「泣き落とし作戦」に切り替えようとしているのだろうか。たとえ如何なる理由があるにせよ、そうは問屋が下ろすまい。今さら、鬱病という病気を理由に、「沖縄集団自決裁判」の現場から逃げることは許されないだろう。ましてや、夫・三浦朱門の私小説的エピソードを売り物にした「応援」を借りて泣き言を言うことなど許されるはずがない。曽野綾子には、これまで執拗に繰り返してきた大江健三郎批判を中心とする言論活動に対する言論人としての当事者責任があるはずである。と、ここまで書いたところで、「阪神」さんより(「コメント欄」http://d.hatena.ne.jp/yama31517/)、三浦朱門と曽野綾子が、去年と今年、相次いで「鬱病」関係の体験告白本を出していることを教えられた。ということは、三浦朱門や曽野綾子の「鬱病」への関心は、「沖縄集団自決裁判」関連と言うより、「毎年自殺者3万人」という現代日本の病理現象を、いかにも通俗的な文学者夫婦らしく、彼等なりの方法で追跡し、分析し、それを書籍化して一儲けしようとしてると言うことを意味しているように見えるが、しかし、やはり、曽野綾子の「鬱病」は、「沖縄集団自決裁判」とも無縁ではないことは明らかで、曽野綾子の「鬱病」の発症と回復は、特に回復の時期は、「沖縄取材」なしにはありえなかったように見える。そもそも作家・曽野綾子の「鬱病」発症の原因は、何であろうか。そして作家・曽野綾子が、『ある神話の背景』以後、大江健三郎に固執し続けた理由と、それは無関係だろうか。僕は、曽野綾子の「鬱病」発症の原因は、きわめて文学的、文壇的な問題だったのではないか、それ故に、雑誌「諸君!」連載中の原稿には、大江健三郎批判は一言も書かれていなかったにもかかわらず、書籍化の段階で、『ある神話の背景』の執筆意図の根拠を大江健三郎批判に摩り替えると同時に、以後、大江健三郎批判と『ある神話の背景』をセットにするという政治的謀略を思いつき、そして最終的には大江健三郎の『沖縄ノート』を名誉毀損という形で告訴して、大江健三郎というノーベル賞作家を社会的に葬り去ろうと言う信念の元に、裁判所の法廷に引き摺り出すという「政治・裁判ショー」を思いついたのではなかろうか、と思うのだが、はたしてどうだろうか。ところで、驚くべきことだが、曽野綾子は、「諸君!」の連載原稿では、大江健三郎には一言も言及していない。曽野綾子が、大江健三郎の言う「罪の巨塊」(罪の巨魁)としての、つまり大悪人としての赤松嘉次隊長……という大江健三郎の『沖縄ノート』の話に興味を持ち、「大悪人(罪の巨塊)としての赤松嘉次隊長」に会いたいと思った、という曽野綾子の『ある神話の背景』執筆動機の話は、営業用の作り話か、あるいは政治的なレトリックと言うことになりそうである。ところで、曽野綾子は、先ごろ、「will」(2008/1)に発表した原告側弁護士・松本藤一宛ての手紙形式のエッセイ「強制された死、個人の尊厳か」の中で、大江健三郎について、次のような驚くべきことを、自慢げに書いている。

それより以前に私は大江氏に、「軍側でまとめた『陣中日誌』というものが手に入ったのですが、お送りしましょうか」という電話をかけたことがあります。私にとっては「右でも左でも資料は資料」だったからです。しかも私は赤松隊長という人がどんな人であっても全く構いませんでした。彼は私の兄弟でも友人でもなく、恋人でもなかったからです。/その時のことをよく覚えていますが、『陣中日誌』が要りますか、という私の問いに、大江氏は、私が信じられないような激しさで『要りません!』と怒鳴ったのです。その一言で、私は大江氏は自分に不都合な資料は読まない人だとわかり、以後、大江氏との一切の関係を絶ちました。

僕は、この一節を読んだ時、一瞬、呆気にとられ、大江健三郎と曽野綾子はそんなに親しかったのかな、そんなに親しいはずはないにもかかわらず、今頃になって、この大江健三郎との個人的なやり取りを、嫌味タップリの悪意を込めて暴露するなんて、曽野綾子が「何か」を意図していることは明らかだな、と思ったものである。そもそも、曽野綾子は、当時、普段から、大江健三郎と親しく電話で話し合うような関係にあったのだろうか。何やら、対等な同世代の作家仲間の交友でもあったかのような書き方だが、かなり怪しい。今さら言うまでもなく、大江健三郎は赤松隊長赤松部隊の行動に関して批判的な『沖縄ノート』を、既に書いており、大江健三郎の思想的、政治的立場を考慮するならば、大江健三郎が、今さら、赤松等の「自己弁明」のための「資料」、つまり赤松部隊の『陣中日誌』を、しかも政治的にも思想的にも、そして文学的にも、どちらかと言えば無縁な関係にある曽野綾子から、突然の申し出を真に受けて、素直に譲り受けるわけがないことは自明であって、要するに大江健三郎が「要りません!」と言うのは当然であって、それを、「私が信じられないような激しさで『要りません!』と怒鳴った……」と、現在の時点で、かなり昔の、しかも電話での会話を、悪意を込めて辛辣に表現する曽野綾子こそ、政治的であると言わなければなるまい。僕は、むしろ、何故、曽野綾子は、わざわざ取って置きの資料の存在を、ライバルと言っていい大江健三郎に向かって、突然の電話をかけてまで、教えようとしたのだろうか、と、そのことこそ疑問であると思う。そして、大江健三郎に冷たくあしらわれて、怒り心頭の曽野綾子が、「私は大江氏は自分に不都合な資料は読まない人だ……」と分かったというのも不可解であり、「以後、大江氏との一切の関係を絶ちました……」と言うにいたっては、おいおい、曽野綾子よ、何を勘違いしているんだよ、妄想もいい加減にしろよ、そもそも「関係を絶った……」のは大江健三郎の方であって、曽野綾子は最初から大江健三郎から関係を断たれていたのだろう、と言いたくなるというものだ。曽野綾子としては、「大江健三郎は関係を継続したかったようだが、私から関係を断った……」とでも言いたいのかもしれないが、それが曽野綾子の妄想である事は言うまでもない。言うまでもなく、曽野綾子は、その謀略的意図を見抜かれて、大江健三郎に、完全に無視されたのであり、それが、「私が信じられないような激しさで『要りません!』と怒鳴った……」ということの意味である。それだけである。ところで、曽野綾子が、直接、それほど親しくもないのに大江健三郎に電話し、「信じられないような激しさで『要りません!』と怒鳴……」られたのは、正確には、いつ頃だろうか。問題の資料、赤松部隊の『陣中日誌』を、曽野綾子が手に入れたのが、「昭和45年9月17日」、「赤松元隊員たちの沖縄訪問から約半年後に大阪千日前の『ホテルちくば』で一つの会合が開かれた」(『ある神話の背景』『集団自決真実』)、沖縄に行かなかった隊員たちへの報告会の席であったことが分かっているが、もしこの直後、あるいはそれから一年以内だとすれば、昭和45年(1970)か、昭和46年(1971)前後だということになるが、もしそうだとすれば、大江健三郎と曽野綾子が、この頃、それほど親しくなかったということは、というより、むしろ険悪な関係にあっただろうことは自明であって、直接、電話した曽野綾子が、大江健三郎に冷たくあしらわれたとしても当然なのである。というのも、その頃は、僕は、ちょうど、大学の卒業前後であったと思うが、大学は学園紛争を中心とした政治的激闘と混乱の時代であって、左翼とか右翼、あるいは革新派と保守派とが激しく対立しており、やがて「三島由紀夫自決事件」や「連合赤軍事件」へと結びつく、政治的にも思想的にも過熱していた時代のことであったことを思い出すまでもなく、曽野綾子と大江健三郎が親しく交流していたはずはない、と僕は思う。僕は、その頃、江藤淳や吉本隆明をかなり熱心に読んでいたので、江藤淳が、長い間、盟友関係にあった大江健三郎と思想的に訣別し、それこそ絶交に近い険悪な関係になっていたことをよく知っているので、ましてやキリスト教徒であり、政治的には右翼保守派を鮮明にしつつあった曽野綾子ごときが、大江健三郎と気軽に電話で情報交換するような、そういう親しい関係にあったとは、とても思えないのである。つまり、当時、曽野綾子が、大江健三郎に電話したとすれば、その電話の動機こそ怪しいのである。したがって、政治的には敵対しているはずの曽野綾子から電話を受け取った大江健三郎が、「信じられないような激しさで『要りません!』と怒鳴った」のは当然であり、「その一言で、私は大江氏は自分に不都合な資料は読まない人だとわか」ったとか、「以後、大江氏との一切の関係を絶ちました。」とかいうことは、曽野綾子の脳内妄想か作り話であり、大江健三郎とは何の関係もない話なのである。すべては、おそらく曽野綾子の被害妄想か、あるいは政治的陰謀を内に含んだ謀略情報の一種なのである。さて、僕が、今日の日記で問題にしたいのは、曽野綾子の「鬱病」である。何故、曽野綾子は、この頃、「鬱病」に罹ったのか、というテーマである。




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