文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

西部邁の「亜流思想としての保守主義」を排す。

西部邁は、エドモンド・バークやトクビル、あるいはオークショットを引き合いに出して、「保守」や「保守主義」というものの概念や定義に異常にこだわっているが、何故、それほどこだわるのかと言えば、それは、西部邁が左翼学生運動上がりの典型的な「転向保守」だからであって、転向保守というコンブレクックス故に、「保守」や「保守主義」を明確に定義し、その定義に従って忠実に「保守」を演じようとするためであろう。つまり西部邁が演じている保守は、保守そのものというより、「亜流思想としての保守主義」であると言うべきだろう。だからこそ、西部邁は、保守思想の元祖とも言うべき小林秀雄江藤淳を捕まえて、「小林秀雄は保守ではない」「江藤淳は保守ではない」というような、亜流としての保守主義者ならではの、奇怪な発言をすることが出来るのである。西部邁にとっては、どちらかと言えば、本格的な思想書とでも言うべき本『思想の英雄たち』で、こう言っている。「保守思想はエンシュージアズムつまり熱狂を嫌う。なぜならそうした心性はラディカリズム(つまり急進主義)に特有のものだからである。急進主義者は人間社会をいわば幾何学的に単純化し、そして過度な単純化という犠牲を払ってたどり着いた自分の明晰さにみずから感激して、さっそくその幼稚な知識を実地に応用するのに熱狂する。革命だの維新だの改革だのを声高に唱えるものはたしかにそうした部類に入る。保守思想はこの種の熱狂を避けるべく、みずからを保守「主義」と呼ぶことすら忌む。主義者にありがちな子供っぽい興奮に陥るまいとしてのことである。バークもまたその稀にみる多彩な散文と稀有のものと伝説化されているその演説にもかかわらず、自分の熱狂ぶりに自分で興奮しているていの革命派知識人たちを「嫌悪すべき大衆」と呼んで蔑んでいた。…」 これが、西部邁の定義する「保守思想」らしいが、して見ると、小林秀雄江藤淳も、あるいは三島由紀夫も、いずれも「熱狂する大衆」「嫌悪すべき大衆」の一人ということになろうか。大塩平八郎の反乱や西郷隆盛の蜂起を、あるいは226事件青年将校や特攻隊の青年たちを賛美しただけでなく、みずからも決起し、「天皇陛下万歳」を三唱して自決した三島由紀夫は言うまでもなく、大東亜戦争開戦に拍手喝采し、三島由紀夫の死を擁護した小林秀雄、そして三島由紀夫の決起・自決には賛同しなかったが、西郷隆盛の蜂起を賛美し、最後はみずからも自殺して果てた江藤淳…。いずれも「熱狂」や「急進主義」と無縁な人たちではなかった。彼等は、作品を創造する存在としての思想家や文学者というものの本質を体現していた。西部邁には、そういう創造する存在としての彼等の芸術的な存在本質が見えていない。福田恒存こそが保守思想の理想だという西部邁だが、おそらく福田恒存は迷惑だったと思うが、中途半端な亜流思想家がそこにいる。西部邁に「保守ではない」という烙印を押された小林秀雄は、亜流思想について、こういうことを言っている。「従って次の事はどんなに逆説めいて聞こえようと真実である。偉大な思想ほど亡びやすい、と。亡びないものが、どうして蘇生する事が出来るか。亜流思想は亡びやすいのではない。それは生まれ出もしないのである。」(『ドストエフスキイの生活』序(歴史につい て))  小林秀雄が言う「亜流思想は亡びやすいのではない。それは生まれ出もしないのである」ということは、まさしく、西部邁を筆頭とする最近の保守思想家たちに言えることだろう。彼等は、嬉々として「保守思想家」を自称しているが、保守思想の創業者ではなく、すでに出来上がっている保守思想を模倣・反復するだけの、いわゆる保守思想の二代目であって、つまり保守思想の創業者ではないが故に、保守思想の歴史に残すべき「作品」を新しく創造するという努力の方はしない。彼等は、お題目のように、「保守」や「保守主義」という言葉を唱えるばかりで、「奴は保守である」とか「奴は保守ではない」とか、本末転倒した瑣末な議論を繰り返すだけだ。これは、典型的な亜流思想や亜流思想家の振る舞いである。小林秀雄ならずとも、「亜流思想は亡びやすいのではない。それは生まれ出もしないのである」と言いたくなるというものだ。それにしても、何故、西部邁を筆頭とる最近の保守は、学問や思想、芸術の専門領域において、作品というものを創造しようとしないのだろうか。何故、彼等は、政治的な、時評的雑文を書き続けるだけで満足出来るのか。西部邁は、「言語問題」や「言語論」こそが現代思想が直面している大事な問題だと各所で述べているが、ただ述べるだけで、彼自身は、「言語問題」や「言語論」について、本格的な研究も思索も残していない。彼が、「保守ではない」と批判する小林秀雄は、デビュー作「様々なる慰意匠」の冒頭で、すでに「言語問題」の重要性を指摘しているし、さらに晩年の大作「本居宣長」に至るまで、「言語問題」を追求し続けていた。小林秀雄だけではなく、福田恒存には「私の国語教室」等を初めとする言語論関係の著作は多数あり、また江藤淳には「作家は行動する」という優れた文体論があるが、西部邁には、言語論関係の作品はない。政治的、時評的雑文があるだけである。そもそも、小林秀雄にしろ福田恒存にしろ、そして江藤淳にしろ、保守思想や保守主義の概念や定義を問題にしているわけではない。ましてや、西部邁のように、エドモンド・バークやトクビル、あるいはオークショットの思想を学習したり、模倣した結果として、保守的になったわけではない。それぞれ興味あるテーマを選択し、やりたいことを徹底的にやりとげた結果として保守的思想家と言われるようになつたにすぎない。西部邁にはそれが分からない。これは、別に言語論だけのことではなく、西部邁が言及する福沢諭吉ニーチェオルテガ等についても、ほぼ同じことが言えるだろう。
 

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