文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

今、福田恒存を、どう読むか?


■解かってたまるか…。 福田恒存の芝居に『解かってたまるか!』という作品がある。1968年2月に起こった金嬉老事件、つまり「金嬉老」とかいう在日朝鮮人が、借金返済問題がこじれて二人の暴力団員を殺害し、その後、寸又峡と言う山奥の温泉街の旅館に、13人の人質とともにたてこもり、朝鮮人差別や生活の不満を訴え、それに対して取材に駆けつけたテレビ取材班や新聞記者等が犯人の訴えに同情して、犯人に好意的な報道を行った事件があったが、その事件をモデルにしている。「解かってたまるか!」とは、戦後民主主義や平和主義、人権尊重というような戦後思想に洗脳された記者、あるいは戦後派知識人等の報道姿勢や思想的態度を皮肉ったものである。福田恒存としては、まず二人の日本人を殺害し、多数の人質をとって旅館を占拠し、そこにたてこもった以上、殺人犯であることには変わりはないわけで、いくら犯人が在日だとはいえ、今更、「犯人の言うことなど、解かってたまるか」というわけである。これが、戦後思想、あるいは戦後文化人を皮肉ったパロティであることは明らかである。つまり、その発言内容が、どんなに深刻で感動的であろうとも、その発言をしているのが「誰れ」であるかが、問題だと言うわけである。言い換えれば、「誰が語っているのか」(ニーチェ)によって、その思想や発言の真意は変わるということだ。思想や発言には、「自分をメロドラマの主人公に仕立てあげようとする自己劇化」による自己正当化、自己美化が常に付き纏う。ゴーリキーの『どん底』の台詞、「何を喋るかということではなくて、なぜ喋るのかということなのさ…」というわけだ。それを理解したならば、犯人の発言や思想を鵜呑みにして、犯人に同情し、好意的報道をしたりするという喜劇は起こりようがないはずなのである。つまり福田恒存は、ここで、犯人が、殺人を犯した上で都合よく、自己合理化として、あるいは自己美化として語る「思想」なるものを理解しようとしないし、その話しぶりを信用しないと言っているのだ。 実は、私は、村上春樹の『1Q84』について、何回か書いてきたが、作品の内容や解説は書かなかった。書かないことが、私の批評であった。つまり、私は、時代や読者に迎合したような、こんな解りやすい小説に対して、手の内が見えすぎるが故に、敢えて「解ってたまるか!」と、福田恒存に倣って、言いたいのである。つまり、出版不況の時代に、たまたま売れる小説を書く村上春樹に対して、職業的宿命として絶賛に近い批評を書かされている、あるいは積極的に、つまり本心から絶賛しているかもしれないが、いずれにしろ福田和也加藤典洋も、そして多くの村上春樹ファンや愛読者も、「読んだ」というより「読まされている」のであって、本気で感動してはいないだろうと、私は言っているのだ。 むろん、『1Q84』という作品は爆発的に売れているというから、村上春樹という作家には、あるいは『1Q86』という作品には、従来の批評言語では分析不可能な、何かがあるのだろう。もし、この作品を絶賛するのならば、その「何か」を明らかにしなければならない。それが明らかにならない以上、私は、『1Q84』の文学的意義なんか、「解かってたまるか! 」と言いたい。 ■「福田恒存評論集」に寄せて。  さて、福田恒存の話に戻る。古本でも探さない限り、福田恒存の評論を中心とした作品を読むことがなかなか困難な時代が続いていたが、「麗澤出版会」が、「福田恒存評論集全12巻」を刊行し、ほぼ完結したことで、容易に福田恒存の作品を読むことが出来るようになったことは有り難い。特に、晩年の「問ひ質したき事ども」や「近代日本知識人の典型・清水幾太郎を論ず」等が収録されている第12巻は、最近の保守論壇の情勢とも無縁ではないので、読み返してみると、これがなかなかスリリングでおもしろい。これらの評論で、福田恒存は、左翼からの転向保守組である清水幾太郎を批判しているだけではなく、当時、保守論壇の中心的存在だった江藤淳や、新進気鋭の論客・渡部昇一などをも、厳しく批判している。江藤淳批判は、当時、江藤淳が取り組んでいた米軍の「占領と検閲」研究に関するもので、最近の保守論壇の「米軍の検閲」が諸悪の根源というステレオタイプな議論の枠組みを作ったと言ってもいいものだが、江藤淳のその「検閲」論を批判して、福田恒存はこう言っている。 《江藤氏は私のところに聴きにくればよかつたと思ふ。事前検閲が書簡、私信、電報、電話にまで及んでいたと、氏は言ふが、それは特殊な人の事であらう。電話の盗聴といふのは、その当時としては至難の業であつた。(中略)言ふまでもなく、これは憲法の悪文のせいではない。事前検閲のせいでもない。それをさう言わなければ、ウッドロー・ウィルソン・センターに行く理由が見つからなかさつた江藤氏の苦衷は解る。》(「問ひ質したき事ども」)  私が、ここで何が言いたいかというと、福田恒存江藤淳の時代には、保守論壇内部でも、厳しい相互批判や罵倒が繰り返されていたという事である。私は、当時、もっぱら江藤淳の文章を読み、江藤淳の思想に曳かれ、影響を受けていたから、福田恒存江藤淳批判の意図がよく解らなかったが、今はよく理解できる。福田恒存は、何事も、米軍による憲法の押しつけや米軍の検閲、あるいは米軍のマインドコントロール.・・と言えば、すべての問題は解決すると思っている最近の保守論壇の「戦後的な風潮」を批判し、予言していたのである。 福田恒存の圧巻は、清水幾太郎という思想家・清水幾太郎を批判した文章だろう。60年安保闘争の時には左翼学生を煽動し、華々しく活躍しておきながら、安保闘争に敗北すると、いち早く保守陣営に転向し、今度は保守思想家も顔負けの過激な「核武装論」等を展開し始めた清水幾太郎を、従来からの保守思想家としてどう受け止めるか。歓迎するか、拒絶するか。これは、現在の保守論壇や保守ジャーナリズムを考える上でも、重要な問題だろう。健在の保守論壇や保守ジャーナリズムを闊歩している保守思想家にも、新しい「清水幾太郎」が何人もいるはずである。そういう時、福田恒存は、保守論壇や保守ジャーナリズムの先輩として、『解かってたまるか!』という作品を書き上げたのである。 ■ 福田恒存は、何を、問題にしたのか? 60年安保闘争後、左翼政治闘争に挫折した学生や知識人たちが、時代の趨勢を読んだ上で、左翼から右翼・保守派に転向し、右翼・保守派が喜びそうな「日本よ国家たれ」とか「核武装論」とかいうような「保守思想」を語り始めた時、つまり保守思想家の仲間入りを試みるというような喜劇的な生き方を始めた時、それを見て、福田恒存は、たとえ、思想や発言内容が同じだったとしても、それを理解しないし、信用しないと言いたかったのだろう。確かに、転向してしまえば、左翼と右翼という対立はなくなったかもしれないが、微妙な差異が依然として、そこには横たわっているはずだ、と。たとえば、清水幾太郎の思想態度について、福田恒存は、こう言っている。 《確か五月の末近くであつた、「週刊文春」編集部より電話があり、清水幾太郎氏が日本の国防について大胆な提案を行つた、(中略)それを読んで意見を述べてくれないかといふ電話が掛かつて来た。私は言下にに断つた。(中略)何事につけ、さふいふ常識が通用しなくなった「戦後の風潮」を私は私の「敵」と見てゐたからである。さふ言つて断ると、電話の相手は清水氏もそれと同じことを言っている。せめて第一部だけでも読んでくれと言う。が、私は思つた、私の言ふ「戦後の風潮」の際だつた代表者の一人である清水氏に私と同じことが言える筈が無い、仮に言へたとしても、同じ事なら読む必要は無いし、同じ事が言へる様な風向きになつたからそれに唱和するといふのが私の嫌う「戦後の風潮」であつて、それなら読まずして批判的にならざるを得ない。大体さういふ意味の事を言つて電話を切つた。》(「近代日本知識人の典型・清水幾太郎を論ず」)  福田恒存が、ここで言っている清水幾太郎の論文とは、「戦後最大のタブーに挑んで話題騒然・清水幾太郎氏の〈核の選択〉・日本よ、国家たれ」(「週刊文春」六月五日号)と「諸君!」七月号に掲載された続編のことであるが、はじめは断っていたが、後でこの論文を読んだ福田恒存は、保守思想家として、これは「無視できない」、つまり「許しがたい」と判断し、厳しい清水批判を展開することになる。それが、「近代日本知識人の典型清水幾太郎を論ず」というわけである。しかし、福田恒存の清水批判は、保守論壇では、必ずしも好意的には受け止められなかった。福田恒存は、思想よりも思想家の生き方にこそ保守思想の真髄があると言いたかったのだが、「福田は、清水に嫉妬している」という受け止め方が大勢であった。福田恒存の清水批判を、「嫉妬」としてしか受け止められなかったからこそ、以後の保守論壇や保守ジャーナリズムは堕落の一途を辿ることになるのである。福田恒存は、清水に「不快感」と「嫌悪感」を持ったと書いている。 ≪筆者の清水氏には失礼になるが、ある晩、ふとした切掛けで、寝酒の肴に「諸君!」を読み始め、やや朦朧たる状態ではあつたが、欄外に書込みまでして、二晩で読み終わつた。私の読後感は不快感の一語に尽きる、怒りではない、寧ろ嘗ての友人、先輩に対する同情を混じえた嫌悪感である。≫  さらに、こんなことも言っている。 ≪「戦後最大のタブーに挑んで話題騒然」とは、如何に週刊誌と雖も羊頭狗肉の度が過ぎはしないか。別に先取権、縄張りにこだわる訳ではないが、ここに取り扱われてゐる天皇制の意義、占領憲法の否定、平和主義、非武装中立の幻想、共産主義、或は全体主義の非人間性アメリカに対する不信感、ソ連を平和勢力と見なす神話、等々、既に過去二十数年間に亙り多くの人々によつて言ひ尽されて来た事であり、それも、清水氏よりは本質的に、論理的に、或は具体的に論じ尽されて来た事である。清水氏の試みた事は、それらの部分部分を寄集め、糊と鋏で要領よく整理し、創意は無いが、気楽で斜め読みの出来る優等生並のダイジェスト版作製に過ぎない。≫  福田恒存は、これらの文章で何を問題にしたのか。福田恒存は、清水幾太郎のような世渡りのうまい転向組が、保守論壇や保守ジャーナリズムで活躍するのに嫉妬したのか。むろん、そうではあるまい。福田恒存は、ここで、思想(イデオロギー)ではなく、思想の形、つまり思想家の生き方(身の処し方)を問うているのである。そこにこそ保守思想の真髄はあるからだ。






★人気ブログランキング★
に参加しています。一日一回、クリックを…よろしくお願いします。尚、引き続き「コメント」も募集しています。しかし、真摯な反対意見や反論は構いませんが、あまりにも悪質なコメント、誹謗中傷が目的のコメント、意味不明の警告文等は、アラシと判断して削除し、掲載しませんので、悪しからず。
人気ブログランキングへにほんブログ村 政治ブロへ