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哲学者=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1』 このページをアンテナに追加 RSSフィード

哲学者=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1』

2009-12-03

「出陣学徒慰霊祭」(「日本保守主義研究会」主催)の経過報告です。




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出陣学徒慰霊祭

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平成二十一年十一月二十八日、第六回出陣学徒慰霊祭を挙行した。記念シンポジウムの概要は以下の通りであった(敬称略)。

開会・国歌斉唱後、登壇した実行委員長田城真哉(早稲田大学法学部二年)は「今年第六回の出陣学徒慰霊祭を挙行するにあたって、慰霊することはどういうことであるか、また何をすべきであるかを考えるに際し、第一回慰霊祭において長谷川三千子教授の言われた『精神をつぐといふこと』が大きな意味を有しているように思われる。このことは曖昧であるが、しかし個々人の事情を超えた一つの偉大な精神の発露が大東亜戦争に見られたことは事実であろう。それは『滅私奉公』などのスローガンに尽きるものではなく、生と死の狭間に下された窮極の決断こそ偉大な精神と呼ばれるのである。それ故、ただ英霊を慰霊するだけではいけない。英霊と歴史が我々を見下ろしていると自覚しつつ、我々自身を見直す契機とならなければならない」旨、主張するを以って挨拶とされた。


次いで登壇された協賛団体「日本の心」代表山田修士拓殖大学政経学部二年)は「大東亜戦争に出陣された学徒兵に現れたる日本男児の気概今日なお保持されているのか」と疑問を呈され、「己において『ある』と胸を張って言えるよう努力してゆきたい」との旨を以って挨拶とされ、次いで豊嶋心悟(東京大学文科三類二年)の学生意見も「学徒兵の『エリートの魂』は今日学生にはなく、自分についても自信がない。しかしそのような安穏たる生活は学徒兵を含む英霊犠牲の上に立っている。このことを鑑みれば真の覚悟をもたねばならず、自分自分なりの覚悟を立てるべく日々研鑽を積むという戦いを戦い抜きたい」との旨を表明した。 記念シンポジウム本体の概要は以下の通りである。(敬称略)


○岩田温(秀明大助教)の発言趣旨 

 私はこの出陣学徒慰霊祭には学生のときから関ってきたが、慰霊祭の前には必ず本を読むようにしてきた。今回は阿川弘之さんの『雲の墓標』を読んだが、よく本質掴んだ作品である。何故名作であるかというと主人公は京都の大学で万葉集の研究をやっており、大東亜戦争と万葉集の関係を示唆しているからである。万葉集は明治以来「素朴でいきいきしている」と評されてきた。しかしなぜそれが人々の心を打つのか、これを考えさせてくれるのは保田與重郎『万葉集の精神』である。保田によると万葉集編纂は壬申の乱に起源を持ち、この日本史のなかの大悲劇のなかから国家意識が現れるのだが、それゆえ万葉の歌は悲劇を予感させるものなのだという。出陣学徒にも大きな悲劇がある。犬死だという解釈に対する反動で絶賛してみてもそれだけでは尽きぬものがある。出陣学徒を前にすると涙せざるをえない、しかしその涙は「かわいそう」という涙ではない。それは「歴史の悲しみ」なのである。ド・ゴールが「偉大なものは悲しいものだ」と言っているが、出陣学徒の「偉大さ」と「悲しみ」の双方を受け止め、見つめ、考えることが慰霊の意義であろう。


佐藤優(作家・元外務省主任分析官)の発言趣旨

  私の母は沖縄出身であるが、自決せんとして手榴弾信管を抜いたが珊瑚礁に叩きつけることができなかった。そして母の第二の人生が始まり、戦後になってキリスト教帰依し社会党の熱心な支持者になった。しかしひとつ秘密があり、それは毎年靖國神社に参拝することであった。そういう母に育てられたから私は外交官になったのかもしれない。外交官が国のために死ぬのはあたりまえであり、それがあたりまえでなくなったところに思想の問題がある。軍人、警察官、消防吏員、そして外交官自分の命よりも職務遂行が優先される。インテリジェンス教育のために他国の機関と意見交換すると、彼らが国家の伝統を背負っていることがよくわかるが、ここでも国のために死ぬことが当然のものとされている。慰霊の意義には顕彰と追悼の二つがある。往々にして後者ばかりが強調され、前者がおろそかにされる傾向がある。「優れた精神は時代を超えて引き合う」(シュライエルマハー)というが、慰霊顕彰を通じて我々自身の維新を完遂しなければならない。


井尻千男拓殖大学日本文化研究所顧問)の発言趣旨  

  岩田氏が阿川さんの『雲の墓標』に言及されたが、それと並んで『暗い波濤』も興味深い作品である。ところで昨日海自隊員に対して「僥倖な国家を守る光栄」という題で講演をした。僥倖でなければ守らなくていいというわけではないが、日本が地理的にも歴史的にも僥倖であることが確かだ。万葉集はまさに僥倖の象徴である。万葉集の編者の大伴家持には「海行かば」の歌があるが、この精神が斎藤茂吉によって近代に蘇らせられる。出陣学徒の遺書中村が編纂し、同時代人の阿川が『暗い波濤』を書かれたのは興味深く、考えてみる必要がある。


○桶谷秀昭(文藝評論家)の発言要旨

  大東亜戦争は理窟抜きにいえば運命(Schicksal)である。自身覚えている三つの瞬間があるのだが、まず昭和十六年十二月八日の開戦の緊急ニュースを聞いたときである。日本中が「蒼褪めた緊張感」、強烈な緊張感にじっと耐えてシーンと静かになった。誰も戦争に勝てるとは思っていなかった。しかし負けるとも思っていなかった。次に覚えているのは昭和十八年のことで、敗戦色が濃くなってくる時期である。負け始めてからやらねばならぬと思いはじめた。万葉集についていえば、どこか悲しい作品である。大伴家持防人の気持ちが分っている。「大君の辺にこそ死なめかえりみはせじ」といいつつも、実は父母を顧みているのである。大東亜戦争中の滅私奉公のような国策イデオロギーでは兵士は戦えまい。 次いでディスカッションの概要は以下の通りである。


岩田

 「悲しみ」というのはこちらが上から同情してやるような悲しみではなく、そのなかに「偉大さ」があるような「悲しみ」である。


井尻

  武士道はそもそも「悲しい」ものである。これはめそめそするというのではない。男というものが悲しい存在であることと同列であるから、あまり厳密につめずに「男らしさ」と言い換えるくらいで切り上げたほうがよい。ところで近代人間主義生命尊重・合理主義を超越しようとするこころみが大東亜戦争であり、特攻隊は現に近代を超克したものではないか。


桶谷 

 「近代の超克」についてだが、これは京都の西田派の文学者・哲学者などによる座談会が象徴している。この『近代の超克』のなかで河上徹太郎が「知的戦慄」という言葉を使っている。これは一瞬にして「型」が決まってくることを取り出してきたことばである。それにしても近代の超克を早くから取り上げてきたのが日本浪漫派であるので、一九四〇年代になって「近代の超克」といっても今更という感があるからか、保田與重郎は座談会には出てこなかった。


佐藤

  ここでいわれているのはヨーロッパでいうところの『近代の陷穽』のことである。学問というものはそもそもヨーロッパのものであるが論理で示せるものには限界がある。カール・バルトの『ロマ書』は人が神をどう考えるかではなく、神が人をどう考えているかが神学の対象であると論じて哲学神学を大きく転換しハイデガーや西田に影響を与えた。戦時中の日本の思想は右であれ左であれ「歴史のなかで死ぬ」ことに価値を置いていた。これを伝えていくのが私の課題だと思う。



岩田 

 そもそも生命の尊重というのは道徳というよりも本能に近いものであるが、この考え方は現代日本の特殊性というよりも近代の一つの帰結であるということができる。初期レオ・シュトラウスによればトマス・ホッブズ思想近代の端緒であるが、ホッブズは国家を生命保護の機関だと見ている。しかしそうすると国のために死ぬひとがあるのを説明することができない。そこでより優れた国家観を提示したのはエドマンド・バークではないかと思う。バークは国家を過去・現代・未来を通ずる共同体であると考えている。そういう歴史的共同体フィクションかもしれないが、しかしそのなかで死んでゆく、それがある種の近代の超克に繋がっているのではないか。


桶谷 

  先ほど申した「運命」ということに関係するが、大東亜戦争の後半には配給制がずたずたになって、もはや国が人々を守ることなどできない状況であった。私はそのとき、本土決戦をするということなので、自給してそれまで生き、そして死ぬつもりであった。「悠久の大義」などというのは訳が分からないもので、しかしそれ故にそのために死のうと思った。先ほどの続きになるが、三つ目の瞬間は昭和二〇年八月十五日の終戦勅語を聴いたときの、あの沈黙である。マッカーサーが厚木に降り立つまでの半月間、日本中は不思議な沈黙のなかにあった。この沈黙はなんだったのか、それを考えてみる必要があろう。太宰治の『トカトントン』が参考になる。


佐藤 

 「国のためになぜ人は死ぬのか」ということについて、私は死ぬ覚悟があったと申したが、何故そういう心境に至ったのかといえば交渉相手のロシア人がそういう気概を持っているからだ。何の大義もないアフガン戦争に参加して、当のソ連もなくなったときに、しかし何かしらの国家に忠誠を誓っていただろう、と葛藤し考え抜いた世代こそ、私たちに対峙した外交官であった。それゆえ、「国のために死ぬ」ことがあまりにも自明なので、そもそも設問すらされないのである。(了)


100人以上が参列した慰霊祭にはシンポジウム講師の他に多くの来賓の方々が参列された。新たに日本人帰化された評論家石平先生ジャーナリスト桜林美佐先生、元参議院議員板垣正先生英霊にこたえる会の冨田定幸先生評論家平田文昭先生、そしてわざわざ大阪から駆けつけて下さった大阪青山短期大学の福井雄三先生を始めとする多くの知識人。新たに千葉市議会議員に当選された田沼隆志先生無所属)や横浜市議会議員の工藤裕一郎先生(民主党)ら政治家。また、早稲田大学から実際に学徒出陣した末博光先生慶應義塾戦没者追悼会代表幹事玉川博巳先生にもご参列いただいた。多くの方々のご厚意に支えられ、慰霊祭はしめやかに、そして厳かに執り行われ、本殿にて参列者全員で奉唱した「海ゆかば」の余韻に浸りながらそれぞれが帰途についた。なお、シンポジウムの詳細は次号の『澪標』に紙上採録さる。



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