文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

鈴木宗男「やまりん事件」の社長からの手紙。

「ムネオ日記」に重大な政治的意味を持つと思われる手紙が紹介されているので、当blogでも、そのまま引用することにするが、この手紙は、鈴木宗男冤罪事件の核心を握る、いわゆる「やまりん事件」の当事者である、「やまりん」社長から、鈴木宗男代議士に送られてきたものらしい。この手紙を読めば読むほど、検察官や裁判官が、事件をいかにしてデッチアゲるかがよくわかって、検察官や裁判官への怒りと絶望が深くなるけれども、それよりもさらに深く実感することは、検察官や裁判官という人種の「いかがわしさ」という現実であり、検察官や裁判官という職業への侮蔑感である。ようするに検察官も裁判官も、「最低の職業だなあ」という思いである。村木厚子冤罪捏造事件や鈴木宗男冤罪捏造事件が明らかにしたのは、検察や裁判所への怒りではなく、怒りを通り越したところの深い侮蔑感と嫌悪感であった。ところで、テレビ画面で、検察の暴走や検察の不正を批判し告発し続けてきた郷原弁護士(名城大学教授)がテレビ画面から消えて久しいが、聞くところによると、テレビ局のほうで、一斉に「郷原弁護士を出演させるな」という暗黙の了解が出来ているのだそうである。つまりテレビの政治報道も検察・裁判報道も、政治的意図を持つ「誰か」に支配・管理されているということであり、たとえば、テレビに頻繁に出演して、いい加減な「小沢一郎批判」を繰り返しているテリー伊藤等のような「お馬鹿タレント」等は、「誰か」にカネをもらい、「誰か」に都合のいいことばかりを、馬鹿の一つ覚えのように延々と喋り捲る「飼い犬」だということである。

「ムネオ日記」2010年9月11日(土) 鈴 木 宗 男


 昨日18時半から釧路市で、新党大地鈴木宗男釧路根室管内後援会会合を開く。1300人もの人が出席して下さる。
 私は日程の都合で一時間半遅れでの到着となったが、皆さん待っていてくれる。後援会と事務所体制の存続・維持を全会一致で決めてくれる。更に、「鈴木宗男と最後まで闘う」と決議して戴いた。有難い限りである。
 8年前、逮捕された時も怯まなかった我が後援会である。今回も後援会は結束されている。「日本一の後援会」と、心から感謝するものである。
 今日は11時から北見市で網走管内の新党大地鈴木宗男後援会の拡大役員会。わずか二日での会合連絡だったが、200名の役員が駆けつけてくれる。釧根後援会同様の決議をして下さり、ここでも一糸乱れぬ我が後援会である。
 政治風土厳しい網走管内で私を支えてくれる皆さんは、腹が据わっている。心からお礼申し上げる。
 13時、足寄町大誉地の実家に寄り、お墓参りをする。近くの地域の人たちが集まってくれ、皆さん「身体に気をつけて」と気遣って下さる。故郷の人情を感じながら、この地に生まれ育ったことに感謝する。
 亡き両親、家族に上告棄却を報告しながら、しばし手を合わせ、「鈴木宗男なりの生き方をしていきます」と誓う。
 平成16年4月6日に旅だった母が、亡くなる前に「母ちゃんは悪いことをする様な子供は生んでいない。母ちゃんが一番わかっている。宗男、もう一回国会に出れ。自信を持って闘え」と言ってくれた言葉を思い出しながら、父が馬一頭売って東京に出してくれ、中川一郎先生との縁が出来たことなど、様々な出来事が脳裏を去来(きょらい)する。
 「人生出会い」がモットーの私だが、やはり素晴らしい後援者に巡り合え、昭和58年12月の無所属での奇跡の当選、平成17年9月の新党大地を立ち上げての二度目の奇跡の当選が出来たのも、変わらざる後援者のお陰である。勇気や新たなエネルギーを戴き、益々闘志が湧いてきた。人生生きている限り、闘いである。
 16時からフォーラム神保町in十勝に出席。大宅壮一賞作家の佐藤優先生、検察事情に詳しい魚住昭さん、宮崎学さん、元検事で弁護士の郷原信郎さんとパネルディスカッションをする。
 私の最高裁上告棄却、村木厚子厚生労働省雇用均等・児童家庭局長への無罪判決、検察の取調べのあり方、なぜ冤罪が生まれるのか、検察の暴走、裁判官の官僚化等について議論する。出席した人は十分納得してくれたものと思う。
 平成14年のやまりん事件の当事者である山田哲社長から次の様な手紙が会場に届けられたので、読者の皆さんにご紹介したい。

昨日、厚生労働省の村木局長の無罪判決を聞き、当時の私の事を思い起こし、やっぱりえん罪事件も起こり得るだろうなと改めて感じました。

私はやまりん事件の一審の法廷で鈴木代議士に不正な金を渡し、お願いをしたと証言を致しました。

長期に亘る取り調べの中で痛切に感じた事は、公判維持の為にあらかじめ検察の決めたスジ通りに調書を取ることを求めてくる密室での押し付けがありました。
例えば
父が鈴木代議士に渡した金も、父から代議士の官房副長官就任のお祝いに行くと聞かされていたので、私は単純にお祝いと思っておりました。
取り調べの際もその事を担当検事に何度もいいましたが、まったく認められませんでした。

検事からは「金にはお祝いとお願いがあるが、政治家に渡す金はお願いしかない」と一方的にいわれたりしました。

一審の裁判の4日位前から、検察庁に呼びだされ裁判の受け答えのリハーサルの様な事もやらされたりしました。この様なやり方を行なっていれば、もちろん検察の中にも正義感をもって一生懸命働いている人も多勢いると思いますが、一部の誤った誘導や過信などから、村木さんや私達の様な悲劇が繰り返されるのではないかと心配しております。

その為にも鈴木代議士には取り調べの可視化など、えん罪撲滅の為、頑張って頂いていたのに、眞に残念でなりません。

最後になりますが、私自身のこの事件に対する弱さを含めて、現在の状況になった事に責任を感じております。

鈴木代議士にあっては、厳しい局面ではありますが、今後共この地域のために、ご尽力を賜ります様心よりお願い申し上げます。


平成22年9月11日


              山田哲


 9月8日の日記でも触れたが、山田哲社長は平成19年9月3日、同様の陳述書を東京高等裁判所にも出し、裁判所も受け付けてくれた。
 検察側が賄賂を持っていった人とみなしている人物の真実の声を、なぜ裁判官は理解しないのか不思議でならない。人として、人を裁く見識、目を本当に持ち合わせているのか、疑問に思えてならない。
 読者の皆さんはどうお考えであろうか。


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