文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

平野貞夫氏と稲村公望氏より電話あり。平野氏は新著が近く出るそうで、住所を教えて欲しいと。稲村氏は、かつて、郵政省が出していた「郵政」という雑誌について。たまたま、「電話故障中」に電話なんて・・・。

dokuhebiniki2013-06-07



平野貞夫氏より電話。さらに、我が畏友・稲村公望さん(「日本郵便」副会長)から電話あり。かつて、郵政省で出していた「郵政」という雑誌の「文芸賞」の話。慶応の先輩・江藤淳先生の死とともに消滅したが、その頃の担当者の滝沢さんが僕のことを覚えていてくれたらしい。 僕は、TBSの中山君という政治記者とともに、一次選考の選者をしていたのである。中山君は東大数学科卒だが、学生時代から高橋昌男編集長時代の「三田文学」に出入り。「三田文学」仲間。


そんなー、時代もー、あったねーと・・・(^O^)・・。


それにしても稲村さん、最近はますます元気の様子。ワシントンから帰ったばかりで、今度はトルコとか。稲村さんと僕は、鹿児島市内で、当時はまったく面識はなかったが、ともに桜島の灰を浴びながら、「美しき高校時代」(?)を過ごした仲である。偶然、「月刊日本」編集部で遭遇。話すうちに同郷だということがわかり、それ以来、交流(交遊)が始まったというわけである。鹿児島の「芋焼酎」を飲みながら、初恋の話、某女子高の美少女の話、そして郵政改革、平成維新の話まで、心置きなく話せるのは、「我が青春のアルカディア・鹿児島」を共有する畏友・稲村公望だけである。

以下は稲村さんの記事。「通信文化新報」より。

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http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=2863氷雪の門。
■■■■以下引用■■■■
2012年10月29日号

日本郵便]稲村公望副会長
「九人の乙女の像」に献花
稚内利尻島を視察



 日本郵便の稲村公望副会長は、十月十五日から十七日まで北海道を訪れ、終戦直後に樺太(サハリン)で殉職した真岡郵便電信局の「九人の乙女の像」に献花するとともに、稚内市利尻島の郵便局を視察した。
 稲村副会長は郵政大臣官房審議官、総務大臣官房審議官、政策統括官、郵政事業庁次長などを経て、平成十七年まで郵政公社常務理事を務めた。「郵政事業、郵便局を愛してきた」稲村副会長、十月一日の「日本郵便」発足に伴い、七年ぶりに郵政へ“復帰”した。
 鹿児島県徳之島の出身、大島松原郵便局の宿直室で生まれた。島の生活など共通する思い、また北の島の状況に関心も高く、今回の視察先となった。
 十五日、稚内空港に到着、利尻島へ。同島には六つの郵便局があるが、全局を訪れ社員から地域の実情などについて話を聞いた。「本社幹部の方ですが、格式張らずざっくばらんな話ができました。とても親しみを感じました。社員の皆さんにも好感が持たれ、たいへん良かった」と案内した北海道支社稚内郵便局駐在宗谷地区副部長の佐藤誠治さん(営業担当)。
 十六日は稚内市へ。街並みを一望できる丘陵地に広がる緑豊かな稚内公園で「九人の乙女の像」に献花した。昭和二十年八月二十日、ソ連軍が侵攻した樺太。当時、真岡(ホルムスク)の真岡郵便電信局には電話交換業務のために女性交換手たちが残留していた。
 緊迫した状況の中、最後まで交換業務の任務を果たし自らの命を絶った九人の若き女性交換手。
 最後の言葉は「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら…」。この文字を刻んだ慰霊碑には、交換手の乙女の姿の銅版レリーフ、殉職者の名前が記されている。
 映画「樺太1945年夏 氷雪の門」(村山三男監督)は史実を基に、元郵政大臣三池信が協力して制作された。また、南大東島出身で「OKINAWA BOYS オキナワの少年」の新城卓監督が当時、助監督を務めている。
 献花を終えた稲村副会長は「自分の職場を守り、仕事の責務を果たした彼女たちに、心から敬意を表します」と語る。
 その後、稚内郵便局(寺越宏充局長、岡田雅弘副局長)を訪ね、和やかな雰囲気の中、局状況を聞くとともに局内視察、社員と握手しながら激励した。「ここは奥地ですが」との言葉に、稲村副会長は「郵便局があるところが中心と思って仕事を。ここにいる社員の皆さんが郵政事業の中核。ぜひ早く三事業一体を取り戻し、郵便局の発展に力を尽くしてほしい。共に頑張ろう」と励ましていた。
 業務が終了した後、宗谷地区会(山口実会長/香深局)の局長と意見交換会が開かれ、田中和紀副会長(沓形)、佐野秀樹局長(鴛泊)、佐藤誠局長(稚内港)、井畑鉄也局長(内路)、玉田將局長(浅茅野)、新谷嘉従局長(鬼脇)、小杉公一局長(仙法志)、石ケ森昌彦局長(本泊)、南出敏行局長(新湊)、岩田忍局長(香深井)、桧物誠局長(船泊)、熊谷智明局長(稚内潮見)、稚内局の寺越局長、岡田副局長、北海道支社の宮谷健司地区統括部長(宗谷地区担当)、佐藤地区副部長、服部忠憲地区副部長(人事担当)が出席した。
 稲村副会長は「訪問した郵便局は若い人が多く、整理整頓が行き届き気持ちが良かった。これも若い人の力と聞いた。急な訪問だったが声かけ、お客さま応対も素晴らしい。若い力で業務、職場、意識を改革し、三事業一体サービスの発展に尽力を」、また局長からは販売や職場改善のアイデアも出され、短時間だったが膝を突き合わせながら意見交換、士気が大いに盛り上がった有意義な視察となった。
 十七日は稚内港局、稚内潮見局、宗谷岬局(木村貴局長)を訪ねたが、「本社の方でも肩が張らず気さくに話ができました。『島や遠い所の郵便局との意識は持たないで、自分たちが中心との意識が大事』との言葉に親しみを感じ、嬉しかったです。北海道まで職場を訪ねていただいたことに感激します」と稚内市内各局の若い社員は話していた。



写真は、「九人の乙女の像」に献花、礼拝する稲村副会長
■■■■引用終り■■■■


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