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磁石と重石の発見

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2008-12-09 再生医療について 1/3

 日は中天から徐々に西に傾きつつあった。それまで、頭を真上から押し付けるかのように襲ってきた熱気が徐々に後頭部に移り、肩や背中に滲んだ汗を蒸発させる。そして、その熱気がまた汗を滴り出させた。

 足元の小石はささくれ立ち素足に突き刺さる。今までは、自分たちがこの大地の上に居ることすらも忘れかけていたが、ここでは大地さえも痛みをもって自分たちにその存在を主張するかのようだ。少しでも歩きやすい所をと周りを見回すが、おおよそ一面同じ土色の風景が広がるばかりだ。ところどころに植物らしき群生は見えるものの、彼らはそこを避けるように進んだ。しばらく前にその群生のひとつに行き当たり、えらく難儀をしたのだった。この敵意に満ちた大地は、そこから生える植物すらも彼らを攻撃するかのようだった。というのも、その群生は乾いて硬くなったいばらとあざみばかりで、彼らに一粒の実はおろか、一時の安らぎさえも与えず、避けて歩いていても、その周囲に枯れて風に飛ばされた棘や小枝を振りまき、彼らの素足を痛めつけた。

 彼は振り返ると女を待った。女は表情もなく足を引きずるように彼を追っている。

 腰に巻いたいちじくの葉は乾いてちぎれ、もうほとんどその意味をなしていない。

 曲線の豊かな体のくびれに沿って汗が流れ、吹き付ける砂がこびりつき、更にその上を汗が流れている。長い髪は風に吹かれるにまかせて広がり、終始のつかない姿になっている。しかし、その髪から時折覗く眼光は、言いようのない光を放ち彼をたじろがせた。

 やがて女が追いつくと彼も女の歩調に合わせるように歩き始めた。

 やがて大地は徐々に勾配をはらみ、とうとう両手を付かなければ歩を進めないような岩場へと変わった。日が照りつけ岩を焼き、その岩が両手、両足を焼く。彼は思った。アレの怒りはこれほどのものだったのかと。人間である自分に、他の動物のごとく四足で進むことを強いるほどに強かったのかと。そう思うとその怒りをかった己の行為の重さに思い至り、体の芯が凍るかのように身がすくんだ。しかし、やがて、喉の渇きに突き動かされるように歩を進めるにしたがって、今まで味わった事もないような感覚が目を醒ますのを覚えた。背中から胸、そして両手両足に燃えるような熱さを感じる。この熱さは照りつける太陽のせいでも、焼けた岩のせいでもない。彼の内から生まれたものだ。いま、彼は女と同じ光を目に湛えはじめ勢いよく岩を蹴りつけるように歩を進めた。

 岩場を登りきると彼は女を待った。はるか日の沈む方向に自分たちを捨てた「園」が見える。手前に時折キラキラときらめく4つの光が認められ、あやしくゆらいでいる。その光の中心に目を凝らすと、四つの頭と四つの翼をもった何かが手らしきものをふり、それらを操るのが見えた。

 やがて女も彼の傍らに追いつくと、振り返り、その情景に目を凝らし始めた。

「もう暫く行くとペラス(川)か、ヒデケイ(川)に行き着くだろう。そうすれば水を飲める」彼は女の気力を取り戻すためにそういった。しかし、なぜ自分がそんな事を知っているのか、そんな疑問は暫く後まで気付きもしなかった。

 女はその彼の言葉が耳に入っていないかのように、じっと「園」の様子に見入っていた。

「ケルビムね」やがてポツリと女は言った。

「ヤツはケルビムを置いて私たちが『園』へ戻れないようにするつもりよ。あの煌いているのは炎の剣よ」女のその言葉に彼は「ああ、そうか」と思った。

「さあ、行こう」彼は女を促した。

「こんなことになるんだったら、あの『いのちの木』の実も食べてやるんだったな」女がそうつぶやくと彼は「俺は良かったと思っているよ。いい選択だった。これが逆だったらたいへんだった」と応え歩き出した。

「どういうこと?」女は真意を探ろうと顔を覗き込むが、彼は行く手に目を向けたまま続けた。

「もし、あの時『いのちの木』の実を選択していたら、俺たちは死なない、不死のままあの『園』でアイツの言いなりに暮らすことになる、自我もないままね」彼の言葉を女は反芻するかのように聞いた「けれども俺たちは「『知恵の木』の実を食べたんだ」彼は女を見た、女も彼を見上げた「『知恵の木』の実が俺たちに授けたこの知恵があれば、やがて『いのちの木』など自分たちの手で作り上げてやることもできるさ、きっとね」

彼はまた歩き始めた。女も歩き始めた。

 日は西に傾き、彼らの行く末に長い影を伸ばした。

 その二人の後ろで、一匹の蛇が舌をちょろつかせながら彼らの後に従った。

(次回に続く)

ふぇじょーーーあwwwwふぇじょーーーあwwww 2009/06/15 01:47
これヤった後でパチ屋に行ったら勝率上がりすぎwwwwww

http://shiofuki.navi-y.net/ihVLGun/

ただの軍資金稼ぎのつもりでヤってたんだけど、
パチも負けねーもんだから金が余りまくりっす・・(^^;
まー金は余っても困らないからまだ続けるけどねーヽ( ・∀・)ノ
とりあえずBMWでも買うわwwwwwww

しゅおおぁあああ!!!!!しゅおおぁあああ!!!!! 2009/06/22 15:08
あっもう!ちょ!!!凄い!!!凄いよ!!!!!
あぁぁテンション上がりすぎて何から言えばいいかわかんねwww
勃.起おさまんねーし今からもっかい行ってくるwwwwwww

http://ahan.yumenokuni.net/JShT9ow/

大乱交スマッシュブラジャーズ大乱交スマッシュブラジャーズ 2009/06/22 15:50
ちょww 普通の口ーションをあんな風に使うなんてどういうテクしてんだよww
ちょっとウソコ漏れたのに5万振り込んでくる金持ちの勢いには参りましたwww

http://dopyun.quitblue.com/rRXyp3A/

はいちゃんちゃんちゃん!!!!はいちゃんちゃんちゃん!!!! 2009/08/18 03:08
もーさすがに3回は果てるってーー!!!(>_<)
連続じゃないだけマシだけど1 0 万の為とはいえ3回ヤるとティ ンコさんが火を噴きそうなくらい真っ赤っ赤だよ(^^;
まー何気に足 コ キしてもらったのって初めてだし、得っちゃ得だけどねーwww

http://kachi.strowcrue.net/Rk6q1TC/

2008-12-08 歴史に学ばないものは馬鹿である

中学校への携帯電話持ち込みをめぐって、うんざりするような議論が起こっている。

携帯禁止 家庭でも厳しいルールを(産経ニュース 主張)

いま考えたい―子どもにケータイは必要か(IT media)

携帯の一律禁止は問題(YOMIURI ONLINE)


元々は橋下大阪芸人知事の禁止令に端を発した騒ぎらしいが、まったく的を外し、原則が見えていない議論ばかりでイライラする。歴史に学ばないものは馬鹿であるとするならば、右から左までこの国は馬鹿の集まりなのかと疑いたくなる。

持ち込み禁止賛成派の論点は、

1)携帯電話の利用時間学習時間トレードオフにある。

2)携帯に付いているメールインターネット閲覧機能が「学校裏サイト」など、いじめの温床となっている。

3)また、それが性犯罪などの入り口となる危惧もある。

といったようなものだろうか。

それに対して、子供にも携帯を持たせる事を容認すべきとの意見の論拠として、携帯電話の防犯機能などに触れているものもある。


学習時間携帯を弄っていて学習が進まないとしたならば、それは授業で指導すべき事柄だろう。そもそも、子供たちが学習に集中できず、携帯電話を弄っているのだとするならば、携帯電話を取り上げたところで、彼らは別の興味の対象を探してそちらに気を散らせ、やはり学習はおろそかになっていくだろう。

これは携帯電話の問題などではなく、「ゆとり教育」の問題の時も、というか、そもそも教育の根幹的課題として着目されている、教育における児童、生徒のモチベーション学習意欲)の問題ではないか。そして、それは授業技術など、教える側の問題でもある。

学校への携帯電話持ち込みに対して、この論点から「持ち込み反対」を訴える者は、すでにこの段階で「馬鹿」と認定できる。

次に、メールやらインターネット閲覧機能が「いじめ」の温床となる。であるとか、「犯罪入り口となる」といった議論。これは「新しいテクノロジー」に対して、社会が常に取る態度であって、定型的な「そぶり」でしかない。

まず、「いじめ」であるとか「犯罪」は、携帯があろうとなかろうと常に起きている。携帯電話という新しいテクノロジーがその発生を助長しているとするならば、それに対しては社会学的な調査が必要であろうし、各キャリアメーカーなどは対策が必要だろう。しかし、よしんば携帯電話がそれらの発生原因であったとしても、出来上がったテクノロジーはなかった事には絶対にできない(このあたりは、テレビというテクノロジーが普及した頃に、「国民総白痴化」と心配された事例が思い出される)。また、そもそも「いじめ」であれ「犯罪」であれ、それが深刻であればあるほど、どんなに制度で抑制をしたところで地下に潜っていくだけだろう。

今、小学校やら中学校に「刃物」を持って行くことは非常識なこととされているようだ。わたしの子供の頃は筆箱に刃物が入っているのが当たり前だった。といっても、別に殺伐とした社会であったから護身用に道具をノンでいた訳ではない、当時わたしたちの筆記用具といえば顔料として黒鉛を含んだ細い芯を、木でできた軸で包んだ「鉛筆」というものが主流であり、それを利用するためには、芯の減り具合に合わせて軸である木を削る必要があった。その為に、「刃物」は必需品だったのだ。「刃物」を使って鉛筆を削るため、当時は誰しも切り傷の一つは二つは指につけていたものだ。だから当時は「刃物」でヒトを刺すというような事件が起こらなかった…なんて(ノスタル馬鹿おやじのような)ことは言わない。当時もそりゃあ刃傷事件の一件や二件はあっただろう。しかし、現在のように、公に「学校に刃物を持っていくことは非常識」とされ、場合によっては法律で処分される対象となっても、やはり刃傷沙汰は校内で起きている。

 刃物がヒトを刺すのではなく、ヒトがヒトを刺すのだ。(とは言え、全米ライフル協会の主張する、銃はまたあまりにも話が違うが)

いま、学校に携帯電話を持ち込めなくなっても、「いじめ」はなくならない、形が変わるだけだろう。「犯罪」もなくならない。「犯罪」に向かうような児童、生徒は、学校やら社会抑制しても、いや、抑制すればするほど、携帯電話を持つだろう。

今の携帯電話はわたしには「半製品」に見える。内燃機関の前の蒸気機関。現在のテレビの前の白黒テレビやラジオのような存在に感じられる。真のイノベーションはこの次に来る。

イタ村健の騒いでいた「ユビキタスコンピュータ」の為のインフラ整備にも思える。

このような時代状況をみると、学校が行うべきは携帯電話の持ち込みを禁止して、学校と携帯電話に代表されるコミュニケーションツールとの付き合い方(情報リテラシー)を切り離すことだろうか。それとも、学校が率先して児童、生徒にコミュニケーションツールを使わせ、その使い方、危険性を教えることだろうか。解答は明白だろう。

親もわからないまま、または得体の知れない存在として「携帯電話」を捉え。小学校中学校子供たちは「携帯電話」から遠ざけられて育てられる。そして、その危険性も、有用性も知らないまま高校生として「携帯電話」を手にする。としたら、その危険性は想像するに難くない。

19世紀、蒸気機関で動く「自動車」ができたころ、英国はその「新しいテクノロジー」の存在を恐れ、「自動車で走る時は、その前に先行する者を走らせ、赤い旗を持たせること」という法律を制定した。英国の自動車産業の発展を妨げ、今なお笑い物にされる悪評高き「赤旗法」である。

情報リテラシーがこの21世紀の大きな産業基盤であると考えると、「携帯電話悪玉論」とでもいうべきこの風潮は「21世紀の赤旗法」になりそうな気がする。そして、「情報産業大国日本」は、没落してゆくのだろうか。


知らなかった!

首相「7割の宗教労働は罰」 日本は「善」と認識

 麻生太郎首相は7日の熊本県天草市での演説で、高齢者雇用問題に触れた中で「世界中労働は罰だと思っている国の方が多い。旧約聖書では神がアダムに与えた罰は労働旧約聖書キリスト教イスラム教、足したら世界の何割だ。7割くらいの宗教哲学労働は罰だ」と述べた。日本については「天照大神高天原を見たら神々は働いていたと古事記に書いてある。我々は働くのは正しいと思っている」と指摘した。(07:52)

日経NET

宗教とは距離を置いているので、キリスト教が、「労働とは神が与えた罰」であると捉えているとは知らなかった。ぼんやりと、資本主義の成立条件として、資本の蓄積と労働があり、これがピューリタン精神と合致しており、初期米国の資本主義的発展につながったとは了解していたが。でも、ピューリタンプロテスタントなわけで、カソリックではやはり「労働とは神が与えた罰」なのかなあ、と、その出典を探ってみた。

「労働は罰?」† (WEB版★牧会短信 † 2008.12.08 Monday)

創世記

などを見ると、どうも違うみたいだ。安心した。

ところが、

ウィキペディア「労働」

では、「旧約聖書によれば、労働とはアダムとイブが罰として神より与えられたものである」との記述がある。まさか、一国の首相がウィキペディアからの引用

しかし、ここにもユダヤ教プロテスタントについての労働観は異なるとの記述がるので、首相の発言とは食い違う。

いったい麻生はどこからこんな話を拾って来たんだろうか?

こんなヒトもいた。

Yahoo! 知恵袋

労働とはアダムとイブが罰として神より与えられたものであるらしいのですが、働かないで暮らせる事は幸せなことでしょうか?

この質問者は否定的に質問しているのだとは思うけれど、この首相の発言をつまんで労働を否定的に捉えるようなヤカラが出てこないことを祈る。

…米国なんかでは、大統領といえば、国の父というような捉え方をするのだけれど、一家の父がこんな事言っていたら問題だよな。

kogarasumarukogarasumaru 2008/12/08 23:38 はじめまして
首相はウェーバーも読んだことがないですね…orz
ムハンマドは商人ですし、コーランには商道徳のようなものの記述もありますし…。
あの世(もしくは天国)に労働がないならば、まだ一片の妥当性があるかもしれません。仏教は労働の忌避は強いかもとは思ってしまいました。

dokushadokusha 2008/12/09 13:26 オバケには学校も、試験もなんにもないそうですけどね。

2008-12-05 お嬢様の混乱

昨日は週刊文春の記事を引いたが、今日週刊新潮からちょっと面白いコラムを取り上げてみたい。田母神論文でも触れられている当の櫻井よしこ(以下、お嬢様)が連載コラムを持っていて、ここでお嬢様が「文民統制、曲解された日本の解釈」と題していささか混乱した議論を進めている。

特に酷い部分を取り上げてみたい。「ヒトラー文民統制」と題された部分である。( )で囲まれた部分は、引用者であるわたしの記述である。

しかし、文民統制とは一体何か。日本政府は、「軍事に対する政治的優先または軍事力に対する民主主義的な政治統制」と定義している。(平成20年版 防衛白書 第II部 第1章 第3節など)そのことは、軍人である田母神氏の考え方や意見を、政府見解にぴったり合わせなければならないという意味か。『朝日』の主張などを見ると、当然、答えは「イエス」であろう。つまり、自衛官村山談話などに示される政府歴史観に異を唱えずに従うべきだということになる。そのことは軍人政府によって、完全に思想も行動も統制されるということだ。いま私は、田母神氏を軍人と書いたが、氏の位置づけは行政官で、基本的に他省庁の公務員と同じである。となれば、公務員はすべて、政府見解のように考え、その枠内で思考しなければならないのだろうか。(ここまでを 節1 とする)

 そうではないのである。『朝日』は五百旗頭氏の言葉引用して、軍人が自らの信念などで行動することは極めて危険だと書いたが、軍人こそ考える能力が必要だ。盲目的に、絶対的に時の政府に従うことは、恐らく、日本人が軍の在り方の理想として語る文民統制に必ずしもつながらない。わかり易くするために、敢えて極端な事例を拾ってみる。ヒトラーは堂々たる選挙で選ばれた。ヒトラー総統にドイツ軍は従った。選挙で示された民意を代表するヒトラーが統率したという意味で、これもひとつの文民統制とするなら、文民統制言葉そのものが民主主義国家の求める軍の理想形であるとは言えないであろう。だからこそ、国際社会には文民統制の考え方について明確な定義がないのではないだろうか。(ここまでを 節2 とする)

お嬢様ご本人も「敢えて極端な例を」とおっしゃっているが、このヒトラーの例は酷い。これはレトリックサーカスのような、文章の曲芸だ。ただ、論理破綻しており、曲芸であるなら着地失敗といったところだろう。

お嬢様は、「文民統制」という概念を否定するが為に、ナチス・ドイツの例を引かれている。その論理構造はおおよそ次のようなものだろう。

1)ヒトラー民意で選ばれた。

2)その民意で選ばれた「文民」であるヒトラーに統率されて、ナチス・ドイツの軍隊は行動した。

3)しかし、結果は国を失った。

4)文民統制とは民主主義国家の求める軍の理想形であるとは言えない。

しかし、実はこの(1)と(2)の間にはワイマール憲法の停止という国家変革がある。これは中学で確か習ったと思うのだけれど、ナチス・ドイツというのは「国家社会主義」を唱えており、「民主主義国家」という枠組みでは語れない。「全体主義」の範疇に入る。中学校の歴史の先生は「ワイマール憲法という民主的に進んだ憲法が、ナチス・ドイツという全体主義国家を生んだ」といったような指導をされて、民主主義を守るためには憲法という枠組みだけではなく、それを運用する国民の意思が必要なんだというようなことをつらつら思ったような思い出がある。更に進んで、今では、逆に、このような危険な「全体主義」にも道を開けられる、つまり、自己変革の可能性を秘めた「民主主義」の柔軟性が、他の政体よりも比較優位であるとわたしは思っている。まあ、これは余談。

つまり、ヒトラーの例を持ち出したところで「民主主義国家の求める軍の理想形」を語ることはできない。

民意全体主義文民統制破綻

民意民主主義の文民統制→成功もあれば、失敗もある。

という図式があった場合、「文民統制」自体が問題であるというよりも、政体として「全体主義」が正解か、「民主主義」が比較優位か、という話にしかならないではないか。

そもそもお嬢様は「国際社会には文民統制の考え方について明確な定義がないのではないだろうか」と仰っているが、どうなんだろうか、先に引用を指摘したこの定義であるところの「防衛白書」は読まれているのだろうか。そこにはCOLMNとして別枠を設け、特に「文民統制」について語られている。

先の大戦において、「統帥権」の暴走により、この国は文字通り滅亡の淵に瀕した。この経験を踏まえ、「文民統制」の重要性が唱えられているのだけれども、その敗戦の痛みが遠のくとともに、このような暴論が走り出すのは単なる「歴史に盲目」となっているとしか思えない。

もしも、「軍人こそ考える能力が必要だ。盲目的に、絶対的に時の政府に従う」必要はない。と考えられるのならば、想像されるといい。自衛隊が現政権を否定して永田町から霞ヶ関を包囲し、軍政を引く姿を。その時、その軍政はいまのような「資本主義」「日米安全保障体制」を支持するとは限らない。どのような政権ができるか、軍人が考えた国家運営がどのようなものであるか、わたしには想像もできない。しかし、少数者が狂信的な理想から打ち立てたような集団/国家は、そら恐ろしい物になるであろうとは推測できる、そう、ぼんやりと朝鮮半島の北側の国を連想する。この論理構成が朝鮮半島の北側にも着地できることを思えば、論理破綻は明白だろう。

次に、節1の主張は、「公務員はすべて、政府見解のように考え、その枠内で思考しなければならないのだろうか」ということであろうが、これについてのわたしの意見はすでに書いた。お嬢様はつまり、自衛官にも言論、表現の自由はあるとご主張なさりたいのだろうが、しかし、お嬢様の混乱は酷すぎる。お嬢様はご自身のブログに次のようにお書きになっている。(「 『教育』が危ない 」2007年03月08日 初出は同じ週刊新潮コラムのようだ)

分限をわきまえない自由は真の自由でも独立でもなく、わがまま放蕩で許されない

つまり、教職員に対しては、その思想信条考慮せず、政府方針に従えとおっしゃっておいて、田母神に対してはその自由を認めろとおっしゃる。一体どちらが正しいのだろうか?何が自由であり、何が放蕩であるか、明確な境目がわたしにはわからない。

dokushadokusha 2008/12/05 02:56 長いと思ったけれど、ねこまで届かなかったな。

yomiyomi 2008/12/08 17:36 教職員は実行に移した
田母神は論ずるだけだった
かなり明確な違いだと思いますが

あと、喩え話の揚げ足取るほど不毛なことはないですよ

dokushadokusha 2008/12/08 18:13 上げ足などとっておりません。
論理的破綻を指摘したまでです。

田母神は、論文を公表するという「実行」を行ったのでしょうし、教職員は「思想」だけではなく、「信仰」にまで踏み込まれているのだと思うのですがね。

dokushadokusha 2008/12/08 18:18 おおっと、もうひとつあるな。
田母神は未必なことを、自己の思想と信条の為に「実行」した。
教職員は、じこの思想と信条の為に拒否した行動を強要された。(卒業式における「君が代」の伴奏、であるとかね)
この二つに於いて、より強制力が強いのは、行動を強要されることではないのかね?