恩知らずの国、職責を知らぬ国

http://d.hatena.ne.jp/kataru2000/20040420#p1
朝日新聞2004年4月19日夕刊 高橋源一郎の人生相談」の引用
まったく同意見だ。

追記:
原典には当たれないが
http://www.mirai.ne.jp/~ash/esnew.html
にも引用がある。前後の関係からそうだろうと推察。
しかし、もし「捏造」であっても良く出来た文章だ。
同意に変わりない。

追記2:
スキャンした暇人が居た
http://jgard.hp.infoseek.co.jp/source/syobo0144.jpg
ちょっと左に傾いているのは含むところあってか?

ありえないし

1億5千万円現金消える、輸送車から? 東京中央郵便局
http://www.asahi.com/national/update/0421/020.html

東京・多摩地区の郵便局から東京中央郵便局(千代田区)に現金輸送車で運ばれた現金のうち、約1億5000万円がなくなっていることがわかった。現金は約3日間、駐車場に止めた車内に置かれたままになっており、警視庁はこの間に何者かが盗んだとみて調べている。

ひとごとなんだろうなぁ

ありえないし2

言動を慎重にとのお言葉ですが腹に据えかねた。
霞が関官僚日記 2004-04-18-Sun イラク人質の今後」
id:kanryo:20040418#p2

bewaadさんとこにあまりにも的確な指摘があったのでこれ以上述べない(笑)

件の「bewaad」の発言
http://www.bewaad.com/

イラクの情勢悪化は昨年来ある程度予想していましたが、日本人の監禁事件は予想の範囲外でした。これほど自○自○(もちろん「業」、「得」が入るんですよ(笑))という言葉が当てはまる人間が出てくるとは思わなかったという意味ですが。2ちゃんねるではさんざん書き込まれていることですが、あの3人が今後方々の講演に出かけて「自衛隊が駐屯しているから私たちはこんな目にあったんです。やはり自衛隊は行くべきではなかったのです。今からでも遅くはありません、一刻も早く撤退させましょう」などとほざいて講演料を受け取ったり、お涙頂戴モノの手記を書いて印税を手にするかと思うと虫唾が走るとしか言いようがありません。ま、世論調査を見る限り一部メディアの動向にかかわらず同種の見解が多数派のようで救われる思いではありますが。(2004-04-11)

(ボールドはわたしが施した)
見識が低すぎる。“Nobles Oblige”なんて言葉は死語になったとは聞いていたがここまで低いか。

そしてそれを咎めようと「うし」なる人物がコメント欄に次のような投稿をした。

『彼らは間違いなく犯罪被害者なんですが、その認識に全く欠ける発言ですね。官僚はセカンドレイプしても恥ずかしいと思わない存在なんでしょうか。』

それへの回答
id:kanryo:20040421

うしさん、セカンドレイプなどという言葉を軽々に使うべきでない。何ら落ち度なくレイプされたことを、勇気をふりしぼって訴え出たその取調べの場や裁判の場で(主に男性の)担当官により思慮を欠いた形で持ち出され、さらに精神的に深い傷を負うセカンドレイプと、今回の人質事件への批判がどのような論理で同一に語られるのか。あなたの発言はセカンドレイプに苦しむ女性への侮辱だとは思いませんか?「サードレイプ」だと思いませんか?猛省してください。

後半はこいつの心性を現すような表現が含まれている。引用するのも汚らわしい。

思想信条が異なっていようとも国民が等しく幸せな生活を送る。その為の社会を守る事。これがこの主権在民の民主国家である日本における「官僚」の職務ではないのか。国民の幸せを願えないのなら職を降りよ。少なくも公開の場で「官僚」として発言すべき事柄か再度内省してみては如何か。
と、いうか。よくぞ言ってくれた。見ろ!これが嘘偽りの無い彼等の姿だ!
彼等は国民など見てはいない。いや、見ている色を分けて!

追記:

すべて公務員は 全体の奉仕者であって 一部の奉仕者ではない 日本国憲法第15条第2項
服務の根本基準(国家公務員法第96条第1項)
すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行にあたっては、全力を挙げてこれに専念しなければならない

弱い者虐めはカッコ悪い

社会は常に矛盾を孕む。その社会の矛盾を何かに集約させて、その矛盾を祓う手法。
大昔で言えば天変地異を人身御供に押し付ける、またはフレイザーの『金枝編』とでも言おうか。
ここには「共同体への帰属意識」といったものが暗黙の了解としてあるのではないかと思われる。自分の困窮は自分の選択によるものであって(それこそ「自己責任」「自業自得」というものか)帰属している社会にしても、それが所与のものとして動かしがたいということはない。極端な話し、その気になればヒトにとって国籍など選択可能な属性の一つに過ぎない。しかし、帰属する社会の困難を我が事のように受け止めてしまう、または我が事の困難を帰属する社会に原因を求めてしまう。(不思議なのは、「誰も迷惑など蒙ってはいないのに、迷惑だ!」と叫ぶ事)(例えば日本の国家行政機関が年金を破綻させたとしよう、その時に年金制度に批判を述べる事は上の「国籍の選択」とは話が違う。日本という機構が「100年安心」と保証したから参加した年金が破綻したとすれば、それはオレンジ共済並みの詐欺というものだろう)

何等かの「権威」に対して批判をくわえ、社会の矛盾をそこに集約させる事。
全共闘世代における「日米安保体制」「岸政権」と
今の世代における「戦後民主主義」批判は、実はまったく同じ旋律の変奏曲でしかない。

ただ、実際に権力を持つ者に対する批判が、一定の有効性を持つのに対して*1
それに引き換え、個人に責めを求めるこの有様は異常と言わなければならない。

*1:国家行政機構は実質上の立法権を持ち、司法を予算、人事で束縛できるという現実がある。というか、そもそも司法は自壊している。この時行政機構に対する批判を止めてしまえば、その無謬性を無条件に受け入れるとするならば、「絶対権力」となり「絶対に腐敗する」事を歴史は教える