アランの読書日記

2014-08-23 「メンバーシップ型社会」と江戸時代 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

著者の濱口桂一郎先生は、雇用の仕組みを「ジョブ型」と「メンバーシップ型」に分け、日本型雇用システムは後者と説明するが、他書と比較しても、本書はその説明が大変分かりやすい。


與那覇潤氏の「中国化する日本」を読むと、まさに日本は「江戸時代化」した社会であり、これは「メンバーシップ型社会」そのものと感じる。

中華文明と日本文明の違いを、様々な観点から分析している。人間関係については、中華文明においては、「同じ場所で居住する者どうしの「近く深い」コミュニティ」よりも、宗族(父系血縁)に代表される「広く浅い」個人的なコネクションが優先される」が、日本文明においては、「ある時点まで同じ「イエ」に所属していることが、他地域に残してきた実家や親戚への帰属意識より優先され、同様にある会社の社員であるという意識が、他社における同業者(エンジニアデザイナー・セールスマン・・・)とのつながりよりも優越する」のである。日本文明=江戸時代は、光と影がある。「ひとり占めせず己が分をわきまえる生き方をみんなが心得ていたことで、上位者も下位者も互いにいたわり慈しみあう日本情緒が育まれた、譲りあいの美徳ある共生社会」とポジティブに捉えることもできる。一方で「あらゆる人々が完全には自己充足できず、常に何かを他人に横取りされているような不快感を抱き、鬱々悶々と暮らしていたジメジメして陰険な社会」とネガティブに捉えることもできる。日本の歴史上、平氏政権、明治維新は「中国化」する動きだったが、結局「再江戸時代化」の力が強く、戻ってしまっているとのことである。


歴史書を紐解くと、江戸時代の村は、まさにそのようだったようだ。

本書の5番目の章「近世の村(渡辺尚志氏)」には、「家の維持を通じて村人たちの生存を保障し、村人たちは家に拠りつつ村を支えた。村と家は相互に補完しあい、人々は村と家に依拠して生活を営んだ」とある。村は、災害時に助け合うのは勿論のこと、生活困難者・破産者に経済援助をした。家の数をコントロールするために、村の承認がないと、分家・養子縁組等ができなかった。村は夫婦喧嘩・親子喧嘩にまで関与し、解決に努めた。何と暖かい社会かと思うが、「村が牧歌的なユートピアでなかったことは言うまでもない」と説く。具体的にどうユートピアでなかったかは、本書からは読み取れなかったが、容易に想像はつく。江戸時代の村は、まさに「メンバーシップ型社会」であり、「江戸時代」(当り前か)であることが分かる。

こういった本を読んでいると、「メンバーシップ型社会」は、日本の社会・文化の奥深い何かに基づいているのではないかと感じる。濱口桂一郎氏が説くように、「ジョブ型」に移行するためには、相当なエネルギーが必要だろう。

我無駄無我無駄無 2014/08/23 19:54 本文中に書かれている濱口さんのブログから、読みに来ました。

中華文明と日本文明との対比はともかくとして、濱口さんの言う「メンバーシップ型」が、「江戸時代の社会システムと同型である」という本文中の指摘は、その通りだと思います。

あと、フェルディナント・テンニースの言う、「ゲマインシャフト(共同体)とゲゼルシャフト(機能集団)」との対比で言うと、メンバーシップ型はゲマインシャフトでありジョブ型はゲゼルシャフトになるでしょう。

で、企業は本来ゲゼルシャフトであるべきですが、亡くなられた小室直樹さんによると戦後文字通りのゲマインシャフトである村落共同体が崩壊したため、ゲゼルシャフトである企業がゲマインシャフト化したようです。

では、なぜ企業の中にゲマインシャフトがもぐりこんだのかというと、企業の構造がゲマインシャフトの基本的構成要素である、「お家」と同じ構造を持っていたからでしょう。

ただ、現在はその「お家」と化した企業すらも、崩壊し始めていて、濱口さんのいう「メンバシーップ型」から「ジョブ型」へ単純に移行するのではなく、メンバーシップ型とジョブ型の両立(ハイブリッド)、別の言い方をすると、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトのハイブリッドとしての、ケゼルマインシャフト型の社会を構築する必要に迫られていると思います。

で、自分としては、アメリカのメジャーリーグの球団がその雛型になるのではないかと、思っているのですが。

アランアラン 2014/08/24 10:11 我無駄無さん、コメントありがとうございます。、「ゲマインシャフト(共同体)とゲゼルシャフト(機能集団)」の対比という視点も、おっしゃるとおりですね。もっと勉強・思索を進めたいと思います。
ところで、「アメリカのメジャーリーグの球団がその雛型になるのではないか」という意味がよく分かりませんでした。よろしければ、詳細をご説明いただけないでしょうか?

我無駄無我無駄無 2014/08/24 15:42 アラン様、コメントありがとうございます。
で、「アメリカのメジャーリーグの球団が〜」ということについてですが、まず、メジャーリーガーは一人ひとりの選手が、各球団に選ばれて所属しています。
その意味で、各球団は選ばれた選手によって構成された、「共同体(ゲマインシャフト)」であり、そのことの結果として球団の運営スタイルは、「メンバーシップ型」になるでしょう。

その一方で、各選手が球団側から求められるのは、その球団の勝利に貢献するための「ジョブ(職能)」です。そのため、メジャーリーグの球団は同時に「ジョブ型」の組織にもなるわけです。

さらに選手個人の意識に目を向けると、一人ひとりの選手が己の存在と誇りをかけて、一つ一つの試合に臨んでいることでしょう。
そういう意味で言うと、職業としてのメジャーリーガーは、天職とか神の召命という意味を持つ、「CALLING」としての性格を持つと思います。

また、メジャーリーガーは「労働者」としても認められているとのことでした。

そのため、メジャーリーグの球団は、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトが両立した形態である、「ゲゼルゲマインシャフト型」の雛型になるのではないかというわけです。

それと、本文中の江戸時代の村が「どうユートピアでなかったか」ということについてですが、一歩間違うと「共同体」はいとも簡単に、「監獄化」するということでしょう。

それは、スタンフォード大学の「監獄実験」を見れば、分かると思います。

つまり、閉ざされた共同体においては一歩間違うと、力(権力)に対する志向性を持つ者が、監獄における「看守役」になり、力を持たない「囚人役」に対して、理不尽な行為を公然と行い、それを正すことができなくなる。

それが、今学校におけるいじめや企業におけるパワハラやモラハラという形で出ているわけで、それ等も含めて、雇用の形態を含めた、社会のあり方を変えるべき時に来ていると思うわけです。

ただ、それを単純な二分法(白か黒かあるいは○か×か)で考えるのではなく、シマウマの生存戦略のように、白黒のバランスを考慮しながら両立させていくべきだと思うわけです。

我無駄無我無駄無 2014/08/24 16:36 あと、自分は濱口様のところにも同じテーマで、ここに何日かコメントを投稿しています。

それで、思ったことは、例えて言えば濱口様のご意見は縦糸としての性格を持っていて、アラン様のご意見は、横糸としての性格を持っているのではないかということです。

そして、横糸と縦糸を合わせるとい言うまでもなく、「布」が出来ます。

なので、濱口様とアラン様がブログを通じていろいろと意見交換することで、得られることも多々あるのではないかと思いました。

アランアラン 2014/08/24 21:00 我無駄無さん、ご回答ありがとうございます。
「ゲゼルゲマインシャフト型」とは、面白い考え方ですね。
一方で、ここで取り上げた與那覇氏の本は、「よいとこどりを狙ったはずが悪いどころどりになってしまう」ことを「ブロン効果」として警戒しています。また。デヴィッド・マースデン氏の「雇用システムの理論」では、ジョブ型・メンバーシップ型に2類型を加えて、1国の雇用のあり方を4類型に分類していますが、いずれかの類型に収斂すると言っています。こういった意見を乗り越えていくのも課題ですね。

我無駄無我無駄無 2014/08/25 15:07 「ブドウとメロンをかけ合わせて、新種をつくろうとしたら、ブドウのように小さいメロン(ブロン)しかできなかった」それで、「ブロン効果」ですか。なるほど。

ブラック企業は、ある意味メンバーシップ型とジョブ型の悪いところどりという面もあるので、ブラック企業はそういう意味で「ブロン」なのかもしれませんね。

あと、雇用を生産と訓練に分けて、さらに業務優先か手続き優先かに分けて、結果的に職務、職能、職種、資格の四種類に分類するわけですか。

それで、各国を見ると日本とドイツが手続き優先で、日本が「職能ルール(これがメンバーシップになるわけですね)」。ドイツが「資格ルール」で、米仏とイギリスが「業務優先」で、米仏が「職務ルール」、イギリスが「職種ルール」になると。

実際にはそれ等を明確に区別するのは難しいと思うので、いろんな要素がごちゃ混ぜになっているのが、現在の雇用形態の問題なのだと思います。

その一方で、そういうことがきちんとわかった上で、例えばパソコン上で画像処理のソフトを使う際に、rgbあるいはcymbの組み合わせをコントロールすることで、様々な色を作るように、各企業にあった形の雇用形態を作ることができれば、より望ましいのだと思います。

社会全体を見てみると、政治家の役割がまさしくこのような形での「コーディネート」をすることでしょう。

そして、企業においてはマネージャーなどの役職がそういう立場にいるのだと思います。

そうやって考えると、以上のような知識や視点がない人物が、組織を管理運営する立場に立つことに、今の日本の雇用制度の問題があるとも言えますね。

あるいは、それ等を知悉していたのが、ドラッカーだったのかもしれませんが。

我無駄無我無駄無 2014/08/25 15:38 それと、本来「メンバーシップ型」と「ジョブ型」、あるいは「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」は同じものではないでしょうか?

例えば、「般若心経」における「色即是空」が「色(実体のあるもの)と空(実体のないもの)は同じものである」と説くように。

要は、複数の人間からなる集団があったとき、「地縁血縁」という条件を加えるとそれが「ゲマインシャフト」になり、「職業能力」という条件を加えると「ゲゼルシャフト」になり、それを雇用面から見ると、「メンバーシップ型」あるいは「ジョブ型」になるという風に。

それを、固定化して不変なものであると捉えて、「ゲマインシャフトが中世的であり、そこからゲゼルシャフトに移行すると近代化したとみなす」という、ロールモデルの構築にも、違和感を感じたりします。

ようは、西洋のように物事を白か黒か、あるいは○か×かで二分法的に考えるのではなく、東洋的に白と黒、○と×のバランスと関係性を考えた方がいい。こういうことになるのですが。

ただ、今の日本の社会的混乱を見てみてると、色んな意味でゲマインシャフトからゲゼルシャフトに移行していなことが、原因だと言えるのでそういう意味では、「ゲゼルシャフトが近代社会である」という考え方は、正しいのだと思いますが。

我無駄無我無駄無 2014/08/25 17:59 ところで、「メンバーシップと江戸時代」と入力して検索してみたら、橋爪大三郎さんの「人間にとって法とは何か」という本がヒットしました。

濱口さんも労働や雇用という観点から、ゲルマン法とローマ法の対比を取り上げているので、近々濱口さんの「若者と労働」ともども、この「人間にとって法とは何か」も読んでみようと思います。

この本によると「家制度」が出来たのは、江戸幕府が採用したかららしいですね。

そこから、「村」における「メンバーシップ」の固定が行われたということのようです。

そういう意味では、日本の社会は今でも「江戸時代」なのでしょうね。

そして、今の日本人の「不幸」は政治家や経営者など、社会の中枢を担う立場の人物が、「江戸時代」から抜け出していないこともあるのでしょうが。

とはいえ、江戸時代の要素を全否定するわけにもいかないので、結局は上にも書いたように、cymbの各色(要素)をどうコーディネートしていくかを考えることのできる人物が、世に出る必要があるのだと思います。