41 糠平の大誤算

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第41回



「約束の場所」糠平へ行ってはみたものの…







足寄を通過して、僕は糠平に向かった。


糠平というところは、あまり知られてはいないけれど、糠平ダムの発電用貯水池である糠平湖という人造湖があり、まわりは原始林に囲まれ、大雪山国立公園の一角をしめる風光明媚な温泉地である、とガイドブックには紹介されている。ここに、糠平ユースホステルがある。僕はそこへ向かうのである。


糠平ユースホステルには、「損丁さん」がいるはずであった。「そんちょう」と読む。
損丁さんとは、3週間前に泊まった白老ユースホステルで、居候のヘルパーをしていた人である(21 白老・夢の跡)。


彼は、夏になると北海道へ来て、ユースホステルの手伝いをしながら居候を決め込む、という生活を送る早稲田大学の4年生だった。白老ではたくさんの仲間ができて、大騒ぎをした楽しい思い出があるのだが、そのときも、ヘルパーの損丁さんの軽妙なリードが冴えていた。僕が白老を出発するとき、ちょうど損丁さんも次の居候先へ赴くところだった。その損丁さんの居候先というのが糠平であった。


白老での別れ際、損丁さんは、僕にも糠平に来るように勧めた。
ユースホステルを手伝ってただ飯を食わしてもらうのいいもんだぞ。おめぇも糠平へ来い。1週間ぐらい食わせてもらうように俺から言ってやるからさ。宿を手伝いながら、のんびり過せるよ」
その言葉を頼りに、僕は糠平へ行くのである。糠平ユースホステルで、損丁さんの「弟子」にしてもらって、ヘルパーをし、1週間ほど居候を決め込む予定なのである。
本来は足寄から帯広へ南下するコースなのだけれども、そのコースを少し変更して、糠平で道草を食うのは、いかにも魅力的であった。僕は、温泉もあるという糠平ユースホステルでこれから体験するであろう新しい世界をあれこれと想像し、胸をわくわくさせていた。家族や知人、友人たちにも、糠平ユースホステルに1週間滞在するので、そこへ郵便物を送ってくれるようにすでに連絡もしていた。


足寄から道もいよいよ悪くなり、車や人影もめっきり少なくなった。


やがて糠平湖が、美しいその姿をあらわした。





   糠平


 

 糠平ダム





糠平ダムからユースホステルの途中で。
…何の景色なのか憶えていない。

   


夕方に、糠平ユースホステルに着いた。ユースホステルなのに、「温泉旅館・泉翠館」という趣のある名称がついていた。その「泉翠館」に入って、僕はさっそく、受付で損丁さんを呼んでもらうように頼んだ。一刻も早く、あの懐かしい損丁さんの顔を見たかった。しかし受付の男の人は…
「損丁?」 と首をかしげて、すぐにはその場を動こうとしなかった。
しばらく経ってから、男の人は、奥から麗子さんというおばさんを呼んできた。
「あなた、損丁のお友だちなの? …そうなの」
足早にやって来た麗子さんは、僕を見て、そう言った。
なんだか、不吉な予感が胸を走り抜けた。


僕は、麗子さんに、3週間前に白老で知り合った損丁さんから、ここへ来て自分と一緒にヘルパーをしようと誘われたので、そのつもりでやって来たのである、と、ありのままを答えた。
麗子さんはそれを聞いてちょっと気の毒そうな表情をした。
「まぁ、そうだったの? あのね、損丁はね、ここにはいないのよ。ウチはそんなに大勢のヘルパーはいらないし、損丁には他へ行ってもらうように頼んだのよ。でも、どこへ行ったのか知らないの。やっこさんはきまぐれだからね」


そんなぁ…。


僕は、かなりのショックを受けた。わざわざ横道にそれて、糠平まで走って来て、そこに損丁さんがいないなんて、そんなこと、まるで考えもしなかったことである。ヘルパー。ただ飯の居候。一週間の滞在…。すべてアテが外れてしまった。


この間は計根別へ行こうと思いながら行けず、僕が千葉ちゃんとの約束を破ってしまったが、今度は「糠平へ来い」と言っていた損丁を頼りにやって来たら、そこにいなかった…。なんだか、千葉ちゃんへの約束を破った天罰がくだったような…。

…やれやれ。


僕はとりあえず今日はここで泊まり、明日には帯広に行くことにした。損丁さんのいない糠平に長居は無用である。ただし困ったことがあった。僕は、勝手にここへ1週間滞在することを決め込んでいたので、僕宛ての郵便物が、一定期間、ここに届くことになっている。現に、日本一周のユミちゃんから、僕が着く前に、すでにここへ手紙が届いており、
「○○クン、元気? 29日にそっち(糠平)に電話をするからね。函館あたりでもう一度会えそうだよ」と書いてあった。今日はまだ、26日である。電話をかけてもらっても、僕はもうここにはいないのである。


あ〜あ。ため息が出る。


僕は麗子さんに、自分宛の郵便物が届いた場合、それをすべて青森県の八戸郵便局に転送してほしい、もちろん、代金は受取人払いにしてください、ということでお願いをした。麗子さんは、
「損丁もいい加減なことを言ったのねぇ。郵便物は、そうしてあげるから安心して。ここはいい温泉だからね。今夜はゆっくりお風呂に浸かってらっしゃい。」と、僕を励ますように笑顔で僕の願いを引き受けてくれた。


八戸郵便局、というのは、これも理由があるのだが、高校時代の先生の実家が八戸にあり、そこでお世話になることが決まっていた。しかし、先生と言っても、直接習ったわけではなく、あの網走でお世話になった恩師の「崑ちゃん先生」と、職員室で机を並べていた先生なのである。ツカハラというその先生は、崑ちゃん先生の隣で僕の話を聞き、
「おお! 青森を通るならウチの実家へ寄ってくれ。八戸だ、八戸。手紙を書いてやるからな。必ず行くんだぞぉ」
横からそう言ってくれたのである。八戸とは、そういう縁である。


さて、麗子さんが勧めてくれた温泉は、確かに並のユースホステルでは味わえない贅沢なお風呂で、ゆっくり身体を休めることができた。


ところで、この風呂であるが…


僕が脱衣場から中へ入ってゆくと、男湯に何人か入っていたのだが、湯舟の一箇所に何人かの男がかたまって浸かっている。みんな一様に、身動きもせず、お湯から行儀よく首を出している。全員そろって、ある方向をじぃっと見つめているのだ。僕もジャボジャボと湯舟の中を歩いてそこへ行ってみた。すると、その場所から隣の女湯が覗き見える細い隙間があり、その隙間の向こうに、うっすらとした湯気の中で何人かの女性の裸体が見えていた…。湯舟に首まで浸からなければ、その隙間は見えないようになっている。
「ん?」
と、僕が声を出しかけると、他の男たちは「シーッ」と人差し指を口につけて「黙れ」の合図をした。僕は黙って、首までお湯に浸かり、みんなと同じ方向を眺めた。そういえば、損丁さんが、白老で別れるとき、僕に、
糠平の風呂は、男湯から女湯が見えるんだぞう」
と言って立ち去ったのを思い出した。
ははぁ、これが噂の…。

一人の大柄な男は、その大きな鼻の上にちょこんとメガネを乗せて、曇るレンズを何度も湯で洗いながら、ずっと湯舟に浸かってその隙間から女湯を眺めていた。ほとんどの男性は、ある程度見てしまえばそれぞれ洗い場に戻るのだが、その鼻の大きな男だけは、ずっと、湯舟に浸かって目を血走らせていたのである。…よくのぼせないものだと思う。
 








翌、7月27日。僕は朝食後、麗子さんに改めて郵便のことなどを頼み、泉翠館を出発した。
上士幌から帯広へ向かって踏むペダルは重かった。糠平で損丁さんといっしょに、ユースホステルのヘルパーという魅力的な体験を積めるはずだったのに、肩透かしを食ったショックはとても大きく、気持ちはふさぎこむ一方であった。


そんな心境に落ち込んでいたとき、昼に着いた帯広の駅で、たまたま一風変わった自転車旅行者たちと出会ったことで、また元気を取り戻すことになるのであるが、それはまた次回に…。