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自由道

2016-05-23

結婚をせかす人

ブログを4年ぶりに書きます。

2012年に結婚し、色々あって更新がストップしていました。

親や周囲から「そろそろ結婚したら」と言われ始める前に25歳で結婚しました。

そろそろ30歳です。

世代の独身の友人と話していると、周囲から
「そろそろいい年だから結婚したら?」
「独身のままで老後はどうする?」
などと言われるそうです。

しかし、そういうことを言う人は、本当に自分の結婚に満足しているんでしょうか?

「私は我慢して結婚生活を送っている。
独身でも幸せだと言うのなら、私は何のために苦労しているのだ?
それでは私の苦労が浮かばれないから、お前も結婚して私と同じ苦労を味わえ」
と言いたいのではないかと思います。

そういう人は、他人に結婚を勧める前に、なぜ自分が結婚したのか、そしてなぜ結婚生活を続けているのかを考えた方が良いと思います。

本当に幸せな結婚生活を送っている人は、周囲に結婚を押しつけたりしないのではないかなぁと思います。

私はとても結婚していますが、結婚したくない人はしなければいいと思います。

結婚したいけど良い人が見つからない人は、どんどん婚活したらいいと思いますが、本当に婚活したいのか、世間の目を気にして婚活しているのかは徹底的に考えた方が良いと思います。

やりたくてやってる婚活なら、良い相手がすぐに見つからなくても、結婚生活をイメージしつつ、楽しくワクワクしながら婚活が出来ると思います。

就活と違って、焦らなくても生きていけないわけではないですし。

2012-01-08

不労所得で働かずにお金を稼ぐこと

収入の考え方に関する非常に有名な動画があります↓

この動画は日本中(世界中?)でビジネスのプレゼンテーションに活用されています。

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自営業でも、サラリーマンでも、社長でも、働いてお金を稼いでいる人はみんな労働者(バケツで水を汲んで生活している無産市民)です。

働かなくてもお金が入ってくるための生産手段(パイプライン)を持っているのが資本家(=有産市民)です。

19世紀にマルクスは「資本家労働者搾取している」と考え、その思想に共感した知識人労働者ロシア中国を始め世界中で革命を起こし、地主や資本家を殺し、財産を奪って社会主義革命を起こしました。

しかしこの動画では、パブロは誰からも全く搾取していませんよね?

自分で頑張って作ったパイプラインが届けてくれる水を売っているだけです。

20世紀の社会主義革命をこの動画に合わせて考えると、パブロが一生懸命作ったパイプラインを国家が没収して、パブロもブルーノも他の労働者も平等にバケツの水汲みに従事させ、水をみんなで分け合うということになります。

それでは一生懸命パイプラインを作ったパブロは全く報われません。理不尽です。


しかし、19世紀の時代背景を考えると、社会主義革命が一概に理不尽とは言い切れない面もあります。

19世紀は「一部の金持ち資本家が貧乏人の労働者をこきつかってパイプラインを作らせ、労働者には少額の給料を払うだけで、パイプラインから流れてくる水は全て資本家の収入になる」という世の中でした。

これでは確かに労働者はやってられません(宗主国植民地との関係も同じはずです)。

労働者資本家を殺してパイプラインを乗っ取り、革命を起こしたくなるのも無理はないです。

こういう歴史背景があったので、「資本家=搾取家=極悪人」とか「不労所得=悪」といったイメージが根づいてしまったのだと思います。

不労所得なんて不道徳だ。お金というのは汗水流して働いて稼ぐものだ。」という考え方です。


しかし、この動画の中で不労所得を得ているパブロは悪人に見えますでしょうか?

むしろ、バケツの水汲みといった効率の悪い作業を経ずに村人が水を使えるようにしたという点で、社会貢献をしていると言えます。

パブロは他の人がボケッとサボっている間にも一生懸命パイプラインを作り、社会貢献をしたのだから、パブロがパイプラインから不労所得を得るのは当然の権利と言えます。

つまり、「不労所得=搾取」「不労所得=悪」という考え方は間違っています。

確かに世の中には「搾取だ」「汚い金の稼ぎ方だ」と思うことが多々ありますが、それはまた別のことです。

世の中に搾取は確実に存在すると思いますが、「(中間)搾取とは何か?」というのはとても複雑な問題で、慎重に議論する必要があると思います。


話がそれましたが、マルクスが生きていた19世紀と21世紀の今日とでは、無産市民(パイプラインを持っておらず働くことを余儀なくされている労働者サラリーマン等)の置かれた環境は大きく異なります。

それは、今の労働者インターネットで自由に情報を得られるようになったということです。

19世紀の労働者には、どこへ行けば自分の収入になるパイプラインを作れるかという情報を探す手段がなく、近所に住んでいる資本家の命令に従って働き、給料を得ることしか出来ませんでした。

ところが21世紀の労働者には、インターネットという強い味方がいます。

私が学生時代にバイトをしていたドトールコーヒーの店長は、41歳で週6日、朝6時から夜8時半まで働き、給料が手取りで17万と言っていました。

東京の家賃の高さを考えると、この収入では最低限の衣食住しか確保出来ません。

しかしこの店長は、19世紀のロンドン労働者とは異なりインターネットを利用することが出来、TwitterFACEBOOKmixiを使っています(娯楽に使っているだけですが)。

これらのツールを使いこなして情報を集め、あるいは人脈を作って行けば、かなり高い確率で良い機会に巡り合います(犬も歩けば棒に当たる)。

学歴も職歴もお金も人脈も何もないような人たちに、ゼロからパイプラインの作り方を教えてくれる機会があちこちにゴロゴロ転がっています。

パイプラインの作り方を教えてくれる人達は、異口同音に「あなたの過去は一切問わない。重要なのは、将来の夢と、素直さ、誠実さ、謙虚さと根性だけだ」と言います。

どうして何もない貧乏人にパイプラインの作り方を教えるのかというと、その貧乏人が作ったパイプラインから得られる不労所得の一部をもらうためです。

但し、これらのビジネスモデルが19世紀の資本家のそれと大きく違うのは、この貧乏人も自分が作ったパイプラインから不労所得を得られるところです。

これがいわゆるフランチャイズビジネスです(フランチャイズの中には高額の出資金が必要なものもありますが、出資金が必要ないものもあります)。

今はグローバル化情報化社会ですから、19世紀の資本家のようなことをやっていたら、その労働者はもっと親切にパイプラインの作り方を教えてくれる人のところへ移ってしまいます。

私はまだ社会人になって2年目ですが、パイプラインの作り方に関する話をこの2年間だけでも5件くらい聞きました(@新宿渋谷池袋)。

大学の講義で聞いた「産業革命後の工業社会」「大衆消費社会」というのは、既に過去の遺物だと気づきました。

産業革命労働者を奴隷状態へ陥れましたが、インターネットによる情報革命労働者資本家への道を与えてくれました。

といっても、20世紀のような超巨大独占資本ではなく、生活費に毛の生えた程度の不労所得を稼ぐプチ資本が殆どですが。


非常に興味深いの話ですが、これからは「社会主義革命」などやる時代ではなく、「努力すれば誰でも資本家になれる」時代になると感じます。

巷では『金持ち父さん、貧乏父さん』という本がベストセラーになっていますが、著書のロバート・キヨサキ経済に対する考え方はマルクス経済学経済原論と全く同じです(アメリカ経済学にはない考え方です)。

マルクス経済学が「階級」と呼んでいるものを、ロバート・キヨサキは「クワドラント」と呼び換えているだけです。

しかし、マルクス経済学とロバートとの結論は違います。

マルクス経済学が「資本主義を辞めて労働者の支配する世の中にしよう」と説いているのに対し、金持ち父さんは「どんな労働者でも頑張れば資本家になれるんだ」と説いています。

どんなに頑張っても労働者資本家へなれない世の中は理不尽ですが、頑張れば誰でも這い上がれる社会は理不尽ではありません。

その分、肩書を外した時の個人の力(コミュニケーション力とか、チャレンジ精神とか、根性など)が本当に問われることになります。

単なるビジネス能力ではなく、本当の人間性です。

これがいわゆる「デジタルネイティブ世代の考え方」というものだと思います。

フィリップ・コトラーの『マーケティング3.0』にも同じようなことが書かれていました。

世界史的に見て、本当に面白い時代になって来たなぁって感じがします。


自由になるためには不労所得は有効なツールです。

お金儲けのためだけに人生を捧げるのは自由人というより「お金の奴隷」ですが、かといって自由になるにはお金も必要です。

とにかく、「不労所得は必ずしも悪いものではない」ということを言いたかったのでした。

かくいう自分は不労所得を一つも持っていない単なる労働者ですが・・・

2012-01-04

健康な年

今年は健康な1年を送りたいと思います。

そこでまず気になるのが「そもそも健康とは何か?」ということですが、この正月に読んだ本で「なるほど」と思うものがありました。

健康診断の検査値に振り回される様子を批判した上で、こんなことを書いていました↓

たとえ検査値が異常でも、日常生活に支障がなければ病気とはいえませんし、たとえ病気があっても、快適な人生を送ることが出来れば健康といえるのです。

ガンを経験した人は、まわりから「がん患者」と呼ばれます。

あたかも人生の「敗者」であるかのようなレッテルを貼られてしまうでしょう。

しかし、ガンになったことをきっかけに人生の目的を知ることが出来ます。

こういう人は不摂生を慎み、一日一日の人生を感謝しながら、大切に生きていることが多いのです。

まさに健康な生き方ではないでしょうか?

健康とは数値や病名ではなく、その人の行いと心の正しさであると言えます。
南雲吉則『50歳を超えても30代に見える生き方』P125



なかなか面白い考え方だと思いました。

確かに、暴飲暴食をした後で「キャベジン飲むからいいや」っていう暮らし方が健康か?といわれると、違和感があります。

逆に、健康食品や「○○健康法」に振り回されて、血圧とか体脂肪率の数字に振り回されてる「健康オタク」も健康とは思えません。


摂生を続けていて晩年になって(痛風など)生活習慣病に悩まされて病院通いを余儀なくされるようでは不自由な人生ですが、だからと言って健康情報に振り回されるのも不自由です。

健康を維持するのは自由(=自らに由る、自分らしく生きる)に過ごすためであって、健康によって自由を奪われて薬や医者や健康情報の奴隷になったら本末転倒です。


そういうポリシーで健康な1年を送れたらと思います。

2011-12-04

夢と整理整頓

子ども達が夢を持つことは大事だ」って言いますが、そもそも夢なんて持つ必要があるんでしょうか?

子どもの頃に「パイロットになりたい」と言っててもどうせ99%以上の子どもパイロットではなくサラリーマンになります。

どうせ夢なんて持っても実現する可能性が低いなら、夢なんて持っても意味がないかも知れません。

そう思ってました。


でも最近、考え方が変わりました。

世の中には色んな物や情報が溢れていて、色んな人から色んなことを言われます。

例えば営業マンの場合でも「顧客との関係を強化しろ」「新しい顧客を開拓しろ」「社内の他部署との折衝を軽んじるな」などなど、矛盾したことを言われます。

その時に、自分にとって何が大切で、何がどうでも良いかの区別がつけられなければ、限られた時間やお金の中で何をやって良いのか分からなくなり、パンクします。

但し、まだ仕事だけのことであれば「予算を達成する」という観点からプライオリティをつけられます。

でも、例えば家の押入れや棚を整理する場合はどうでしょうか。

判断基準がないと、必要なものと不要なものを区別出来ません。

で、その判断基準というのがすなわち自分の価値観です。

自分の価値観が定まってないと、何もかも捨てられずに家の中が物で溢れてしまいます。

確か「捨てる技術」みたいな本にも、整理整頓には価値観が大事って書いてあったと思います。


大人になってパイロットになれなくても、「どうしてパイロットになりたいと思ったか」を掘り下げていくと自分の価値観が分かってきます。

あらゆることに判断基準が出来るので、余計なことに振り回されて疲労困憊する人生から自由になれます。

「自由になる」っていう観点から、子どものうちから夢を持つことって大切なんだと思います(ただ、大人が望むような夢を語る癖がついたら逆効果です)。

2011-11-27

世間の目が気になる件

やりたいことはあるのに、「世間の目」が気になって出来ないことがあります。

世間」という言葉を聞く度に思い出すのが、太宰治の『人間失格』の一節です。

「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」

 世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、

世間というのは、君じゃないか」

 という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。


昔から、この「世間」っていうのがよく分かりませんでした。

自分のやりたいことをやると批判する人がいる一方で、やりたいことをやらないと批判する人もいます。

例えば、10代の女性のことが好きになった70代のお爺さんに対して「いい年なんだから、もう少し年相応のことに関心を持ったら?」と批判する人もいれば、「いくつになっても若々しくて、素晴らしい」と評価する人もいるでしょう。

どちらの考えも世間の目と言えば世間の目です。

そう考えると、一言で「世間」と言っても、一枚岩ではありません。


人からの評価を気にしていると、誰の意見を聞いてよいのか分からなくなります。

結局、他人の目を気にしながら生きることを良しとする人から評価されたいのか、自分の夢を貫くことを良しとする人から評価されたいのか、決めるのは自分自身なんだろうなと思います。

人からの評価を全く気にしないと独善的になってしまいますが、「誰から評価されたいのか」「自分が評価されたい周りとは誰なのか」は自分で決めて良いことのはずです。

「憧れの人がいない(「この人からの評価を大切にしたい」と思えるような人がいない)」「やりたいことが分からない」という場合は、まずそれを探すことからスタートです。

そうしないと、(よく分からない)「世間からの評価」に人生を捧げることになってしまいます。


世間の目を気にしてしまう一番の考え方は「夢で飯が食っていけるのか!」という意見だと思います。

短期的には夢で飯を食っていくことは出来ませんが、長期的には夢があった方が経済的にも有利だと思います。

夢に向かって頑張ってる人は多くの人からサポートを受けられるし、色々な機会(ビジネスチャンス等)を引き寄せます。