イルコモンズのYouTubeデモグラフィー

donburaco2006-08-09

イスラエル軍によるレバノン空爆によって中東情勢が悪化するなか、YouTubeMySpaceにおいてイルコモンズによる映像の抗議行動が展開されていたことを知らされた。いまやだれもが放送局になることを可能とした動画ポータル・サイトは、いまのところまだコピーライト侵害への対策が徹底していない分、アナーキーな映像の宝庫として魅力的なのだが、それが使い方次第では市民による政治的なアピールやデモンストレーションの場にもなる可能性を潜在していることを、この映像は気づかせてくれる。

「SOMEDAY OVER THE WINDOW」はYouTube上で見つけた2つの映像(レバノンのホテルの窓から撮影された空爆シーンと、キース・ジャレットの「Over the rainbow」の演奏)をリミックスしたもの。作者であるイルコモンズは、ビデオに付けた英文のコメントの中で「これはジャック・デリダの『テレビのエコーグラフィー』にインスパイアされたGhost Tele-Visionの実験である」と解説している。夜空に立ち上る火柱を望む窓ガラスにあたかも室内が映り込むかのようにオーバーラップしてくるピアニストの姿……。窓ガラスのあちら側とこちら側の対比構造は、ぼくにはゴダールの「ヒア&ゼア こことよそ」を思わせる。
あるいは、この本来無関係なはずの2つの映像の出会いは、まるで「手術台の上でのこうもり傘とミシンの出会い」(ロートレアモン)のように、怪しくも美しい。そうだ、YouTubeとはいまや映像の巨大な手術台なんだ。


さらにこの映像は一週間後、こんな自家リミックス版となってアップロードされた。

「HUM BOMB?(LEBANON 2006)」は、同じ空爆映像にアレン・ギンズバーグのポエトリー・リーディングの映像をミックスしたもの。「OVER THE WINDOW」が静謐なアイロニー空爆を嘆くのに対し、こちらは「誰にボムる? 何故ボムる?」と吠えるようにまくしたてるギンズバーグのメッセージを直接的に投げかける。


これらの映像に対して美術史的な深読みは無用かもしれないが、ここはあえて愚直な姿勢でデュシャンを引き合いに出しておくなら、見出された物体(ファウンド・オブジェクト)ならぬ見出された映像(ファウンド・ビデオ)を素材に、最小限の手を加える手法は、映像制作におけるレディメイド的アプローチといってもいいだろう。タイトルの「OVER THE WINDOW」は奇しくもデュシャンのフランス窓の作品(「忘れられた未亡人」)や大ガラスにも構造的に重ねることができる。
もちろんイルコモンズがぼくらに見せようとしているものは手垢のついた美術品の変奏などではなく、あくまでもその「窓」や「扉」の向こう側にある。手術室や展示室という枠組みの扉の外(=アウトドア)に存在する、危険をともなう現実(=真実)という美しい絶景のはずだ。


ちなみにイルコモンズとは、2002年に現代美術家を「廃業」宣言したヲダ・マサノリ(小田マサノリ)の現在の活動上の名義である。横浜トリエンナーレ2001開催中に起きたNY同時テロ事件に対して出品アーティストとしていち早く声明を出し、作品を反戦プロジェクト化するなど、戦争に対してひとりの表現者として無関係でありえないという現実が、逆に、戦争とは無関係に生きられる職業としての「芸術家」を辞める決意を彼にさせたといってもいいだろう。
その後多岐にわたって現在進行形の活動については本人のブログ「イルコモンズのふた」(http://illcomm.exblog.jp/)と、YouTubeにおけるイルコモンズのチャンネル(http://www.youtube.com/user/illcommonz)を参照するといい。

ことにYouTubeで見られる「WE ARE THE THREE(ONLY!)」は、現実世界の路上におけるデモの閉塞(≒被拘束)状況を「三人デモ」という脱力ネタであらわにするとともに、その一部始終を通常公安サイドが用いる監視ビデオ撮影という手法で記録し、動画共有空間に置くことによって世界中のPC上での再生(それは字義的にまさにデモンストレーションだ)を可能にするもの。

と、ここまで書いたところでネットをあらためてチェックしてみたら、さらにイルコモンズのウェブ・デモは一昨日から「レバノン爆撃に抗議するチューブ・デモ」という新たなフェーズに。おおー、これは面白い。各自PCの音量を最大にして以下URLに直接アクセスされたし。
http://ilcommonz.hp.infoseek.co.jp/TubeDemostrationz.html
ウェブ上の動画を用いたデモグラフィー(デモクラシー+ビデオグラフィー)は、いままさに日進月歩のスピードで、その方法論の開発と戦術的な実験を重ねている。しかも世界同時多発的に……であればなお素晴らしい。


    ◎


ここまでの話をまとめるために、思い出しておきたいのは『ゲリラ・テレビジョン』(マイケル・シャンバーグ、1974年、日本語版は美術出版社、絶版)

この本に関しては、6年前メディア研究者の森岡祥倫がいち早く21世紀的な再評価をしていたこともあり(「ゲリラ・テレビジョン再訪〜メディア・アソシエーショニズムとしてのビデオ・アート」、『美術手帖』2000年11月号特集「アート・IT・革命〜メディア・アート・レヴォリューション」)、その後もぼくの頭の隅に置かれていたのだが、その再評価の内容はここにきて、YouTubeという現象を実際に伴うことで非常にわかりやすく現実味を帯びてきた。
というのも、アメリカのビデオアートの原点がバッテリー電源によってポータブルになったビデオ機材を武器に、マスコミと対決し新たなジャーナリズムを補完する姿勢で社会に繰り出したビデオ・ゲリラたちであるとすれば、そのオルタナティブな意志はすでにマイケル・ムーアの映画のヒット(=社会的認知)を経て、じつはYouTubeという動画相互配信のプラットフォームにまで組み込まれていたのだという気すらしてくるからだ。
あるいは日本においては、たとえばメディア・アーティストの八谷和彦が、当初は海賊テレビ放送局SMTV名義で活動をしていたこと、インターネットが普及し始めた1995年のプロジェクト「メガ日記」が現在のブログ日記を予見していたことなどを併せてここで振り返っておくなら、『ゲリラ・テレビジョン』からYouTubeまでをつなぐメディア義賊の遺伝子はけっしてアメリカだけの話ではなくなるはずだ。


さて、そんなこんなで後発となりながらも今年下半期に続々とオープンを控えているはずの日本の動画共有サイトだが、NTTによるClipLifeはなんとクリエイティブコモンズを旗印に掲げてきた。
▼「NTT版YouTubeは、クリエイティブコモンズを簡単に選べる」(2006/8/8付ニュース)
http://www.atmarkit.co.jp/news/200608/08/ntt.html


デジタル時代のクリエーターにとってはやっかいな障壁でしかない現行の著作権制度を、クリエーター自身で緩やかに柔軟性のある枠組みにしていこうというクリエイティブコモンズがこれを機に一般化していけば、旧来の著作権環境と新たなクリエイティブコモンズ環境との地勢図はまさに旧大陸と新大陸のようなものとなる。現実的に当面は二者択一というよりは、表現者の多くは両大陸の住人として自身のコンテンツをさまざまなコモンズ・レベルに振り分けることになるだろうが、いずれは新世界の存在自体が旧世界の論理や既成事実を脅かし、動かすことまで考えられる。もちろん、コピーライト上の自由の国が多種多様な表現ジャンルから移民を受け入れていけば、そこではメディア領域を越えた表現上のクロスオーバーやハイブリッド化が加速するであろうことも大いに期待ができる。
クリエイティブコモンズ・ジャパンHP 
http://creativecommons.jp/


イルコモンズとクリエイティブ・コモンズ。両者は字面において似て、内容において非なる活動だが、根をたどればそれは同じ土壌にある。