キーチVS最終巻を読んだ

泣いちったけど、自分はもっと、と思って、世間って恐ろしいですね、思ってた作品じゃない、キーチが殺されていいのかっていう見当はずれの意見を笑った。
が。どうだろう。自己利益ばかり、今の目の前の利益ばかりを追う姿を馬鹿だ、薄っぺらだというけれど、
資本主義の欠陥、てことになるはずだが、資本主義のうえで成り立つ幸福と、不幸を絶対値で見た場合、資本主義はそれなりに優れた理屈にはなっているんじゃないかと思う。

他は何。奪い合い、殺し合い、法治主義、資本主義。じゃあ、ちょっとづつ権力分散を行うといいんじゃないか。
国民の数自体は、圧倒的に多い。だが、ものを知らない人間ばかりだから、実際に動ける人で、しかも反旗を翻すとなると、難しくなる。

一番強い人になればいいと思ったが、一番強い人がもうこういうのやめたって言っても、その下にいる人達が損害を嫌えば、ただトップの人が切られるだけか。

正しい、ことをしたい。できない。正しいことをしたいっていう発言は無駄になる。正しい、に命をかける価値はあるか、それよりも楽に、目の前の利益を追っていけばいいじゃない。そこそこ幸せでいいじゃない。

そもそも、正しい、正義っていう価値観自体、統治したいからとか、社会運営をうまく行くためとか、汚れたといえば汚れた目的があって行われることであって、
第一、正直者が正しいっていう価値観自体、本当なのか。
こーやって、騙し騙しやってくのが人間ってことでいいんじゃないか。



みんなが本当に独立して考えていたとしたら、良心的な方が勝つ。数が多い。
でもみんなそうやって動かないんだよって思って、みんな腐っている。
みんな、みんながしないからだって、責任をよそに置いている。
そう考える人間がみんな、仮に一度に心を入れ替えたら、世の中に不正はなくなる。
しかしどこにでも不正を行う人間はいるから、自分だけ損しないように、みんなずるをしているのが今。
ずるはいけませんよと監視すればいいんじゃないかっていうのが法律とか。けどこの人たちも、弱者だしずるい。

理想なんだね、って結論になる。



こういう問題提起がなされたこと、こんなややこしい問題が、物語としてまとまり、主張としてまとまったことはすごい労力だ。技術だ。
まだ、批判の仕方が大雑把だ。こういう構造、段階を踏んで不幸は生まれるとして、ちょっとづつ段階に変化をつけるための、策が必要になる。
まだ、もっと行けるはず。まだ頭が悪いから、みんな悪なんだ。

行動に目を向ければ、いつも悪事をしているが、心に目を向ければ、これもまたいつも、正義を求める心はある。ただ、正義って何って話だし、自分の幸せに正義が必要、いいかえれば、自己肯定感を求めているだけかもしれない。


正義を追っかけても幸せにならないのなら、正義なんかどうでもいいんじゃないかな。正義信者には、正義を第一に考える人には、偽善のように映るかもしれないが。エンターテイメントだったな。



けど、売上がすこし下がることと、誰か他人の生活のすべてを秤にかけたとき、少しの利益じゃなくって他人の生活を優先するくらいの心のゆとりは持つべきじゃないのか。
べきー?そこでこうした方がいい、ってのも個人の価値観に過ぎないじゃないか。


一個人が、全体のことを考えるなんて、そううまく行くもんじゃないんだ。自分とその周りで幸せをつくれるようにしていれば、それでいいんだ。それが精一杯なんだ。全体を統治する権力なんて、当てにはできないものなんだから、くらいのポジションであれば、物事はもっとうまくいくんじゃないか。

それとも、全体の統治がうまくいってるからこその、こういった平和なのか。そうだろうね。小さく独立すれば、いつかまとめてもっと上にってのが出てくるか。