ろばの休日

at 2004 06/28 16:59 編集

今日は休日だが、自分でも驚くほどあらゆることにやる気が出ない。

おそらく体力が衰えていた時期に、休日に休まなかったために平日につらい思いをしたときの記憶がどこかに刷り込まれているのかもしれない。

体力は少しづつだが回復しつつあり、休日になると頭が痛くなったり気分が悪くなることはだんだん少なくなってきた。

今日も最初パソコンをやりすぎて目が疲れたが、いつもなら頭痛に発展するところ、五分から十分ほど昼寝をしたらすっきり回復した。

眼精疲労というのは、目の中の筋肉だけではなく、首や肩の筋肉も疲労するのだから、筋トレによってある程度疲労を防げるのかもしれない。

それにしてもやる気が出ない。どうにか風呂に入り、食器を洗ったのが精一杯で、本を読むわけでもなく、テレビを見るわけでもなく、ただごろごろしている。それでいて、起き上がるのが億劫で横になっていると心地よいという疲労感覚でもない。

ただ、これも仮説だが、なれない人間関係や仕事のストレスで、登校拒否のごとく体調を崩したり、鬱病ではなくても、きわめて憂鬱な状態が数ヶ月ほど断続的に続いてきたことの反動を少しづつ怠惰という形で放出しているのかもしれない。

プレートテクトニクスによれば、太平洋側のプレートが日本の真下にもぐりこんでいてそのゆがみが岩盤にたまって行く。たまったゆがみが一気に放出されると、大地震が起きるという。

鬱病パニック障害というのは、ゆがみが地震として放出するのではなく、ぽっきりと岩盤がゆがみに耐えられずに折れてしまうような状態であろう。

幸い人を殴ったり、酒を飲みすぎたり、オカルトにはまったり、というような目立つ方法ではなく、怠けるという最小限の方法でゆがみを少しづつ開放できているならばそれでいい。ただし、それが習慣化すると明らかによくないのだが。

一応の目論見では、文体論の話を自分なりにまとめ、ここに引用文なども混ぜた論文とはいわなくても硬めのエッセーとして掲載するつもりであった。

というのはここにはいつも書くことと考えることが同時に進み、推敲もせずに投稿しているため、後で読み返すと自分自身でさえ読みづらいひどい文章を書いてしまっているから、たまにはきちんとまとめてみたかった。

折に触れて、考えを述べていくスタイルと当分続けていくしかないのかもしれない。

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話は変わるが暑さは苦手で、べたべたした感じが不快でならない。断然夏のほうが嫌いなのだが、よく考えてみるとだらだら家で汗をかいているときは、むしろサウナに行っているような快感があって暑くてもさほど気にならない。

不快なのは仕事から家に帰ってきたときなどが一番不快だ。考えてみるに、やはり日本に暮らしていくには洋服は気候的に合っていないのである。しかも、世の中異常なほどの清潔志向であり、かなり不潔でもいい自分としても周りの人に迷惑になると思うとあまり汗臭かったり、ぎとぎと見苦しかったりするとよくないという思いが自分の中にある。そうするとシャツが汗ばんだりして張り付くことが余計に不快に感じる。

家の中ではそういう気遣いモードがなくなるから、汗が流れれば吹けばよし。不潔になれば風呂に入ればよしで非常に気楽で、温度が高いという以外のストレスはない。

要するに、仕事中などの暑さに対する不快感は、自分の中のルールみたいなものによるものがかなり高いと思う。

汗だくで当たり前の肉体労働の職場なら、また暑さに対する感覚も違ってくるはずだ。

こういうことにもっともっと気づいていきたい。こういうきづきを、文体論的視点につなげていければいいと思う。

これから中野駅周辺にて散策をしてこようと思う。