ホーソン実験を思い出してみた

よしもと氏、バイトの子、店長、みんな不快な結果になってしまって、哀しいエピソードですよね。


本来の理想形は、変化球投げてくる客には、千空さんの書かれたような、こちらかも仕掛けるという対応が一番いいんだと思います。


でもちょっとひねくれて考えて見ると、実は店長はお店の売り上げを真剣に考えていないのかも、と、うがった見方も可能かなと思ってます。


経営学の教科書に必ず出てくる「ホーソン実験」というのがあります。

その中で、工員たちの中にある暗黙のルールというのが明らかにされました。

・汝、働きすぎることなかれ→一人が突出して良い成績を上げると、他の人も全力でやればもっと働けることがばれちゃうから。

・汝、怠けすぎることなかれ→他の人の負担が増えるし、上から目をつけられて怒られるから

・汝、秘密を漏らすことなかれ→上に現場の情報は必要以上に伝えるな。


もう完全に事なかれ主義というか、その日その日をやり過ごしていこうという態度ですね。志高いAGORIANの対極にあるような態度であります(笑)

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何が言いたいのかというと、店長個人にとっての短期的利益と、お店の売り上げを上げるというチェーンの目的が完全に合致していないために、ホーソン実験で明らかになったような「現場の事なかれ主義」が店長を支配していたのではないか、ということです。


「いいよもう、二三千円売り上げが減っても、それは会社の上部には店長の俺の責任としては見えない。でも、うるさい客が長くい続けて無茶を言ってきたり、クレームをつけてくるほうが俺には損だ。なんか話がこじれれば、本部に報告されて起こられるかもしれない。ったく、バイトの餓鬼も、責任も取れないくせにいきがってよけない事してんじゃねえ!」


という考えがあったのかもしれないです。だから、あえて不快な思いをさせて吉本氏をさっさと帰らせてしまった。そして、残念な事に、よほどのことがない限り、チェーンの居酒屋はほぼ立地と競合店の近さで、売り上げが保障されてしまうという現実もあるのかもしれない・・・


これは全て私の推測といか空想なので、だからどうだとは言えないんですが、なぜを五回くりかえす、で「どうして店長は頭が硬かったのか」と考えてみた次第です。


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日記では、よしもとさんを主に批判してみたので、今度は店長さんを批判してみました。

もし、自分がチェーンのエリアマネージャーだったら、消極的な店長、事なかれ主義な店長をどう指導するか、とか考えて見るとなかなか難しいです。

パーティが終わった国で生きるということ@泥酔

よしもとばなな氏のエッセイを取り上げたブログが話題を呼んでいる。

私なりに要約すると、

よしもとばなな氏が、チェーンの居酒屋にワインを持ち込んでこそこそ飲もうとしてたが、バイトの子に頼んでグラスを出してもらった。そしたら、そのバイトが店長に怒られ、店長に持ち込みはノーとはっきり拒絶された。

という話だ。

おまけとして、よしもと氏が、自分たちのような特別な人にサービスをするのが成功のポイントなのに、アホな店長だ、という負け惜しみ的なコメントをつけている。



ほとんどのコメントは、店長の態度もかたくな過ぎるが、よしもと氏は何様だ?というもの。

だが、比較的年長者にはよしもと氏への同調も多い。マニュアルマニュアルで日本は冷たい連中ばかりの社会になっちゃった、と。


よしもと氏自身もエッセイで触れているのだが、あの店長は(よしもと氏より年下らしい)日本のいい時をしらない人たちなんだな〜という侮蔑をしている。

その店長よりさらに年下である(と思われる)自分には、正直よしもとばなな氏の態度はなによりも不愉快に感じられる。

そんな中、我が意を得たりというブログを見つけた。

http://d.hatena.ne.jp/kazu-ct/20090819/1250690528
(引用開始)

いわゆるバブル時代に支配的だった感覚の、現代の感覚と比べての大きな特徴(「いいときの日本を知らないのね」というときの具体的な中身)というと、僕が第一に思いつくのは「ごく個別的な、あるいは偶発的な、ちょっとしたニュアンスを高く評価すること。ひいてはそんなニュアンスの違いに気付ける人(自分)って何て素晴らしいんでしょという内輪褒め感覚」だ。

(引用終了)




ちなみに、はてなブログを中心に盛り上がっているこのトピックス。比較的内向的で都会的な人が多い層が盛り上がっているので、よしもとばななは何様?的なコメントが多いが、個人的には、世代に関係なく、実はよしもとばなな氏に近い感覚の人のほうがまだまだ多いとも思っている。

別に二十代でも、「サービス業は客にノーを言わないのが基本」という人も多いだろう。自分は全然そうは思えないし、思えない人が結構いるからこそ、今回のネット騒動にもなったんだと思うが。


うまくいえないんだが、いろんなところで軋轢というか、「あいつらなんなんだよ」互いに言い合っている、理解しあえない「常識の断層」が社会のあちこちにあるような気がする。

その断層の一端を垣間見ることができたので、このネット騒動はすごく面白かった。



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先日久しぶりに読んだ「ザ・シェフ」でもそうだけど、よしもと氏のいうような「非人間的なマニュアル人間ども」と人間らしさを求める人間の対立が確かにある。紹介したブログの言うように、日本が調子のいいときは、そういう気配りをする余裕もまだあった。でも今は違う。


もうパーティは終わったんだよ。ホールは照明が落とされ、ドアの向こうでは何かは分からないけど、不吉な音がしている、そんな状況なんだよ、日本は。(映画、「暗殺の森」で、盲人の集まるパーティがあったが、そんな感じに近い)

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会社の規定に無い持ち込み料をもらっても、店長は多分(まあばれないだろうから大丈夫だけど)、理屈で言えば、会社の評価としてはマイナスになる。それをどう経理的に処理するか定まっていないだろうから、店の非公式なプール金にでもするしかないはず。


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だけれども、人間性を求めているつもりの多くの人々が、マニュアル化した社会では「モンスター○○」となってしまうのが悲しい現実だ。

興味が沸いて、よしもとばなな氏の公開日記を読んでみたが、そこに描かれているのは、行く先々で、猛烈なクレーマーとして扱われ、腫れ物にさわるように扱われ、その度に「あいつらはマニュアルに縛られかわいそうに」と負け惜しみをいうよしもと氏の姿だった。

子どもらしさ、ルールに縛られない自由を求める精神は素晴らしいのだけど、それが大人になってもそのままであると、単なる傲慢な人になる。そこが難しいところだと思った。

ジョブズじゃないけど、ステイフーリッシュ、それは素晴らしい言葉だ。自分の座右の銘にしたい。でも、よしもと氏みたいな大人にはなりたくない。
よしもと氏は自分が餓鬼っぽいとか、フーリッシュだとか露ほども自覚していないんだろうな。



なんだこいつは?というような呆れるような人でも、その人の主観では、生き生きとした人間らしさを求める感性が働いているのかもしれない。そう思えるようになっただけでも、自分はちょっとだけ成長できた気がする。

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どういうわけか、もう一方の極端な人として、勝間和代さんの存在を考えてしまう。

そのことについてはいずれまた書くかもしれない。




二つの特別



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一人あたり、2〜3万という、そこそこいただいているホテルというサービス業にいる自分にとって、いささか考えさせられる内容だったので、自分なりに思い浮かんだ事を書いておきたい。

元になったブログはこれ。はてなブックマークなどで検索すると、おびただしい数のブロガーたちのコメントがひっかかります。

http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=2009...


言わずもがなですが、よしもとばななさんを批判するとか、この個別のケースのよしあしを論じるつもりは無いんです。(だって元の本を読まないと本当のことってわかりませんものね。)


飲食業では基本的には飲食物の持ち込みはご法度です。

バイトの人はどうして持ち込みを許可したのか。

ここで律儀に店長にお客様の要望を伝えて怒られて、お客さんと店長の板ばさみになるよりは、こそっとグラスだけだして(もうすぐ帰りそうだし)穏便に済ませようとしたら、アタマの硬い店長に見つかってしまった、という事なんじゃないかと思います。

多分、読んでいる多くの人が不快なのが、よしもとばななさんが、自分たちは貴様らと違う上の世界の人間だよ。それに媚売るのがお前らのチャンスなのに、それをしないとはダメな奴だな、という態度だとおもいます。


上流ぶりたいなら、それなりの格式の店にいって、チェーンの居酒屋なんかで特別扱いを強要しないで欲しい。私はそう率直に思いました。そして、この人たちはきっと独特の「自分たちは偉い」という雰囲気をアピールしていたんだとおもいます。

自分が店長なら、こういう自分が偉いと勘違いしているお客さんが一番やっかい(どんどん図に乗ってわがままを繰り返してくる)と思って、わざとマニュアル人間、相手の社会的地位が読み取れないアホを演じて、拒絶するだろう思いました。


よしもとばななさんは、自分に媚びるのが、お前のサクセスのチャンスとのたまっていますが、よしもとさんのおかげでどれだけチェーンの居酒屋にお客が入る事になるのか、まったく意味不明です。こういうのは本屋時代、ホテル時代もたくさんいた、迷惑なお客さんの典型的な思考パターンです。


あるいは、まあ、今回に限りと強調して、相手に不快感を与えつつ(そうしないと図に乗ってまた無理難題を言ってくるかもしれないから)、今回のわがままだけを見逃すかもしれないですが。100%素直にルール違反を許すというのは、店長として(チェーンの居酒屋ですよ)ありえないだろうと思います。

とここまで書いてきて、サービス業として、やっぱり自分の考えは向いていないのかもしれないな〜とも思いました。



リッツカールトンの本に書いてあるような、どこまでお客様の要望にこたえるか、あるいはそれを上回ってサプライズさせるか、という仕事に憧れもありますが、通常のサービス業は限界があります。


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その限界をどうにかしたい!と思わせる「特別な客」というのも確かにいるんです。

それは、「俺のサクセスにつながるから、このグレードの高い特別な方にサービスしたい」というのではありません。すみません、よしもとさんが知っているという「いいときの日本」なんざ○○くらえでございます。





ホテルなら、ごくありふれた家族が、定年退職したお父さんの為に奮発して泊まりに来てくださったり、じいちゃん、ばあちゃんの長寿を祝って親族が集まったり・・・そういう人たちには多少でも無理したくなるのが人情です。

本屋時代であれば「私はニホン大好きで〜す。時代劇ビデオたくさんみました。金さん、暴れん坊ショー軍、特にファイヤマン(火消しのことらしい)大好きで〜す」という外国人がいたら、できるだけ彼の探している時代劇の写真集をみつけてあげたいという気持ちになります。残念ながら、め組とかのファイヤマンの写真集は、お店にありませんでしたが(笑)

病院のそばの医学書専門店にいたとき、真っ青な顔をした中年女性が飛び込んできて、たったいまガンを宣告された、ガンの勉強をしたいから本を紹介してくれといわれた時は、わからないなりにこっちも本気で調べた思い出もあります。





例の店長がどうだったのかわかりませんが自分なら、そのワインが、皆の気持ちの上でどう「特別」なのかを説明してもらえれば、こそこそ隠しのみしようとしたり、逆に偉ぶった態度で押し通そうとしたりしなければ、自分が店長なら快くOKしたかと思います。


それが正しい判断かは別にして(またグレード高い人にサービスしてチャンスをつかむという処世術を否定するつもりも全然無いですが)、よしもとさんがアピールするような意味の「特別」じゃなく、「海外に行ってしまう人が持ってきた私たちにとってはこれしかないという特別なワイン」のような特別さを大事にする人間でいたいな。

今後サービス業に就くかどうかわかりませんが、そういう思いがこみ上げてきたので書いておきます。

ロイター通信中国語にも登場!【草食系男子関連】




きょろさんに教えてもらいました。

そっか、世間からはRoshinanteは「社交生活を拒絶の事よ」と言われてしまうのか・・・(汗)

「こげなこつ言いふらして、日本男児の恥さらしが!」と攘夷派のサムライに襲われたらどうしよう・・・(笑)

http://cn.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idCNCHINA-1...

路透东京7月27日电(记者 Yumi Otagaki)---酒店工作人员Roshinante对于追求女性毫无兴趣、无意于职业发展,并对汽车感到厌烦――像他这样选择与世无争的安静生活的人不在少数。

现年31岁,喜欢在网络虚拟空间中匿名的Roshinante,是被媒体称作“食草男”中的一员,目前这个群体正在不断筯长,在恋爱、工作及应对经济危机消费方面,他们正在拒绝传统的男性观念。

随着经济泡沫的出现,这些男人放弃了曾经以事业为重、努力挣钱的目标,拒绝扮演日本传统男性的角色,这个转变被看作是日本经济危机下男性幻灭不断筯长的征兆。

Roshinante说:“我从小就讨厌人们告诉我‘要像个男人’。”他现在经营日本知名社交网站Mixi上的一个论坛,专门供人们坦诚讨论食草行为。

在过去的数十年,日本男人从高中或大学毕业後就会从事全职工作,然後结婚生子并养家糊口。

作为大学毕业生的Roshinante并不打算遵循这样的人生道路。他在一次电话采访中说:“我并不认为我父母的生活道路适合我。我仍在传统观念中的男性形象和我的真实样子之间挣扎。”

在M1 F1 Soken公司对1,000名年龄在20岁到34岁之间的男性进行的调查中,近半数男性称他们是“食草的”,意思是他们在追求女人方面很被动。

调查显示,多数食草男缺乏自信,喜欢独处,并且沉溺网络。(完)

编译:黎黎 发稿:胡碰


路透东京7月27日电(记者 Yumi Otagaki)---酒店工作人员Roshinante对于追求女性毫无兴趣、无意于职业发展,并对汽车感到厌烦――像他这样选择与世无争的安静生活的人不在少数。

现年31岁,喜欢在网络虚拟空间中匿名的Roshinante,是被媒体称作“食草男”中的一员,目前这个群体正在不断筯长,在恋爱、工作及应对经济危机消费方面,他们正在拒绝传统的男性观念。

随着经济泡沫的出现,这些男人放弃了曾经以事业为重、努力挣钱的目标,拒绝扮演日本传统男性的角色,这个转变被看作是日本经济危机下男性幻灭不断筯长的征兆。

Roshinante说:“我从小就讨厌人们告诉我‘要像个男人’。”他现在经营日本知名社交网站Mixi上的一个论坛,专门供人们坦诚讨论食草行为。

在过去的数十年,日本男人从高中或大学毕业後就会从事全职工作,然後结婚生子并养家糊口。

作为大学毕业生的Roshinante并不打算遵循这样的人生道路。他在一次电话采访中说:“我并不认为我父母的生活道路适合我。我仍在传统观念中的男性形象和我的真实样子之间挣扎。”

在M1 F1 Soken公司对1,000名年龄在20岁到34岁之间的男性进行的调查中,近半数男性称他们是“食草的”,意思是他们在追求女人方面很被动。

调查显示,多数食草男缺乏自信,喜欢独处,并且沉溺网络。(完)

编译:黎黎 发稿:胡碰

ロイター通信に私の記事が出ました。

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草食系男子関連でロイター通信から受けた取材が、記事になりました。

英語は得意ではない私ですが、自分のインタビューの内容だし難しい政治用語も使われていないので大体読めました。



予想外に私の考えた事やインタビューの内容が反映されていて、マスコミの人への不信感が無くなりました。むしろ自分の考えが整理されるいい機会になりました。


あ、ろしなんて=mixiでの私のハンドルネームです。

ここには他人から見た、自分の姿があって、こっから自分がどう進んでいくかの出発点を認識するために、とても貴重なスナップショットになったと思います。ここからもっと自分は変わって行きたいとも思っています。

草食系に関してコミュニティFMへの出演依頼(っつても数分でしょうけど)も来て、正直草食系とは距離を置きたいこころもありつつ、ブームなうちにいろいろ面白い経験できたらいいなとも思ってます。



http://www.reuters.com/article/newsOne/idUSTRE56Q0C220090727

By Yumi Otagaki
TOKYO, July 27 (Reuters Life!) - Hotel worker Roshinante has no interest in actively pursuing women, is nonchalant about a career and finds cars a bore -- and he is not alone in opting for a quiet, uncompetitive lifestyle.
Roshinante, 31, who prefers the anonymity of his online handle, is one of a growing group of men dubbed "herbivorous boys" by the media, who are rejecting traditional masculinity when it comes to romance, jobs and consumption in an apparent reaction to the tougher economy.
Forget being a workaholic, corporate salary-man. These men, raised as the economic bubble burst, are turning their backs on Japan's stereotypical male roles in what is seen as a symptom of growing disillusionment in their country's troubled economy.
"Since I was a child, I hated people telling me, 'Behave like a man'," said Roshinante, who runs a forum on popular Japanese social network site Mixi for frank discussion about herbivores.
For decades, Japanese men were expected to work full-time after graduating from high school or college, marry and support their wife and children.
Roshinante, a university graduate, has no plans to follow that path.
"I don't think my parents' way of life is for me," he said in a telephone interview. "I still struggle between the traditional notion of how men should be and how I am."
Almost half of 1,000 men aged 20-34 surveyed by market research firm M1 F1 Soken identified themselves as "herbivorous", defined literally as grass-eating but in this context as not being interested in flesh or passive about pursuing women.
The media hype has sent marketing experts scurrying to see if there is money to be made from herbivores, many of whom are spending more time and money on their appearance.
"We cannot ignore herbivorous boys because they are almost a majority," said Shigeru Sakai, a researcher at M1 F1 Soken.
Most herbivorous boys lack self-confidence, like to spend time alone, and use the Internet a lot, the survey showed.
The mindset appears to be a reaction to the end of Japan's late 1980s "bubble economy" of soaring asset prices, when everything looked rosy, and a subsequent economic slump.
"Herbivorous men always existed," said columnist Maki Fukasawa, who is credited with coining the term. "But the bursting of the bubble and the collapse of lifetime employment contributed to their increase."
Experiencing tough times has given this new breed of men different attitudes about consumption.
"In the bubble era, whatever led to consumption was good and people measured their worth by money," Fukasawa said. "But herbivorous men don't buy things to show off."
Partly, at least, that's because they can't afford to.
Their generation joined the work force after deregulation measures helped to swell the ranks of contract and other non-regular employees to about one-third of all workers.
Roshinante worked part-time until two years ago, when he took a full-time post at a hotel chain. But he's still anxious about the future.
"At my previous workplace, a whole bunch of managers in their 40s and 50s were laid off," Roshinante said.
Marriage isn't on his agenda at the moment, but he couldn't afford it even if it were.
"I think there are many part-time workers who cannot get a full-time job and cannot plan their life and marriage. That is also the case of romantic relationships. While they don't want to follow the traditional model, they don't know what to do," he said.

屁理屈と不動心



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当たり前のことに今更気がついて書いてみます。


実践が出来ているわけではないのだが、日常生活における自分の感情の多くが不適切なのではないか、と感じるようになって来た。

これは卑下しているとかではなくて、自分以外のほとんどの人にとっても当てはまることではないかとも思う。



具体的にどういうことが言いたいのか。

人生とは問題解決の連続であると考えると、そこに発生する感情は本質的に必要なものではないと言いたいのだ。

人は何かをするときに、緊張したり怒ったり悲しんだり、喜んだり期待してわくわくしたりという様々な感情に突き動かされて行動するが、その時の感情が必ずしも問題解決に役立っていないのではないか?


カッとして失敗してしまう事は、一般によくあることだし、勝ってカブトの緒を締めよというように、落ち着けば気がつく危険信号を調子こき過ぎて見逃したり・・・誰でも覚えが有ると思う。


この「落ち着いて考えれば」というところが大事で、自分を落ち着かせてくれない感情の動きは、少なくとも問題を解決する為には邪魔なんだと思う。


ここで問題解決という表現には誤解を招きやすいところがあるかもしれないので補足しておく。

問題解決というと、ペーパーテストとか、頭で考える問題をイメージしがちだが、バッターボックスで「球を見送るか、どんな感じで当てていくか」なんてのもまさに問題解決だ。


問題解決イコール行動なので、頭で考える理性的な部分だけでは何も解決しないということ。


ただ、ゴルゴ13のように常にクールであり続ければよいわけじゃない。我々は生き物であり、とくに社会を作ってその中で生きる生き物なので、感情を表現したりやり取りしたりする事は、問題解決に必要なのだ。

チーム一丸になって、困難に取り組む時とか、人を説得する時とか、女を口説くときとか、感情をきちんと表現できないとダメだろう。

いるよね、正論ばっかりいうけどなんかあの人の正論には従いたくないなって人・・・え、俺のことだって?(苦笑)

そういう人は、感情的なチューニングが間違っているので人々の理屈のチャンネルでは意見を伝達できても、感情のチャンネルで拒否されているのだ。


それこそ言葉はとつとつとしていても、心を打ったり人を動かす人もいる。それは感情が問題解決にいかに重要かを示している。

でもヒトラーみたいに、人の感情面だけに強く影響力して、とんでもない方向に人々を導いてしまう場合もある。どんな時だって、感情面、理性面の両方のバランスが必要で、できれば自分の中で両方を自覚的に切り離せるのが望ましいということではないか。



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要は、問題解決という視点を根本に置けば、おのずと自分が今持つべき感情の種類とその度合いが決まってくると言いたいのだ。


だけども、圧倒的多くの人は逆で、感情の自然な動きに対応して問題解決しようとしている。


だから主体性に欠ける。

まあ、普段は主体性に欠けても別にかまわない。

一般の日常生活をしている分には(常識とかがカバーできる範囲で、常識というぼんやりしたものに従っていれば大体うまく行くから)問題ない。

けれども、普段と違う事をやろうとしたり直面したりして、それぞれの答えを出さないといけなくなると、自然にわきあがる(訓練されていない)感情にしたがっていても、常識は答えを与えてくれない。

その時に、主体的に考えて行動できないと、いい結果にはなかなかたどり着けない。



私は短気、臆病などでいつも失敗する事が多い。いわば心が包茎で、刺激に対して過敏すぎるという事なのだろう。渦中に飲み込まれて自分や人の感情面に左右されてしまうのだ。


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言ってみれば、不動心がいかに大事か、という事なんだがこの不動心は単に宗教的な修行とかじゃなくて、問題解決という理性と結びついてこそ意味があるんじゃないだろうか。


何事にも揺るがない「だけ」なら、ただ鈍感なだけだろうから。揺るがない心をもって、何を成し遂げるか、それこそが真のその人の価値につながるだろう。

テレビを見ながらねっころがっているときだって、心は何事にも揺らいでいないから。

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まとめ


※だから、何事も「問題解決」だと肝に銘じて、その邪魔になる感情を出来るだけコントロールする。すると、ほとんどの感情が自然の状態のままでは問題解決には不適切なレベルにチューニングされている事に気がつく。

※問題解決は、何らかの行動を伴わないと不可能。問題解決イコール行動。

※どのような感情のチューニングが、問題解決=行動にふさわしいかは、まさに問題解決してみないとわからない(カッカとしすぎた、警戒しすぎて臆病すぎたなど)。

※何もしなければ、何もしようとしなければ、問題に直面しない(あるいは見てみぬふりができる)から、低いレベルでの不動心は容易に達成できる。部屋でテレビを見て寝転がっていれば、心は穏やかだが、そのような時間は何も生み出さない。不動なだけでよろしいなら、漬物石が一番偉い。

※目指すべきは、ただの不動心ではなく、何事かをなしうるのに役立つ高いレベルでの不動心。(心理学者チクセントミハイは、これを心のエントロピーに対処する能力と表現している。エントロピーとはここでは秩序を乱す混乱の比ゆ)



で、屁理屈については、長くなったので次にまわします。

*仕事での発言 2005-01-24 23:04:41
 今日も少し仕事に対して新たに考えたり、感じたことがあるので書く。

 以前、私は社会的に求められる能力、勉強をしたり、仕事をしたり、対人関係をこなしたり、ということが元来ものすごく苦手で、結局余計ないことはしない、という消極的な性格になってしまった、とブログに書いた。

 アルバイト(仕事によってはバイトでも大いに求められると思う。私の場合はそういうアルバイトを最初から避けてきた。)と違って、はるかに自分で仕事を作り、自分で行動していかなくてはいけない。指示を待っているやつは要らない、ということなのだ。だが染み付いた消極性は一朝一夕には消えない。それが悩みだ。

 自分の消極性を省みて、そこには無責任・怠惰が横たわっていると感じた。言いにくいがいうべきことを言えないのだ。そのときはもっともらしい相手を気遣ったり、今は忙しいからと自分に言い訳しているが、そのとき考慮しているのは結局自分の感情だけである。相手を考えているようで、相手によって自分が感情的にダメージを受ける可能性だけを考えているのである。

 こんなんじゃ、仕事にならない。

 今のようにいつも口ごもっているわけではないが、そういうつい言葉を飲み込んでしまう失敗が多いのは事実だ。

 これ「慣れ」が必要なことだろう。とにかくうまく行かなくてもいいから挑戦し続ければ、感情的な心が「意外に思ったほどきつくない。というかぐじぐじ悩むより言うべきことは言ったほうがすっきりしていいぞ」と納得してくるはずだ。

 また、ぐじぐじ考えているだけでなくこのブログに書き込むというのは僕にとって大いにプラスになっている気がする。

 今日はもう寝る時間なので、ちょっと中途半端だがここで終わる。