マージナリアによせて

●1 DEFINE YOUR DISCIPLINE

※自分の専門とする学問を定義せよ、というお題。何か面白くしよう、と思うと200字という制限ではとても無理で、ついつい「文化人類学」を3つも書いてしまった。お気に入りは一つ目。

文化人類学
・人類学者は、そう、探偵に近い。ただし、ホームズとワトソンの両面を持つ必要がある。ホームズのように、「観察」し、事件/文化に「参与」し、一方ワトソンのように、第三者的な視点からそれを一冊の物語/民族誌に仕立てる。だからこそ、良質な民族誌には、どこかミステリ小説を読むときの面白さがある。事件が解決しても犯罪の全てがわからないように、文化を分析しても人類の謎が解けることはない。

文化人類学
・文化ってついてるくせに「文化とは何か」と考えたあげく「文化なんて構築物じゃー!」と否定したりするし、「人類」ってついてるくせに、「人類なんてくくりおかしいんじゃない?」って疑い始めたりもする。ポストコロニアルと言って反省したり、構造と言ってはあちこち横断してもみる。過去の名作民族誌を眺め、いや、これぶっ飛ばして次にすすむんじゃ、と一念発起してみたり、いつまでも若い学問である。

文化人類学
・法人類学/科学人類学/医療人類学/芸術人類学、エトセトラ、エトセトラ……「一人一学問」とか「半学問」などと言われることのある文化人類学。まあ、なんでもあり。「本当に体系持った学問なの?」という疑いは学ぶほどに強まったりして。どうにか言えそうな共通点は「フィールドワークして」「民族誌を書く」ことくらい。「徹底的に他者から考える学問だ!」とある先生の言葉が心に残っています。

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●2 6冊書評

※「自然に関わる単語二つ」をタイトルに入れて、それに関連付け6冊の本を紹介する。

題 「子どもとりゅう」
 わたし、「題名に自然に関わる単語を2ついれろ」っていう指定を眉間にしわ寄せてじっと見つめる。えっ、「子ども」って自然に関わりあるよね? 文化人類学とかで良く出てくるんだよー。子どもは、まだ人間側じゃなくて、自然サイドにいる、って話。ほら、7歳くらいになって、通過儀礼みたいなのやって、ようやく「人間」として認められるー、みたいなの、聞いたことない? 「7歳まではカミのうち」なんて言葉、日本にもあるじゃない。よし、じゃあこれは許してもらえたということで。「りゅう」はいいでしょ? ドラゴン。火とか吹くし、めっちゃ自然! 大災害なんかを「りゅうのせいだ!」って言ってみたりもする。自然そのもの、自然の象徴! 
 とまあ、そんなわけで一冊目に繋げたかったの。『エルマーになった子どもたち』むかーしむかし、とある保育園でのお話。「園児たちの想像力ってすっごいよね!」「じゃあ、今年はそこを伸ばす保育をしよう!」ってな感じで、保育士さんは「想像遊び」ってのを考えた。まず下準備、子どもたちに『エルマーのぼうけん』を読み聞かせます。(みんなも読まなかった? 懐かしいね!)そこでひと言。「今度遠足に行く山で、おじいさんがりゅうを見たんだって!」さあ大変、子どもたちは大騒ぎです。「どうやったらりゅうに会えるかな?」探検のはじまりはじまり!
 遠足のときも、保育士さんはうまいことやって、りゅうの存在を子どもたちに信じこませるんだよね。面白いのはその後。ひと度「りゅうはいる!」って確信した子どもたちはね、公園で猫を見れば「あれ、エルマーが飼ってた猫だよ!」植物図鑑で本に出てくる野菜を見つけては、「やっぱりほんとの話なんだ!」と、見るもの聞くものなんでもかんでも、手当たりしだいに吸い込んでって、「りゅう」すなわちファンタジーの存在を、もっと強固に、もっとはっきりと――「りゅうは、何億年の間、ひっそり生き続けてきたんだ」「ねえ、ぼくたちとりゅうの出会いを劇にしない?」物語は速度を増して、それは現実よりも現実、それは想像力で築き上げられたお城、それはもはや、神話の誕生だ〜! 
 こういう保育実践の話、いくつかあったんだけど、わたしがつい涙ぐんじゃうのはね、どれもが子どもたちの幸せな笑顔であふれてるとこ。幸福なまどろみの中で、子らよ、どうか、良い夢を。あなたも、そういう幸せな思い出、あった? あ、もしかしたら、これ読んで思い出したとか!?
 でも、想像力は怖いかいぶつみたいなものでもある。子ども自身を食い殺しちゃうことだってあるかもしれない。そんな話が『GOGOモンスター』っていうマンガ。見えないかいぶつが見えてしまう男の子のお話。太陽サンサン、自然はとてもあたたかいけど、夜の暗闇は怖くて得体が知れない。人間の心の中にも、くらい深淵が広がってて、けど想像力はそこからやってくるのかもしれないね。
 こんなことを現実で研究したのが、『現場の心理学』って本に入ってる「他の人には見えない友人をもつこと」っていう文章だよ。「イマジナリー・フレンド」なんて言葉、聞いたことある? 子どものときに現れる「想像上の友達」。「うちのこ、なんだかおかしいんです。見えないお友達がそこに『いる』って」……なーんてことに中々ならない理由は、子どもがそれを「秘密」にするから。わたしね、「秘密」ってのが、想像力のはじまりなんだ、って気がする。ゼミ生の一人が「秘密」を教授に打ち明けることで、彼女の「想像上の友達」が出てこなくなっちゃう。教授は、自分がそのゼミ生の友達を「殺して」しまった、って悩むんだけど、本題の心理学的な分析よりも、そっちの葛藤の方が面白かったなぁ。
 『Trusting What You're Told』って本では、子どもたちが、大人に言われたことをどれくらい、どんな風に信じるか、っていうことを詳しく見ていくんだ。発達心理学の本なんだけど、とにかく実験の一つ一つが面白いの。「これは魔法の箱ですよ〜絵を入れると本物が出てきます」「ねえ、神様と、バイキンと、人魚。どれとなら遊べる? どれなら触れる?」そんな感じで、子どもたちの反応を見るのも楽しい。英語を一生懸命読んだけど、翻訳も出てほしいなぁ。
 人類学から、人間がどんな風に「信じる」のか考えたのが『呪術・科学・宗教』という学術書。「融即」って言葉がポイント。「融合」の融、「融け合ってる」そんな思考のことだよ。世界と自分の境界線が、あやふやになっていく。「わたし」が「わたしの外側」まで溢れだしていく。お母さんと赤ん坊とか、自分と自分の住んでいる土地とか、「わたしと自然」「私と世界」がいっしょくたになってるようなとき。子どもたちが、目一杯に想像力を働かせてるときも、現実とファンタジーが融け合ってるんじゃないのかなぁ、って思うんだ。
 もう100年も前に、子どもの想像の世界をステキに描いた本が、みーんな知ってる『くまのプーさん』何度読んでも、はぁ、奇跡の一冊だー。人間も、動物も、あの秘密の場所へ、いつでも戻っていくことが出来るんだよね。終わりの1行、「ふたりの行った先がどこであろうと、その途中にどんなことがおころうと、あの森の魔法の場所には、ひとりの少年とその子のクマが、いつも遊んでいることでしょう」えっ、ディズニーアニメの方しか見てないのかよー。じゃあ、早く読んでよね。そしたら、あの100エーカーの森で、また会おうね。「また」って、何かって? わたしと前に会ったこと、忘れちゃったの? ほら、思い出してみて……

『エルマーになった子どもたち』岩附啓子, 河崎道夫 ひとなる書房
GOGOモンスター松本大洋 小学館
『現場の心理学』麻生武・浜田寿美男かもがわ出版
『Trusting What You're Told』Harris Harvard University Press
『呪術、科学、宗教』タンバイア 思文閣出版
くまのプーさん』 A.A.ミルン 岩波少年文庫

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●3 テーマ論説 
※「自由」というテーマのみが決められている。4000字以内。
※ちょうど先日の卒業式に、「安田講堂落成式」が七割って感じの答辞を聞かされ、カウンターで「ニセ総長のニセ答辞」なるものを書いたので、それを転載。

題 「自由で幸福な東大卒業生」

「俺さぁ、これまでタフとかグローバルとか、市民的エリートがどうのって言ってきたけど、正直そんなのは二の次三の次でいいんだよ。君らはどうか、自由に生きてくれ。夏が終わるまでの短い命を必死に鳴きまくって生きるヒグラシみたいに自由に生きなさい。長い冬が明けて雪解けの日に、やっと外に出ることが出来て、若い緑の中を力の限りどこまでも駆け抜けていく犬のように自由に生きなさい。夕暮れの中、もうすぐチャイムがなりそうだけど、まだ遊び足りずにともだちの名前を呼ぶ子どもたちのように自由に生きなさい。そして幸福に生きなさい。その中で、もしかして誰かを幸福に出来るんなら、それはサイコーなことじゃないか! それが出来なくたってまるで構わない! 君が君を幸福に出来るなら。君が君を自由に出来るなら。

 君たちの多くは震災の年に入学して、テロの年に卒業する。君たちは混迷の時代に、東大とか知とか様々な義務とか責任を期待される。けれど、そんなものに耳を貸すな。そんなクソったれな声に耳を貸すな! 責任を背負いたいものは背負うがいい。それも自由だ。けれど、何よりもまず、どんなものからも自由に生きて、君の幸せを追うのだ! 知っているか? 君はこれまでも自由だった。学問の野原の中で、君はいくらでも自由になれた。学ぶことは君をもっと自由にしたか? むしろ不自由さが増して、生きるのが難しく感じるようになったか? いいや、それも君が選んだのだ。そこに確かな自由があったのだ。そして、君はこれからも自由だ。いつまでも、どこまでも! たとえその身が囚われたとしても、まだその理性が、理性が囚われても心が、心が囚われても、君の愛する人々が、友人たちが、君が自由だときっと言ってくれる。それが失われたとしても、君の得た知が、教養が、君が自由だときっと教えてくれる。それが失われたとしても、俺が、君が自由だといつも言ってやる! 

 君の自由を奪うような、君に責任と義務を押し付けるような、くそったれなことを言うやつに耳を貸すな! それでもうるさい奴がいるなら、俺のところに連れて来い。俺がそいつに言ってやる、俺が君たちに、自由に生きろと言ったのだと! 何がタフだ! 何がグローバルだ! そんなものからは今日限り解放されて、自由で幸福な東大卒業生になれ! さあ、君は今、幸福に続く自由の門をくぐるのだ、自由だ! 自由だ! ついに自由だ! 卒業おめでとう!」(帽子を投げる)(拍手)

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●4 短評

※柵の中にいる羊。3歳の子どもが「どうして、あの羊たちは逃げ出さないの?」と聞いてくるのに対し答えよ、というお題。

 <人間、この迷える子羊>
 <子どもの声は自分の内側から聞こえたものだった>

問 「どうして、あの羊たちは逃げ出さないの?」
答 「どうして、日本人たちは、放射性物質が燦々と降り注ぐあの国から逃げ出さないんだろう」

問 「どうして、あの羊たちは逃げ出さないの?」
答 「どうして、大学生は就職活動から逃げ出さないんだろう」

問 「どうして、あの羊たちは逃げ出さないの?」
答 「どうして、人々は結婚という制度から逃げ出さないんだろう」

問 「どうして、あの羊たちは逃げ出さないの?」
答 「どうして、人類はこの狭い地球という星から逃げ出さないんだろう」

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●5 自由投稿

※完全自由な投稿。今思いっきり書く余力がないのだけど、許されるなら小説を載せたい。
※以前書いたものだと、この辺り http://hosi.syuriken.jp/002-1.htm なんかをちょっと直して掲載したいなぁ、などと。