2009-06-29
■ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破について
破については思うところはいっぱいあるけど、それらを上手くまとめて書くことは多分できないなと思うので箇条書きにして書いていきたいと思う。
※ネタバレは含みます。
破を見る前に
破に期待していたのは、序で見えた新劇場版全体のテーマが貫徹されているかという点です。序についてどう見たかは前のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/dora_m/20090629/1246223143)で書きましたが、シンジ君がいかに成長するか。いかにヒーローになるのか。その一点だけでした。逆にその一点が覆されかねないという不安があって、俺はなんかエヴァにすごい期待してるんだなーという感じでした。
だから僕は予告で提示された新しい謎を示唆する部分、特にマリだとかマリとかマリなんかには、あまり興味が行きませんでした。シンジの成長という一点にのみ注視した人間がいかように破を見たか。そこだけに注力すれば少し面白くて、他とは違う価値を産みそうな気もするのでそういう視点で書いてみます。
あーあと作画オタクなんで作画的にプラスに取れる部分には反応してるんでその辺も書くかも。作画の質が落ちた? とかいう部分は視聴中気にならなかったので書かないかな。
マリと五号機
純粋にびっくりしました。破は楽しみすぎてCGがどうとかいう部分に一切目が行きませんでしたね。開始早々こんなアクション見せてくれるなんてーさすが! とかいう感想しかでない。CGだったんですねー……
アスカの登場
弐号機かっこいいですよね。磯作画で有名なAirのそれとは大違いで、すごい興奮しちゃいました。やっぱりAirのせいで弐号機かっこいいという印象がつよいので、そういう感動はありましたね。
第8の使途
シンジ−!
シ・ン・ジ! シ・ン・ジ! シ・ン・ジ!
シーンージー!!!!
シンジ君の見せ場がやってきました。エヴァが音速に近づく様……ソニックブームでたっけ? 音速超えてたかもしれないけどそのサマはほんとうに見事ですよね。最初は飛び越えながら走ってたエヴァが(その時点でも早いのに)その辺無視して全速力で走ると戦闘機並に加速できるというのがかっこよすぎる。短いシークエンスですが加速っぷりを見事に対比して描いてますね。
僕はこのシーンではわけもなく泣いてしまいました。多分シンジ君が頑張ってるというのもあると思うのですが、この使途との戦闘は作画のせいで結構思い入れが強かったんでどう変わるか不安でもあり、期待していたんですが、街があんな変形するなんて。思ってもみなかった。ビルジャンプして……すげえとしか言えなかった。
そしてシンジがジャスト止めて勝利! と思いきや。取っ組みあい。まさかコイツと取っ組み合うとは……。旧ロンギヌスの槍状に変形した槍に刺されたシンジを見たとき、また涙が。俺は多分シンジに惚れてる。シンジ頑張ってくれ……耐えろ……! アスカこいアスカアスカ……きたアスカ! レイー! たのむー!
とかなってもう訳がわかんなかったです。まさかこんな普通のアクションで泣くとか。どうなってんだ……俺は生きて新宿を出られるのか? と思いました。
学校と、ネルフでの生活
シンジの学園生活をみるに、彼は綾波やアスカに話かけるなどの積極性と、他人のお弁当を嬉々として作れるやさしさ、あまりに草食男子的なたたずまいとその笑顔、そして時折見せる影のある暗い部分とのギャップとすれ違いざまのいいにおい。いや、これでモテなかったら、おかしい。しょうがない。しょうがない。
味噌汁とか作ってもらってなんか親子関係も修復しちゃうんじゃないの? なんて思ったりもする。
その姿を見るに彼は序の時点で既に「ヒーロー」になっていて、自らの力だけで成長するのを描くのは難しいというのが見えてきます。ちょっと、尺が足りないよなって。そうすると彼には外部からなんらかの状況が持ち込まれてそれを克服することで、大きな成長を得るという筋が見えるのですが……まさかこのときはああなるとはね。
アッ――! シンジ君が大人の階段をのぼった瞬間でした。
ヒロインの描かれ方
レイアスカマリと、(ミサトは今回はヒロインから外されてますね)3人のヒロインが皆一様に恋愛、とまではいかなくても友好的に接してくるのは、その辺のシンジとの関係をぶっ壊したほうが面白いからだよな。というのは自明だよなー……などと考えていると、でました弟9の使途。じゃない参号機。
だってここでトウジすぐ出していいじゃん。トウジにパッと決めていいはずなのに……なんとまだパイロットが決まっていない。ここで気づくんですよね。あー、そういうことか……。トウジ今回全然描かれてないもんなー。じゃあ誰だ? マリ? アスカ? レイ? ……アスカは犠牲になるのかー。
旧世紀版ではアスカが好きだったので残念でした。正直ここで、アスカ死ぬと思っていました。でも弟9の使途との戦いを見たときに……ふと思った。あ、今回のシンジ君ならアスカ助けられるじゃん。アスカ助かるじゃんって。
そう思うと画面に緊張感が走り続けます。頭の中にはこのPOST(http://twitter.com/ono_matope/status/2349312325)と、今回のシンジ君なら絶対に助ける、絶対に助ける……。でも……。早くやれ、エントリープラグだけ引き抜け、やれ! やれ! やれよ!! 動け! 動け! 動けよ! 今動かなくちゃ何にもならないんだぞ! 動け! 動け! うご……
……シンジ君はやられてしまった。
ほんとうにショックだった。シンジ君はまだヒーローでは無かったんだよ。
アスカは死んでいなかった
アスカは死んでなかった。漫画版トウジみたいに死ぬと絶対思ってたよ俺。良かった、と思う反面。こんなのでいいのかな。って感じ。意外と普通のリメイクの範囲内じゃないこれじゃって正直思ってた。アスカファンの人にはショックだろうけど。俺が期待してたのはもっとこう、とてつもない感じだった。シンジ君はヒーローになれないし、物語的にアスカがエヴァに乗れなくなっただけだし、ほんとうにちょっとガッカリだった。シンジはまた駄々こねてるしよ。うぜ。
男の戦い
男の戦いって一番嫌いなエピソードだ。熱いけど、フェイクなんだよね。面白いけど、嫌いなんだよ。だいたいアニメ様と似たような感想を抱いている(http://www.style.fm/as/05_column/animesama52.shtml)。結局オカンの手を借りて、暴走するに任せて偶然倒せちゃっただけじゃないか。このエピソード。最初っから乗っとけよ。結局この映画は『男の戦い』を抜け出せぬまま終わるのか。
ここでまたテレビ版の影がちらついてくる。いつものシンジ。後ろ暗い奴。でも彼に対する皆の態度は違ってきているんです。いや、気のせいだったかもしれないけど、テレビ版ではどこか事務的な態度のあったミサトがシンジを止めるときのシーン、彼女がすごく感情的になるんですよ。彼はそれでも行ってしまうけれど……でも今度はマリが、表れるわけです。
ビーストモードが見せたのはエヴァの強さでもありますが、同時にゼルエルの強さを見せ付けるだけでした。あん? こいつが勝つのん? ゼルエルこいつが倒しちゃうのん? 脱男の戦い? 違った。負けた。零号機だ……ミサイル? え? このミサイルならやれるんじゃないの……? 違った。負けた。結局シンジか……え? エヴァを、食ってる。
展開についていけなかった。
脱・男の戦い
マリが言う。逃げたいなら逃げなよ。でも、逃げない。確かにテレビ版と違う。2号機のパイロットはマリだし、綾波は食われたし、ミサトはやさしかった……。でも、一緒だ。弐号機も零号機も負けたし、シンジは結局初号機に乗るのだ。どう考えても暴走なしには勝てない。裏コードなんて知ってるはずもない。暴走して、エヴァの力で、勝つ。それだけだろ。そして活動限界。終わった。止まった。やっぱり変わらなかった。はいはい暴走暴走。
「綾波を返せ」
はい、俺死んだ。
涙のクライマックス
俺が悪かった。第9の使途との戦いでシンジ君が得たのは、ほんとうに苦い経験だった。ただの14歳の少年なら、逃げ出したくなるし、投げ出すだろう。テレビ版では実際そうだった。
しかし今回は違った。今度は、誰も傷つけない。絶対助ける……! 逃げたきゃ逃げろ? そんなことできるはずないだろ。そのシンジ君の決意が同時に、テレビ版や旧劇場版までを巻き込み、俺の中でこみ上がってくる感情はなんだ。くそう、そうだ、やれ、倒せ! 全員助けろ! 今回のお前ならできる!
シンジの頑張りと呼応するようにあふれ出てくる俺の涙。お前は、まさしく、ヒーローだったのだ。
幸せになれよ
その後はもう、ほんとにあんまり覚えてない。ただ泣いてた。ただEDを眺めながら、シンジは俺の期待していた以上にヒーローだったのを噛み締めてたし、自らの幸せを掴むために必死になっていた。身を挺してでも、皆を守るという彼の思いの強さに俺は中てられてた。
すごい作品だったと思う。思い返すとアスカをああしたのもレイがそうなった際に強い動機となるからであって、これはハッキリ言ってトウジだったときよりアスカだったときの方が動機として強いと思う。視聴者的にはね。アスカを完全にクライマックスのための装置として描ききる監督の手腕に脱帽だ。あの予告も見事。アスカとシンジの関係は今回そこまで深く描かれてないからその点は疑問、という言い分もわかるけど、なんたってアスカだからなあ。アスカ死んだらショックだろ、視聴者は。死んでないけど。
その視聴者の気持ちの代弁的な意味合いも含め、シンジにはひたすら感情移入してしまった。見る前に思っていた、シンジ君がいかに成長していくかという点において、これ以上ないほどの物を見せてもらった。俺は26日の夜からはずっと天にも昇る気持ちでこの余韻に浸っていたし、これを書いている今だってそう。
もう迷うな、シンジ君。ハッピーエンドまでただひた走ってくれ。
■ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序とテレビ版との比較
前も似たようなことがあったけどひょんなことから書いてたデータが飛んだ。書く気力が一瞬潰えたけど、へこたれずに書くぞ。
破についていえる最初に言えることは、とにかく素晴らしい映画ということ。少なくとも僕にとっては。ついったーだとネタバレ禁止的な空気が蔓延しているので、まあblogでなら言いかと思いこちらで書くことにする。
テレビシリーズの総集編という立場のアニメ映画を見るにあたって
かつてガンダムやイデオン、ヤマトなどの幾多のアニメで行われてきた「テレビシリーズの総集編」としてのアニメ映画。近年ではラーゼフォン、エウレカセブンなど。このテレビシリーズと映画とを比べるときに、一番違うのは尺であろう。
アニメの演出とは、テーマ的に何を見せたいか。その上で絵的に何をみせるか。というのが基本である。しかし総集編の映画は、もう一つ何を削るかというのが重要になってくる。単純に考えると総集編映画はTV版原作の焼き直しでしかない。尺が短いということは情報量がすくなくなることと同意だ。テレビ版の時点で必要と考えられて作られた映像を、何の考えもなしに切り貼りしてるだけなら必要ないのである。ただ単に情報量が減るだけだ。
総集編映画を作る際には、テーマを絞る必要がある。テーマとして何をみせたいか。その際に必要なのは、最終的にはどのカットを残すかという問題=どのカットを削っていくかというのが重要になってくる。削るということは描かないことであって、描かないことはその物語の本質ではない。アニメではないが、一例。
柳下 最後のほうで、V.R.Tが「洞窟に行って私が発見したものは……」って言いかけると、尋問間から「いや、そんなこと興味ないから」って勝手に話を切られちゃう。たぶんSF読者は、「なんでそこで全貌を聞かないんだ!?」って皆思うよね(笑)。SF的にはそこが重要なんだけど、この物語ではそれは本質じゃないんだよとウルフは語っているわけです。
これはアニメにおいても同様だ。エヴァテレビシリーズにおいて殺された加持リョウジ。彼を殺した犯人は未だに不明だ。その理由はあまりに手がかりが少なすぎることでしかないが、その手がかりを描写しなかったのはスタッフらにとって重要なことは「加持が何者かによって殺された」という部分のみということ。語られてない部分は作品にとって意味をもたないのが普通だ。
しかし、総集編アニメにとってはそうではない。原作では描かれていたはずの部分をカットして、なかったことにする。それによって削られたカットは、「今回の映像にとっては無価値」という点ではすべて意味がある。なぜ削られたのか、なぜ削られなかったのか。その点に目をやってみるとテーマが汲み取りやすくなってくる。
また同時に、どのカットを作り直す(新規カットね)という点も重要だ。この場合のアニメ映画は、完全な意味での切り貼りしただけでの総集編ではなくなる。テーマのために新たにシーンを起こすということは、従来のあるカットだけでは語れなかった部分があるということ。そこが単に派手なアクションシーンというときは別の話になるが、そうでない場合は語りたいテーマに必要な絵として捉えて問題ないと思う。
どこが削られたか
どこが新しく作られたか
どこが残ったか
それらを踏まえた上で、原作と比べてテーマがどのように変化しているか。それを考えるのが総集編アニメ映画においては重要なんじゃないでしょうか。
まず、序について
序について長々と語る気力はちょっとないので、サクサクと行きましょう。
序で一番の見所は言うまでもなくヤシマ作戦ですね。同時に一番印象が変わったのもここです。原作でも一つの山場になってるし、基本的に原作と変わりない形を装いたかったこの作品では当然の選択といえるでしょう。
しかしヤシマ作戦をテレビ版と見比べると、面白い違いが見えてきます。
まず目にはいる部分は、エヴァに乗るのはつらいという点でしょう。ラミエルとのファーストコンタクトの際、テレビ版は撃たれてすぐカタパルトを戻す。それに比べて新劇場版では、ビームのあと、シンクロ率落として、シールド出して……そしたらラミエルが変形してきてシールドごと溶かす超強力なビーム。カタパルト戻してやれよ! と思ってると折りよく「カタパルト戻して」のセリフ。一瞬安堵したのもつかのま、カタパルト、溶けてるよ。な、なんですって……!?どうするのどうするの。その間にも響くシンジ君の「痛いよ! もういやだ! ここから出してよ! 父さん!」の声。つれえ。「プラグを緊急射出して!」お、いいぞ!「ダメだ」ええええええええええええ親父冷たすぎだろどうすんだよ! 「今プラグを――」ああそういうことなの……。
その末での爆砕ですよ。町を大規模にぶっ壊してエヴァを助ける。シンジ君の大変さが身にしみてくるシーンですね。すいませんテンション高まってしまいました。
その後の病室でも、テレビ版なら裸なのを恥ずかしがったりするんですけどもうそんな余裕ないじゃないですか、シンジ君。あんなん乗りたくないよな普通。完全に視聴者はシンジ君の味方です。テレビ版だとなんか勝手な奴だな、と思うことがないでもないのですが、新劇場版においては一切そんなことありません。ああー、あれは乗りたくないよね。テレビ版の10倍以上の時間で描いたビーム照射を見てれば誰もがそう思うはず。
でも綾波は乗ろうとするんですね。なんでって、絆だから。
もう一つの大きな違いが、シンジ君と皆との距離感です。テレビ版のヤシマ作戦て、すごく面白いんですけどメインとして描くのはその作戦自体の面白さじゃないですかやはり。綾波と仲良くなるということもありますけど、尺の都合上作戦自体の面白さに終始してる。
ところが序では尺をいっぱい使ってキャラクタ、特にシンジ君の描写に時間を使ってるわけです。例えばネルフの人たちの存在。病室から出てミサトに諭されるシンジ君。サードインパクトを防ぐために命をかけているという点。しかし自分たちでは直接エヴァにのって戦うことはできないから、命をかけて君をサポートする。命を君に預けるしかない。シンジ君はその期待に少しだけ応えようと、エヴァに乗る決意をするのです。完全にテレビ版にないシークエンスが出てきました。作品内にてエヴァに乗ることはつらいと描写された後では、こういう理由もなしに乗られてはちょっとリアリティに欠けてしまいます。と同時に、テレビ版だけでは語りえなかったドラマということはテーマに肉薄しているシーンであることと同義であり、このシーンがドラマ的に重要度が高いというのも見えてきます。
あるいは友人たちの存在。テレビ版6話においてはケンスケとトウジというのは、エヴァを見送りながらがんばれー、と言うだけの存在でした。ところが、新劇場版では留守電を入れてくれます。停電の際にご丁寧にアップで悲しい表情描いてるところと、その留守電を重ねて、二人の不安を描き同時にその不安が直接シンジ君への期待へと繋がっているのです。
人間関係と呼べるかわかりませんが、電力会社の人らも存分に関わってきます。テレビ版ではネルフオペレーターらが指揮をとる形で電力供給のシーンを描きました。電力会社の人たちは微塵も存在が感じられません。しかし序においては(もちろん指揮下ではあるが)ハッキリと彼らが描写されてるし、それらしき声もいっぱい。
砲撃前のミサイルもありました。あれもリアリティを増加するという意図だけでなく、シンジ君以外の人の手もいっぱいかかっているという描写です。人手=期待。
このようにシンジ君への期待を上手いこと映像として作っているのが、序とテレビ版の最大の違いですね。
その反動としての不安も表れます。ヤシマ作戦中のシンジ君は常に不安げではありますが、その心情は「綾並ほどの覚悟もなければエヴァを動かす自信もない…」という言葉に全て表れてるでしょう。紛れもない、14歳としては至極普通の反応。そして砲撃の失敗、反撃と描かれます。この不安と皆の期待をなんのために描いたか。作品のテーマ=シンジ君の決意を描くためです。
シンジ君の決意と新劇場版のテーマ
砲撃後のシンジ君は、その不安が全て発露するように泣き出してしまいます。14歳の少年として泣き出すのは当然のことといえますが、フラッシュバックする友人らの言葉と、ミサトの熱い励ましを受けて、またシンジ君はコンソールに手をかけるのです。このミサトの言葉に「使途に必死に抗う人類」を象徴する形で、働くおじさんたちを見せるのも実にわかりやすい。友人、ネルフの人たち、人類。それら全部の期待をミサトの言葉と一緒に見せることで、シンジ君がレイのようにエヴァンゲリオンに乗ることは=絆でもある、というのを描いてます。わかりやすいが故に感動を産んでいますね。
同時に、フッとこの作品で描きたい部分が見えてきたんです。シンジ君の成長、が今回のテーマだなと思うに到りました。これはもしかしたら僕個人が感じただけなのかもしれませんが……。テレビ版の1話から始まって、最終回、春エヴァ、夏エヴァと通して、シンジ君は自身の勝手な都合で乗ったり乗らなかったりを繰り返して来ました。特に夏エヴァで彼が最後まで自らエヴァに乗らないのにはすごいフラストレーションを覚えました。
そんな彼が、他人のためにエヴァンゲリオンに乗ってる。10年間。10年かけてやっと、シンジ君が14歳の自意識過剰なごく普通の少年から、ヒーローに。ロボットアニメの主人公に成長したのだ。
序に対して思うこと
この映画は演出を用いて「シンジ君がヒーローに成長すること」ということを訴えている。これは序自身のテーマでもあり、ひいては新劇場版全体のテーマでもあるな、というのが理解できました。10年かけて庵野さんがシンジ君をどう成長させるか。その点でのみ新ヱヴァはほんとうに感動的になるな、と僕は思ってますし、言っちゃうけど破はほんとうに清清しいまでの感動を得られました。破のエントリもすぐにアップしますよ。







