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2010-05-13

ラマルク的な何かと素朴生物学

| 18:06 | ラマルク的な何かと素朴生物学を含むブックマーク ラマルク的な何かと素朴生物学のブックマークコメント

タンポポの Wisdom はいくつであるのが妥当か?

id:IshidaTsuyoshi さんのエントリより

小学校の二年生になったわが子の国語の教科書に、タンポポが種子を成熟させてから、風に乗せて飛ばす経過を説明する文章が載っている。内容は、まったくもって自然科学の読み物であり、いわゆる「物語」の類ではない。雨の日には綿毛がしぼむことまで書いているあたり、自然科学の読み物として石田のすごく好きな部類の物である。

しかし、自分でも「こんな難癖つけなくても…」とか思いつつも、ちょっとだけ気になる点がある。それは、タイトルと本文の中でタンポポに知恵があるかのような表現をしている点だ。

<中略>

小学二年生でそのような納得をしてしまっても、たぶん中学校に進学するまでに「植物はなにか考えたり思ったりはしない」という知識は手に入れるだろう。そして、中学校の理科か高校の生物の授業で、本当はどういう経緯でそのすばらしい仕組みを獲得したのかを習うだろう。

いつも大切な事をヲモツていらっしゃる石田剛さん。昔はそう謂う事はあまり気にならないどらねこでしたが、ニセ科学関連の言説を目にする機会が増えるにつれ、「それって結構大切な部分なんだよね」と考えがすこしずつ変わってきました。

親や初等教育の現場では子どもには難しい話への理解を促すために、子どもの持ちやすい素朴な理論に寄り添う表現を使用する場合があります。上手に使えば効率的なこの方法が有効なのは勿論なのですが、その後理論の修正を行う態勢が整っていないと、誤った理解をそのままに大人になってしまうことも考えられます。これが十分でない事がニセ科学的言説への敷居を下げてしまっているのでは・・・そういう可能性が有りそうだなぁ、そう思うのです。

(素朴理論については別の機会にもう一度考えてみたいです)

そんなわけで、石田さんの例ほどには問題を孕んでいない話だと思いますが、私も子どもの絵本に突っ込みをしたことがあります。

さて、此だけだと知識をアップデート出来るから良いんじゃね?で、終わる話なのだけれども、この件はアップデートされない危険があるのでは?と、ヲモツタわけなのです。

中学理科の指導要領を見ると、

理科の第2分野に於いて、現存している生物は,進化によって生じたものであることを理解させる

とあり、進化についての授業が行われる事になっています。化石や現生生物の形態を比較観察することで気づかせようというねらいのようです。しかしながら、この段階では創造論的な考え方は棄却できるかも知れませんが、ラマルク的な進化論からダーウィン的視点の進化論へと書き換えるような説明にはならないだろうと思います。タンポポに仕組みを作る知恵は無いかも知れないが、「子孫をいっぱいのこしたいよう」という意思が、このように綿毛を進化をさせたのかも知れない!なんて、素朴な理論は十分生き延びることは可能でしょう。

そうなると、高校で習う単元である『生物』に期待する事になるのだけど、高等学校の理科系科目は、物理・下顎化学・生物・地学などの中から、数科目を選択するという方式が採られているみたいなのだ。だから、期待の生物兇糧楼呂任△襦愎焚修了伝箸漾戮鮟わずじまいのまま後期中等教育を終えてしまう可能性があるのですね。

この件については、理科教育に詳しい恐竜yu_kuboさんがツイッターで指摘してくださいました。

f:id:doramao:20100513175639j:image

やっぱりそうなのですね・・・

さて、石田さんの例は国語の教科書ですが、理科教育に関して、ネット上にこんなのがありました。

ソニー科学教育研究会 支部研修報告書】

こちらの報告内容を引用してみる

小学校高学年部会 〜5学年「実や種子のでき方」でラマルクの用不用説を〜

 小学校高学年部会は5学年「実や種子のでき方」の単元にラマルクの用不用説を導入することを提案した。

 (模擬授業の設定として)これまでにリンゴやブドウ,カボチャなどヘチマに限らず複数の植物(作物)の受粉について学習してきた。本時ではブドウやトウモロコシには,なぜ花びらがないのか考えていく。花びらのあるものと無いものでは受粉の仕方がどのように違っているかを想起させたり,虫の目には花びらがどのように映っているかなどの資料を与えたりして,虫がこなくても受粉できる(風媒による)から,(虫を誘う道具である)花びらがいらないのではないかという見方・考え方をもたせていく。

 そこでラマルクの用不用説を語り聞かせ,よく使う器官は発達し,使わない器官は退化するという考え方を紹介する。

※強調はどらねこによる

この模擬授業内容については、協議に参加した方から「ラマルクの用不用説は一般的に見ても否定的な意見が多く,慎重に取り扱わなければならない説である」と意見が出ていたようで、ちょっと安心しましたが、このような研究会のお題にラマルクを持ってくるというのはどうよ?と正直げんなりしてしまいます。

とは謂うものの、この一例は糾弾する意図で紹介したわけではありません。小学校では生物学や進化生物学についてしっかり学んだ先生が理科を教えるわけではありませんから、こういった授業が何も問題ないものとして行われる危険性が何処の学校でもあるような気がします、それが心配になったのですね。有名な分子生物学のセンセイもラマルク的な進化論をプッシュしている昨今ですから、先生を責めるのも酷というものです。それだけ、生命の能動性みたいなものって魅力があるんだと思いますよ。(だって、感情的には遺伝子の乗り物だ!進化はイレギュラーの積み重ねだ!なんて謂われるよりは浪漫を感じちゃうかも知れないよね)

学校側は小学生のウチにこのような理解を持ってそのまま中等教育機関へ進学してくるという可能性が高い事を想定しておく必要があるのだと思います。(先生個々人は既に想定されていると思いますが・・・)子ども達はもしかしたら、「たんぽぽは自分の子孫を増やしたいと強く願ったから進化の過程で綿毛をつくるようになったのかも知れない」なんて理解のママで有るかも知れません。

だから、待ち受ける中等教育機関には、生物に造詣の深い理科の先生を一人は置いて欲しいと思うんですよね。子ども達が持ったままの素朴理論を調べるテストかなんかやってみて、在学中に修正を加えていく方針をたてる・・・みたいなね。そんなのはどうでしょう?

難しいとは思いますが、大切な問題であると思います。高校入学時に読み物を配るとかもアリかも知れませんね。

まだまだ語りたいことは山ほどありますが、今回はこのへんで・・・



※生物学に疎い者が書いているので、見当外れな指摘があったら教えてくださいね※

黒猫亭黒猫亭 2010/05/13 19:47 ああこれ、要するに形を変えた「水伝授業問題」なんですね。暗に召喚されたような気がするのでコメントしてみました(笑)。

ウチで同種の問題、つまり「説明の為の嘘」「理解を助ける為の嘘」の問題を論じたときには、現役教師の方が「カリキュラムに対する信頼」と謂うようなことを仰っていましたが、進化論についてはカリキュラムが知識のアップデートを保証していないと謂うことですね。

実際、進化論と謂うのは説明がデリケートで、初等教育の段階における対象の理解力では正確な理解が困難ではあるのですね。そこで対象が理解可能な現象レベルのことを理解させる為には、タンポポに意志や知恵があるかのように説明すると謂うのも一便法ではあるのですが、これは後で必ずアップデートすると謂う保証がないと少し怖いです。

と謂うか、今の大人でもこの辺のことを不正確に理解したままの人は結構多いのではないでしょうか。アニメやトクサツなんかの俗流SFでも「進化」と謂う用語の使い方が雑ですし、もっと卑俗な用法としては「昨シーズンよりさらに進化した○○選手」みたいな言い方もしますしね(笑)。

これはまあ、おそらく進化論がそこまで重要な知識だと認識されていないと謂うことでもあるんでしょうけど、意外と重要ですよね。

doramaodoramao 2010/05/13 21:06 >黒猫亭さん
テレパシーは本当にあったんだ!
実は、このエントリを書いている間、黒猫亭さんの教育エントリを念じていたのです。実験成功ですね。
私も当該エントリを読ませて頂いた記憶がありますが、今回の件はアップデートが事実保証されていない現状であり、ゆゆしき問題であると考え、記事にした次第です。
今の大人については、今西進化論に影響を受けた方も少なくないと考えられますので、多くても不思議はないと思います。
現代のヒトが昔のヒトに比べて足が長くなってきているのは、遺伝子が変化したから・・・と、思っている方も身近にいらっしゃいますから。
素朴理論は系統立てた介入がないと修正が難しいモノと感じております。
ラマルク説とガイア理論は親和性が高いみたいで、環境問題のニセ科学にも繋がりかねませんので、やはり放っておいて良い問題とは思えないんですよね。

Poisonous_RadioPoisonous_Radio 2010/05/13 21:48 はじめまして。
ラマルク説はほぼ完全に否定されてますからねぇ。
今西説に至っては、まともな科学として取り上げられることすら無いですしw
件の研究会での提言は、
「そこで天動説を語り聞かせ,地球は宇宙の中心であるという考え方を紹介する。」
っていうのと同じだって思うんですけど。
困ったモンですねぇ。
確かにラマルク説っぽい説明が可能な現象はあるんでしょうが、それが「ラマルク説は正しくてダーウィンは間違ってる!」に短絡すると、かなり困ったことになりますね。
どうも、ラマルク説は左翼やニューエイジャーと親和性が高いような気がするので、いったん転ぶと似非科学街道まっしぐらになりそうで怖いですw

mimonmimon 2010/05/13 21:49 「進化」という言葉の反対語として、「退化」を使う人もいますね。イルカの骨盤は、不要だからなくなったので、それも進化の一部なのですが。

yu-kuboyu-kubo 2010/05/13 22:47 がおーーーーっ!

とても残念なことですが、日本の中等教育では進化をきちんと勉強するチャンスは殆どないです。
理科総合はAかBかの選択で、Bなら生命進化の歴史を扱いますが、
進化学説(自然選択説や用不用説など)はあつかいません。
理系選択で生物IIを選択し、さらにその中の選択の単元で生態系ではなく進化が開講された場合に、
ようやく進化学説を学ぶことができます。
その場合でも教師によっては用不用説に好意的な説明をする人はいるのかも。

だから小学校の先生がラマルク説に疑いを持つなんてことは期待できません。
そんな状況でのIshidaTsuyoshiさんの心配は当然のことだと。
黒猫亭さんの仰る通り、アップデートの保証がない限り使ってはいけない手段ですね。

がおーーーーっ!!

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2010/05/14 10:38 にゃほー
本文に特に異議があるわけではないのですが補足的に

1)
意思に満ちたアニミズム的呪術的世界観は、科学的な世界観ではないというだけで「間違った」世界観ではありません。
共感において世界を理解しかかわっていくためにはそういった感覚は必須であるともいえ、こうした感覚がよき科学者にとっての「センス・オブ・ワンダー」の源ともなるのでしょう。

2)
擬人化の拒絶は基本的には正しいのでしょう。
しかし
擬人化の拒絶が通俗化すると、「ニンゲンは特別だ」に容易に接続してしまいます。メリケンの創造論者を笑う日本人は多いのですが、進化心理学を知りもせずに拒否するメンタリティと創造科学のメンタリティには近いものがあると考えます。

3)
ラマルク説を初学者に教えることは間違いだということは当然です。
しかし
ラマルクにしろ今西にしろ、その説が今日受け入れられていないということと、彼らが偉大な学者であったことは区別したいですね。
今西はちょっと叩かれすぎに思えます。
まあ日本の生物学において、今西理論が悪影響を及ぼしたのは事実なので、仕方ないところもあるのですが。

nabesonabeso 2010/05/14 10:47 > Poisonous_Radio さん
>今西説に至っては、まともな科学として取り上げられることすら無いですしw
これはちょっと違います。(ロバスト的な機構や他の要因などによる)能動的な生息地選択が地理的隔離+生殖隔離を生じさせた結果、種分岐が成立すると、見た目では自然選択なのか今西的進化なのか、現在の科学では識別不可能です。というか必要ありません。
実際の種分岐の研究では、直接の引用関係こそまずありませんが今西の主張した、(性選択や前述のものを含め)生物の能動性にもとづく種分岐の研究自体はhot issueといって差し支えありません。

まぁ例外的に引用されている文献だと、件の沢口氏の論文ですが
沢口俊之, 宮藤浩子 1987: 霊長類社会の進化理論:. その総合化の試み 、霊長類研究 3: 48-58.
というのもありますけど。

ちなみに私自身としては、中等教育で叩き込む必要があるのは、近年研究実績がだいぶ積み上がった中立説と地理的隔離だけだと考えています。外野からみると適応説というのは魅力的なものかも知れませんが、実は検証が結構大変なものなので、ただの現状肯定の文脈で使われているのは激しく萎えます。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2010/05/14 10:51 これ、もとは国語の教材のようですね・・・
・・・ならば、これも「アリ」じゃないでしょうか?

Poisonous_RadioPoisonous_Radio 2010/05/14 19:16 nabesoさん
>見た目では自然選択なのか今西的進化なのか、現在の科学では識別不可能です。というか必要ありません。
すみません、おっしゃる意味がまったく理解できませんw
分子進化はそれなりに理解しているつもりですが、生態学・行動学系にはうといものですから...。
その分野では形を変えて?生き残っていると言うことでしょうか?
私が関わっていた分子進化の分野の近年の論文で、進化や種分化・分岐に関して今西に(肯定的に)言及している論文というのを見たことがなかったものですから。
ともあれ情報ありがとうございます。
チョット自分でも勉強してみます。
#学部の時に動物生態学をもっとまじめに勉強しておけば良かった。

doramaodoramao 2010/05/14 19:54 >Poisonous_Radioさん
コメント有り難うございます。(デムパさんですね?)
その例え、凄くイイですね。メモしておこうと思います。
エピジェネティクスなども新聞記事などで見かける事もあり、棄却された(つつある)説が尤もらしく語られる事で、いらぬ混乱を招く虞があるような気がします。
ちょっと怖いですね。

doramaodoramao 2010/05/14 19:56 >mimonさん
進化を進歩の様に捉えていらっしゃる方が多いのかも知れませんね。
学術用語の慣用句化は字義に引っ張られがちというのは、他にもあると思います。気をつけたい処ですね。

doramaodoramao 2010/05/14 20:01 >yu-kuboさん
たべないでーっ!
>教師によっては用不用説に好意的な説明をする人はいるのかも
いそうですねー、というか、居ますよ絶対。
私の支障の書庫にはトンデモ本が数冊ありましたし、学校で福岡氏の本がゴロゴロしていたように記憶しています。
学校教育に於ける実験は素朴な理論修正に効果的とされておりますが、この分野の実験というのは難しそうですよね。それも関係しているかもデス。

doramaodoramao 2010/05/14 20:31 >tikani_nemuru_Mさん
補足有り難うございます。
エントリにするに当たり、削った部分もあり、十分に意図が伝わらなかったかなぁ、と思う処も多いのでコメントに便乗して少し触れさせて頂きます。
※※※
1)について
私はセンス・オブ・ワンダーも好きですし、ボイス・オブ・ワンダー(VOW)も好きです。同意です。
2)について
其処はあまり考えていませんでしたが、自分を基準として世界を認識する割合の多い発達段階ですので、擬人化を意図的に排除した教育はいびつなモノと考えます。
3)について
>彼らが偉大な学者であった
このセンテンスには完全同意です。
このエントリとは関係ないのですが、別の場所で心理学者のピアジェについて話題になりました。彼の発達段階説は現在では否定されておりますが、当時としては画期的な科学的理論であり、彼の業績は決して否定される事は無いばかりか、発達心理学の発展に大きな影響を与えたと思います。
それと同じように、ラマルクも偉大な科学者であると私も認識しております。
タイトルの『ラマルク的何か』とは、ラマルクの提唱した説が事実であると言うことを前提にした解釈群の事です。
この点を補足し、明確にして頂き有り難うございます。
>国語の教材・・・の件
私のスタンスは、この教材自体は素晴らしいモノだ、です。
その後のアップデートが期待できない状況では、初等教育に必要なアナロジーを安心して使えないのでは?と考えます。
カリキュラムにより科学的な知識にアップデートされる保証があればこそ生きてくる教材だと私は思います。
(フィクションをフィクションとして楽しめるのはそういう事ですよね)

黒猫亭黒猫亭 2010/05/14 21:36 >>その後のアップデートが期待できない状況では、初等教育に必要なアナロジーを安心して使えないのでは?と考えます。

まあ、水伝も道徳の教材だったわけですし。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2010/05/15 01:05 アップデートも必要なのですが、
問題は基準の複層性をたたき込むことなのかもしれないと思います。
国語における判断と理科における判断が違っていてもよいということを理解してほしいということです。

メリケンでも、創造論を理科の時間に教えてはならないが、宗教の時間に教えてもよいわけですね。
水伝の最大の問題は、あれが道徳の教材としてカスだったことだと考えます。

IshidaTsuyoshiIshidaTsuyoshi 2010/05/15 03:10 石田も「たんぽぽのちえ」は国語の教材として優れた物だと考えてます。主に、説明文の時系列を追って事実の記述を読み取る練習をする上で、効果的だろうと考えています。もっとも、実際にどのように使われるかは把握してませんが。

ただし、子どもは国語の教材であろうとも、自然科学の読み物として作られているものであれば、そこから自然科学の知識も仕入れてしまうだろうと、石田は考えています。そんで、この教材をアニミズム的世界観を排除した、科学的世界観の記述だけで作っても、その価値は損なわれないだろうとも考えています。
アニミズム的な記述の方が子どもが理解しやすいから、その分だけ現状のままの方が良いという可能性もありますが、石田自身はあまりアニミズム的な記述がわかりやすいと感じないのです。これは、石田がひねくれ者だからなだけかもしれませんが。

もっとも、子どもは「ジョジョの奇妙な冒険」からでも、自然界の法則を学び得るので、石田がしてる配慮なんぞどーでもいーレベルのものなのかも知れんのですが。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2010/05/15 09:47 わかりやすいとかわかりにくいという問題ではなく、アニミズム的な世界観が間違っているわけではないということです。
また
「タンポポの智慧」は比喩なのですが、自然言語における自然現象の記述を比喩ナシで行えるはずもありません。「適応」を「〜のため」と目的論的に記述することはかならずしも間違いとはいえません。生物の形質の合目的性は結果的なものですが、自然言語では目的と結果を明瞭にわけないことも多いのです。

黒猫亭黒猫亭 2010/05/15 20:33 >地下猫さん

ニャン口密度が高くなってきたので、ここにもう一人お馴染みのあの方が登場したらまるで「集会」だな、と不図思いました(笑)。

>>アップデートも必要なのですが、
>>問題は基準の複層性をたたき込むことなのかもしれないと思います。
>>国語における判断と理科における判断が違っていてもよいということを理解してほしいということです。

1)〜3)までは、この種の主張が招くかもしれない誤誘導に対する補足としては特段の異論がありませんので、今度はこの部分についての補足をこちらから。

この「たんぽぽのちえ」は国語の教材ではあっても、記述している内容自体は理科的な範疇の事柄についての説明文で、いろいろ検索して教材を利用する側の指導計画を視てみると、児童の理科的な好奇心を上手く授業に織り込んで指導することがポイントとして挙げられています。写真などを添えて観察させ、記述されている各場面についての感想を書かせる、とかのパターンですね。

その一方、たんぽぽの「知恵」とか「意志」のように読める記述が「擬人法と謂う修辞法」であることを押さえておく、つまり「たんぽぽが本当に考えたり意志したりしているわけではなく、比喩の一種であることを教える」と謂う国語的に重要なポイントを挙げているところは、検索した限りでは一例くらい(しかも学校ではありませんでした)しかなかったので、つまり教えている側でも多くの場合に国語と理科の基準を峻別していないと思われます。

記述されている内容については、理科の知識としてそのままで通用すると考えているわけですね。ですから、ここでまず「擬人法と謂う修辞法」であることを押さえておくと謂うことが最も単純な解法で、説明レベルで国語と理科の基準を分けてしまうと謂うのがいちばん容易な解決です。

そうではなく、理科的な事柄についても小学二年生の理解力が前提なら擬人法と謂う話法で説明して構わないと教育者が考えているなら、この記述内容の理科的知識については進化論と謂う知識レベルのアップデートが必要になると謂うことになります。

そして、初等教育においては、教育対象がほぼ幼児と表現して差し支えない年齢域から六年掛けて徐々に知的に発達していくわけです。従って、各発達段階における理解力を前提とした合目的的な説明を採用していて、教育内容の妥当性は少なくとも中等教育までのカリキュラム全体で担保しているらしい、と謂うことが、一番最初のコメントでどらねこさんと話していた「教育エントリ」の議論でわかってきたことです。

個々の教育者は、六・三・三の一二年において必ず一部分しか担当出来ないわけですから、カリキュラム全体に対する信頼がなければ、自信を持って児童を指導出来ないと謂うわけですね。で、おそらく「各発達段階における理解力」の把握に関しては、長年の研究や現場からのフィードバックがあるので問題がないと思いますから、各発達段階において便宜的だったり合目的だったりするような説明でも構わないとは思うのですが、それにはやはりカリキュラム全体の信頼性が必要だと思うんです。

しかし、ここ二〇年くらいの教育改革関連のゴタゴタで、嘗てカリキュラム全体で担保していた教育内容の妥当性が大分アヤシくなっているんではないか、みたいなことを考えているわけなんですが、やっぱり現場の教育者に伺っても「そうだよ、最近はちょっとヤバイんだよ」みたいなことは仰らないですね、立場上(笑)。

また、このエントリでどらねこさんが指摘されているような事柄と謂うのは、元々初等教育のカリキュラムではほぼ考慮されていなかったのではないか、と謂うふうにも考えます。

それは時代性の違いや科学啓蒙の度合いとも関連する事柄ですから、一概にカリキュラムの瑕疵とも謂えないのですが、現今の社会状況では、やはり擬人法的世界認識の一方で自然科学的な世界認識のセオリーを教えることも重要ではないか、どちらかだけで好いと謂うものではなく、その両者のバランスが必要なのではないか、地下猫さんが仰るような「基準の複層性」を教育する為にも、その両者を等分のウェイトで教える必要があるのではないか、そう謂う意味合いの提言と受け取りました。

つまり、カリキュラムに求められる「妥当性」「信頼性」の性格も時代の変遷によって変化しているのではないか、そこの手当は大丈夫なのかな、と謂う疑問があるんですね。

>>水伝の最大の問題は、あれが道徳の教材としてカスだったことだと考えます。

仰る通りです。ただ、違いはそこだけで、テクストの性格と用い方の構造としては共通項が多い、と謂う言い方も出来ます。

そして、水伝を道徳の教材として考えた場合でも、「世間的に良いとされている言葉遣いを叩き込む」と謂う「習慣レベル」「行為レベル」の教育についての合目的性の観点では有効ではあるのですね。水伝授業批判で論じられているような倫理的な諸問題は、その後の道徳教育全体でアップデートすれば好い、と謂う考え方も出来るのですが、その合目的性「以外」の部分における悪影響が強すぎる、アップデートもおそらく困難だろう、ならばこの教材は忌避すべきだろう、と謂うことが最も重大な問題点だろうと認識しています。

doramaodoramao 2010/05/15 21:50 >tikani_nemuru_Mさん
>IshidaTsuyoshiさん
>黒猫亭さん
ご意見、まとめ有り難うございます。
ブログ主が特段語る事はもう何もなさそうです、助かりました。
基準の複層性は表現問題に於いても必要な視座なのでしょうし、様々な問題とも関わって来るのでしょうね。
(以下は個人的な感想)
科学の手法は本当に強力なツールであり、強力ではあるけれど、その手続きは厳密なものですね。科学の手法を用いて身につける事の出来る能力は、個人が経験によって獲得する素朴科学理論とは比較にならないほど正確で、膨大なものになると思います。
個人であれば、そのヒトのツール習熟度の問題なのでしょう。
社会であればどうなのでしょう。
社会的精神というのでしょうか、文化レベルとツールである科学がもたらした技術や膨大な知識がその精神と釣り合いのとれたものなのか否か?
そういった処にも掛かってくる問題だと思うのですね。

mimonmimon 2010/05/16 06:54 コメントの受け付けを終了したわけでは、ないのですよね。
一言だけいわせてください。
擬人的表現で子供にものを教えるのは、かまいませんが、それをまねして、子供が擬人法を使ったりしたら、しかっちゃいます。
あれは、自然科学や社会科学や人文科学を一通り修めて、わかっている人だけが使っていい修辞法なのです。

Poisonous_RadioPoisonous_Radio 2010/05/16 10:08 mimonさん その学問を一通り修めるのは至難の業デスw
冗談はともかく、僕の専門(だった)生物学では、相手が生き物だけにどうしても擬人化的とらえ方をしてしまうバイアスを感じるので、かなり注意が必要ですね。

IshidaTsuyoshiIshidaTsuyoshi 2010/05/16 18:44 えーっと。
とりあえず石田は「アニミズム的な世界観は間違い」とか、「自
然現象の記述から比喩を排除せよ」とか主張してないことは明示しときます。

ついでに、石田にとっては子ども向けの教材がわかりやすいかは、わりと大事なことです。「たんぽぽのちえ」については上にも書いたとおり、「知恵なんて言葉を持ち出さなくても、教材の価値もわかりやすさも損なわんのになあ」と思っとります。

コメント欄汚しですいません。

doramaodoramao 2010/05/16 21:18 修めてるとは言い難い猫です。
つい先日、子供に使ってしまいました。今度子供に叱ってもらおうと考えています。
冗談はともかく、一人一人すこ〜しずつスタンスが違って面白いなぁ、そう思いました。
意見がそれほど違っていないように見えるであろう(?)上記の石田さんは、「知恵なんて言葉を持ち出さなくても」と、仰っておりますが、私はたんぽぽのちえで良いと思ってます。だって可愛いですからね。
知恵に見えていた現象が実際にはどのように形成されたのか、それが明らかになったときの驚きもまた、次を知りたいという原動力になると思うからです。

IshidaTsuyoshiIshidaTsuyoshi 2010/05/16 23:04 知恵に見えていた現象が、違う見え方をしてくる経験をするのは、すごく良いですね。石田自身にも、そういう経験をして「なるほど!そういうことだったのかっ!」と感動した覚えがいろいろとあります。
わが子についても、きっとこれからそういう経験をたくさんして、だんだんと知識をブラッシュアップして行くことだろうと期待してます。石田がひねくれた注釈や補足をして聞かせる本なんて、わが子がこれから出会う本のほんの一部でしかないわけだったりもしますし。それに、石田が話して聞かせる話だって、何が何でも可能な限りの正確さを期したりはしませんしね。

石田は実は「蜂の社会性は驚嘆に値するが、蜂に知性があることにはならない(うろ覚え)」を読んだときも、上記の「なるほど!そういうことだったのかっ!」に近い感動を覚えた記憶があったりします。蜂に知性があると思ってたわけではないのですが、そこまでハッキリ「知性があることにはならない」ことを意識してはいなかったもので。