Hatena::ブログ(Diary)

とらねこ日誌 Twitter

 ただのネコですが、連絡が必要な場合は→へどうぞsherbetapple@yahoo.co.jp(@を半角小文字になおしてご使用下さい)

2012-02-29

産地直売所の活況と不安

| 12:08 | 産地直売所の活況と不安を含むブックマーク 産地直売所の活況と不安のブックマークコメント

どらねこは東北のちょっと田舎(?)に住んでいるのですが、東京に居た時と違って買い物に出るときに車をつかう事がとても多くなりました。車なので荷物が重くなっても大丈夫なため、一回の買い物で買い込む量も多くなったように思います。こちらに来て面白いな、と思ったのは農産物の直売所や直売コーナーが多いことでしょうか。引っ越してきて8年以上たつのですが、その間にもそう謂ったコーナーは増えており、取り扱う商品もたいへん幅広くなっております。


■おねうちものをさがせ

直売所コーナーの魅力にはそこでしか手に入らない商品があることや鮮度の良い農産物が並ぶことなど色々あると思いますが、お手頃な価格が惹きつけているように思います。最近の活況は、経済状況の悪化により食料品への支出を抑えたい家計事情に拠るところが大きいのではないでしょうか。かく謂うどらねこ家がそんな状態なものですので、よその事情もだいたいそんなもんじゃないかな?と思ったのです。実際全国的にもそう謂った直売所は非常に増えている事がデータ*1にも現れております。

農産物の直売所で買い物には宝探し的な楽しさ*2があるように思います。スーパーや八百屋にはあまり並ばないようなB級品が格安で売っていたり、この値札間違っているんじゃないの?と思うような値段がついている野菜があったり、その時期だけのレアな山菜が無造作に置かれていたりします。思いがけずお値打ちものを見かけたときには思わずニヤリとしてしまいます。

このように人気の直売所ですが、盛況で販売所も増えてお客さんは喜んで・・・と良いことばかりなのでしょうか?どらねこは自分でも心配性*3だと思うのですが、今回も例によってこの状況を心配してしまうのです。さて、どらねこは何を心配しているのでしょうか?


■しんぱいなこと

さ〜て、何を買おうかなとウロウロしていると、生産者の方が商品の補充にくることがあるのですが、やっぱりと謂うか大抵は高齢な方なんですね。農業の高齢化を実感するのですが、それだけじゃなくて直売所へ商品を置くような方は、お小遣い稼ぎ程度の年金収入で生計を立てているような高齢の方が特に多いのかな、と思いました。これについてはデータが無いのでなんともいえませんが。

生活の心配の無い高齢の方が趣味的に小遣い稼ぎ程度にこうした農産物の販売をしてくれる事はどらねこ家にとってとてもありがたいことなのですけれど、前項に書いたような規格外品を廉価で販売する事やちょっと安すぎる値段設定で野菜を販売するのって、野菜の価格破壊につながりかねないように思うんですね。

農業地域に住んでいると、ある時期に特定の野菜を外で買わないなんて事が良くあります。例えば、夏なんかはトマトがこれでもかと熟すので、ちょっとした家庭菜園でも家族では食べきれないほど実ります。外に仕事を持っていない高齢者の居る家庭では、それなりの規模の家庭菜園があったりしますので、それ以上の収穫となり、出来た野菜は近所に配られまくります。こうした菜園主は自分のつくった野菜を食べて貰うと謂う事が楽しみであり、目的であるので、利益など考えません。そして、貰った家庭では相手のウチでつくっていない野菜などをお返しをするのです。


■ひろがる

こうした家庭菜園レベルであれば規模が小さく、農産物の販売価格に与える影響はさほど大きく無いのかも知れません。直売所はただで売られると謂う事はありませんが、市場価格から比べるとおかしいほどに廉価で販売される事もあります。そして採れすぎてしまい価格調整の為に廃棄するような状況にあっても、沢山採れた野菜を捨てずに、そうした販売所でバカみたいに安い値段でも売りに出したりするのです。

産地直売所の拡大ペースが緩まなければ、農産物の価格低下圧力となり、農業収入を主たる生計としている農家の生計を圧迫するのでは無いかと心配してしまうのです。農業従事者の高齢化が進み、ますますその傾向が強くなれば、若者の新規就農を更に圧迫するのでは無いでしょうか?杞憂なら良いのですが。


■国産であること

そうした直売所が人気の背景は国産かつ生産者の姿がみえて安心できて、鮮度が良いなどと謂った付加価値があると思うのですが、そうした国産であることみたいな付加価値は値段の安い外国産の野菜に対して大きなアドバンテージだと思うんです。こうした付加価値のおかげで価格では明らかに不利な国産野菜がなんとか検討しているのですが、それを直売所で安価で販売することで価格低下圧力となったらどうでしょう?付加価値を高めるためにニセ科学オカルトに頼る農家がいたとしても、そんな状況に追い込んでしまっているからかも知れません。そんな事を考えてしまうんですよね。


■はしご

農業に未来を!その為には・・・と、大規模集積化とか補助金とかいろいろな話はあるように思いますが、一生農業でと考える若い方では、補助金みたいないつ無くなるか分からないものを当てにはできないし、将来農産物の価格が更に安くなるのが見えているのなら、大規模化をするための資材や機器の購入などを今の価格をベースに将来への投資をすることなんて怖くてできません。そこにかけられたはしごはすぐに誰かが持って行ってしまうようなものなのですから。


■おわりに

今回のエントリは色々心配な事を書いただけで特に結論はありません。美味しい農産物を食べる事が贅沢で皆が憧れるような文化とならないと成り立たないのかも知れません。少なくとも、「農業は大切だから、従事者の方に感謝し敬意を払いましょう」みたいな感謝でごまかすのでは無く、大切なものだったらしっかりとお金を出すことが必要なんだと思います。でなきゃ、安易に礎とか大切とか美しい日本の文化とかの言葉でごまかしてほしくないと思います。

*1:2010年の農業センサスでは、産地直売所数は約1万7千施設であり、5年間で約3千施設増加したとある

*2:キノコ採りなども同様の楽しさがありますね

*3:市場に出回る食品の放射性物質汚染については全く心配していないアンタは安全厨だろみたいに思われる方もいるかもしれませんが

890890 2012/02/29 18:29 コメの小売りをしているものです。
コメの生産者価格がずっと下がり続けたのは、決してコストダウンの結果じゃなく、ダンピングの結果だと思ってます。
もし稲作農家が、利益を上げなければならないプロの稲作農家ばかりで構成されていたなら、もっと粘って価格をキープしたのではないでしょうか。兼業農家は採算割れでもあっさり諦めることもできるでしょうが・・・。

doramaodoramao 2012/03/02 07:59 コメントありがとうございます。
このエントリの後、いろいろな方の意見を聞く機会を持てたのですが、そういったダンピング対策を講じているグループもあるようです。
ダンピングが起こりうる構造をなんとしないと、専業の農家が農地を集約して・・・という流れが進まないですよね。とはいえ、農地は動きませんのでつなげる為に、新たに農地を開墾しないとなのですが。
今後もこの傾向は続きそうですので、政府の手腕が問われるところだと思うのですが。

2012-02-27

バナナと音楽

| 11:56 | バナナと音楽を含むブックマーク バナナと音楽のブックマークコメント

先日の東京マラソンは大変面白いレースでした。藤原新選手が東京のコースを走る姿を見ると、彼が拓殖大学時代に箱根駅伝一区を走る姿を思い出します。いやぁ、としとったなどらねこ、と。そんな競技的な興味で東京マラソンを楽しんだのですが、市民レースとしても日本最大規模のこのマラソンはそれ以外でも色々と話題になっていたようです。


■音楽を聴かせるとバナナが甘くなる?

どらねこは見ていないのですが、テレビのニュースでAKBの音楽を聴かせたバナナは甘くなると謂うように受け取られるような内容のニュースが流れたそうです。どらねこは次のリンク先の記事で知りました。


なんと、“AKBバナナ”が「東京マラソン2012」で配布されるとは!

http://blog.livedoor.jp/mensstudio/archives/53698378.html

放送自体を見ていないのではっきりとした事は謂えないのですが、このようなスタイルの報道をしたこと自体が望ましいことで無いと思います。いや、問題ありです。


■甘いのか甘くないのか

バナナに音楽を聴かせる事で聴かせていないバナナに比べて甘くなる理由は考えつきません。例えしっかりと検証した結果甘くなることが明らかになったとしても、それはおそらく音楽の有無以外に原因があることでしょう。そもそも、有りと無しのバナナを比較しているものの、それが同じ条件で保存されていたものなのかすら明らかで無く、元々の糖度が同じである保証もありません。同一条件における追熟による糖度の変化を検証しなければ甘く(屈折糖度計の濃度表示が高く)なったとは謂えないでしょう。

「何をそんなに憤ってるの?NHKは何となく放送しただけなんじゃないの?」そんな疑問を持つ方も居るかも知れませんが、どらねこは次のページを読みこの記事を書くことにしました。




AKBを聴かせた東京マラソン用バナナだと? 「ヘビロテ」がヘビロテされるバナナ倉庫に潜入した

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1202/23/news064.htmlより引用

ヘビーローテーションを聴かせる理由は「げん担ぎ」。今年の第88回箱根駅伝で完全優勝した東洋大学の駅伝メンバーの一番お気に入りの歌だったことから選んだ。音楽を聴かせたバナナの提供は昨年の東京マラソンから始めた企画で、昨年は一般人のフルマラソン経験者200人にアンケートを取り、ランニング中に聴く音楽として1番人気だったZARDの「負けないで」を聴かせた。曲を聴かせることで特別な効果があるのか気になるが、担当者は「科学的な根拠はない」としており、本当にげん担ぎのためだけという。

担当者は単なるげん担ぎの為だと述べているようです。


■放送の問題点

どらねこが一番問題だと思うのは、その手法がなんとなく科学を装う事にあると思います。

例えば似たような放送内容でも、音楽ありと無しのバナナを用意して、番組スタッフが食べ比べてみて、「あ、何となく音楽ありの方が甘い気がして元気がでる感じがします!」なんて演出だったらこれほど憤らなかったと思います。

屈折糖度計を用意して両者を比べると謂う手法が科学的に検証しているような誤解を招きかねないと思うからです。

単なるおまじないやげん担ぎを非難する気などありません。実際に甘さが違うことが計測器具を用い科学的に検証されたように見えかねない放送内容となっている事が問題なのです。明言しなくても伝わるメッセージの恐ろしさについて自覚が足りないのでは無いかと思うのです。

どらねこはこのように感じましたが皆様はどうでしょうか?アサイチでの安易な食品の健康効果を謳う放送内容など公共放送の報道姿勢としてどうなのだろうかと思うのです。


おまけ

■バナナの追熟

バナナの甘さのお話しをちょっと書いておきます。

果物は樹からもいだとき熟していない場合、保存により甘く熟すタイプとあまりそうならないものがあります。バナナは未熟なまま収穫され、追熟と謂う操作をする事でねっとりと甘い果肉に変化します。キウイフルーツや洋なしなんかも同じタイプですね。反対に樹で熟させる果物にブドウやリンゴなどがあります。

熟したバナナはすぐに悪くなってしまいますので、輸入前には未熟なままで過ごして貰うために、比較的低温に保ち輸送されます。こうすることでバナナは休眠状態になります。そして、日本に持ち込まれた後に追熟と謂う食べ頃の状態に変化をさせることになります。

リンゴと野菜や果物を一緒にしておくと早く悪くなると謂う話を聞いたことがあるかも知れませんが、これは熟したリンゴが出すエチレンガス(C2H4)の影響です。休眠状態にあるバナナにエチレンガスを与え、温度を高くすると追熟が進みます。甘くおいしいバナナとなるよう、適正な温度(高すぎると熟す前に傷んだりします)と湿度と酸素及び二酸化炭素濃度に保ち、店頭に並ぶのにちょうど良い状態でバナナを出荷するのです。音楽の出番なんて勿論ありません。

音楽を聴かせようと思うくらい、大事に良い品質のバナナを・・・と謂う気持ちが無意識に環境調整を更に適切なものとし、バナナを丁寧に取り扱う動作につながる事でおいしいバナナができあがる事までは否定しません。

ふぃっしゅふぃっしゅ 2012/02/27 13:21 doramaoさん、こんにちは。
食べ物に音楽を聴かせておいしくする、それがぜいたくなお遊びであることを理解できていれば良いのですが。
日本に輸出されるバナナを生産しているプランテーションの労働者の方々の生活のレベルやプランテーションが拡大した時代の現地での人々の闘い、そんなことをこういうことを考えつく人たちに是非知って欲しいと思います。
何だろう、この何でもイベントにしてしまう最近の雰囲気。
大事なことを見失っているように思いますね。

doramaodoramao 2012/02/28 13:04 ああ、バナナで釘を打つとか考えるような私もちょっと反省します。
所謂ブラック企業の状況を見ると明日は我が身かもしれません。そうならない為にはどうしたら良いのか、他者を尊重する行動こそ大切かも知れません。外国であっても不当な搾取が行われている事に目を向けるような姿勢がなければ、国内の問題も看過してしまいそうです。

ふぃっしゅふぃっしゅ 2012/02/28 13:36 科学的根拠の話なのに、あっち方向でのコメント失礼しました。
岩波新書の「バナナと日本人」は参考になるかもしれませんね。
あっちついでに先日から遠足のバナナに反応したかったので、私の場合はサンドイッチ用食パンでバナナをまいたものを遠足で食べた記憶があります。「おやつではありません。お昼ごはんです」という言い訳のために作ってくれかのかは定かではありませんが。
やはりバナナはぜいたく品。少し黒いところがでて値引きになったバナナをありがたく買っています。

doramaodoramao 2012/03/02 07:54 セルフまるごとバナナですね。
我が家ではあまり人気がなくて、子供が残して余ってしまったバナナは冷凍して妻がバナナシェイクにして飲んでいます。
朝バナナとか変な売られ方しているのを見ると残念に思いますよね。

2012-02-25

No.57の謎

| 16:54 | No.57の謎を含むブックマーク No.57の謎のブックマークコメント


助産師教育ニュースレター

1年半ほど前の話になりますが、助産院は安全?と謂うブログがはてなダイアリーに移転した時に紹介記事を書きました。→良ブログ紹介と助産師業界の心配なところ

その記事のなかでおまけとして、全国助産師教育協議会から発行されている、「助産師教育ニュースレター」と謂う冊子の内容について言及したことがありました。この冊子は全国助産師教育協議会のウェブサイトから誰でも入手できるのですが、調べ物をするためにバックナンバーを見ていてちょっとおかしく思うところがありました。バックナンバーはこちらのページにあり、pdfが閲覧できるようになっております。

一覧より(2012/2/25現在)

f:id:doramao:20120225164337j:image

このようにナンバリングと日付が書かれているのですが、実はNo.56のハイパーリンクをクリックするとリンク先がエラーで表示されません。これはアップした際のリンクミスなのかしらと思っていたのですが、それにしてはちょっとおかしなところがあるのです。

それならNo.57をみてみようかなクリックするときちんとpdfがダウンロードされます。


http://www.zenjomid.org/activities/img/news_57.pdfよりタイトル画像

f:id:doramao:20120225164448j:image:w540

一つ前に載せた一覧画像の日付と比べてみて下さい。日付が一覧にある日付と異なるのです。

これはどちらかが誤っているのでしょう。試しに他のファイルも開いて日付を確認したのですが、表示と異なるのはこれだけでした。その結果を一覧にしたものが次の画像です。

f:id:doramao:20120225164557j:image


■何かがおかしい?

助産教育ニュースレターは年に4回、3ヶ月に一度と謂うペースで刊行されている事が分かります。このスケジュール通りであれば、No.57の発行日は2007年11月25日であると予想されます。現にウェブサイトの一覧ではそのような表示になっております。

これってどう謂う事なのでしょう?しかし、無いもの*1を調べることはできません。これでこの調査も終了かと思っておりましたら、とらねこ日誌の読者の方から情報提供を頂き、No.57を譲っていただきました。

「えっ、No.56じゃないの?」

いま、そんな疑問を持った方がほとんどだと思いますが、実はこれが求めていたものだったようです。いただいたNo.57のタイトルをご覧下さい。

読者よりいただいたNo.57

f:id:doramao:20120225165129j:image:w540

日付はウェブサイトの一覧と同じく11月25日発行になっております。おそらくこれが真のNo.57であり、No.57としてアップされているものがNo.56であるとどらねこは思います。

もし本当にそうだとすればそこにどんな意図があったのでしょうか?それについてはどらねこは知るよしもありませんが、好奇心をかき立てられたのもまた事実です。折角送っていただいたので、そのうちNo.57の紹介記事を書くかも知れません。

*1:実際は母校を探せば手に入れられなくもないような気がしますが看護系の先生にあまり知り合いがいないのでちょっとキツイ

mimonmimon 2012/02/25 18:29 旧「助産院は安全?」(FC2版)も消えずに残っていますので、参考までに、リンクを張っておきます。
http://jyosanin.blog78.fc2.com/

ふぃっしゅふぃっしゅ 2012/02/27 08:46 doramaoさん、こんにちは。
「何かがおかしい」。このNo.とNo.57の怪はよくわかりません。
でもこのニュースレターの内容はいつもおかしいです。
適度に周産期の動向や報告を織り交ぜているけれど、結論は医師から独立して働く助産師を教育したいという意図に満ちていますね。
そこには臨床の現場が直面している問題とか、その中で助産師を育てるために努力されている教員一人一人の苦悩がなかなか見えてきません。
いつもこのニュースレターを読んで、イラッとしています。
たとえばNo.70に「第7次看護職員需給見通し(助産師)」があります。これは厚労省が出しているのだからニュースレターの編集側の責任ではないですが、いったいどこの国の需給かと思います。
病院22,100人、診療所7,600人に対して、助産所2,600人というのは全体の8%です。全分娩のたった1%の助産所になぜ8%もの助産師を必要とするのでしょうか。ハイリスクを請け負っている病院や、全分娩の半数を請け負っている診療所こそのどから手がでるほど欲しいのですが。
こうした現実とはかけ離れた数字が一人歩きしていることに、政府に近いところにいてそれなりの発言力のある教育者が何とかしようとは思ってくれないのでしょうか。
日本での産婦さんは半数以上が30歳以上になりました。心身の合併症を持つ方が、うちのようなローリスク対象のクリニックでも増えました。
「正常な分娩」だけを請け負う助産師を増やして、どうなるのでしょうか?
ついでに、No.70の冒頭の文も、途中の中央アフリカの母子保健の報告でも、そのような途上国では助産師が自律した働きをしていることに焦点をあてて紹介しています。
当然、周産期死亡も母体死亡も多い国です。
助産師の教育者はそのような国の助産師の働き方を日本がめざすべき方向と思っているのでしょうかね。
本当におかしな内容ばかりです。

doramaodoramao 2012/02/28 12:58 >mimonさん
残ってますよね。

doramaodoramao 2012/02/28 13:02 >ふぃっしゅさん
ふぃっしゅさんももう仲間です。逃げられませんよ。
冗談はともかく、その要求の根拠が気になるところですね。
今現在、稼働している助産所の数はどれぐらいでしたっけ?
700ぐらいではなかったかしら?
そこでの配置が増えて、それにより安全に出産できる赤ちゃんの数はどの程度でしょうか?病院での出産を圧迫するようなものになるのは目に見えているような気がしますが、そうならない根拠があるのかも知れませんので、これ以上は慎みます。

ふぃっしゅふぃっしゅ 2012/02/28 13:29 doramaoさんの投網に引っかかったような気がする・・・。
いえいえ、これで運命共同体ですね。伝令役の方もですね。
***
分娩で開業しているのが400弱ですね。複数での分娩介助が原則になったので、2人〜数名の助産師で共同というところが多いでしょう。それ以外に自宅分娩だけの出張専門の開業、母乳相談などの開業、それから地域の新生児訪問(これは開業は不要)など、兼任したりしているので実際の人数は私もよくわかりませんね。
出産などで病院を離れた後、新生児訪問などある程度地域で自由に活動できる枠組みは残しておいたほうがよいと思います。でも、どちらかというと、やはり病院・診療所で現在の周産期医療にかかわりながら、地域の仕事を兼任していくほうが良いと思いますけれどね。分娩の技術や知識のアップデートも必要だし、保健指導に関しても効果の不明な指導や療法などは規制されるべきだと思います。特に母親に経済的負担が生じる内容に関しては、もう少しきちんと検討されるべきだと思います。
母乳相談なども病院のスタッフとして行えば、お母さんの経済的負担を減らすことも可能です。1回数千円も取るような病院はないでしょうから。
それが本当に母子のためだと思います。

2012-02-24

もうダマされない為の読書術講義(?):その6

| 18:28 | もうダマされない為の読書術講義(?):その6を含むブックマーク もうダマされない為の読書術講義(?):その6のブックマークコメント

前回に引き続き、もうダマ4章を読み解いていきます。今回は何かと話題になっている欠如モデルにも言及します。


・・・これまでの遣り取り・・・


もうダマされない為の読書術講義(?):その1

http://d.hatena.ne.jp/doramao/20111016/1318728079


もうダマされない為の読書術講義(?):その2

http://d.hatena.ne.jp/doramao/20111023/1319367371


もうダマされない為の読書術講義(?):その3

http://d.hatena.ne.jp/doramao/20111107/1320660719


もうダマされない為の読書術講義(?):その4

http://d.hatena.ne.jp/doramao/20111217/1324125369


もうダマされない為の読書術講義(?):その5

http://d.hatena.ne.jp/doramao/20120223/1329998568


どらねこ:ふう、空腹は最大の調味料だね。脳のエネルギー源は通常グルコースだけど、飢餓状態だとケトン体も利用されるから安心してね。

黒猫亭:どらちゃん誰に向かって話してるんだい(爆)。

どらねこ:いや、どんちゃんの食べっぷりに圧倒されちゃってよくわからない事を口走っちゃったようです。


みつどん:えー、今日は少ない方だよ?しめて1,429kcal。

黒猫亭:いま頼んだケーキは勘定に入っていないんでしょう?

みつどん:自転車で5時間も走れば無かったことに出来る!

どらねこ:夕食の時間になってしまいますよ?さあ、気を取りなおして続きをやりましょう。


■科学者は「お呼びじゃない」?

どらねこ:平川さんの4章は、消費者の疑いの正当性を英国の事例から、欠如モデル→双方向モデル→専門性の民主化へと謂う流れを提示して、その合理性を印象づけているようだ、と謂う感じで話が進んだのでしたね。

黒猫亭:実際にはその印象は間違いではないかと、前回はサウスウッドの報告書を参照したわけだね。本文に注釈なりが無いのは不誠実では無いか?と述べたわけだ。

みつどん:そうでしたね。ただ、科学のそのような性格や「不確実性」の意味については、P185以降のトランスサイエンス的問題を巡るくだりで捕捉されているという読み方もできるんじゃないかな?

黒猫亭:そこで例示として挙げられている事例は、全部原発事故以降に科学の信頼が揺らいだケースですよね。事故後の事態推移や放射性物質拡散の予測が専門家によってまちまちであったことや、低線量被曝の影響について確実なことがわかっていないこととか。まあ、それは説明自体は噛み合っていますよね。

みつどん:ええ。原子力発電所の実態については、菊池誠さんが言っていたように「中を開けてみなければわからない」わけですし、事故直後の状況では情報自体が限られていて、情報開示のスピードも適切とは言えませんでした。そういう状況においては確定的なことが言えないのが科学の限界ですし、それを「不確実性」と表現するのであれば、それは説明として正しいと思います。

どらねこ:低線量被曝の問題についても意見が割れていることは事実ですし、結論らしきものが出せるのもまだ先のことでしょう。科学が追い着いていない事柄については「不確実」だとしか言い様がありませんので、それは平川さんが述べている通りですね。

黒猫亭:しかし「不確実性」がそう謂う意味であるなら、それは科学の強みでもあるはずでしょう。「わかっていること」と「わかっていないこと」を強力に切り分けるツールが自然科学なのですから、自然科学の知見以上に「確実」な言明は現時点では存在しないわけです。だとすれば、平川さんの挙げた事例と謂うのは結局「科学の使い勝手」の問題に過ぎないわけですよ。しかし、そこで挙げられた事例はすべて科学の知見が「個人の納得」に対して無力だった場面ばかりですね。

どらねこ:STSは科学の在り方に対して一種批判的な立場の学問でしょうから、そう謂う形になるのもやむを得ない部分があるでしょうね。

黒猫亭:ええ、ですから言っていることは間違っていないのです。「間違ったことは言っていないのに、誤った印象を与えること」が問題なんですよ。結局全体を通じて一貫して「原発事故に関して科学の知見は役に立たない」と謂う印象を読者に強く与える書き方をしているんです。

どらねこ:そう謂う印象はどらねこも感じました。ただ、なぜそう謂う印象を覚えるのかよくわからないですね。

黒猫亭:オレもそこが疑問だったのでいろいろ考えてみたのですが、平川さんは原発事故の問題をトランスサイエンス的問題だと言っていますね。そして、「トランスサイエンス」と謂うタームの説明については、初出のP185の時点では「科学に問うことはできるが、科学では答えを出せない問題群」と表現していて、P197で二回目に言及した際に併記して「科学なしでは解けないが、科学だけでは解けない問題群」と言い換えているんですね。

どらねこ:P185ではさらに「一見すると科学で答えが出せそうでも、実は出せない問題、あるいは出そうとしてはならない問題」と註釈していますね。

黒猫亭:その説明も間違ってはいなくて、検索してみると、たしかにワインバーグの定義は「科学に問うことはできるが、科学では答えを出せない問題群」と謂う訳語が多いようです。しかし、むしろ噛み砕いた意味としては「だけ」を補うのが妥当な解釈みたいですね。

みつどん:だいぶ印象が変わりますね。「科学に問うことはできるが、科学では答えを出せない問題群」と謂う表現だと、科学は不可欠な要素ではなく参考程度にしかできないように感じます。しかも、平川さん自身の言葉で「科学で答えは出せないし、出そうとしてはならない」と補足していますから、一種お呼びじゃない感が強いですね。

黒猫亭:ええ、「科学では答えが出せない」と謂う表現だと、要するにこの問題について科学は無力でお呼びじゃないよ、と謂う印象になります。しかし「科学だけでは解けない」と表現すると、科学は必要不可欠だがそれ「だけ」では解決できないという印象になりますね。さらに、言い換えた後の表現では「科学なしでは解けない」とちゃんと言っているんです。

どらねこ:そうか! 平川さんは「科学だけでは解けない」部分については説明しているけれど、「科学なしでは解けない」部分については何一つ説明していないんですね?

みつどん:あっ!やりかえされた。

黒猫亭:(笑)。一回目の説明がそれで、二回目の説明で言い換えたことにも文脈上の意味があります。つまり、P185以降数ページ、ワインバーグの説明から説き起こして語っているのは、震災と原発事故以降の状況で科学の信頼が揺らぐようなケースですから、そこで「科学で答えは出せないし、出そうとしてはいけない」と釘を刺しておけば、「原発問題について科学は無力だから、科学者の意見を聞く必要はない」と謂う印象を覚えますね。

どらねこ:なるほど、では、P197の二回目の説明は?

黒猫亭:ここは「トランスサイエンス・コミュニケーションの促進」が主題ですから、普通に考えて「科学は無力でお呼びじゃない」のならコミュニケーションなんか促進する必要はないって話になっちゃうじゃないですか(笑)。だからここでは「科学は必要だ」と謂うことになっているんです。間違ったことは言っていないけれど、言い換えや省略や不作為によって、その場その場でまったく違う印象が発生するわけですよ。

どらねこ:そこまで考えてやっているんですかねぇ・・・ちょっとにわかには信じ難いところですが、それで違和感の正体に説明がつくことは事実ですね。

黒猫亭:意図的か非意図的かと謂うのはオレにはどうでも好い問題ですね。問題なのは、事実としてそう謂う表現になっていて、おそらくかなり多くの読者はそう謂う誤った印象を覚えるだろう、と謂うことです。結局この章は全般にその手のレトリックを使った表現が矢鱈に多いんですよ。ハッキリと間違ったことは何も言っていない、でも平均的な読者が読むと誤った印象を覚えるように表現されている。言葉の多義性の揺らぎであるとか、文脈の構成であるとか、不自然な不作為とかね。

どらねこ:にゃるほど。そう謂う意味では、平川さんだけの責任ではないんでしょうけれど、少し前にTwitterで話題になったような欠如モデルについての誤解も、この章を読んだ読者は同じような印象を覚えたかもしれませんね。



■欠如モデル再び

黒猫亭:そうですね、欠如モデルと双方向モデルの関係についても、多分この章を読んだ読者は誤解したんじゃないかと思います。現時点でわれわれは欠如モデル型のコミュニケーションも平時においては意味があって、それがクライシス状況やトランスサイエンス状況においては適切ではないだけである、と謂う見方がSTSの基本的なスタンスだと謂うことを識っています。そのことを前回のレビューでJ_Stemanさん作成の図をお借りして視ていったわけですね。

どらねこ:ええ、ああ謂うふうに専門家の方に助言をいただけることは、この連載がダラダラとやる気あるんだかないんだか無駄口ばかり叩きながらチンタラモタクサと・・・もとい、十分な熟議の下に適切な時間を掛けて更新されていることのメリットの一つですね。

黒猫亭:そうですね、あのお話を伺ったことでわれわれ門外漢にも平川さん以外の窓口からの情報が入って、STSについての理解が深まったと謂うことがありました。その前提で平川さんが欠如モデルについてどう言っているかを改めて読んでみると、例によって間違ったことは言っていないものの、一読して「欠如モデルはオワコン」と謂う強い印象を覚えることは事実でしょう。

みつどん:それが主題の1つ、と受け取っていました。

どらねこ:「2000年代の科学コミュニケーションの生ぬるさ」とまで批判していますからね。

黒猫亭:ちゃんと読むと、たしかに欠如モデル型のコミュニケーションが完全に不要だとまでは言っていないんですよ。ただし、欠如モデルに基づく日本型サイエンスカフェ的なコミュニケーションについては徹底的に批判しています。知識を与えるだけではダメなんだ、公共的関与の対話じゃなきゃダメなんだ、と主張しているわけですから、幾ら「欠如モデルの対話は不要」と明言していないからと言って、普通の読者は「欠如モデルの科コミはダメなんじゃん」と謂う印象を覚えるのは当たり前ですね。

どらねこ:実際には、専門家から非専門家に知識を与える形の科コミも十分必要性があるわけですし、STSの立場でもそれは全然否定されていないわけですよね。公共的関与の大前提として、市民の立場で必要とされるレベルの科学知識の普及が行われる必要があるのは当たり前だろうと思います。

黒猫亭:前回触れたように、平時の科コミが欠如モデル型なのは当たり前だ、と謂うのはそう謂うことでしょう。クライシス状況やトランスサイエンス状況ではない場面では、キチンと専門家から非専門家に積極的な知識の提供が必要で、それがリスコミやトランスサイエンス・コミュニケーションの基礎になるわけですね。市民は科学について何にも知らなくても好いし、科学とは無関係な立場で個人の納得を要求しても当然だ、専門的知識が何もない市民が公共的関与を実践してもノープロブレム、なんて話ではないわけです。

どらねこ:以前クロネコッティさんが述べていた「衆愚の問題はどうするんだ」と謂うのは、実はそう謂う平時の科コミによる知識啓発で担保されるわけですね。

黒猫亭:ええ、「欠如モデルはオワコン」と言っちゃったら、市民は公共的関与に必要な科学の知識をどこで得るのか、それとも何も知らない立場で物を言って好いのか、と謂う当然の疑問が出ますからね。対象について何も知識がないのであれば、その判断や意見は当然妥当なものとは言えないし、そもそも決定された政策が目的に照らして妥当なものかどうかを量る尺度もありません。当然衆愚の問題が出てくるはずなんですよ。

みつどん:最低限度のリテラシーがなければ、専門家を交えても何を聞くべきなのかすらわからないわけですから、知識の非対称性の問題が顕在化せざるを得ない。どこかで必ず知識供給型の欠如モデル的なコミュニケーションの回路が必要になるはずだ、と。

黒猫亭:それが合理的な筋道でしょうね。そもそも「欠如モデル」と謂うのは「科学技術の社会的受容」に関する用語であって、それは平川さんも説明していますし、その目的性を外して考えれば欠如モデル的なトップダウンの知識提供型科コミには別段問題はないわけです。「科学技術の社会的受容」とは別の文脈で、市民の科学リテラシーレベルを底上げする活動として専門家から非専門家に対して科学知識の提供は為されなければならない。

どらねこ:これまでの欠如モデルを巡る誤解では、その「科学技術の社会的受容」と謂う目的性が認識されていなくて、ひたすら「欠如モデルはオワコン」的な言い方がされていましたね。

黒猫亭:平川さんがこのくだりで説明していることによれば、要するにこれまで日本では「科学技術の社会的受容」を目的とした科学コミュニケーションは「殆どなかった」と謂うことになるでしょう。ですから、「殆どなかった」ことそれ自体は問題ではあるけれど、それはその限りでは欠如モデルもへったくれもない話なんですよ。平川さんは「若者の理科離れ」と謂う話もしていますが、それは日本の現状では市民の科学リテラシーがお話にならないレベルだと謂うことですから、公共的関与どころか科学リテラシーの涵養を優先しなければならない状況だったと謂うことになります。

みつどん:双方の知識や認識に隔たりがありすぎるなら、先ずその溝を埋めるのがコミュニケーションの一歩ですよね。でないと文字通りDISコミュニケーションになりかねない。

どらねこ:そう謂う状況で一足飛びに公共的関与の対話の必要性を説いても、説得力はないですね。ある程度の科学リテラシーを前提に据えてこそ公共的関与の議論も成立するんでしょうから、市民が最低限の科学リテラシーすらも欠いたままただひたすら政府や科学者と議論をすればいいと謂う意見なら、ちょっと賛成出来ないです。

黒猫亭:普通に平川さんが伝えている諸条件を勘案すれば、日本ではまだまだそのレベルに達していないから時期尚早だよ、と謂う結論になるはずなんですが、ここは勢いで「双方向モデルが必要なんだ」と押していますね。なので主張のロジックが破綻していると思います。

どらねこ:この欠如モデルと謂う言葉は、ネット上では更に一人歩きしている状況が見られますね。元々曖昧な概念*1だけに、使う人によって都合良く恣意的に意味付けされていると謂うのかな・・・

みつどん:あぁったったったったったったったったったったったった、大変だぁっ!

どらねこ:どうしたのどんちゃん、悪逆非道なモヒカンの襲撃から善良なムラビトを護る為に北斗百烈拳を叩き込んでいるような声*2なんか上げちゃって?

みつどん:大変ですよっ! われわれがこうしてダラダラとやる気あるんだかないんだか無駄口ばかり叩きながらチンタラモタクサと・・・もとい、十分な熟議の下に適切な時間を掛けて考察を深めている隙に、PseuDoctorさんに抜かれましたよ! 新しいエントリがネットで評判になっていたので見に行ったんですが、今の話題と完全に被ってます、モロ被りです! 小○智○くらいアカラサマに被ってます!

黒猫亭:まあまあ、仮にネタが被っていたとしても、ネット言論は抜いた抜かれたの世界じゃないでしょう。われわれはわれわれのやり方とペースでやっていくだけのことですよ・・・どれ、オレも愛用の高機能携帯情報端末*3でそのエントリを読ませてもらうとしましょうかね。

どらねこ:・・・

みつどん:ああ、どらちゃんプリントアウトしないと長文を読めないんだった。おばちゃ〜ん、プリントアウトいっちょう!!

どらねこ:どんちゃん、アリガト。ふむふむ。これ、さっきクロネコッティさんが言及した「科学だけでは解けない」と「科学なしでは解けない」の二つを使い分けと同じ構図の話じゃないですか。




P02-04-2 ニセ科学の潜在的被害者は誰か〜「欠如モデル批判」と「ニセ科学批判」の意外な関係〜

http://pseudoctor-science-and-hobby.blogspot.com/2012/02/p02-04-2.htmlより


平川さんによれば、欠如モデルとは「科学技術をめぐる不安や反対などトラブルの原因が、知識不足以外に(も)あるのに、知識不足の問題としてのみ扱うこと?」であり、また「不安・反対の人々を「無知で不合理な存在」として表象し、「ご理解下さい」と一方的に技術の受容を迫るなど、テクノクラティックな態度のこと」だそうです。


しかしながら、当初から私はこの定義に違和感を持っていました。即ち、上記の記事でも少し触れた様に、「科学技術をめぐるトラブルの原因が知識不足のみだと考えている人など本当に居るのか?」「一方的に技術の受容を迫っている人など居るのか?」という疑問が消せなかったからです。


この疑問が言葉尻を捉えたイチャモンではない証拠に、平川さんは同時に「本当に知識不足が原因である問題に対して必要な知識を提供することは当然のこと。批判対象ではないし、敢えて欠如モデルと呼びもしない」とわざわざ述べておられます。

<中略>

平川さんは御自分のブログ記事(2006年のものです)の中で、欠如モデルの事を、こんな風に書いています。即ち「一般市民は科学や技術の知識が欠如しており、専門家が正しい知識をわかりやすく伝えることが重要だ」というのが欠如モデルの考え方だそうです。

<中略>

どうも平川さんは、こうした違いを理解出来ずに言う事がズレているのか、それとも理解した上で敢えて内容をズラして、しかもそれを「当然の常識」扱いしているのか、そのどちらかの様に思えます。前者であれば日本語の理解不足ですし、後者であれば不誠実(卑怯)な態度です。


みつどん:クロネコッティさんが先ほど指摘した「言い換えや省略や不作為によって、その場その場でまったく違う印象を与える事例」と同じロジックですね。

どらねこ:これは意図的に行っていると考えても良いでしょうね。

黒猫亭:うーん、それどころか、欠如モデルと謂う言葉自体、キチンと定義されたタームではなく、そもそも重要な概念であるかどうかすら疑わしい、なんて話まで出てきているようだなぁ・・・

どらねこ:もしかするとこの件は、複雑な問題に対しわかりやすいラベルを貼るような時に必要な注意を怠った場合、容易に起こりうるような問題なんじゃないかな?

みつどん:ここはもう少し整理して考えた方が良いのかも・・・?

黒猫亭:じゃあ、とりあえずこの段階までの流れでオレの結論を言おう。多寡が一冊の書籍のたった一章の記述には、それなりの影響力しかないことは前提となる事実ですよね。だからすべての責任を問うつもりなどは毛頭ないけれど、この前半の流れを読んで読者が強く受ける印象について、試みに整理して箇条書きにまとめてみましょう。



・科学者が一方的に市民に安全情報を発信するのは「欠如モデル」でオワコンだから、科学者の側が市民の意見を聞くべきだ。


・しかも、原発事故の放射能汚染について科学はまったく無力だから、市民は科学者の意見など聞く必要はない。


・科学の知見に基づいて「どの程度まで安全なのか」と謂う情報が発信されていても、そこには科学が見落とした「未知のリスク」が存在するかもしれないから信用出来ない。


黒猫亭:どうです、当節問題視されている一部の過激な反原発論者の言い分そのままじゃないですか。煎じ詰めれば「原発事故について科学者が何を言っていても聞く必要はないし、言っていることも信用出来ない。寧ろ科学者には市民の要求に従う義務がある」と謂うことになるわけですよ。この種の客観的根拠を欠く飛躍した乱暴な科学批判を後押ししたことについて、平川さんにはその影響力なりの幾許かの責任があるとオレは考えていますよ。

どらねこ:・・・と謂うか、この章で平川さんが読者に印象付けたかったのは、まさにそう謂うことなんじゃないかと謂う気がしてきました・・・

みつどん:平川さん個人の政治的スタンスとも合致しますしね。しかし、それは科学哲学的にもSTS的にも誤った言明になる、そこで「間違ったことは言っていないのに、誤った印象を与える」レトリックを駆使している、と・・・

黒猫亭:ええ、ここまでのオレの話が「印象論」に見えてその実は「受け手の印象を操作する技術論」であったことに留意して戴ければ、そう謂う結論になるでしょう。

どらねこ:どうやら大分見えてきましたね。この章の問題は結構根が深いようです。じっくり腰を据えてもっと突っ込んで考えてみましょう。



というわけで次回に続く。

*1:これについては科学哲学者である伊勢田氏の記事が参考となる。http://blog.livedoor.jp/iseda503/archives/1710164.html続きを期待したい。

*2:某世紀末救世主伝説参照

*3:毎度律儀に解説を入れる必要があるかどうかは疑問だが、A社製スマートフォンのこと。

2012-02-23

もうダマされない為の読書術講義(?):その5

| 21:02 | もうダマされない為の読書術講義(?):その5を含むブックマーク もうダマされない為の読書術講義(?):その5のブックマークコメント

もう忘れてしまった人も居るかも知れませんが、ようやく再開です。


・・・これまでの遣り取り・・・


もうダマされない為の読書術講義(?):その1

http://d.hatena.ne.jp/doramao/20111016/1318728079


もうダマされない為の読書術講義(?):その2

http://d.hatena.ne.jp/doramao/20111023/1319367371


もうダマされない為の読書術講義(?):その3

http://d.hatena.ne.jp/doramao/20111107/1320660719


もうダマされない為の読書術講義(?):その4

http://d.hatena.ne.jp/doramao/20111217/1324125369



■最終章

ついに年をまたいでしまったもうダマ書評シリーズですが、ようやく最終シリーズの第4章に突入します。

どらねこ:やぁおひさしぶりですクロネコッティさん、どんちゃん、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

みつどん:おめでとうございます。いやあ、終わらないまま年あけちゃいましたねぇ。

黒ぬこ亭:明けましてはけつかうな春が来たと謂う事なのである。

みつどん:はい、おめでとうございますクロネコッティさん・・・ってどらちゃん、なにやってんの(笑)。

黒猫亭:テキストベースだとネタがイマイチ伝わらないと思うんだけど、今のはオレじゃないですよ(笑)。どらちゃんらしいと謂うか、どらちゃんの中ではオレはそんなイメージなのか(笑)。と謂うわけで明けましておめでとう。今回は分量も増しそうだから、さっさと本題に入ることにしましょうかね。


■それぞれの印象

みつどん:じゃあ最初に感想を述べるのは僕の役割だと思うから、早速。

どらねこ:で、どらが疑問を呈して、どんちゃんが軽くフォローを入れて、そのあとクロネコッティさんが「いや、それは違う!」と割って入るわけですね。

黒猫亭:なんだかオレばかり憎まれっ子になって割を食っているような(爆)。

みつどん:まあ、僕は他にたっぷり食べてますので。 ええと、先ずこの章ではいわゆる「学史」の説明部分は素直に面白く読みました。ただ、一貫して語られる「科学技術のガバナンスのあり方と民主化」において、当然問題になるだろう「知識の非対称性をどうカバーするか」という部分が今ひとつ詳らかでは無いな、と。

どらねこ:うん、具体例がえーと・・・しょ、詳らかでないというのは感じましたね。

黒猫亭:つまびらか、ですよ。今度はテキストベースで無いとわからないネタをもってきて(笑)。さて。具体例が無いのは当たり前で、STSは元々科学者やそれを扱う技術が社会的・文化的にどのように振る舞うのかを社会学的な分析課題とするような学問であったわけで、「科学者は現状それでいいのか?」と謂うような問い掛けを行って、本来あるべき姿を提示をするような規範論なわけですから、そこからどうするかを具体的に提示するような学問でもないんですよ。

みつどん:生命科学と倫理の問題でも問われるような内容ですね。でも、その場合はある程度具体的な話が出て来ますよね?

黒猫亭:生命科学であれば対象が限定されているでしょう。それに比べると、科学技術の範囲は途轍もなく広い。科学者すべてを対象にもできない。

どらねこ:科学全体に話が及んで本質論まで踏み込んで「こうあるべき」と提示すると、どうしても主語が大きくなりますね。

みつどん:大きいことは良い事ですよ?

黒猫亭:規範論に留まるのならまだしも、それを科学内部の問題であるとか「科学の不確実性」にまで言及し、さらには科学を市民のものへ、などと本来の学問範囲を超えることを述べてしまっている。

どらねこ:なるほど。つまり

みつどん:つまり権力と科学の関係性の話で閉じているなら、「知識の非対称性」は対応すべき懸案事項の1つに過ぎないし、権力が如何に専門知識を扱うか、と謂うより普遍的な問題でもある。STSサイドから具体事例を出す必然も無い。

どらねこ:ぱくぱく・・・で、でも

みつどん:でも、それが関係性を飛び越えて科学の民主化を唱えるというならそれは話が違ってくる。この場合、知識の非対称性は単なる懸案事項というより「焦点」となる。そこが最大の問題点なのは明らかなのだから。本来必要の無い具体事例の提示が「詳らかで無い」と感じるのは、STSとしての学問範囲を超えた所にまで話が広がった結果だ、という主張ですね。なるほど。

どらねこ:ぷー

黒猫亭:まあまあどらちゃん、すねなさんなよ。それが美味しいところに目がないゼイニィの習性なんだからさ。


■個別の内容はそんなにおかしくない?

どらねこ:ぶっちゃけ、平川さんの章って人によってすごく評価が違いますよね。どらの周りは悉く芳しくないのだけど、ネットでは評価の高い意見も結構見かけます。どらねこは特に先入観無くこの章を読み始めたのですが、なんとなく違和感はあるものの、最初は違和感の正体がはっきりわからなかったんですよね。あと、一つ一つには賛成できる部分もありました。

黒猫亭:おやおや、どらちゃんは早くも敵対モードですかー、へーわしゅぎしゃのボクとしてはかんしんしないなー(棒)。

どらねこ:しらじらしいなぁ、「ボク」って誰やねん・・・

みつどん:まあ、ボクとしては平川さんの提言それ自体はさほどオカシナモノでは無い印象がありますね。判断の分かれ道はどんなところにあるのかな。

どらねこ:うーん、これは文章を読んでどこまでを想定するのかによって印象は違うのかも知れませんね。例えばコストの問題とかの実現可能性などを考えると空虚に見えるお話なんてのも現実には色々ありますものね。

みつどん:先述した知識の非対称性の問題や、例えばコミュニケーションの負担をどこが払うか、科学者に対する負担増をどのようにして緩衝するかなど、実現に向けての肝心なところが書かれていませんね。

黒猫亭:結局そこに行き着くんだけどね、STSが一種の規範論だとすれば、コミュニケーションの実現に向けて実践的に運用できるツールではそもそもない、さっき言ったようにこれが一つあります。そして、ここがもっと重要なんだけれども、平川さんの文章を読むと、STSがどんな学問であるかを誤認させるような書き方になっている。そこが、謂ってしまえば一種の詭弁臭や胡散臭さの印象に繋がっているんですよ。

どらねこ:ああ「詭弁」とまで言ってしまいましたか(笑)。

黒猫亭:申し訳ないけど、そう言わざるを得ないですね。もっと言うと、この章は普通にさらっと読めばそれなりに筋が繋がっているように読めるのだけれど、子細に検討すると実は繋がっていないロジックを言葉の印象だけで繋がっているように見せ掛けている部分が多々あると思いますよ。悪意的に言えば、それこそポストモダンの常套手段じゃないの?と(笑)。

どらねこ:あらん、そーかしら・・・ああええと、自然科学者からも評価されるメタ科学はそう謂った欺瞞が無い場合が多い気がしますね。逆に陥ると相対主義的な方のたまり場になりやすいような。とはいえ、そこから一歩踏み込んだ議論をなさっている方もいらっしゃるとは思いますが。

黒猫亭:ええ、前回図を引用させていただいたJ_Stemanさんのお話からオレが理解した範囲では、STSって「リスコミをやる学問」でもなければ「トランスサイエンス・コミュニケーションをやる学問」でもないんです。それらを具体的に実践する学問領域はまた別にあって、STS=科学技術社会論と謂うのは社会と科学技術の間の関係性を探る学問ですから、それらの隣接分野の学問を俯瞰し協働するような形で科学のあるべき姿を模索していくわけですね。

どらねこ:にゃるほど、そうすると後半のトランスサイエンス・コミュニケーションの部分について、多くの読者から「当事者意識がないんじゃね?」「誰がそれをやるの?」という感想が出るのも仕方がない、と。

黒猫亭:別の意味でも仕方がないんですよ。あの書き方だと「トランスサイエンス・コミュニケーションをやるのはSTSだ」と読めるのに、その割には誰か他の連中がやることだと謂う前提になっているので、そう謂う感想が出るのは当たり前だと思いますよ。で、前もって確認しておきますが、これは別段平川さんを擁護しているわけではなくて、その逆です。読み手がそう謂う矛盾を感じるのは、要するに平川さんが意図的にそう謂う書き方をしたからだとオレは考えているんです。

どらねこ:さすがは「へーわしゅぎしゃ」のクロネコッティさんですねぇ、初っ端からやる気満々じゃないですか(笑)。

みつどん:では、そろそろその辺を具体的に検証してみましょうか。


■科学はホントに不確実なの?

黒猫亭:じゃあまずオレから行きましょう。この章の前半では「BSEGMO→科学の不確実性→未知のリスク」と謂うロジックが語られていますね。これについてご両人はどう思われますか?

みつどん:学史的な説明として、ふむふむと素直に読みました。多少引っかかる所もありましたが、まあ専門家の言う事なのだし、と。それなりに筋は通ってると思いましたが。

どらねこ:そうですね、どらねこもそうは思うのですが、ただ少し妙な違和感を持ったのも事実で。どこがどうと謂うわけではないんですが、「未知のリスクがあるのではないか」と謂う表現は、やはり少しでも自然科学を囓っていると違和感が残る表現ですね。

黒猫亭:オレは初読時からここがずっと引っ掛かっていて、どうもロジックに胡麻化しがあるんじゃないかと疑っていました。それでここで挙げられている問題をいろいろ調べている内に、どう謂う胡麻化しがあるのか大体整理が附いたんですが、普通STSの話でBSEやGMO*1の話題が出て「科学の不確実性」の話が出てくるのってよくあるパターンなんですよね?

どらねこ:ええ、大体そんな感じで歴史性を説き起こすのがパターンのようですね。

黒猫亭:だから、何となくここはSTSの概説を常套的なストーリーで語っているように見えるんですが、細かいところでロジックが変なところがたくさんあるんですよ。まず最初にBSEの問題ですが、平川さんはここで「科学ではわからなかった未知のリスクがあった」と謂うように意味附けて、そこからGMOについても「未知のリスクがあるのではないか」と謂う市民の科学不信が起こった、と謂うストーリーで語っていますね。そこがまずおかしい。

どらねこ:と謂うと?

黒猫亭:逆に伺いますが、英国のBSE問題では、本当に科学者はBSEがヒトに感染する可能性をまったく予想出来なかったのでしょうか?

どらねこ:え、現実問題として「ヒトには感染しない」と発表されたから政府や科学に対する不信が起こったわけでしょう? だったら、ヒトへの感染可能性を見誤ったと謂うことじゃないんでしょうか。

黒猫亭:どうもその辺がややこしいのです。本書で触れられているサウスウッド報告書についてわかりやすく俯瞰するには、農畜産業振興機構のHPのこのページ(http://www.alic.go.jp/consumer/livestock/bse-report02.html)を参照するのが好いと思うんですが、ここに掲載されている2000年10月に公開されたBSE問題についての調査報告書第1巻3、4節を読むと、「BSEがヒトに感染する可能性は非常に小さい」と謂うサウスウッド報告書の結論は、厳密に謂うと「BSEは人獣共通感染症ではない」と謂う意味ではないらしいんですよ。

※報告書の邦訳より本文を参照してこの話題を論じる為に必要と考えられる箇所を引用したエントリを別途作成しております。必要に応じ、参照をお願いします。



科学の結論は間違っていたのか?「サウスウッド報告書邦訳」から考える

http://d.hatena.ne.jp/doramao/20120222/1329997356


みつどん:う〜ん、結果的には「ヒトに感染する可能性は非常に小さい」と報告したんだから、大筋では結論が間違っていたという事になるんじゃないですか?

黒猫亭:そこが微妙なんですよ。たしかにサウスウッド報告書では「BSEは牛のスクレイピー(羊海綿脳症)だ」と謂うワイルスミスの意見を支持しているように見えるんですが、この見解は厳重な情報管制が行われた発生当時の状況で限定された情報から出した暫定的な意見ですし、情報が限定されている以上はそれ以上の結論は出しようがない。実際にワイルスミスの仮説は後に誤りであったことが証明されるわけですが、この時点では単なる「意見」です。

どらねこ:羊海綿脳症だったら随分昔から知られているけれど、その間に羊からヒトへの感染が認められた例がなかったから、BSEも大丈夫だろう、と謂う話だったわけですよね。

黒猫亭:そのワイルスミスの意見がサウスウッド作業部会の楽観的判断に影響を与えた可能性は、2000年の調査報告書でも指摘されていますが、それと同時に「もしも感染した場合には重大なリスクがあるから、可能な限り安全な手段を講ずべきだ」と謂う主旨の有効な提言も幾つか為されています。その提言に基づく幾つかの条件が満たされることを前提に「ヒトに感染する可能性は非常に小さい」と結論附けているんですね。実際、同報告書では「もしもBSEがヒトに感染するならCJDとして表れるだろうから、そちらのほうも研究すべきだ」と提言されています。

どらねこ:にゃるほど、だから「BSEは人獣共通感染症ではない」と謂う結論ではなかったし、ヒトへの感染を予期出来なかったわけではない、と謂うことになるわけですね。でも、ワイルスミスの意見が作業部会の判断に影響を与えたと謂うなら、やっぱり彼らは内心そう謂うふうに思っていたと謂う意味にはならないでしょうか?

黒猫亭:ええ、この調査報告書でも別段サウスウッド報告書に問題はなかったと謂う結論にはなっていません。幾つかの点では功績があったけれど、致命的なミスもあったことは事実であって、それはBSEがヒトに感染する可能性を十分に強調しなかったことだ、と言っています。一方では「感染したら大変だからこれこれこう謂う手を打つべきだ」と言っているのに、他方ではこれを閲読した者に「ヒトへは感染しない」と謂う強い印象を与える書き方をしたことは矛盾した姿勢で問題だった、と謂うことです。そして、重要なことは、この時点ではサウスウッド作業部会に「BSEが何であるか」について確実な結論を出せと言われていたのではなく、「現状でどうすれば好いか」が問われていたと謂うことです。

どらねこ:この時点ではBSEは「未知のリスク」そのものだったわけですから、「BSEが何であるか」については、科学の側から確実な結論が出せていなかったわけですね。わからないものはわからないものとして扱うと謂うのが科学の原則ですから、そう謂う「わからないもの」の取り扱いに失敗したと謂うことになるわけですか。

黒猫亭:それにはさまざまな要因が絡んでいると謂うことがこの調査報告書で述べられていますから、興味があったらご一読をお奨めしますが、政治や産業に対する配慮や、逆に外部からの積極的介入と謂う要素も強かったと謂うことは言えるでしょう。突き詰めて謂えば、科学の問題としてはこの段階では「BSEが何であるかはまだわからない」としか言えなかったし、実際にそう言っているんですよ。まだわからないけれど、事態を収束する為にはどう謂う方法を採れば好いのか、と謂うことを提言したのがサウスウッド報告書で、要するにその意見の強度のバランスがBSEの蔓延とCJDの感染を未然防止するには現実問題として不十分だったのです。

どらねこ:たしかに、水俣病の問題なんかでもそうですが、未知のリスクが顕在化した初期段階で科学に出来ることには限界がありますね。そして確定的な結論が出るまでには長い時間がかかります。科学はわからないものをわからないとしか言えないわけですから。このような問題についての現実的政策の判断を科学者ばかりのグループに求めた事にも問題があった、と。

黒猫亭:そう謂う流れになるはずなんですよ。それはまさにSTSが取り扱うべき問題領域でしょうし、サウスウッド報告書が何故あのような失敗を犯したのかと謂うことについては、飽くまで人間の振る舞いに関する問題なのですから、失敗学のようにヒューマンエラーを詰めていくアプローチもあるでしょうし、科学者の振る舞いに内在する構造的問題や社会における科学の在り方を考察すると謂うアプローチもあるんでしょう。だから、この問題について「科学の不確実性」と謂う言葉を遣うのであれば、本来は「わからないものをわからないものとして扱う」と謂う、科学の基本的な手法に内在する非確定的な性格を指しているはずなんです。

みつどん:BSE問題による「信頼の危機」と併置して「科学の結論がまちがっていた」という風に書かれると「科学の知見は不確実で信用できない」という意味に読める。しかし、「わからないものをわからないものとして扱う」「物事を確率的にしか予測しない」という方法論自体は「不確実」ではなく「確実」なんですよね。「科学は絶対確実だ」という一般的認知に対し、「科学は絶対確実だと言わないから確実なんだよ」というのが「科学の不確実性」、と。

どらねこ:ああ、ずっと黙ってたと思ったらまたどんちゃんが美味しい所を・・・。科学の方法は現状では最も確実な考察のツールですが、わからないものや確率的にしか言えないことについて唯一無二の選択肢を示すものではない、だから現実問題で決定を行う必要があると謂う場合には「不確実」な意見しか言えない、と謂うことでしょうかね。どらねこは最近、科学的な思考とクリティカルシンキングと客観的思考の違いなんかも考えたりしているのですが、この場面では価値観や文化的背景なども考慮した客観的な考えも大事になるように思うんですよね。

黒猫亭:そんなところじゃないでしょうか。そして、そこからGMOの話に続くわけですが、ここで「消費者の疑い」として挙げられている「BSE問題のように未知のリスクがあるかもしれない」と謂う疑念には論理の飛躍がありますよね。

どらねこ:そうですね。BSEの場合はそれ自体が「未知のリスク」だったわけで、それに対して科学は「まだわかりません」としか言えなかったけれど、GMOについてはすでに十分研究されたものが実用を認可されたわけですから、「未知のリスクがあるかもしれない」と謂う話にはストレートに繋がらないですよね。

黒猫亭:消費者が「政府や科学に対する不信」を理由に論理的に飛躍した疑いを抱いていたとしても、それを「消費者はそう疑った」と述べるのはその限りでは嘘ではありませんよね。事実ですから。でも、これを一連の文脈として読むとどう謂う印象を覚えるでしょうか?

どらねこ:サウスウッド報告書で、実際には「特定の科学者が下した政策的判断」に過ぎない「ヒトへの感染の可能性は非常に小さい」と謂う意見が述べられていて、それが本書では「科学の結論」と表現されているんですから、「BSE問題で科学は『ヒトへの感染』と謂う『未知のリスク』を見落とした、だからGMOでも同じように何か致命的なリスクを見落としているかもしれない」と謂う合理的な疑いであるように思えますね。

黒猫亭:それは実は間違った印象ですよね。サウスウッド報告書が誤っていたのは科学的には「ろくな研究もなく何もわかっていない状況」でリスクの実現を予防する為の現実的判断が間違っていた、不十分だった、と謂う話に過ぎないのに、十分に研究されて認可されている科学研究の成果を同様に論じられるはずがない。つまり、「未知のリスク」と謂う言葉と「科学の結論」と謂う言葉の多義性の相乗効果で、誤った印象が生起しているわけです。しかもそれは、科学に疎い消費者が実際に抱いた疑いと謂う形をとっていて、著者の見解ではないわけですから、単なる事実の叙述に過ぎない。

みつどん:そこは著者から一言あってもよかったですね。

黒猫亭:ところが平川さんはそれについて何ら註釈しない。消費者の疑いが合理的だとも言わなかったが、飛躍があるとも言っていない。それ自体は紙幅の関係とか舌足らずだったと解することも可能ですが、今度はそのような消費者の疑いを受けて、欠如モデルから双方向モデルへ、専門性の民主化へ、と謂う話を説き起こすわけです。そうすると、消費者の疑いが合理的だったと謂う読者の印象はさらに強くなるわけですね。

どらねこ:それに対応する形でさまざまな対話型科コミの施策が打たれ、それらの施策は肯定的に評価されているのですから、非専門家の疑義は妥当だった、と謂う印象にはなりますよね。

みつどん:ぐるる〜

黒猫亭:おやおや、どんちゃんタイマーが鳴ったようだ。そろそろ何かお腹に入れようかな。

どらねこ:と謂うわけで次回につづきます。

*1:Genetically modified organismの略。遺伝子組み換え生物であるが、ここでは農作物の話題として取り扱う。未知のリスクとして俎上に載せられる課題にGMO特有の問題では無いものが見られる事などから心情的な反発が大きいとも考えられる。心情は否定できないが、それは組換え作物への安全性についての科学的結論に関係する問題では無い。従来的な品種改良でも起こりうる危険性にまで言及した主張を正当なものとして厳密に運用すれば安心して食べられる食べ物が十分に行き渡らなく事態が予想される。

2012-02-22

科学の結論は間違っていたのか?「サウスウッド報告書邦訳」から考える

| 20:42 | 科学の結論は間違っていたのか?「サウスウッド報告書邦訳」から考えるを含むブックマーク 科学の結論は間違っていたのか?「サウスウッド報告書邦訳」から考えるのブックマークコメント

※これはもうダマ読書術シリーズその5の補足用エントリとして作成したものです。

もうダマされない為の読書術講義の第4章について議論しているなかに英国BSE問題に関連する部分があるのですが、英国では当時の認識や対策についてその妥当性を探るべく委員会を設け、総括がなされております。その内容を踏まえてみると、4章での説明は誤解を与えかねないものではないか?という印象を持ちました。書評エントリの本文と大事であると思われる箇所を並べて引用しながら意見を述べてみたいと思います。なお引用はすべて第1巻 調査結果と結論から行います。

■検証内容を読む


もうダマされない為の読書術講義本文より

どらねこ:ど:え、現実問題として「ヒトには感染しない」と発表されたから政府や科学に対する不信が起こったわけでしょう? だったら、ヒトへの感染可能性を見誤ったと謂うことじゃないんでしょうか。


黒:どうもその辺がややこしいのです。本書で触れられているサウスウッド報告書についてわかりやすく俯瞰するには、農畜産業振興機構のHPのこのページ(http://www.alic.go.jp/consumer/livestock/bse-report02.html)を参照するのが好いと思うんですが、ここに掲載されている2000年10月に公開されたBSE問題についての調査報告書第1巻3、4節を読むと、「BSEがヒトに感染する可能性は非常に小さい」と謂うサウスウッド報告書の結論は、厳密に謂うと「BSEは人獣共通感染症ではない」と謂う意味ではないらしいんですよ。

どらねこ:BSE問題と科学の結論の話、完全に黒猫おぢさんのペースになってしまっているけど、ホントにその通りの事が書かれて居るのかちゃんと読んでみようかな。

このページの翻訳文はどんなものかと最初のpdfにかいてあるね。

英国政府は農漁業食糧省(現、環境・食料・農村地域省)、保健省の枠外にフイリップ卿を委員長とする委員会を設け、調査を実施し、2000年10月に4000ページに及ぶ膨大な報告書(全16巻)を公表しました。この報告書は、BSEの発生経過、対策及びその妥当性等広い範囲を調査・分析し、極めて詳細に報告しています。

そのうち1巻、2巻および14巻の一部が翻訳されているんだね。親切にも報告の要旨まであるね。ふむふむ。


■本調査報告書の要旨より

はじめに

付託事項 の定めるところにより、以下の事項が我々に対して義務付けられた。

英国におけるBSEおよび変異型CJDの発生とその確認、ならびに1996年3月20日時点までにとられた対応措置についての経緯を明らかにし再検討すること。当時の認識を考慮し、その対応の妥当性について結論を得ること。また、これらの事項について、農漁業食糧大臣、保健大臣、ウェールズ大臣、スコットランド大臣、および北アイルランド大臣に対し報告を行うこと。

問題があったのならキチンと検証して明らかにしないと同じ過ちを繰り返しかねないものね、でもその場合はこの調査報告についての妥当性が気になるところ。どのような方法で行われたのか、公平性を担保するためにどのような措置が講じられたのかが重要になるよね。その点、この報告書にはキチンと調査方法が掲載されていますね。この報告に書かれている内容に沿ってこの話題に言及することは妥当であると謂えそうだね。


要旨:1 主な結論

BSE問題の核心には、危険、すなわち既に知られている牛に対する危険とまだ知られていない人間に対する危険にいかに対処するかという問題が存在する。政府はこれらの危険の両方に対処する措置を講じた。これらの措置は賢明なものではあったが、必ずしも時機に適ったものではなく、適切に実施・施行されたともいえなかった。

まず、措置の中身自体は賢明なものだったけど、実施に際しての問題が存在したと結論されたようです。


要旨:1 主な結論

人間の健康を守るために政策措置がとられた際、それが厳格に実施されなかったのは、1996年以前、BSEには人間の生命を脅かす潜在的危険性はないと広く信じられていたことに主な原因がある。

これは油断と謂う事なのかな?でも、過去のよく似た事例を参考にすることは人が生きていく中で重要なことだしねぇ。むずいな。


要旨:1 主な結論

官僚的な手続きにより、政策実施に容認し難い遅れを生じた場合があった。

これはシステムの問題なのかな。油断があったのなら、鶴の一声みたいなのが効きにくい適用しにくいみたいなところがあってもおかしくないかな。


要旨:1 主な結論

政府は、BSEが牛においてのみならず人間においても生死に関る問題であるかもしれないというリスクを警戒する対策を提起したが、人間へのリスクの可能性について、一般国民あるいは予防策を実施・施行する立場にある人々には情報が伝わらなかった。

対策はそうなっているけど、危険性を直接指摘するものでなかったからしっかりと伝わらなかったと謂う事かな。対策の中身を見て判断しろみたいな事じゃ無くて、明言化した方がよかったと謂う事かしら?


要旨:4 BSEによる人間へのリスク評価

BSEや他のTSEにおける最も著しい特徴の1つは、潜伏期間が非常に長い疾病であることである。このため、何年もの間、BSE が人間に感染するかどうかについて何らかの確実な答えが得られる可能性は低く、科学的実験にはどうしても長い時間を要した。政府は、BSEの感染性についての不透明性を背景にもったままこの疾病の問題に対処しなければならなかった。

政策を実施する為の根拠となる証拠を提示することができない問題であったわけで、それだけで科学としては結論を出せる問題では無かったと謂う事だね。もうこの時点で科学の結論が誤りだったと謂う論提示自体が妥当じゃ無いような気がしてきたぞ。明確な根拠の無い危険性を訴えて政治を動かしているような事例があれば、そのような対応を批判する勢力もありそうだし、ホント難しい問題だと思う。


要旨:4 BSEによる人間へのリスク評価

1987年末までに、MAFF 担当官は、BSEの症候を呈している牛を食肉用に屠殺することの妥当性について懸念を持つようになった。しかし、MAFFが保健省(DH)に対して、BSE による人間の健康への影響について検討を行うために協力の要請することはなかった。そのような協力の要請はなされるべきであった。

横の連携が難しいと謂う話は日本でも良く聞きますね。


要旨:4 BSEによる人間へのリスク評価

この報告書は、本来明らかにするべきであるリスク評価の根拠を明確にしなかった。一方で、同報告書には、この評価が正しくなかった場合の影響は非常に深刻であろうと述べられている。この警告は、見過ごされてしまっていた。その後何年もの間、サウスウッド報告書は、BSEが人間にリスクを及ぼす可能性は低いということと、作業部会によって提言された予防策以外の対策は必要ないということの科学的根拠として繰り返し引用された。

サウスウッド報告書の書き方の問題と謂う事かしら?リスク評価の根拠が実は明確なものでなく、誤りがあれば深刻と並んで書かれて居ればもっと深刻に受け止められたかもしれないと謂う事かな。


要旨:5 BSEによる人間へのリスクに関する情報の伝達

国民に対しては、牛肉の安全性が繰り返し強調された。そのような主張は、BSEが感染性をもつという可能性に対して人間の健康を保護する目的で導入された予防策が適切に順守されることを前提としているという点について、いくつかの声明では説明が不足していた。これらの声明は、単に牛肉が安全であるということだけでなく、BSEに感染性はないというメッセージを伝えてしまった。

前提を飛ばして、わかりやすいメッセージだけが届いてしまったと謂う事ね。ちょっと話は変わるけど、マウスの結果だと謂う大事な前提をすっとばして、健康効果を発見!みたいに読めるような記事を良く目にするのも似たような問題じゃ無いかしらと思うのね。それならそう謂った報道をした事のある記者さんとかは我が事のように反省し、ともに考えていかなきゃならない問題だよね、コレ。


要旨:6 牛の疾病撲滅対策

感染率が週に何千例にまで増加していたという事実を認識していなかった政府は、家畜飼料産業が飼料の在庫を処分できるように、禁止措置の発効までに5 週間の「猶予期間」を設けた。このように一歩譲歩した対応がとられたことによって、一部の飼料業者は、これを政府が百歩の譲歩を許したものと受け止め、禁止措置の発効後も飼料の在庫処分を続けた。畜産農家側も、既に購入し蓄えてあった飼料を使い切った。このことが、1988 年7 月18 日付で反芻動物飼料禁止令が発効した後に、何千頭もの家畜がBSE に感染する結果につながった。

ルールの厳格な運用が為されなかった事も問題を大きくしてしまったのですね。人は自分の都合の良いように物事を解釈する傾向があることを織り込んだ対応策の伝達が必要だと謂う話になるのでしょうか。


要旨:6 牛の疾病撲滅対策

さらに深刻だったのは、BSE が感染し得ると立証されていた感染因子の量について、徹底的な検討が行われなかったことである。反芻動物由来のたんぱく質を含む豚や鶏の飼料から牛の飼料への飼料工場内での交差汚染は、ほとんど問題とはならないであろうとする、誤った推測がなされた。

事態を大きくした原因の一つ。まさかもあるし、発症までの時間が長いことなど様々な要因が関連しているのでしょう。どこまでリソースを割くこと可能か、何が重点課題なのかの判断とか難しい問題。


要旨:6 牛の疾病撲滅対策

実際は、その後の実験で証明されたように、コショウ一粒ほどのわずかな量の感染物質を摂取することで牛はBSEに感染し得るのである。飼料工場内での交差汚染によって、何千頭もの牛がBSEに感染し続ける結果となった。感染からBSE の臨床症状が明白になるまでに平均5年かかるため、このことは1994年まで正しく認識されなかった。

コショウ一粒と書いてあるけど、コショウの粉末一粒と謂う意味だよね?とか思ってしまったり・・・。それはともかく、BSEは明白になるのが平均5年と謂う事だけど、これがもう少し長かったらどうなんだろう?また、牛には臨床症状が明確にならないのに、人間には明確に現れるタイプの病気を発症するものだったらどうだろうとか、可能性を考えると際限ないなとか思ってしまう。線を引くと謂う事の難しさをあらためて感じるなぁ。

要旨:6 牛の疾病撲滅対策

1994年になってはじめて、BSE感染が続いていることとその原因が認識された。規制が見直され、それまでは地方自治体が行っていた屠殺場の監督義務が1995年に新たに食肉衛生局(Meat Hygine Service:MHS)によって引き継がれたと同時に、規制を厳格に実施するためのキャンペーンが始まった。これらの対策が成功を収めたことは、現在、明白になりつつある。これらの対策は、1996年3月20日以降、動物性たんぱく質の動物飼料への使用禁止という根本的な措置に置き換った。

その数年が非常に大きな問題を生んでしまったのですが、規制を根本的に見直したのでは無く、厳格に実施する事で成功したと謂うところは注目かな、と思う。元々厳格に運用されていたのなら〜であったと謂う見解を支持するものだからね。


■報告書から大事そうなところを抜粋

要旨の元となる報告書本文からも重要そうなところを抜粋・引用しておきます。

【BSEに関する報告書から】


第1巻 p43より

192 BSEはスクレイピー感染羊から感染したという結論は、一般的に受け入れられた。それは、安心を与える結論であった。スクレイピーに罹った羊は、何ら明白な悪影響もなく200年以上にわたって人の食用にされていた。牛のスクレイピーもまた、同様に無害であると照明される可能性が高かった。


第1巻 p45より

201 マクレガー師の決定は、さらに断固としたものであった。1988年5月19日、彼は「反芻動物の飼料への羊肉原料の使用に対する迅速かつ強制的な禁止措置」を講じるべきであると決定した。

<中略>

この禁止措置は、反芻動物由来飼料の反芻動物への使用禁止令にまで拡大されるべきであることが決定された。

<中略>

この禁止令は、当初、1988年末までのみの措置であったが、その後延長され、最終的には恒久的な措置となった。


第1巻 p46より

204 禁止令をいつ施行するべきかに関する協議の過程において、問題が生じた。英国農業供給事業者団体(UK Agricultural Supply Trade Association:UKASTA)は、団体のメンバーによる協議の後、既に配合された反芻動物由来飼料の全ての在庫を飼料産業が流通経路から取り除くことができるように、3カ月間の猶予期間を要求した。MAFF内部の獣医学者による助言を得たのち、ローレンス氏は2カ月間の猶予期間を提案した。MAFFの広報室は、2ヶ月もの措置実施の遅れは、飼料産業にとって問題を楽にするためだけに、疾病がさらに広がるというリスクを侵したという非難につながるであろうと助言した。マクレガー氏は、アリスター・クリュックシャンク氏16 の助言に従って譲歩し、禁止令が、命令の日から5週間後の7月18日に施行されるべきであることを決定した。

205 当初、我々は、この猶予期間を与えたことに対して疑問をもったが、我々の疑問は後知恵によるものであると結論した。反芻動物由来飼料の禁止令の策定に関与していたMAFFの獣医学者の1人であるケビン・テイラー氏は、彼が、獣医学的見地から考えて2カ月間もの猶予期間が完全に許容範囲にあるとする理由について我々に説明した。当時、入手可能であった情報に基づいて考えて、措置の実施におけるそのような遅れによって、何らかの違いが生じるであろうとは彼には思えなかった。畜産業界は、感染した飼料に380週にわたって曝露していた。それが、さらに何週間か延びても大きな違いは生じなかったであろう。

207 ずっと後になって、感染した飼料が、7月18日以降もかなりの規模で牛に供給され続けたことが明らかとなった。

<中略>

しかし、一部の飼料工場や飼料販売業者らは、禁止令の施行後も、故意に動物性たんぱく質を含む牛の飼料を販売し続けたと我々は確信している。

遵守されるか否かは科学の問題ではないけど、結果が大きくなれば全体への不信が大きくなるのはある意味当然かな、とは思う。このような状況にあるときに、ちょっとしたミスリードが大きな反発、反感をもたらしかねないと思うのね。

第1巻 p48より

212 ワイルスミス氏は、感染を起こすには、ごくわずな量の感染物質で十分であると結論していたと述べた。牛用の飼料に含まれるMBMの含有率が低いことから、彼はそのように推論したのであった。彼は、自らの見解がMAFFの行政官らの間で広く共有されているべきであったと考えていた。

第1巻 p50-51より

223 7月末までに、BSEに感染したと思われる症例が、18の群れで46例確認された。トンプソン氏、マイケル・フランクリン卿は、ともに人間の健康について懸念していた。リース氏は、そのような懸念を持ってはいなかった。彼は、BSEは家畜衛生の問題であって、人間の健康の問題ではないと考えていた。ワトソン博士は、BSEが人間の健康に対してリスクを及ぼす可能性は非常に低いと考えていた。

第1巻 p52より

229 大臣らに提示するための選択肢についての検討は、特に、リース氏、クリュックシャンク氏、ワトソン氏、メルドラム氏、ワイルスミス氏、ローレンス氏によって行われた。1988年2月16日までには、選択肢を提示し終え、クュックシャンク氏はこれをMAFFのエドワード・スミス事務次官に送った。送付状の中で、クリュックシャンク氏は次のように述べた:

「我々は、この疾病がどこから来たものなのか分からないし、どのようにして広がったものなのか、人間に感染するものなのかも分からない。私には、この最後の点が、この問題における最も憂慮すべき側面であると思われる。人間がこの疾病に感染し得るという証拠はないが、リスクが全くないとはいえない。」

第1巻 p61より

265 サウスウッド作業部会が、報告書において説明しなかった多くの問題がある:

· BSEが人間に感染するというリスクは、「起こりそうにない(remote)」と思われたと述べた箇所で、彼らは何を意味していたのか?

· なぜ、リスクは起こりそうにないと思われると判断したのか?

· なぜ、感染牛は屠殺し廃用処分するべきであると提言したのか?

· なぜ、ベビーフードに関する勧告を行ったのか?

· 人の食品を無症状の感染牛から保護するために、それ以外の予防措置をなぜ何も提言しなかったのか?

266 我々は、これらの問題すべてを作業部会のメンバーに対して提起した。

267 我々に対して、彼らは、「起こりそうにない(remote)」という言葉を、医学的な文脈でリスクを説明するのに使われる際の意味で用いたと説明した。そのような文脈では、起こりそうにないリスクとは、有意であると証明される可能性は非常に低いが、それを無視することは妥当ではないようなリスクのことである。起こりそうにないリスクが起こらないようにするためには、適切な予防措置を講じるべきである。作業部会は、そのような予防措置がどのようなものであるべきかについての助言に着手した。彼らは、それを行うにあたっての説明として、我々に対して以下のように述べた:

「リスクについての我々の取り組み方は、認識されているリスクの大きさと、そのリスクの軽減のためにとられる措置の実行可能性および達成可能性とのバランスをとることを必要とするその頃開発中だった分析の、公共リスクへの適用を踏まえた方法であった。リスクの大きさは、その危険性の確からしさおよび規模の両方によって構成される。」

第1巻 p62より

269 なぜ、リスクは起こりそうにないと判断されたのだろうか。報告書を読んだ結果、我々は、作業部会がスクレイピーの性質から、安心を得てしまっていたと結論した。スクレイピーに感染した羊は、何百年もの間、何の害も引き起こさずに人の食用として屠殺されてきた。もし、BSE が牛におけるスクレイピー感染因子であったならば、それと同様の性質をもつ可能性が高かった。

270 我々に対して、作業部会は、それが事実、彼らの推論であったと認めた。しかし、彼らは、BSEがスクレイピーのような性質のものであると決めつめていたわけではなかったと強く主張した。彼らは、スクレイピーが感染源であるかどうかに関わらず、牛のBSEは、羊のスクレイピーよりも伝染力が強いかもしれないという可能性について認識していた。この可能性のために、BSE感染肉を食べることによって考えられるリスクに対して妥当な予防措置を講じる必要があった。

271 BSE感染肉を食べることによって考えられるリスクに対する妥当な予防措置としては、患畜を食品連鎖から取り除く必要があるが、無症状の感染牛については、ベビーフードに関する提言の他に何の予防措置も必要ではないと作業部会は結論した。

272 サウスウッド作業部会の報告書のこの部分については、批判すべき点が数多くある。まず、第一に、彼らがリスクを起こりそうにないものであると説明するにあたって、彼らが、リスクを合理的に実行可能な限り低くするための措置を講じるべきであると示唆することを意図していたという点を、明白にしなかったことが挙げられる。我々は、彼らがそうするべきであったと考える。


第1巻 p63-64より

277 作業部会が、これらのリスクを起こりそうもないものであると説明した理由は、彼らが確信してきた措置が、リスクに対処するために講じられることになっていたということのみであった。彼らは当初、牛由来の原料を使用した注射用の医薬品の一部は、比較的高い感染リスクがあるかもしれないと考えていた。ピクルス博士の支援を得て、作業部会は、医薬品の安全性に責任のある人々にこのリスクに対処するための措置にとりかからせるために、あらゆる適切な措置を講じた。彼らは、BSE 感染因子が医薬品に混入するのを防ぐために検討される措置のいくつかについて、報告書で詳しく説明するつもりであった。

しかし、901〜906 節で述べるように、医薬品の認可に責任のあった担当官らが懸念を示したことを受けて、作業部会は、報告書の論調を和らげ、措置は講じられていると保証することによってその措置の詳細には触れないことを承知させられた。

278 ピクルス博士の支援を得て作業部会がとった行動が、医薬品の安全性に対して責任のある人々を刺激したことは、評価に値する。そのような人々は、子供がBSEよりも大きなリスクにさらされる結果をもたらすかもしれないワクチン騒ぎにつながるような、ワクチンの安全性に対する懸念が報告書のせいで生じるのを極力避けようとした、と作業部会は我々に対して述べた。我々は、彼らの懸念には共感する。しかし、それが結果として、医薬品に関する作業部会のリスク評価について、報告書を読む人々に誤った印象を与えることにつながった。作業部会は、このようなことを容認するべきではなかった。彼らは、単に、ある種の医薬品についてはBSEによる影響があるかもしれないことに対して彼らが懸念をもっていること、また、それらの懸念について、医薬品安全性委員会および獣医用製品委員会に対して言及しており、彼らは既にこの問題への対処に着手した、と述べるだけでワクチン騒ぎを引き起こさずに、誤った印象を与えるのを避けることできたであろう。残念なことに、報告書の表現によって、人用および獣医用の医薬品の両方について、それらを扱う人々の一部に、たとえ何の改善策も行われなくても医薬品に関しては起こりそうにないリスクしか存在しないという印象が与えられることとなった。

ワクチン騒ぎが元々無ければとも思う。所謂ニセ科学やデマのようなものはこうして様々なコストを増大させるのだね。


第1巻 p64-65より

281 報告書の草稿は辛辣な内容を含むものであった。草稿では、BSEは草食動物に動物性たんぱく質を給与するという方法をとった結果であったという事実に言及し、この方法が新たな感染経路を切り開いたことに注目していた。そして、続けて次のように述べた:

「この避けがたいリスクはあまりにも大きいため、病原体のこれらの新たな感染経路を排除するためには、農業の方法を変えることが賢明であると我々は考える。」

282 このような言及が報告書に含まれる予定であることを知って、MAFF担当官らはこれを動物用飼料にMBM を配合することへの攻撃であると解釈し、慄然とした。家畜衛生部は、事務次官に対して、レンダリング産業では、毎月100,000トンを超える原材料を加工しており、それによって動物用飼料および産業用原材料の供給源となっており、また、屠殺場業界に対して「廃棄物処理」のサービスを提供しているとコメントした。これらの影響について述べた文書が直ちに作成され、作業部会に送られた。マーティン博士もまたリチャード卿に対して書簡を送り、このテーマについては自制するよう強く主張した。こうして自制が働き、後にリチャード卿が確認した事柄について明白にすることを意図していた草稿に対して修正が加えられた。作業部会は、動物性たんぱく質をレンダリング処理するという方法を中止するよう提言してはいなかったが、その存続は、全ての病原体を破壊できるレンダリング工程が見つかるかどうかにかかっていると提言していた。


■報告を眺めて

この報告書を読んだあとにそれぞれの持つ印象は大きく違うものになるのかも知れませんが、どらねこの感想は伝聞からイメージしていたものとは随分と異なったものでした。

科学の失敗と謂うよりは、科学によって提示された見積もりを政治がどのように判断するかの問題では無いかと思いました。例えば、第1巻p46にある、レンダリング業者への配慮については科学の手を離れた判断であるでしょう。そう謂った政治的な判断の参考資料となるのが報告ではあるものの、その報告のされ方についてもシステムの問題であり、科学の方法論とは実際には別問題なのですね。どのようにするべきかまで踏み込むことを自然科学に求めるのは妥当では無いように感じます。寧ろ、科学としての意見を求められた側が勝手に政治的判断をするのは混乱の元となるでしょうから、むやみに踏み込むべきでもないように思います。


そもそも、未知のリスクなんて考えればいくらでもあるわけで、例えば今まで安全と考えていた微生物に突如体に深刻な影響を及ぼすような変異が起こるかもしれないわけです。昔から食べてきた食物から体に悪影響を及ぼす物質が今後発見されるかも知れません。それらの可能性は零では無いのですからすべてに向き合うべき、なんて意見があったらどうでしょう?いくら予算があっても人員が居ても対応できるものでは無いと思います。それでもいざ問題が発生したら、あの時なんで予想は可能であったのに放置したのだ?と謂う意見は出ることでしょう。

だから、もしかしたらの可能性だけではなく、起こりうる可能性の見積もり、被害の見積もり、現実的な対応策が可能であるか否か?など様々な視点から考慮されるべき問題なんだと思います。これを「科学の問題」と、それだけでは無くとも一番の問題でもあるかのような提示のなされ方がされるのは疑問であるとどらねこは思います。

2012-02-20

いまさらバナナ

| 17:22 | いまさらバナナを含むブックマーク いまさらバナナのブックマークコメント

とらねこ日誌に検索ワード「バナナ」で来てくれる方がいらっしゃるのですが、それは昨年「バナナとカリウム」と謂うタイトルで記事を書いたからでしょう。実はどらねこはあんまりバナナを好まなくて、年間に数本を食べる程度なのでバナナと謂う単語を見てもバナナを食べたくなりませんが、どうしても一つの論争(?)ばかりを連想してしまいます。

今回は「バナナはおやつに入りますか?」問題について今更感など気にせず、思いつくままに書き散らかしてみようと思います。なお、事実誤認や逸脱などあってもどうぞご容赦下さい。


■バナナは高級品であった?

バナナ話についてどらねこは次のような認識(イメージ)でおります。

遠足を間近に控えてざわつく教室、教師がしおりについて一通りの説明を終え、質問はありませんか?と児童に問いかける。

すると、ひとりの児童がてをあげて教師に質問をします。

児童(なぜか男)「センセイ。バナナはおやつに入りますか?」

こんな感じです。どらねこは所謂アラフォー男子で東京の下町出身なのですが、小学生の当時に実際に上記のような質問をした児童は居ませんでしたが、既にテンプレのような感じでバナナ話は広まっていたような気がします。もしかすると小学生向けのマンガなどにそのような内容があったのかも*1知れません。

もう少し詳しいところを知りたいな、と思ってネット上で情報収集をしてみると、それ以前からあった話で、バナナはその昔高価な果物で、遠足などにおやつ*2として持って行けるような家庭は裕福であって質問する事自体がクラスメイトへの自慢になったとか謂う話もみられました。そのほか、当時の家庭環境は格差が大きかったため、おやつに関して不公平感を持たせないために金額の上限を設定し、バナナもおやつに含めない事としていた、と謂うようなものもありました。

どっちにしろバナナは高価で家計も関係していたと謂う話のようです。ちなみに、バナナは昭和38年4月に自由化されたそうで、それ以前は稀少な高級果物であったのだろうと考えられます。自由化以後は急速に輸入量は増えたそうですが、昭和40年代の前半は重量当たりの値段でりんごの2倍ほどで高価ではありました。バナナの価格についてはバナナ大学と謂うウェブサイト*3の統計コーナーで確認できますが、昭和40年でバナナ1kgあたりの価格は264円でした。当時の東京の消費者物価指数とここ数年を比較すると約4倍ほど上昇*4しておりますので、現在では1kgあたり1050円ぐらいのイメージでしょうか?1本の重さ180gと仮定すると、1本の値段は189円相当となりますので、仮におやつに含むとしたら、上限金額が設定されていた場合、他のおやつをあまり持ってこられない事になりそうです。


■質問をするべきかやめるべきか

元の質問の意味が自慢であったのであれば、バナナがおやつに入るか否か、質問をすることに意味があるわけですから、問題(?)はありません。では、そうした意図が無い場合に児童が教師にバナナがおやつに入るか否かを質問をする事に意味はあるのでしょうか?既に定番のジョークになっているので、お約束として笑いを取るためになら意味がありそうです。おそらく、現実に先生に質問をするケースの大半はこれが理由なのではないでしょうか?それ以外のケースでは質問の結果、質問をした児童が得をすると謂う姿がどうも見えてこないんです。ちょっと考えてみましょう。

遠足のしおりには、おやつは上限300円*5と書かれており、バナナについての一切の記載がない場合、バナナをリュックサックに入れた場合に弁当に含まれる*6のか、おやつに含まれるのかはグレーゾーンにあると考えられるからです。この時点ではバナナの分類は未確定なのですが、質問をしてしまうと、教師はバナナの処遇を決めなくてはなりません。グレーゾーン問題と謂うのは、案外社会を円滑に進める為に役立っているケースもあり、簡単に片付けられるものではありません。しかしながら、学校と謂う社会では学級王国と謂う言葉もあるくらい担任教員の裁量に任せられるところが大きく、バナナ程度*7であれば担任の判断により白黒つけられる問題であると考えて良いでしょう。

教師だって鬼ではありません*8から、質問さえなければバナナの処遇について大目に見たかもしれません。しかし、問題の遡上に上がってしまえば白黒付けなければならないのです。さて、先生の判定はどうなるのでしょうか?どらねこが小学校教師になりきって*9考えてみました。


回答例1:弁当箱およびタッパーに入れられたバナナについては弁当と認める。それ以外はおやつと認識する。

基本的には弁当に入っている場合はお菓子代に含まれないが、それ以外の場合はおやつ代としてカウントされると謂うルール。弁当箱に入れてきておやつの時間に食べるのはNG。おやつとして持ってくる場合には、上限に達しないように計算に含めること。バナナをおやつに含める場合には上限に達していないか確認するため、レシートも忘れないこと。これによりバナナチップスはおやつか問題も解決する。

回答例2:バナナはおやつに含みません。バナナを持ってこないで下さい。

そんな事をいちいち判断するのは面倒です。弁当として持ってきておやつの時間に食べても困りますので、持ち込み禁止にします。

他にもありそうですが、こんな感じでしょうか。

これでは誰も得しませんよね。このように質問に得も無いのに冗談でもなく質問する人がいるとすれば、それはおそらく物事のシロクロがキチンとついていないと気が済まないタイプの方とかいますよね。ほら、ジョジョのキャラクターでそんな人*10がよくでてくるでしょ?


■遠足は楽しく

楽しい遠足にするためには、そんなにルールの運用を細かく厳格にしないほうが良いのでしょう。そもそも遠足のおやつの上限を守らなかったからと謂って明確な罰則がもうけられているワケでもありません。あー、オマエ買いすぎだ−、センセーにいってやろーレベルで、告げ口されてガミガミお説教くらいでしょう。そもそも制限を設けるのも何が問題になるか細かいところまで意識できない子供相手のものですからね。その運用は本来子供を守る為にあるとおもうんですね。

冗談としてテンプレのバナナ話を質問するお調子者が居てもイイし、先生も一見真面目に応答して、生徒達を驚かせ、実は柔軟に運用する、みたいな感じが良いのかも知れません。遠足前からワイワイたのしめますものね。


■そもそも遠足にバナナってどうなの?

これはあまりバナナを好まないどらねこの偏見もある*11と思うのですが、小学校の遠足にバナナを持って行くメリットってどの程度あるのでしょうか?皆様ご存じのように、バナナは非常に柔らかく、果肉がつぶれることで消化酵素が逸脱し、黒く変色をしてしまいます。お弁当に入れるのであれば、皮をむき食べやすい大きさにカットすると思いますが、そうすると変色しやすいので、レモン汁をつけたりするのでしょうが、そうするとバナナ本来の味を損ないそうです。お弁当のデザートには柑橘類や葡萄などの方が向いていないでしょうか?同様の理由でうさぎ林檎なんかも適していないと考えます。

じゃあ、皮付きのまま持って行けば良い!と謂う意見もありそうです。まぁ、確かにそうなのですが、小学生の遠足ってアグレッシブだと思うのですね。そうするとリュックの中でもまれて傷んでしまったり、場合によっては転んだときにつぶれてリュックの中身が大変な事になってしまいそうです。これは本当に恐ろしいことではないでしょうか*12

これを防ぐためにはバナナ専用の保護ケースに入れて、リュックに入れる必要がありそうです。それでも貴方はバナナを持って行きますか?


■そんな時代もあったねとか

とまぁ、ここまで書いてきてなんですけど、どうも最近は遠足のおやつに金額の上限*13をもうけない学校なんかもあるみたいです。どらねこの子供時代は親がタッチしなかったような事も、学校から親に関わりを求めたりするようですし、おやつも親が確認して、節度を守らせて・・・なんてなっているところもあるようです。あとスーパーとかで割安のお菓子が売られていたりするから、これは安売りで買ったからオーバーしていないんだ!なんて謂う強弁をするケースなんかもありそうで、そんなルール自体が時代に適さないものになってきているのかも知れません。「遠足のおやつは○○円まで!」と謂う話が過去のものになれば、この話題も世代の違いを実感するものとなるのかもしれません。幅広い年代で楽しめる共通の話題としてのバナナはおやつに・・・は長生きして貰いたいものです。



■おまけ

f:id:doramao:20120220171019j:image:w550

https://twitter.com/#!/y_tambe/status/171451933440217088

コーヒーの実は甘い果物なのでおやつです。なので、わいたんべくん*14の持ってきたコーヒーはおやつに入ります。金額オーバーで没収します。

*1:よかったら教えて下さい

*2:おやつ=お菓子か問題などもあり、この部分に踏み込むと容易に抜け出せなくなる。そもそも、お菓子とは甘い果実を元につくられたものだからby美味しんぼ

*3:バナナ大学http://www.banana.co.jp/

*4消費者物価指数は物価の変化についての一指標に過ぎませんので参考程度の意味合いです

*5:なんか300円の事例が多い気がするのだけど気のせい?

*6:バナナの組成が果物にしてはデンプンを多く含む事に弁当との線引き問題を難しくする要因となっているとどらねこは指摘をしたい

*7:程度とはなんだ!と謂う批判には言葉のあやでしたと謝罪します

*8:というより小学校の先生は色々よくやってくれてますよね。どらねこにはできません。

*9:なりきったからといってその回答が妥当であることを担保しない

*10:実際何人ぐらいいるかな?

*11:と謂うか偏見そのもの

*12:そうでもないか・・・

*13うまい棒でボリュームアップなんてのは金額に上限があってこその技だと思う

*14:Y Tambe様ごめんなさい

mimonmimon 2012/02/23 07:04 バナナといっても、エンセテ属は、イモですよね。食物繊維の摂取に向いているというか、おやつ代わりに食ったら、腹をこわしそうです。

doramaodoramao 2012/02/24 18:53 わいたんべさんのおやつに対してなんて事をっ!!

2012-02-18

本当は・・・

| 11:33 | 本当は・・・を含むブックマーク 本当は・・・のブックマークコメント

日本に初めてイエネコがやってきたのは奈良時代と考えられているようで、仏教の伝来とともに訪れたと謂う話が有力視されているそうです。その理由は大切な経典をネズミから守る為であったと書かれているのですが、本当にそうなのでしょうか。


子供:ねーねー、お父さん〜。あのネコ連れて帰ってもイイでしょ−。

親:食事とかトイレ掃除とか色々手間がかかって大変だぞ。

子供:ほら、ウチには大切な本がいっぱいあるでしょ。あれをネズミにかじられたら大変だよ。だからネコ飼おうよ〜。

こんな例みたいな理由だったら面白いですよね。

てか、ネコ様のあのかわいさにやられちゃった人ならどんな理由をでっち上げてでも連れて帰るでしょ?

mimonmimon 2012/02/18 15:56 実は、その親子連れは、玄奘三蔵と孫悟空だったりして。

doramaodoramao 2012/02/22 09:24 世界中にそんな親子がいてこれほどまでに分布を広げてしまったのですね。おそろしや猫のマインドコントロール。

2012-02-16

欠如モデル関連とニセ科学親和性と予告編

| 11:26 | 欠如モデル関連とニセ科学親和性と予告編を含むブックマーク 欠如モデル関連とニセ科学親和性と予告編のブックマークコメント

自称ニセ科学批判批判者であるどらねこですが、非常に参考になりそうな記事がありましたので、紹介をしておこうと思います。この記事はちょっとめんどくさい話ですので、おもしろ知識を期待している方には不向きな内容となっておりますので、どうぞご了承下さい。

【PseuDoctorの科学とニセ科学、それと趣味 】

P02-04-2 ニセ科学の潜在的被害者は誰か〜「欠如モデル批判」と「ニセ科学批判」の意外な関係〜

http://pseudoctor-science-and-hobby.blogspot.com/2012/02/p02-04-2.html

批判批判者云々は話半分に聞いていただくとして、上記のブログ記事とも関わる内容の記事を鋭意(?)制作中ですので、その前振りみたいなモノです。PseuDoctorさんの記事を先に読んでいただいていればスムーズかと思いましたので紹介した次第です。


■ニセ科学を信用してしまう/取り入れてしまう人

ニセ科学とされるようなその妥当性が担保されていない言説を受け入れてしまうような場合、その人の知識が足りないからそうなってしまうのだ、と謂うように考えた時期がどらねこにもありました。これについて興味深いモデルの提示と結論(仮定に基づく限定された)が示されておりました。


P02-04-2 ニセ科学の潜在的被害者は誰か〜「欠如モデル批判」と「ニセ科学批判」の意外な関係〜 より

結論としては「社会を欠如モデル批判的に捉えている人の方が、むしろニセ科学批判を熱心に行う傾向がある」と言って良いでしょう。

そのこころは・・・


P02-04-2 ニセ科学の潜在的被害者は誰か〜「欠如モデル批判」と「ニセ科学批判」の意外な関係〜 より

例えば「ニセ科学にハマる人は、むしろ科学に対して不信感を持っている場合があるので、かえって受容度は低いのではないか?」とお考えの方がおられるかもしれません。

科学に対して不信感を持っているとすれば、それは科学に「裏切られた」という感覚が強いからでしょう。裏切られたと感じるのは、元々は受容度が高かったからです。そして、裏切られた時に替わりのものを探してニセ科学にハマってしまうのだとすれば、それはやはり、本質的には、未だ受容度が高い状態に保たれているからだと思うのです。そしてその事は、ニセ科学の中にある「現代科学を超越した画期的な理論」や「海外や著名な学者も絶賛」といった煽りに魅かれる心性にも現れていると考えています。

愛憎が入り交じった状態と謂うのは無関心どころか関心ありありとでも言い換えられるのでしょうか?とにかく興味がなければ知識を仕入れようとすら思わないことでしょう。


P02-04-2 ニセ科学の潜在的被害者は誰か〜「欠如モデル批判」と「ニセ科学批判」の意外な関係〜 より

よりクリティカルな批判としては「ニセ科学にハマるかどうかは、知識量と受容度のみで決まるのではない」というものがあるでしょう。確かにその通りです。特に重要なのは例えば「世の中にはそうそうウマい儲け話などない」とか「欠点が無く利点だけの方法など存在しない」などの「考えるコツ」に相当する部分です。こうしたコツは、知識と相互に補完しあう事で、いわゆる「リテラシー」を形作るものだと考えています。これはとても重要なポイントです。

コツって難しいですよね。勘所を押さえると深い知識を持たなくともそれなりにできちゃう事って多いでしょう。ところで、そう謂ったコツを身につける一つの方法に、コツを上手に使いこなしている人に教えて貰う事があると思います。ところが、知識はあるんだけど科学とかそう謂ったものに複雑な感情を持っている人が科学者とかニセ科学を批判するような人に、コツ教えて!とか、身につけようとか思わないですよね?感情的に反発すると思う。

このあたりが届かない所以じゃ無いかな?と、どらねこは思うわけ。で、最初っから知識も十分で反発はあっても距離をとっている人については関わってこなければ特に言及しなくても良いと思うのはPseuDoctorさんに同感。要するに対立軸を明確に示したり反発を強めようと謂う事をしないなら無関係みたいな感じかな。逆に謂えばニセ科学など妥当性に疑問符がつく言説に対し批判をするような人が、それらの反発を持つ人に言及しているケースではそこからの逸脱*1があると見なしているのだろうと理解できるでしょう。


震災後の状況で実感

そのような事を強く感じるようになったのは、震災後の人々の不安とそれに便乗するニセ科学の問題が見えてきた事が関係しております。それについて言及したのが以下の記事です。


緊急鼎談!震災の不安とニセ科学(前編):ニセ科学問題はどう変わったのか?

http://d.hatena.ne.jp/doramao/20110912/1315825236

この中でPseuDoctorさんが述べている内容とリンクする部分を引用してみます。


どらねこ: それに加えて、ニセ科学にハマる人たちって、どちらかと謂うと平均的な方に比べて向上心が旺盛だったり、勉強熱心だったりするんですよね。そう謂う人たちがツイッターを媒介に情報を収集したり拡散したりしていると謂う状況なんではないかと私はみています。ですから、「ニセ科学にハマるのは情報リテラシー科学リテラシーがないからだ」と謂う様な批判は的外れだろうと思うんですよ。


むいみ: そうだね。不安に思ってる人ほどよく勉強してるので、コミュニティの情報交換でそういうネタを仕入れてくるんだろうね。放射性物質による汚染なんて、ぼくらにとってほぼ未知の状況なわけだから、科学的な見方からすると日常レベルでできる対策ってほとんどないじゃん。そうすると、その不安な気持ちとどうつきあっていいかわかんなくなってるんだと思うんだよね。

これはPseuDoctorさんがコツと述べた部分が大きく関わっていると思います。

そうしたコツを伝える部分では、対象者に受容してもらえるにはどのような方法が良いのか?と謂う対象の特性を考えた対応が必要になるのでしょう。全方位を対象としてではスジが悪い部分です。全方位を向けて発信する基礎知識に当たる情報は欠如モデル的な体裁に見えるモノでしょう。それとは別にもう一つ別の側面からのサポートが必要になると謂う話なのでしょう。

では、もうダマ書評シリーズ第4章をご期待下さい。

*1:個人的にそう見えると謂うものですが

mimonmimon 2012/02/18 15:39 考えがまとまっていないのですが、PseuDoctorさんの示されたグラフに違和感があったのは、あのx-y平面に垂直なz軸として「誤った科学」というのがあって、それをx-y平面に投影しても、反映されないように感じたからです。
そうして、そのz軸上で飽和した人は、普通のx-y平面に戻りにくいのですよね。
インプリンティングは早い者勝ちですから、常に啓蒙が必要だと感じています。

doramaodoramao 2012/02/22 09:16 なるほど、私は勝手に元の「欠如モデルはこういうもの」的なもの定義とするとあのような平面図しか得られないため、その土俵にのったモデルでは平面的なあの図が得られると謂う風に解釈してました。勘違いですかね。
で、そのあたりまで織り込んで考えるのは別の話で、そう謂った前提を既に共有している人はmimonさんのおっしゃるz軸が気になるのかと思ってました。
最近の私は、啓蒙とかよりも住みやすい社会をつくる為の技術的なものをどれだけ共有できるか、みたいな事を考えてます。似ているんですけどね。

2012-02-13

コラーゲン由来ペプチドはコラーゲンではない

| 16:23 | コラーゲン由来ペプチドはコラーゲンではないを含むブックマーク コラーゲン由来ペプチドはコラーゲンではないのブックマークコメント

2月10日付けの記事*1でコラーゲンを食べるとお肌ぷるぷるが受け入れられる背景を推測する話を書きました。はてな界隈では特に注目されませんでしたが、記事の転載されているブロゴスではコメントが二桁つくなどある程度の興味を持って見ていただけたようです。興味と謂ってもなるほどー、と謂うものから、いやそれは短絡的に過ぎるだろうと謂うような否定的なご意見まで様々でした。当該記事の目的はコラーゲン豊富な食品を食べる事の期待は類感呪術的だよね?と謂う指摘をする事でしたが、そこから派生した問題についての興味も大きいとの印象を受けました。それについてもどらねこ個人の意見を書いてみたいと思います。(予備知識のほとんどない方には楽しめる内容とはなっておりません。ご了承下さい)


■問題のきりわけ

この話題を論じるにあたって気をつけなければならない点が数多く存在します。そのうち幾つかについて前もって書いておこうと思います。

まず一つ目は、コラーゲンを大量に摂取する事でそのコラーゲンや分解産物が積極的に肌のコラーゲン合成に使われるわけではないと謂う事。これはいろいろなところで述べられているので詳しい説明は割愛します。

次に、コラーゲンが豊富な食事を食べる事がお肌をぷるぷるにすると謂う話と、コラーゲン由来ペプチドを飲むことで血中のなんらかの特定成分が増加する話は別問題であると謂うこと。この部分は重要だと思います。

もう一つ、コラーゲン由来のヒドロキシプロリンを含むジペプチドが線維芽細胞の増殖を促進したと謂う知見は、創傷治癒になんらかの影響を与える可能性を示唆したのであって、美肌とは直接結びつけられるものではないと謂う事です。

更にこれに付随する細かな気になる点もありまして、どらねこが必要と思うことについて書いておきます。


■コラーゲンとコラーゲン由来ペプチドは違う

これは本当に重要な事だと思うのですが、食事由来のコラーゲンのほとんどは線維状コラーゲンと呼ばれる構造を持ったたんぱく質であり、そのほかネットワークを形成する網状のコラーゲン、線維付随コラーゲンなどがありますが、どれもコラーゲンペプチドとは比べものにならないくらい高分子です。コラーゲンを豊富に含む食品を煮込むとコラーゲン(たんぱく質)に熱による変成がおこりらせん状の構造がほぐれ(ゼラチンへと変化していく)水に溶ける性質を持ちます。こうした性質により煮込むことで動物や魚の結合組織はぷるっぷるのテクスチャーとなります。煮込んだ汁にはゼラチンが溶け込み、これを冷やすことでゼリーを作ることができます。ちょっと雑な説明ですが高分子化合物が水を抱き込み網目状に手をつなぎ合う事で独特のテクスチャーが生まれると考えて下さい。

さて、何を謂いたいのかと謂いますと、コラーゲン由来ペプチドはアミノ酸を二つないし数個が脱水縮合したものです。水溶性ですが、お湯に溶かして冷ましてもそれはゼリーにならないでしょう。つまり、ぷるっぷるの見た目は得られないわけです。コラーゲン豊富な食品がお肌によさそう!と謂うイメージの源泉はおそらくぷるっぷるのテクスチャーや見た目が大きく影響しているのだろうと謂うのがどらねこの前回の主張でした。しかしながら、効果があると謂う話の根拠として引かれるコラーゲン由来ペプチドはそのような性質は持ちません。要するに、ぷるっぷるの見た目の食品を食べて肌になんらかの効果が現れることをある程度の精度で実証しないと、それら宣伝の正当性は担保されないだろうと謂うのがどらねこの見解と謂う事です。鍋料理程度の単純加熱で血中濃度を十分に上昇させるほどのオリゴペプチドが料理中に生成するとは思えません。

ちょっと難解なテクストになってしまったような気がしますが実力が足りないのでごめんなさい(泣)。コラーゲン由来ペプチドはコラーゲンじゃ無いんです。


■そのメカニズムは肌ぷるぷる効果を担保しない

もう3年ほどになるのでしょうか。マウスの皮膚細胞を用いた実験で、ヒドロキシプロリン(コラーゲンたんぱく質に比較的多いアミノ酸)を含むジペプチドを投与したところ、損傷部位では線維芽細胞の増殖促進効果が確認されたと謂う報告を目*2にしました*3

うわ〜、これは面白いなぁとどらねこは思いました。どらねこのいたラボでも海産資源由来のオリゴペプチドをねずみさんに投与して血圧下降とか血管への影響などを検出しようと謂う実験を行っておりましたので、血中に移行したペプチドが体になんらかの影響を与えると謂う報告は特に驚くようなものでもなく受け入れられる下地はありました。

とは謂っても、培養細胞による実験や動物に対する試験の結果だけでは人間に対して健康に良い影響を与えると考えるのは間違いです。動物実験でこれは有用だ!と意気込んでなされた臨床試験のうち、一部だけが人間でも効果が確認されるぐらい厳しいものなのです。

ところで、この件については話を少しややこしくするような事情があるようにも思います。それは、人間に対するヒドロキシプロリンを含有するジペプチドを豊富に含む飲料を実際に飲んでもらい、血中濃度の上昇を確認した報告*4が実際にあることですね。これはどのように評価したらよいのでしょうか?

特有の成分(Hyp-Gly,Pro-Hyp)が血中で濃度上昇する事自体はまず確実ではあるものの、それによる直接的な効果が確認されたわけではありません。予備的にマウスの創傷部位における創傷治癒に重要な線維芽細胞の増殖させる働きが確認されているため、今後人間の創傷部位に於いても線維芽細胞の増殖を確認すると謂う実験*5につながるものだと謂う事です。

また話がややこしくなりましたが、要するにマウスの線維芽細胞増殖の件はヒドロキシプロリン含有ペプチドの血中濃度上昇が直接肌に対して良い影響をもたらすと謂う説にお墨付きを与えるような実験ではないと謂う事です。


■美肌効果を担保しない

それとは別に、肌にハリを与えるとか若返らせる事を示唆するような飲用試験がなされたりもしておりますが、特定のコラーゲン由来ペプチドの血中濃度上昇との関係を実証したものではありませんし、今のところ単独で効果があると謂えるほどのデータが集まっているとは謂いがたい状態であると思います。ましてや、マウスの細胞実験での線維芽細胞云々はそれとは直接((勿論、派生した実験なのですが効果については別問題です))のつながりのないものなのです。

直接的にはつながらないものを同じページに並べ行間を読ます行為を現行の制度の範囲内での工夫であると好意的に見ることができる方もいらっしゃるかもしれませんが、どらねこはそう謂った行為は望ましくないと思っております。誤解をした方が悪いと謂うのは過剰な自己責任論だと思うからです。そんな考えが横行する社会は住みにくいと個人的に思っております。


■そのほか気になること

もし人間の体においてもヒドロキシプロリンを含むオリゴペプチドの血中濃度が上昇する事で線維芽細胞の増殖を刺激するのだとしてもそれが健康や美容に良い効果ばかりをもたらすとも限りません。体は非常に精巧な仕組みでできており、特定の物質の血中濃度が一定に保つように微妙な調節機構が何重にも張り巡らされております。特定の生理作用のある物質が高い濃度で存在することはその精巧な仕組みを乱す*6ことに他なりません。効果があると謂う事は同時に副反応をももたらすのが通常です。体に特に影響の無い範囲での利用はそれほど心配ありませんが、目に見える効果が現れる場合にはその分心配も大きいと考えて下さい。

例えば、日本人の平均的な食事状況ではたんぱく質摂取量は寧ろ過剰*7であると指摘されてもおります。腎機能が低下している人ではたんぱく質制限が必要になる事がありますが、その場合には良質のたんぱく質で必要量を補う事が大事になります。また、いわゆるダイエットを行っている人が美肌を求めて食べる場合などには、コラーゲンはアミノ酸バランスの悪い食品ですので、体を維持するのに必要なアミノ酸を摂る事ができずに体に悪い影響をもたらす事も考えられます。

それら極端な例でなくとも、特定の食品成分を多く摂るような食生活はリスク分散と謂う視点からも推奨されません。得られるメリットが不確かなものであるのなら、そこに大きな投資*8をすることは危険では無いでしょうか?


■おわりに

私は食べてとても元気になりました!と謂う主張は否定されるものではありません。しかしながら公共の場や公共性の高いメディアが不特定多数の方にそのような不確かなものを広める事は推奨されないと思います。どらねこはそんな立場で記事を書いた次第です。

体にとって有用な食品成分の探求と謂うのは主要な鉱脈はあらかた掘り返されたような状況ではないでしょうか?それでもダイヤの原石が埋まっている可能性はゼロではありません。まだ知られてない有用な食品成分を探求する事は学問的にも意義のあることですし、その中から別の知見の蓄積にもつながると謂う波及効果もあることでしょう。このエントリはそれらの研究自体を否定する趣旨で書かれたもので無いことを最後に述べて終わりにいたします。

*1http://d.hatena.ne.jp/doramao/20120210/1328831359

*2:Shigemura Y, Iwai K, Morimatsu F, Iwamoto T, Mori T, Oda C, Taira T, Park EY, Nakamura Y, Sato K.Effect of Prolyl-hydroxyproline (Pro-Hyp), a food-derived collagen peptide in human blood, on growth of fibroblasts from mouse skin.J Agric Food Chem. 2009 Jan 28;57(2):444-9.

*3:最初に見たのは京都新聞の記事でブックマークしてコメントも残してます

*4:例えばコレとかIchikawa S, Morifuji M, Ohara H, Matsumoto H, Takeuchi Y, Sato K.Hydroxyproline-containing dipeptides and tripeptides quantified at high concentration in human blood after oral administration of gelatin hydrolysate.Int J Food Sci Nutr. 2010 Feb;61(1):52-60.

*5:その場合にはヒト実験に於いて由来ペプチドの血中濃度が200nmol/mL以上となるような摂取を目指すのかな

*6:病的な状態では望ましい効果となる事もあり、それを導くのが薬の役割ですね

*7:拙エントリhttp://d.hatena.ne.jp/doramao/20110623/1308813849

*8:しかしながら美や抗加齢に対する執着力は侮れないと思います。美しさの為ならちょっとぐらいの不都合も・・・とかありそうですね。

mimonmimon 2012/02/13 21:51 本題から大きく外れますが、コラーゲンを漢字で書くと膠原なんですよね。文字通りニカワの素です。音も少し似ています。
膠原病という病名も、昔、コラーゲンが原因ではないかという仮説に基づき、付けられました。
いまさら、コラーゲンと呼ばれても、私はあまり良い印象を受けないんです。字面に惑わされては、正しく判断できませんけれども、やっぱりなあ、……。

doramaodoramao 2012/02/13 22:05 ハナビラニカワタケというキノコは膠のような弾力と色を持っている為にその名前がついたのだと思いますが、当然キノコなので独特の弾力は多糖質が由来となっております。
本題から大きく外れてスミマセン。

ふぃっしゅふぃっしゅ 2012/02/15 11:13 コラーゲン→膠原ときて、私はワルトン膠質を思い浮かべてしまいました。臍帯の組織ですね。プルプルなんてもんではなく、ひっぱても切れない強靭なものです。
もうひとつ脱線。煮込んだ汁のゼラチンから、牛肉の大和煮の缶詰を連想します。親が自衛官だったので、演習が終わると缶詰をどっさり持って帰ってきました。食費が厳しくなると出番でしたね。大脱線すみません。
「○○に効果がある××」と報道されると、××と言う名前は記憶によく残りますね。それ以降、どんなに「××は効果がない」と反証結果が報道されても、最初の記憶を打ち消すのが大変。
人間って懲りずに、信じるものなのですねぇ。

doramaodoramao 2012/02/16 17:30 あー、ワルトン膠質ありましたねー、ふぃっしゅさんと議論を闘わせた記憶があります。
アレも煮込めばコラーゲンの三重螺旋構造が壊れてぷるっぷるになると思いますので、機会があれば試して見て下さい・・・って無理ですね。
バナナで痩せるとか納豆で血栓予防とか、思い浮かびますね〜

2012-02-11

小学生が歩かないのはゲームのせいなの?

| 13:06 | 小学生が歩かないのはゲームのせいなの?を含むブックマーク 小学生が歩かないのはゲームのせいなの?のブックマークコメント

今回は小学生の一日当たりの歩数が減ったと謂う報告とその報道を見て思ったことを書いてみます。タイトルは一応つけただけで、調査結果から謂えることと謂えない事みたいなお話しです。


■小学生の歩数減少と報道

YOMIURI ONLINE(2012年2月9日14時31分 読売新聞)より

歩かない小学生、歩数3割減…ゲーム機の影響?

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120209-OYT1T00708.htm

 東京都教委が都内の子供を対象に初の大規模な歩数調査を実施したところ、小学生は1日平均1万1382歩だったことが9日分かった。

 1979年には1万7120歩という大学の研究もあり、30年間で3割以上減少した。中学、高校になるとさらに歩数は減る傾向にあり、専門家は「ゲーム機などの影響で放課後に遊ぶ時間が減ったのでは」と分析する。

以下略

この記事について、はてなブックマークブックマークコメント欄に短絡的との指摘が並んでおりました。いろいろな要素が絡まって歩数の低下につながっているだろうに、主因かどうかも定かではない要因の一つだけを名前をあげて採り上げるのはいかがなものかとどらねこも思いました。まさに結論ありきみたいな。憶測になりますが、ゲームが問題では?と指摘しておけば喜ぶような読者層が多いのでそう謂った見出しを選ぶようなインセンティブが働く状況なのでしょう。

この報道の元となった調査結果はリンク先で概要を見ることができます。当該ページにはゲームが関係している事をにおわす記述は皆無です。

「統一体力テスト及び広域歩数調査」の結果について

http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2012/02/60m29100.htm


■ゲームが一番の問題?

子供が歩く機会が少なくなっているのは事実だとは思いますし、個々の原因はわからないものの、生活時間の中で歩く必要性が無い、もしくは必要性が少ない日課が多くなっているために歩数が減っていると謂うデータとしてあらわれているのだと思います。この中には子供に歩く事へのインセンティブを与える事で改善可能な問題と解決が難しい社会的な要因や環境要因などがあると思います。もしかするとゲームは歩く事へのインセンティブよりも強い魅力を持った日常娯楽になっている可能性はあります。しかし、それが記事に一つだけ名指しで挙げる程のものなのでしょうか?

どらねこは参考になりそうなデータとしてベネッセの行った『第2回子ども生活実態基本調査』を選び妥当性*1について推理してみました。


■調べて推測

第2回子ども生活実態基本調査報告書は次のベネッセウェブサイトで閲覧することができます。→http://benesse.jp/berd/center/open/report/kodomoseikatu_data/2009/index.html

その中にある『第2章毎日の生活の様子』よりテレビゲームで遊ぶ時間について調べたデータを見てみましょう。

【第2回子ども生活実態基本調査報告書:p76 図2-1-26 より】

f:id:doramao:20120210130027j:image:w550

どうやら子供のゲーム時間は増えている*2ようで、小学生では1時間を超えております。これだけの時間ゲームをやっているのなら外遊びがおろそかになり歩かなくなったのでは?などと考えてしまいたくなりますね。

ところで元の調査報告である平成23年度「広域歩数調査」結果(概要)を見ると調査結果では男子よりも女子は少ない事が書かれております。

【結果の概要:1調査の結果より】

f:id:doramao:20120210130142j:image:w550

結果では小学生の男女差が大きく一日あたり2000歩以上男子が上回っている事がわかります。もしゲームが子供の運動習慣を奪う主因であるとしたら女子のゲーム時間は男子を上回る*3のではないでしょうか?ベネッセの調査では男女別のゲーム時間も示しております。

【第2回子ども生活実態基本調査報告書:p76 図2-1-27 より】

f:id:doramao:20120210130248j:image:w550

女子のゲーム時間は増加しているものの、男子に比べるといまだ半分ほどの時間であることがわかります。ゲームで遊ぶ時間が少ない女子の方が一日の歩数が少ないのは読売の記事から受ける印象から考えると不思議ですよね?どうやら女子の運動時間が少ないのには他にも理由がありそうです。女子と男子の生活活動の違いを見るためにふだん何を行っているか?と謂う質問への回答をみてみましょう。

【第2回子ども生活実態基本調査報告書:p73 ふだんすること より】

f:id:doramao:20120210130359j:image:w550

この結果を見る限り女子児童は男子児童に比べ、マンガや雑誌以外の本をよく読み、家庭のお手伝いをする傾向にあるようです。ここまで見てきたことから推測(憶測)すると、男子児童がゲームや外遊びをする代わりに女子児童では本を読んだり家の手伝いをする傾向にあるように読むこともできそうです。


■こんな解釈もあるよ

表面にあらわれる数値や印象で判断すると的外れな推測になる事が良くありますので気をつけたいものですね。ここまで見てきた要素だけで推測したどらねこの解釈を書いてみます。

小学生の歩数が少ないと指摘されるが、女子の歩数が男子の歩数に比べ20%ほど少ない事がまず課題としてあげられる事でしょう。小学生女子と男子のふだんの生活内容を比べたところ、自由時間については女子の場合、男子に比べ外遊びとゲームの時間が少なく、読書や余暇の時間にあてる傾向が見られた。したがって、女子の歩数を増やすためには読書とお手伝いの時間を減らし外遊びの時間を増やすことが必要かも知れない。

どうでしょう?受け入れられがたい暴論ではないでしょうか?やりたいことをやめてもらい、やらせたいことをやってもらうと謂うのはなんだか子供の自由を奪うような考えに思えませんか?勿論、問題行動への対処は大切ですけれどね。

そもそも、あれも大事これも大事と欲張り過ぎても体はついてこないですよ?受験対策に運動習慣、お手伝いにボランティアなどなど全部が全部できるもんじゃないですよね?犯罪が怖いから女の子を外で遊ばせるのは・・・なんて考える気持ちもわからないでもないですしね。特定集団やその年代だけの問題であるかのように突きつけるばかりでなく、社会全体で取り組むことを忘れちゃイケナイと思いますよ。本当に大事な問題だったらね。

*1:第一回目調査が2004年であるベネッセの調査から何かがはっきり謂えるわけではありませんが、調査の趣旨を理解すれば何らかの傾向を見ることは可能であると思います。

*2:どらねこは小学生の頃1日3時間ぐらいやっていたと思われる

*3:本気でそう思っているわけではありません。男女の日常生活活動のそれぞれの要素は1:1で交換されるようなものではありませんし、男女間で対応しているものでもありません。しかしながら女子の歩数が少ないのはなぜかという議論をすっとばしてゲームが・・・と謂うのであれば無視できない問題でしょう。

かとーかとー 2012/02/10 16:01 通りがかったので、コメントしてみたいと思います。
思うに、現代は、個人個人の違いが大きすぎて、平均というものの意味が薄れているのだと思います。
この調査の目的は推奨される運動能力をつけるためにどうすればよいかを調べるためのものであるはずです。推奨される歩数以下の個体にどういうアプローチをするべきなのかを考える上で、実際の歩数を調べるのは意味があるとは思いますが、単に平均をとるという分析手法は目的に反しているのではないでしょうか。
以前であっても、たくさん歩く子もいたし、そうでない子もいたし、この調査だけでは、結論が付けられるようにはなってないように思いますね。
これをゲーム時間だという風に恣意的に解釈するのには、自分も同意できないと考えます。

きょうこ(_kyo_oko_)きょうこ(_kyo_oko_) 2012/02/11 11:52 子育てしていて痛感するのですが、歩数が減ったのは、昔に比べて子どもが単独で行動する機会が減っていることも大きいと思います。
私が小学生だった2〜30年前は、遊びも習い事も塾も、今ほど親が付いて行くことはなかったんじゃないでしょうか。
今はどこへ行くにも車で送り迎えだし、治安の問題もあって、子ども同士でどこまでも歩いて行ってみようなんて冒険もできなくなっているでしょう。
学校が週五日制のままゆとり教育が廃止されたので、平日の帰宅時間が遅くなって、自由時間自体も減っていますし。(連休になった週末は家族で車で外出とか、車で送り迎えしてもらって習い事ハシゴとか。)
土曜日が半ドンだった頃は、家でお昼を食べた後、子ども同士で歩きや自転車で遊び回っていた記憶があります。
ファミコンもやったけど、外遊びも今の子どもより多かったように思います。
もちろん個人差あるでしょうが。

これでは歩く習慣もつかないし、生涯に渡る運動量にも影響して、生活習慣病の増加に寄与していたりして…と最近思うんです。

匿名希望匿名希望 2012/02/11 14:24 個人的には、幼い頃に歩く習慣を作らないからだと思います。

都内に住んでるのですが、小さい子供を見ると、親の自転車やベビーカーに乗っている子供ばかり。デパートなどの建物内でもベビーカー。(自分が幼い頃、幼稚園に行くときは、親と手を繋いで歩いてました。周りの親もそうでした。)

共働きの増加、雇用形態の変化などもあるので、若い親を責める事はできませんが。子供たちは歩く習慣(そして体)が出来てないのですから、数年後にいきなり沢山歩けと言われても無理でしょう。

ふぃっしゅふぃっしゅ 2012/02/12 07:12 「最近の子どもは元気がなくて」と言われた私たち世代も50代になりました。
三無主義とかしらけ世代とかでしたからね。
こどもを自分の理想の姿でとらえようとするほうが無理がありそうな気がします。この調査をした方たちは、元気なこどもだったのかなぁ、外を走り回って遊ぶような。
電車通学している子どもたちが多い地域ですが、二宮金次郎現代版という感じで歩きながら本を読んだりゲームをしている子も見かけます。
元気さの前に、時間もきっと足りないのでしょうね。いっぱいやることが多くて。電車通学だけでも大人と同じだけ歩くわけですから、いつもすごいと思っています。

doramaodoramao 2012/02/12 08:28 >かとーさん
元調査についてのご意見ありがとうございます。
私もこれだけで何かをいえる事は無いと思いますし、同様の調査が過去に行われていないので、経年比較もできないでしょうし。
生活スタイルに多様性のある集団に対してポピュレーションアプローチというのはスジが悪いかも知れませんね。

doramaodoramao 2012/02/12 08:33 >きょうこ(_kyo_oko_) さん
自分の個人的な話になりますが、小学生の頃学校が終わると家にランドセルを放り投げて行き先も告げずに遊びにでていました。特に周りの人も子供の動向なんてそんなに気にかけず、好き勝手に走り回っていたような印象があります。
それでも、小学校高学年になると塾に通う子もいて、その子とはあまり遊べなくなりました。自由な時間を持てない状況になってきているのかも知れませんね。

doramaodoramao 2012/02/12 08:35 >匿名希望さん
面白い視点ですね。習慣が無いのにいきなりやれといわれても難しい面はありますね。
田舎暮らしで車生活ですが、たまに都心に出ると歩かなければならなくてヘトヘトになります。

doramaodoramao 2012/02/12 08:42 >ふぃっしゅさん
チカゴロノワカイモンハー話の一類型でもあるのですよね。
ウチの子は4月から小学生になるのですが、今のカリキュラムでは三時頃まで学校で過ごすようです。自分が一年生だった時には給食を食べたらさぁ帰ろうだった気がします。学習時間の延長と土曜日休みの影響、親の就労状況、子供の安全確保の為の制限など環境面での変化を考慮せず、歩かない!歩け!ではどうしようも無いと思うんですよね。

2012-02-10

ぷるぷる呪術

| 08:49 | ぷるぷる呪術を含むブックマーク ぷるぷる呪術のブックマークコメント

コラーゲンを食べる事でお肌がぷるぷるになると謂う話は、とらねこ日誌を読んで下さる方には今更説明するまでもなくバカバカしい話として受け取ってもらえると思いますが、ちょっと流行しただけでなく、いまだに出回っているのを見てどうしてだろうなぁと考えてしまいます。そこでテキトーにその理由を妄想してみました。


類感呪術

同じ性質を持つものや体の悪いところと同じ部位を食べる事で病気が治るとか健康になれるみたいな考え方は【類感呪術】と呼ばれる呪術に分類されるものです。

コラーゲンでお肌ぷるぷるについては次のような流れがあるんじゃないかと思います。


肌のハリにはコラーゲンの架橋が大事である

→コラーゲンが失われていくと肌が衰える

→コラーゲンが豊富な物を食べれば良い

→コラーゲン豊富なゼラチン質の食べ物が良い

実際には消化によりアミノ酸にまで分解されちゃって肌のコラーゲンに積極的に利用されるなんて事はないのだけど、不足すれば補えば良いと謂う考え方はまぁ、栄養学の基本ではあってそれなりに妥当ではあると思います。ただ、初歩レベルの生化学。生理学、栄養学、の知識で簡単に棄却できる類いの話です。このような誤った言説が簡単に払拭できないところが、呪術的な思考と人間の結びつきなのかな、と思います。


■それにしても

とは謂え、単なる似たような成分を食べれば良いと謂う話で片付けてしまうには随分と広まっており、いまだに人気があるように思います。心をつかむ何かがあるように思います。

どらねこは直観的にも呪術的思考をくすぐるからなのでは?と睨んでおります。

でしっかりと煮込んだ魚の皮や軟骨を鍋からお箸で取り出せば照明で「つやつや」と光り輝き、レポーターが箸を揺らせば「ぷるっぷる」に弾力感をこれでもかとアピールします。こうした視覚的情報が、もちもちした赤ちゃんのほっぺたや、若かりし頃の自分の肌に結びついてしまうのかもしれません。そうして精神状態にあるところに、もっともらしい科学的に見える説明が付け加えられると、強力な説得力を持ってストンとその人の印象に残るのではないでしょうか?

今でも強固に残る食の迷信は多くの人が自然に持ち合わせている呪術的な思考と切っても切れない関係にあるのだと思います。

hinodehinode 2012/02/10 14:19 私自身もコラーゲンの商売についてはあまり良い印象はありませんが、コラーゲン摂取の有効性について批判をするなら、リゾチームやナットウキナーゼの有効性についても批判の目を向けても良いのかな、と。そもそも、全てのたんぱく質が健康なヒトの腸内で完全に分解されるのか、健康な腸壁は、タンパク質やペプチドを本当に透過しないのか、まだまだ科学的にも疑問の余地があると思いますが、どうしてそこまで言い切れるのでしょうか。

doramaodoramao 2012/02/10 14:23 逆です。効果があるように伝える側が立証する必要があります。現時点では実証できておりません。また、何を批判するかは個人の自由ですね。
あと、ペプチドはジペプチドなどオリゴペプチドのままでも吸収があります。それを利用した血圧降下を期待した食品なども研究されてます。小麦たんぱく質による体にとって望ましくない反応が現れる機序もこのあたりが関係しています。

こっここっこ 2012/02/13 02:53 はじめまして。
個人的に、私はコラーゲン飲むと肌の調子がよくなるので
メカニズムについていろいろ検索したことがありました。

http://unkar.org/r/newsplus/1232825654
ぷるぷるになるとはちょっと違うのですが、このような研究があるようです。
なので傷を治す→肌を作り直す手助けをする→ニキビ・肌荒れもできづらく(治りやすく)なる、
という感じで美肌効果を感じる人が一定数いるのではないかと思っています。

doramaodoramao 2012/02/13 16:26 私は個人のそういった実感については否定できるものではないと思います。けれどもそういった個人的体験は他の方に対して薦める根拠にはならないんですね。
勿論、それをヒントに研究をはじめても良いと思います。
その話が出たとき論文の要約も読んでおりまして、それ自体はあり得ることと思います。興味がありましたら新たに書いた記事も見てやって下さい。

minamina 2012/02/14 13:43 コラーゲンを食べても効果がないというのはもう多くの人が知っているでしょうし、テレビなどでも芸能人が「食っても効果ないんだよー」なんて言ってるのを見かけます。
にもかかわらずコラーゲン鍋やらが出回っているのは、効果がどうこうというよりも、食感が好きだから食べているだけという人もいるからかもしれません。

doramaodoramao 2012/02/14 15:32 ほとんどの方がそうであれば良いのですけどね。
わざわざ商品名にコラーゲンを謳っているという事はもしかしたらと思っている人が多いのだろうな、と不安になるのです。身近にも信用している人もいますし。
あとトロトロのテクスチャーはコラーゲンではなく既にゼラチンのものですし・・・

2012-02-09

健康栄養調査の協力率

| 16:30 | 健康栄養調査の協力率を含むブックマーク 健康栄養調査の協力率のブックマークコメント

前回はネタ記事ですが、今回はちょっとだけ真面目に国民健康・栄養調査に関係するお話しをしてみようと思います。


■調査結果の解釈は難しい

どらねこは仕事柄、国民健康・栄養調査の結果が出るとすぐにデータを取得し、ウンウンうなりながら読み込んでいきます。「あー、食塩摂取量は少なくなったなぁ、若い女性のカルシウムは・・・」などとブツブツつぶやきながらデータを解釈していきます。こうした調査研究の結果は受け取り手によって解釈が異なる事がよくあります。

そうした解釈の違いは読み手の立場や考え方、学問的背景なども影響しますが、調査研究がどのような性格のものかを理解していないと結果を誤解*1してしまう可能性が高くなると思います。

どらねこも半可な知識でデータを解釈して失敗した経験がありますし、それどころかよく利用する健康栄養調査の結果ですら、読み取りに危ういところがある可能性も否定できません。なので、データを見る前に結果はどのようにして調査されたものであるのか、背景をなるべく読むようにしております。もちろん、それだけじゃなくて調査に関わったお偉い先生の解説をしっかりと参考にいたします。

ちなみに、国民健康・栄養調査の結果の解釈で誤解されやすそうな食事エネルギーの過少申告について過去にこちらのエントリで言及したことがあります。興味のある方はどうぞ→http://d.hatena.ne.jp/doramao/20110422/1303374068


■協力率

今回は調査への協力率の問題について考えてみようと思います。どらねこは個人的にいろいろな解釈ができそうで面白い部分だと思うんですよ。

ところで、国民健康・栄養調査は調査対象地区を選定するにあたり、2段階の層化無作為抽出を行い最終的に300単位区の約5700世帯が選ばれます。しかしながら、選ばれた対象すべてが調査に協力するわけではありません。なるべく多くの方に参加してもらう事が望ましいのですが、必ずしも皆が協力*2してくれるわけではありません。

では、最近の国民健康・栄養調査の協力率の状況はどのようになっているのでしょう?以下の資料で見ることができます。


健康増進施策推進・評価のための健康・栄養調査データ活用マニュアル「健康増進施策推進・評価のための健康・栄養モニタリングシステムの構築」研究班

http://www.nih.go.jp/eiken/chosa/pdf/20111215.pdf

p5 図3より

f:id:doramao:20120209162049j:image:w550

協力率は総数で66%であり、特に男性の単独世帯では45%を下回っており、80%を超える三世代世帯との差を考えれば、統計学的な代表性が損なわれている可能性があるのでは?とマニュアルでも指摘されております。


■協力する人としない人

代表性が担保されているか居ないのかは非常に重要であるのはもちろんですが、それとは別にどらねこには気になることがあります。それは、調査に協力する人としない人の食生活に違った傾向があるか無いか?です。

どらねこの偏見かもしれませんが、調査を断る人の方が食に対して無頓着な方の割合が多いような印象があるんですね。または、普段の仕事などが忙しすぎて、調査に協力できないなんて人も居るんじゃ無いかと思います。朝から晩まで仕事をして、休日も少ない人であれば、朝食抜きの可能性も高そうですし、夜食に出来合のものを食べて食塩摂取量が多い傾向にあるのかも知れません。

そのような傾向の違いがもしあるのだとしたら、国民健康栄養調査の結果は母集団(日本国民かな)を調査した場合の結果に比べて健康的に望ましいとされる結果が出ると思うんですね。

国民健康・栄養調査の結果を見て、やあやあ食塩摂取量が下がってきたからこれは望ましい傾向だぞ・・・そう考えて良いのですが、食塩摂取量の多い方の協力率がもし下がっているのだとしたら、もしかすると母集団の食塩摂取量は下がっていない可能性もあるのです。勿論、そのような根拠の曖昧な推測すべてを考慮していてはデータから何も謂えなくなってしまいかねません。でも、ちょっとありそうに思いませんか?そう考えると面白いですよね。

調査に協力しない人の生活習慣や食生活を調査したら面白い結果が出てきそうな気がします。そのような集団を調査する研究を考えたら面白い論文ができあがりそうですよね。


■終わりに

どらねこにはなじみのある国民・健康栄養調査でも把握し切れていない考慮すべき特徴がまだまだいっぱいあります。それを考えれば別分野の調査報告を読む場合、誤った解釈や考慮しなければならない前提をすっ飛ばして、都合良く結果を読み取ってしまうなんて事がありそうだとわかります。もちろん、それを恐れて何も読み取ろうと努力しないのは論外です。見当違いの解釈をしないためには当該分野の専門家に経緯を払い、彼らの意見を必要に応じて参照しながらデータに向かい合う事が大切なのでしょうね。

これからもデータを誤解してしまう事がありそうなどらねこですが、この点は気をつけて行きたいと思います。

*1:とか書いている本人が壮大なブーメランを投げているとも・・・

*2:調査内容が細かく、厳密であれば得られるデータは信頼性の高いものになりますが、あまりにも手間がかかる調査であれば協力率は下がり、十分な標本集まらないなんて事にもなりかねません。簡便な調査であれば個々の項目の信頼性は下がるかも知れませんが、協力率は上がることでしょう。ジレンマですね

Poisonous_RadioPoisonous_Radio 2012/02/09 19:12 こっちの方では農村や漁村は協力率が高いと聞きました。
ただし漁村の場合は時間帯を選ばないと男は出漁、女は共同作業場、で誰も来ないとか(苦笑)。
都道府県別の比較とか各地区ごとの比較は、いろんな要因が関わってきて解析が難しそう&面白そうですね。

doramaodoramao 2012/02/10 07:57 実際に、そろぞれの地域の特性に配慮した栄養調査計画を・・・と指導されているようです。
若い独居者は協力して貰うのが大変で、高齢独居者は説明が大変だと思います。
比較可能なデータとそうでないデータなど慎重に取り扱う必要があると思いますが、最近では吉池さんと謂う方が関わってその点がどんどん進歩しているように見えます。

2012-02-08

不健康(?)な生活と県民所得

| 15:36 | 不健康(?)な生活と県民所得を含むブックマーク 不健康(?)な生活と県民所得のブックマークコメント

※この記事は学問的な内容や問題点の指摘などを目的とするものではありません。こんなふうに見ることもできるよねとか、こう見ると面白いよねと謂う程度のものですのでそのあたりをどうぞご了承のうえご覧下さい。


国民健康・栄養調査をみて

先日厚生労働省ウェブサイトに平成22年国民健康・栄養調査結果の概要がアップされました。これについて、どらねこの周りでも幾つか話題になりましたが、その中でも世帯所得が少ないほど生活習慣等にについて望ましくない傾向が現れやすい事が注目されておりました。

国民健康栄養調査概要はこちらで見る事ができます

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000020qbb.html

結果の概要p32より

f:id:doramao:20120206171910j:image:w550

上記の所得と生活習慣の関係と、第2章p34-39に掲載されている都道府県別の肥満及び主な生活習慣の状況*1を眺めていてなんとなく一人当たりの県民所得と並べてみたら面白そうな気がしました。

そんなわけで、所得と生活習慣の項目と関係する内容について都道府県の順位(トップ10もしくはワースト10)に県民所得順位をつけたものを表にしてみました。野菜摂取量と歩数については値が低い県から並べております。県民所得のデータは総務省が行った平成20年県民経済計算を参考にしております。


■肥満者の割合

f:id:doramao:20120206171911j:image

栃木県の肥満者の割合がちょっと意外な感じがしますが、北と南に太り気味の人が多い傾向があるようにみえます。p32では収入と肥満には★がついていないのですが、県民所得と並べてみると違った傾向がでていて面白いです。


■野菜摂取量

f:id:doramao:20120206171914j:image

f:id:doramao:20120208130403j:image

摂取量の少ない県から順番に示しておりますが、摂取量トップは長野県です。県民所得との関係よりもどうしても別のことが気になってしょうがありません。

うどん県の野菜摂取量が少ないのは、うどんを主食にしている事が関係しているのでしょうか?これは非常に大きな問題であるとどらねこは指摘しておきましょう。野菜たっぷりうどんレシピの開発が緊急課題です。アグリサイエンティストの方にも頑張って貰いましょう。


■歩数

f:id:doramao:20120206171912j:image

f:id:doramao:20120206171915j:image

野菜と同じく歩数も少ない県順です。どらねこは以前東京に暮らしていた時は駅まで毎日歩いたものですが、青森県に引っ越してからは通勤やちょっとした買い物もほとんど車で移動するようになり、おなかもだいぶモフモフに・・・。まぁ、個人的には生活するだけで精一杯の時には健康ウォークとかする気にはなれないかな、とか思ってしまいます。


■現在習慣的に喫煙している者の割合

f:id:doramao:20120206171909j:image

また所得とは関係のない話なんだけど、青森県のある調査で妊娠中の女性の喫煙率が10%以上だったんですよね。それぐらい喫煙者の多い県だったりするんですよ。


■飲酒習慣者の割合

f:id:doramao:20120206171908j:image

地元においしいお酒があればやっぱり飲んじゃいますよね。おいしいお酒をつくる県の収入はどちらかと謂うと低い傾向にあるようですね。しかし、さっきから同じ県名を何度も打ち込んでいるような・・・。


■おまけ

f:id:doramao:20120206171906j:image

そう思って調べてみたら、鳥取・青森・宮城は5回も登場しているじゃないですか。登場回数4回以上の県はいずれも所得順位が30位より下なんですね。

ではそれとは逆に登場していない都道府県の顔ぶれはどんなものでしょう。所得順位順に並べてみました。

f:id:doramao:20120206171907j:image

どうやら所得の高い県ではあまり体によくなさそうな生活習慣をしている人の割合は少ない傾向にはあるようです。それがどういう要因によるものなのかはこんなお遊びとは別に検証される必要があると思います。もし、貧困が関係しているのであれば、貧困対策は有効な健康施策になることでしょうね。所得の再分配は単なるバラマキ目的にあらず、なんて事もこのあたりに関係していると思ってます。

*1:国民健康栄養調査の表には平均値の95%信頼区間を表すバーがついていますが、今回の表では平均値の順位のみに基づいてます。

山田一雄山田一雄 2012/02/09 12:27 なるほどね

でも心身の一番健康に悪いのは、人の迷惑や人権など無視した人間や過酷化する競争社会。私は迷惑やプライバシーを無視して記事を各メディアに悩まされている。そう言う人の迷惑を無視したビジネスをする連中が、一番健康に悪いのだ

doramaodoramao 2012/02/09 12:59 容疑の段階での実名報道や労働者の権利をないがしろにするような現状にはうんざりします。

2012-02-05

食餌療法綱要を眺めてみた

| 13:21 | 食餌療法綱要を眺めてみたを含むブックマーク 食餌療法綱要を眺めてみたのブックマークコメント

今回はちょっと面白い本が手元にあるので簡単に紹介してみたいと思います。

f:id:doramao:20120205115637j:image:w550

これは昭和7年2月に陸軍軍医団から発行された食事療法の基本が書かれた本ですが、当時の栄養学の知識や献立例などが豊富にしめされとても興味深いモノでした。


■どんな本?

序文には、病気と謂えば薬物療法に偏重の風潮であるが、顧みられる事の少ない食事療法であるが、その重要性を理解し陸軍に於いても活用されることで多大な貢献が期待できる、と謂うような事が書かれております。

f:id:doramao:20120205120922j:image:w550

目次を眺めてみると、様々な疾患名がずらりと並んでおります。それぞれに食事・調理法に際する注意点や献立例などが示されており食事療法に対する期待の大きさが想像出来ます。実際には食事療法にも限界はあり、彼らの夢見たようなどんな病気にも有効な万能なものではなく、有効な病気とそうで無い病気があることが明らかになってきました。治療の為の食事と日常の健康維持の為の食事、楽しみの為の食事など食事に対する視点が変わってきたのですね。食事療法は万能ではないのです。


■カガク的

古い本ではあるものの、本書はとても科学的な視点を持って書かれているように思います。例えば、食品成分が体内でどのように利用されるのか等、代謝についてもページを割いて説明しております。クエン酸サイクルがまだ完成していない時代ではあるので、現代からみれば誤っている記述があるのはしょうがありませんが、この本より後に刊行された桜澤如一氏の著書*1よりも断然カガク的であると謂えるでしょう。

f:id:doramao:20120205123316j:image:w550

クロトンアルデヒドは生体内での脂質の代謝に関係していないと思いますけどそれはご愛敬でしょうか。脂肪酸のβ酸化についても言及がありますね。脂肪酸の事を当時は脂酸と謂ったのでしょうか、当時の用語も興味深いです。


糖尿病の食事療法

食事療法の一例として糖尿病の項目を眺めてみます。

f:id:doramao:20120205123925j:image:w550

注目点は、精神過労と書かれているところでしょうか?ストレスが糖尿病の一因であるとこの時代に指摘されていたのですね。

f:id:doramao:20120205124332j:image:w550

もう一つの注目点は、この含水炭素に対する認識でしょうか?含水炭素は現代の言葉だと炭水化物(糖質)にあたるものですね。糖尿病の食事療法のキモは、この炭水化物量を調整することであると書かれております。

実は、糖尿病の食事療法ではエネルギー制限重視であまり糖質量に無頓着な栄養指導が主流となっていた時代が長く続いておりましたが、最近はエネルギー制限だけでなく、同時に糖質の量や質についても着目されるようになってきました。

f:id:doramao:20120205125332j:image:w550

よく使われる食品にどの程度炭水化物が含まれているのかを一覧にして示しております。それがいつの間にか、糖質量を示さない食品交換表*2になってしまったのは残念な事であると思います。


■洋食の扱い

昔の本ですから、日本食ばかりが偏重されているのかと思いきや、西洋風の調理法が思いのほか採り入れられており、とてもおしゃれな感じの料理も紹介されていたりします。所謂洋モノが有り難がられるような時代であったのかも知れませんね。

f:id:doramao:20120205130428j:image:w550

f:id:doramao:20120205130448j:image:w550

f:id:doramao:20120205130527j:image:w550

ビタミンAが過剰になりそうですが、なかなか濃厚なメニューです。

昭和初期の日本軍の食事療法は意外とやりますねぇ、どらねこはぐぬぬとうなったのでありました。



■おまけ

この本に挟まっていた大阪府病院の患者食が面白かったのでおまけとして掲載します。

f:id:doramao:20120205131115j:image:w550

ステーキは当時はステッキな食べ物であったようですが、それよりも入院患者の病状じゃなくて、等級で献立が違うところが興味深いです。5等では野菜がほとんど提供されてませんね。これで病気が良くなるのかちょっと心配になってしまいます。今後日本がこのような時代に戻ってしまわないようにしないといけませんね。

*1:独自の陰陽方程式を展開している著書をこちらの記事で指摘してます→http://d.hatena.ne.jp/doramao/20110203/1296735588

*2:今後は食品交換表もカーボカウントに対応する事になるでしょう。

locust0138locust0138 2012/02/06 00:49 「海軍は食事を重視していたが、陸軍は食事を軽視していた」というのが一般的な事実のようです。脚気の問題も、陸軍と海軍の食事に対する考え方の違いがよく出ました。陸軍は貧しい農家出身の兵隊が多かったため、「陸軍に入れば白い飯が食える」と釣っていたようです。
陸軍がこのような資料を作成していたのは意外ですが、化学的な説明が多いのは、常にドイツを参考にしていたことと関係があるかもしれません。

海軍は明治時代にイギリスから軍艦を輸入することで近代海軍として発展しました。ところが、当然ながらイギリス製の軍艦はイギリス人の体格・身体能力に合わせて設計されており、当時の日本人には扱うのが難しかったのです。そこで、海軍首脳は洋風の食事を導入し、軍人の体格・身体能力の向上に努めたようです。その結果、海軍では食事を重視するようになりました。横須賀や舞鶴、佐世保などの海軍の基地があった土地に洋食が根付いたのはこのためです。

余談ですが、海軍は元々食事重視の方針に加えて、輸送船を多数保有していたため、最前線でもあまり食事には不自由しなかったとのことです。
一方陸軍は、食事軽視の方針に加えて輸送手段を持たなかったので、食料は現地調達が基本でした(特に中国で)。そのため、各地で食料を巡って現地住民に対する略奪や暴力が絶えず、中国人がいまだに日本人を恨んでいる原因ともなったようです。

長文失礼致しました。既にご存じでしたら恐縮です。

ふぃっしゅふぃっしゅ 2012/02/06 10:09 doramaoさん、すごい本をお持ちですね。
私の父は幼年学校、陸軍士官学校出身でした。すごく食事や健康にこだわりを持つ人ですが、陸軍という環境がそうさせたのかは今は確認できないので個人的体験ですが。
たとえば、生ものや少し時間がたった食物には食中毒を恐れてものすごく神経質でした。「牛乳はよく噛んで飲みなさい。そのほうがよく消化される」と小さい頃に言われました。それ以外にも体に良い食品などにとても気をつけていて、薬局で売っている大瓶のビタミンCを毎日一匙ずつ顔をしかめて飲んでいました。思い出すだけで酸っぱいです。
きっと軍の教育でそういうものがあったのではないかと推測しています。子どもの私から見たら「変なの!」って感じでしたけれどね。
***
またまた東南アジアの話ですが、住んでいた国の辺境の地にもけっこういく機会がありました。私が日本人だと知ると、「おまえの父親は第二次大戦中に何をしていたか」と訪れた村では必ず聞かれました。そしてその村で日本兵が何をしたか、たくさん聞きました。
locust0138さんが書かれているように、「日本兵が来て、このあたりの作物や食料になるものを全て持っていかれた」という話はよく聞きました。

doramaodoramao 2012/02/09 12:51 >locust0138さん
森氏の件から理論の構築については頑張ったのかも知れませんね。中身はなかなかにしっかりしたものでしたよ。
昭和初期の平均的日本人の栄養状況は芳しいものではありませんでしたので、食事により体調が改善する事例は多かったことでしょう。
海軍と陸軍の違いについては詳しくありませんので、なるほどなと思いました。海軍の栄養についての資料があれば比較できて面白そうですね。

doramaodoramao 2012/02/09 12:56 >ふぃっしゅさん
食中毒に苦しんでいる人を間近で見たのかも知れませんね。命に関わるという認識なのでしょうね。ビタミンCはポーリングが喜びそうな事例ですが・・・
当時の戦争は大義のあるものだったというような主張を見かける事がありますが、一般市民を直接苦しめるような行いに正義なんてあるはずないですよね。

2012-02-02

幼児の水分補給にご注意

| 22:40 | 幼児の水分補給にご注意を含むブックマーク 幼児の水分補給にご注意のブックマークコメント

我が家では先週から胃腸障害に苦しんでまして、先週から一人ずつ具合が悪くなっております。どらねこと息子達は幸い軽くすんだのですが、妻は重度で、ちょっと水分を口にしたぐらいで戻してしまうような状態です。

このような状態の時は脱水や電解質のバランスが崩れる事が心配されるので、水分と電解質補給*1を心がけるのですが、ちょっと胃にものが入るだけで戻してしまう時には点滴により静脈から補う事が必要になると思います。ホント苦しいですよね。

■補給は大事だけれど

嘔吐や高熱による発汗などで脱水するのは怖いので水分補給に熱心になりますが、子供の場合は大人よりも体の調節機能が弱いため、ちょっとした事が深刻な事態を招きかねません。よかれと思ってした事が結果的に健康を害してしまうのは親として実を引き裂かれる思いをすることでしょう。そんな事にならないように知っておいて欲しいことは色々有ります。今回はミネラルだけじゃなくてビタミンにも気を配ろうと謂うお話しです。

■ビタミン足りてますか?

子供が嘔吐や高熱で苦しんでいる時には食欲が落ちてしまう事がよくあります。食事が無理なら水分で脱水予防を、と思い市販のスポーツドリンクやイオン飲料みたいなものを飲ませようと努力しますが、それが行きすぎると別の危険を招きかねません。

勿論、水分とミネラル補給は大切なのですが、そういった飲み物にはビタミンがあまり配合されていない事が多いのですね。食欲がない場合、ずっとミルクや食事がとれないままに糖分が配合されたスポーツ飲料ばかりを飲んでいると、糖質をエネルギーとして利用する為に大事なビタミンB1をはじめ、ナイアシンなどのビタミンが不足してしまいます。特にビタミンB1の欠乏は深刻で、ヘタをすると衝心脚気のような症状が現れ、命にかかわる問題が起こりかねません。分量に気をつけるとともに、食欲が戻らない場合には小児科に受診し、詳しく状況を説明し、適切な対応をとって貰いたいところです。

そこまで大変な状況でない場合も、子供が欲しがるからと大量に与えすぎるのは気をつけましょう。少し固形物を食べられるようなら、豚肉を煮た汁をお粥に混ぜたり、豆腐をペーストにしたものを与えるなど、ビタミンB1の補給にも心がけてあげたいところです。