トランス脂肪酸ってどれぐらい危険なの(解釈編)

トランス脂肪酸ってどれぐらい危険なの(準備編)
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20140204/1391505566
トランス脂肪酸ってどれぐらい危険なの(データ検証編)
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20140210/1392010030

ここまではトランス脂肪酸とはどんなものなのか、どんな危険性があるのかなど説明をしてきました。これら情報が皆様の判断に役立てばと思っております。
今回は、検証編のおわりに書いた「企業には食品中のトランス脂肪酸含量を下げる努力を続けて貰いつつ、規制や食品表示の義務化は不要」と、どらねこがどうして考えるようになったのかを述べてみたいと思います。
なお、今回の記事は色々と細かい話をこねくり回しており、読みにくい点も多いと思いますので「まとめ」を最初に書いておこうと思います。


トランス脂肪酸への見解まとめ

その1:トランス脂肪酸はエネルギー比1%未満にしましょうという基準自体が集団対象の目標なので、日本の平均値がそれを下回っているのならリスクは大きくなさそうである。



その2:FAO/WHOの基準で考えると食塩摂取量が論外なぐらい高いのが日本の特徴。こっちを優先課題にもっと取り組むことが大事では?



その3:現在のトランス脂肪酸摂取量は調査したときよりも少なくなっていると予想される。企業努力でマーガリンなどのトランス脂肪酸量は大きく減っている。(ただし、飽和脂肪酸量は増加傾向)



その4:食品表示の義務化にはコストが掛かるし、中小企業への負担が大きい。コストをかけてまで減らすほどメリットは大きくなさそうだ。



その5:日本人の摂取量についてのさらなる調査が必要であり、日本人対象の健康への影響についての知見が不足しているのが現状である。現状の摂取レベルから考えれば、基礎となるデータが集まってから判断しても遅くない問題だろう。



その6:トランス脂肪酸ばかりみてはダメ、飽和脂肪酸量も気にしましょうね。

以上の理由により「企業には食品中のトランス脂肪酸含量を下げる努力を続けて貰いつつ、規制や食品表示の義務化は不要」と考えます。
それでは、細かい話をしていこうと思います。


■FAO/WHOの摂取基準を考える

日本人のトランス脂肪酸摂取量を調べた調査ではWHO/FAOが示している栄養素摂取量の目標値以下である事は前回示しましたが「日本人の摂取量はWHO/FAOの示した基準値を超えていないから問題ないのではないか?」という意見と「個人レベルで見ると超えている人はいるから、平均だけで判断してはだめだ」という二つの解釈を見る事ができます。
後者の意見も確かにもっともだ、と思わなくもないです。事実、日本人を対象にした食事記録を元に摂取量を推定した論文*1では、トランス脂肪酸摂取量が総エネルギーの1%を超えていた人が女性では24.4%と無視できない水準であったという結果がでております。この論文のポイントは16日間分の食事を調査したものである、というところです。油脂の摂取量はその日によって大きくバラツキがあるという特徴があります。ようするに、毎日脂っこい物をたべる人はそんなにいないので、1日だけの調査では日常的に摂取量が多いのかどうかを判断することは難しい*2ということです。その点この論文はそうした面にも配慮している調査計画であり信頼性が高いといえるでしょう。
あれ、そうなると日本人も気をつける必要がある・・・という事になりそうですが、一つ注意して欲しい部分があります。表にもありますが、エネルギーの1%未満というのは厭くまで「集団における目標値」です。集団においての目標値を集団では下回っているわけですから、集団への対策を急がなければならない、という理由としては弱いと考えられます。
ただし、この部分には一つ気をつけなければならない点がありまして、WHO/FAOでは、2008年に行われた合同専門家会合*3において、今後はこの基準が摂取が高い人の事も考慮して見直す必要はありうる、という見解を示しています。新しい基準がしめされた場合にそれを参考にするというのは妥当だと思いますので、その時に考えれば良いのではないでしょうか。


■FAO/WHOの基準は参考にすべきなの?
さて、ちゃぶだい返しをするわけではないのですが、そもそもこのFAO/WHOの栄養素摂取量の目標値を日本が参考にする必要はあるのでしょうか。というのも、日本には日本独自の食事摂取基準があり、世界全体の集団とは違った特徴を持つ日本人集団に適した基準をつくっているはずだからです。
事実、日本人の食事摂取基準にはこのFAO/WHOの目標値から大きく外れた項目が存在します。



日本人の食事摂取基準では2015年までに達成したい目標量として男性9.0g /日未満、女性7.5 g/日未満であるとしており、それぞれFAO/WHOの基準を大きく上回るものです。
この食塩摂取量は高血圧に関係しますが、高血圧はトランス脂肪酸とおなじく冠動脈疾患のリスクファクターの一つで、摂取量のとても多い国である日本ではトランス脂肪酸の問題よりも優先順位の高いものであると見なせるでしょう。
よそ様の基準は基準として日本では日本の事情を考慮した基準を考えれば良いわけで、ケースバイケースで考えていくのが妥当だと思います。トランス脂肪酸は1%未満厳守すべきだと強硬に述べるのなら食塩摂取量やその他項目も一律守ろうといわなければ不公平*4なわけで、そんな話にはしないで個別の項目ごとに妥当性を探っていく事が大事であるとどらねこは考えます。


■現在のトランス脂肪酸摂取量は?
妥当性を考える場合にまず考えたいのが、日本人はどれぐらいトランス脂肪酸を摂っているかの最近の動向です。
トランス脂肪酸摂取量が総エネルギーの1%を超えていた人が女性では24.4%と無視できない水準であった事を明らかにした論文は2010年のものですが、食事調査が実施されたのは2002年および2003年の事であり、当時流通していた食品に含まれていたトランス脂肪酸量を元に、食事中のトランス脂肪酸量が計算されたものという事になります。
ほんの数年のことなのでそんなに影響はないでしょ? と、思ってしまいそうですが、トランス脂肪酸は危険であると世間の話題になった事もあり、メーカーがその減量に取り組んだ結果、食品中に含まれるトランス脂肪酸の量は数年間で大きな違いが生じているようです。

※表は2012年3月食品安全委員会 「新開発食品評価書 食品に含まれるトランス脂肪酸」p17より抜粋した物。

2006年と2010年では同一サンプルを用いているのは半数を超える程度ありますが、現状店頭で購入できるマーガリン類のトランス脂肪酸量は大きく改善されていることがうかがえます。
トランス脂肪酸規制や表示についての議論の前提となる事の多い日本人の推定摂取量を示す資料は、当時のトランス脂肪酸の含量で計算しており、現在の摂取量はそれらよりも少ない事が予想されます。
もし、4年間で硬化油使用商品のトランス脂肪酸量が本当に半分近くになっていたとすれば、気にしなければならないほど過剰摂取をしている人というのは単純計算ではあるものの大きくへっている*5事が予測されます。


■コストの問題
もし、既にトランス脂肪酸摂取量が十分に減っているとすれば、成分表示を義務化したり使用量を規制したりする事に意味がある(もちろん、前提である十分に減っている事を示すのは欠かせません)のでしょうか。
トランス脂肪酸を気にしなければならない人が無視できないほどに多いのならばコストをかけてまで実施する意義がありますが、さほど多くないのであれば、そのためにリソースを割いてまで対策を行うというメリットがイマイチ感じられないのです。
食品メーカーには規模の小さいところも多いですが、完全に義務化となれば表示のためのコスト増により中小企業では商品の製造自体の継続が困難になる事も予想*6されます。また、企業のコストは製品の値段に転嫁されることになりますが、その上昇分を支払うのは国民です。それに見合った効果が疑問視されていても商品価格が上がるというのはどうなのでしょうか?
ようするに誰得状態なの?と、どらねこには思えるのです。


■日本人対象の研究は不十分
日本人の食事と健康の問題を論じる場合には、そこには根拠が求められると思います。
日本人にとって適切な栄養摂取は・・・という場合に参照されるのが「日本人の食事摂取基準2010年版」ですが、基準の根拠となっているのは世界中から集められた学術論文です。改訂毎に参照される参考文献数は増えており、2010年版では合計1244にも及んでおります。そのうち学術論文は1098と全体の88%を占めているのですが、日本人を対象とした291と全体の27%に留まります。
日本人の栄養摂取基準なのでなるべくなら日本人を対象とした文献を主体にしたいところなのですが、参考にできるレベルの十分な報告は不足しているというのが現状ではあります。もちろん、諸外国の報告も同じ人間を対象にしているものですからとても有用なのですが、ライフスタイルの違いや食事構成の違いなども結果に関わってきますので同様の報告であれば日本人対象の文献が望ましいのはいうまでもありません。
さて、トランス脂肪酸についてですが、文献の対象国(主にアメリカ)と日本ではその摂取量に大きな違いがあります。さらに、脂質全体で見ても大きくことなりますし、冠動脈疾患のリスクファクターとして挙げられる喫煙や食塩摂取量、肥満者の割合なども大きく異なり、そのまま参考にはできないものであると考えられます。
日本人を対象としたトランス脂肪酸と健康リスクを明らかにした論文はみあたらないのが現状です。今後トランス脂肪酸摂取量の多い日本人を対象とした介入研究が行われれば明らかになってくるのかも知れません。今後もトランス脂肪酸摂取量に注意しつつ、健康との関係についても知見を集めていくことが大切であると考えます。


■減らせるのなら減らして欲しい
とはいえ、食用油に含まれるトランス脂肪酸はなくてはならないものではなくて、硬化油をつくる際の副生成物であるという点が食塩の問題とは違うところです。別に食べて特別美味しいわけでもなく、栄養学的にもこれを摂る必要は全くないと考えられるものですから、減らす取り組みは続けて欲しいと思います。
企業においては、食用油や油脂製品中のトランス脂肪酸を減らす取り組みを引き続きして欲しいと思いますし、これについてはノウハウも企業間で共有していただいて欲しいなぁと思ったりします。現時点でも商品毎にトランス脂肪酸含有量に大きな違いがありますが、安価を謳った商品ばかりにトランス脂肪酸量が多い、という状況ができてしまうのが心配だからです。
トランス脂肪酸対策のコストはここにつぎ込むことで現状日本の問題は概ね解決できるのではないか、というのがどらねこの見解です。


■ところが別の問題も
さて、ここまではトランス脂肪酸のリスクおよび減量について述べてきましたが、それだけに気をとられるとこんな落とし穴もありそうです。
マーガリンやショートニングなどは滑らかで使いやすい固さが商品の魅力なのですが、あの物性を持たせるために硬化油を用いているといってよいでしょう。この性質にトランス脂肪酸も関わっておりまして、トランス脂肪酸を減らそうとすると、どうしても飽和脂肪酸含量の高いマーガリンやショートニングができあがってしまいます。同じく食品安全委員会の表5を抜粋したものを参照してみます。



業務用ショートニングではトランス脂肪酸の量が平均で13.1gから0.59gへと大幅に減っておりますが、飽和脂肪酸の量は23.9gから45.4gへと増えていることに注目です。検証編でも論じましたが、飽和脂肪酸自体にもLDLの増加という問題が存在します。硬化油のトランス脂肪酸ばかりに注目していてはこうした問題も見逃してしまいがちなので注意が必要でしょう。
では、マーガリンがダメならバターを使えば良いじゃない、と思いますが、バターは元々マーガリンよりも飽和脂肪酸の多い食品ですし、天然由来とはいえトランス脂肪酸を含む食品です。
マーガリンかバターであるかを気にするよりも、それらの食品摂取量が多すぎないか、という視点を持つ事も大切です。

一つの油にばかり注目するよりもそれぞれの油を適度なバランスになるように摂る事が重要である


という事を強調してこのシリーズ本編を終わりにしたいと思います。長い文章におつきあいいただきまして有り難う御座いました。

*1:Yamada M, Sasaki S, Murakami K, Takahashi Y, Okubo H, Hirota N, Notsu A, Todoriki H, Miura A, Fukui M, Date C. Estimation of trans fatty acid intake in Japanese adults using 16-day diet records based on a food composition database developed for the Japanese population.J Epidemiol. 2010;20(2):119-27. Epub 2009 Dec 26.

*2:国民健康栄養調査の結果を解析して、トランス脂肪酸摂取量がオーバーしている人の割合が多い云々をするのはあまり妥当性がないということでもある

*3:http://www.who.int/nutrition/topics/FFA_summary_rec_conclusion.pdf

*4:トランス脂肪酸の基準を大事にする人は食塩摂取量の基準を甘くすることを許容するな、とか、食塩基準が甘いのだからトランス脂肪酸についても甘くしろみたいな話では無いです、念のため

*5:Yamadaら2010の調査はトランス脂肪酸含有量未測定食品への配慮もしている論文であり、この点は他の報告よりも正確性が高いと考えられるため、単純に判断して良いかはまた別問題

*6:http://www.caa.go.jp/foods/pdf/120511sankou.pdfより。栄養成分表示が義務化された場合の製造原価の増加率は、大企業に比べて中小企業の方が大きくなると示されている。