2017-08-30 金槌 従兄弟が来て、工房の閉まらなくなった高窓を修理していってくれた。その後に雨が降り出して、間一髪で助かる。 ふと見ると宣紙の束の脇に彼の金槌が忘れられていた。 柄のカーブが美しいのでよくよく見ると、丸の樹を取り付けてあった。 良く見つけてきたものだ。 自分の道具を遊ぶ職人も少なくなってきた。電動工具では遊ぶ余地もないか?
2017-06-14 一調 一調 「女郎花」 梅若玄祥(謡)、亀井広忠(大鼓)を聞く。 いやはや、面白かった。 しかし、奥多摩から千駄ケ谷の能楽堂までの行き帰りはちょっとキツイ。 とはいえ、この距離と時間が世間とのフィルターなので致し方ない。 とんと都会へ出なくなっているのだが、二日続けての遠出だった。 珍しい。
2017-06-13 砂澤ビッキ展 砂澤ビッキの作品は、昔、美術雑誌では見ていたが、実際には目にした事が無かったので、葉山の神奈川県立近代美術館まででかける。 1980年の「神の舌」、`83「樹頭」、`86「風に聞く」が良い。 雑部密教の一木造りの仏像に通じるものを感じる。
2017-06-01 桑の実 画室近くの三差路に、大きな桑の樹が立っている。 昨日までその事を知らなかったが、通りかかると、道に沢山の桑の実が落ちて潰れていた。 上の枝では、鳥たちがキーキー鳴きながら飛び交って騒がしい。 服を汚す事が在ろうと、鳥が五月蝿かろうと、この一本の桑の樹がある事は幸せだ。 持ち主も、そう思っているのだろう。
2017-05-27 川井の家 伊藤比呂美の「切腹考」を読む。腹切りのこと、熊本の地震の事、鴎外の文章の事、夫の死などについてが繰り返し、時間と場所を行き来しながら書かれている。 そこには物語も結論も無い。テキストだ。 読み手はいろいろの事を考えながら、それぞれにこれを読み解くだろう。その豊暁さに感心する。 川井の家
2017-04-16 シクラメン3題 この2日ばかりの暖かさで、家の前の桜が一度に咲き出し、8分ほどまでに開いた。 今年の春は遅かった。 この一冬のあいだ、部屋の中で楽しませてもらったシクラメンの花も、そろそろ衰えてきた。 晩酌をしながら、デッサンをする。 見たままに畫くようにしようと思っているのだが、さて、見たままとは何だろう? どこまでいっても概念で、見たままということは有り得ないようにも思える。 感じたままという事なのだろうか? となると、表現になるのだろうか? 描いているうちに、考え過ぎなのだと気がつく。 哲学なんぞという物をやっていなくて良かった。