『元気なぼくらの元気なおもちゃ』ウィル・セルフ/安原和見訳〈奇想コレクション〉(河出書房)★★★★☆

 普通ではないかもしれないけれど、奇想コレクションのカラーには合ってない。SFやファンタジーではなく、まるっきりの現代主流文学。いかにも柴田元幸が訳しそうな作品では?、と思ったけど、巻末リストを見たらやっぱり訳してました。奇想コレクションとしては★二つ。奇想自体を楽しむタイプの作品ではない。スウィフトになぞらえられるとか風刺小説とかいうのともちょっと違うと思う。原題『Tough, Tough Toys for Tough, Tough Boys』Will Self,1998年。

「リッツ・ホテルよりでっかいクラック」(The Rock of Crack as Big as the Ritz,1995)★★★☆☆
 ――いかにも総元締めらしく、ダニーは商品を持ち歩いたり自分で吸ったりはしない。そちらはテンベに任せていた。イラン人の上客から呼び出しがかかり、テンベは出かけていって禁断症状を鎮めてやらなくてはならない。

 地下室の壁から次々にクラック(コカイン)が出てくるという出来事自体がジャンキーの妄想みたいなヘンな作品。ノワールみたいなぶちきれヤローでもなければ、ブコウスキーみたいなダメ人間でもない。イカレるにしろ堕ちるにしろ行くところまで行かず突き抜けたところがない、もやもやとしてすっきりしない。ラリったときの誇大妄想を文字どおりに小説化したのでしょうか。
 

「虫の園」(Flytopia,1995)★★★☆☆
 ――ジョイがいるときは、虫はほとんど気にならなかった。しかしジョイがいなくなってからは、虫がしだいに気に障るようになってきた。ジョナサンは殺虫剤と蠅取り紙を買い込んだ。気づいたのはキッチンに入ったときだ。シミが見覚えのある模様を描いている。文字だ。シミが並んでメッセージを書いている。

 ヤクでイッちゃってるのを、頭の中に虫が湧く、と表現することがあるけれど、それをまんま具現化してしまった(?)作品(原因がヤクかどうかはわからんけども)。しかも虫と仲良くなってしまうのだ(^^;。気持ち悪い虫の描写から、山田詠美「唇から蝶」のような官能的な虫の描写まで、虫百態。ちゃんとしたオチがあってほっとする。

 どうもこの作家とは文体が合わないみたいだ。奇想というよりシュールに近い。マグリットは好きだけどダリはちょっとね、という感じかな。文章というより、一文一文を継ぎ足したようなぶつ切れの文体が読みづらい。訳者あとがきには「ひねた文章」と書かれてありましたね。
 

「ヨーロッパに捧げる物語」(A Story for Europe)★★☆☆☆
 ――ハンピーはのどを鳴らして「ヴィア、ヴィア」と声をあげた。「ヴィア・ミュッセン・エクスパンディーレン」いつになっても意味の通る言葉を話さないので、ミリアムとダニエルは医者に相談した。ドイツ銀行のドクター・ツヴァイイェリッヒはいつもと様子が違っていた。

 風刺らしい風刺作品。最初の二話を読んでも、どうしてスウィフトとか風刺とか呼ばれるのかよくわからなかったけれど、これならまあわかる。わりとSFっぽい手法を使ったわかりやすい作品。本篇にしろ「愛情と共感」にしろ、ウィル・セルフの描く子どもはまったくかわいくない(「愛情と共感」を子どもと言えるかどうかは考えどころだけれど)。この人の描くのは、子どもであれジャンキーであれ一般人であれ、すべてが不安神経症的なオレ語りの変奏曲なのだという気もする。

 「コーカソイド(白人)の新生児の場合、目鼻立ちが東洋的なのはダウン症の徴候」という辞書に載ってない文化的豆知識を一つお勉強。
 

「やっぱりデイヴ」(Dave Too)★★★★★
 ――デイヴがカフェで待っていた。ぼくの一番の親友だ。デイヴというのはありふれた名前だ。今ぐらいの時間にはカフェにはたいていデイヴがあとふたりいる。区別するためファット・デイヴとオールド・デイヴと呼んでいる。

 いちばんわけのわからない作品。出会う人たちの誰も彼もがみんなデイヴ。そんな世界でおろおろ右往左往する迷子の様子をけらけらと笑い飛ばせばいい作品だと思う。キャロル『スナーク狩り』みたい。「さよう、スナークはたしかにブージャムだったのだ」。ドクターによるいかにも精神分析的で意味深な屁理屈のあとに待ち受ける、極めつきのナンセンス。
 

「愛情と共感」(Caring, Sharing)★★☆☆☆
 ――トラヴィスはエモートであるブリオンにしっかりしがみついた。今夜のデートが心配なのだ。あろうことか世の中には、いまだエモートの世話にならずに、肉体的に接触して生殖行為をしたがる大人がいる。前回のデートでそんな恐怖はこりごりだった。デート相手のカリンとエモートのジェインはとても魅力的だ。

 訳者あとがきにある、「『内なる子供』が肥大化どころかほんとうに巨大化しているという設定は、まさに現代人の病弊の風刺と見たくなる」という解説どおりの作品です。マザコンがデートにママを連れてきたようなものだと思えばいいでしょう。当たり前だけどママの方はやることはしっかりやってるのです。
 

「元気なぼくらの元気なおもちゃ」(Tough, Tough Toys for Tough, Tough Boys)★★★★★
 ――精神分析医のビルはヒッチハイカーを拾って、また車を走らせた。「きみはどこまで行く?」「どこの出身?」「なにしに行くの?」いつくか質問をしただけで、すっかり情報を引き出し、こいつのことはもう完璧に解読できそうだった。

 表題作だけあってかなり読みごたえのある力作。それだけに、〈奇想コレクション〉という枠で読むと評価が低くなってしまうので残念。先入観を持たず、まっさらな状態で読める人はうらやましい。他人は自己を映す鏡。フロイトフロイト信者)が分析すると何でもかんでもセックスになってしまうし、ユングユング信者)が分析すればなんでもかんでも夢と無意識になってしまう。心の内奥を見つめざるを得ないくそったれなロード・ノヴェル。
 

ボルボ七六〇ターボの設計上の欠陥について」(Design Faults in the Volvo 760 Turbo: A Manual)★★☆☆☆
 ――ビルはセリーナといちゃついていた。妻に見られたら言い訳するしかない。彼の巨大さに比べたら彼女はちっちゃな人形サイズだ。道路は渋滞、駐車場はすし詰め。ボルボのステアリングがヒーユーと鳴く。

 「元気な〜」の前日譚に当たる続編。「元気な〜」のシリアスはいったい何だったの?と言いたくなるようなパラノイア炸裂作品。ビルったら、完全にいかれちゃってるじゃん。しかも陽気にいかれてる。「元気な〜」でガツンと感銘を受けた当方としては、この作品はなかったことにしたい……。
 

「ザ・ノンス・プライズ」(The Nonce Prize)★★★★★
 ――どうしてこんな羽目になったのかははっきりしている。ダニーがクラックに手を出したからだ。今じゃ弟が「ミスター・テンベ」と呼ばれている。商品に手を出したダニーは、小児虐待殺人者に仕立て上げられ刑務所に送られた。ヘンタイだと思われるのだけは我慢がならない。性犯罪者棟から出るには点数を稼ぐしかない。ダニーは小説講座を受けてみた。

 「リッツ・ホテル〜」の続編。この人は普通の続編は書かないんですね。飛んじゃってる「リッツ・ホテル〜」とは一転、まともな犯罪小説です。少なくとも前半は。後半に入ってからは、刑務所内の小説コンテストに応募するというおよそ予想もつかない展開です。この後半の小説講座の様子が面白くて笑える。スペース・サガって……。授賞理由も風刺というか何というか……日本にはこんな感じの笑かしてくれる選考委員がたくさんいる。事情は海外でも変わらないのでしょう。前半で落ちるところまで落ちたダニーが、性犯罪者に仕立て上げられて、いくら落ちぶれたといってもそこまで落ちちゃいねえぜ、と心機一転立ち直ろうとする犯罪小説としても読みごたえ充分。ダニーの書く小説の内容が前半部分だとも言えるわけで、前半と後半が別物のようでいてどうにかつながっているようでもいて。まるっきり別の二つの作品を読んだようにも感じたけれど、いずれにしても本書中でいちばん普通に楽しめるのは間違いない。

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 日本独自編集かと思ってたら、元版の短篇集をそのまままるごと訳したみたいです。これも〈奇想コレクション〉のなかでは異色ですね。
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