『月を見つけたチャウラ ピランデッロ短篇集』ルイジ・ピランデッロ/関口英子訳(光文社古典新訳文庫)★★★★☆

 ピランデッロというから戯曲のような不条理・実験系のものを予想していたのですが、かなり幅広い作風の作品が集められていました。大気のなかでしか飛べない幾多の奇想作家の翼とは違い、著者の空想の翼は宇宙まで旅しています。

 

「月を見つけたチャウラ」(Ciàula scopre la Luna,1912)★★★★★
 ――採掘場で働く見習いチャウラ。職場でいちばん立場の弱いチャウラは、おいぼれのスカルダ爺さんからもこき使われる始末。爆発があったときに真っ暗闇に閉じ込められたのが原因で、暗闇が怖い。だから夜の作業は嫌だった……。

 意外も意外。まるで童話のような作品でした。暗闇と月明かり、狭く丸い坑道の先の大きく丸い月、ちっぽけな(?)チャウラとでっかな月、詳細に描き込まれた採掘作業のつらさとファンタジーのようなラストシーン……何重もの対比が圧倒的な力で胸に迫ります。厳密にいえば坑道の形がどうなっているのかはわかりませんが、絵的に言っても丸くなくてはならないでしょう。

 

「パッリーノとミミ」(Pallino e Mimì,1905)★★★★☆
 ――毬のように丸っこかったので、その犬は手毬《パッリーノ》と名づけられた。生まれつき尻尾がなかったためその家の子どもたちからいじめられ、変わり者のファンフッラに引き取られた。村の犬には軽蔑心を抱いていながら、避暑客の犬には社交的になった。

 登場するのは犬、そしてパッリーノ視点になっていますが、ミミからしたら、これは完全に屈折した田舎ジゴロに遊ばれて捨てられた町娘にほかなりません。――ということを考えると、元ネタになったような著名な小説なりがありそうな気もします。

 

「ミッツァロのカラス」(Il corvo di Mìzzaro,1902)★★★☆☆
 ――羊飼いたちがカラスにちょっかいを出したあげく、首に青銅の鐘をぶらさげ放してやった。リン、リンリン――農夫たちもよもや大空でカラスが鳴らしているとは思わなかった。「幽霊だ!」農作業中のチケはそう思った。

 パンをカラスに盗まれたチケは、復讐しようと罠を仕掛けるが……ユーモアでくるんだ「黒猫」、というのが一読した感想でした。罰だけでは満足せずさらなる残酷な思いを抱いたばかりに……イタリアではカラスがどういうイメージの鳥なのかが気になるところです。

 

「ひと吹き」(Soffio,1931)★★★★★
 ――友人の秘書からマッサーリの父君が急死したという知らせを受けたとき、わたしは「人生とはなんなのだ! ほんのひと吹きで消えてしまうなんて!」と叫んで、親指と人差し指を合わせてつまんだ羽根を息を吹いて飛ばすような仕種をした。その瞬間、秘書が顔を曇らせ、前かがみになって苦しみはじめた。

 まさに文字通りの話で、語り手が死となって猛威をふるいます。それだけならまだ寓話らしい寓話と言えなくもないのですが、著者の想像力はとどまるところを知りません。鏡に息を吹きかけた語り手は……! 「姿」だけが無くなるという発想に、天性の才能を感じました。

 

「甕」(La giara,1909)★★★★☆
 ――オリーブの実を叩き落としていた農夫が気づくと、ドン・ロロが大金をはたいて買った甕が割れていた。ディーマ親方が自慢のパテで甕をくっつけようとしたが、信用しないドン・ロロに言われて鎹を使って亀をくっつけたところ、甕の口が狭くて出られなくなってしまい……。

 打って変わって馬鹿話。甕の周りで悪魔かと紛う地獄のような騒ぎをしたり、甕がごろごろ転がっていったりと、いちいちやることが大げさで馬鹿らしく、ただ単に可笑しいだけではなくて、楽しいのが物語のなかから伝わってくるような作品でした。

 

「手押し車」(La carriola,1915)★★★★☆
 ――面と向かって彼女に説明してやりたい。不安になる必要はないと。こんな行為はおまえ以外の相手とはできないのだと。きっかけは、わたしのものとなり得たかもしれない人生の夢を見たことだった。

 きっと……実際の変態の頭のなかも、こんな感じなのではないだろうか――と思わされます。深遠なる人生の悩みをこじらせてかれらなりの結論を見出しているのでしょう。あからさまな狂気や倒錯ではなく、意味がわからないところに薄ら寒さを感じます。

 

使徒書簡朗誦係」(Canta l'Epistola,1911)★★★☆☆
 ――信仰を失い神学校を出たトンマシーノは、「使徒書簡朗誦係」というあだ名をつけられた。自身の殻に閉じこもり、己が存在しているという自覚もなく、生の形のうつろいやすいものに対して心を痛めていた。だからトンマシーノが中尉から決闘を申し込まれたと聞いたときには誰もが驚いた。

 これを「手押し車」の後に収録したのは編集の妙ですね。はたしてそれは「うわごと」だったのか。狂気だったのか。

 

「貼りついた死」(La morte addosso,1918)★★★★☆
 ――列車に乗り遅れた男が声をかけられた。「わたしは想像力でもって人生にしがみつくのです。あなたにどんな厄介ごとが起こるかを想像しても、喜びは感じませんが。厄介ごとなど何です。あと数日の命だとわかったら……」

 どこからどこまでが真実なのか、男はからかわれただけなのか……ここ数篇、人生と死についての考察が続きます。この話が見事なのは、「あなたのように不運にも列車に乗り遅れた人を、殺すこともできる」という一言で、話し相手(そして読者)にも死を突きつけていることで、他人事のように読んでいると冷や水を浴びせられます。

 

「紙の世界」(Mondo di carta,1909)★★★☆☆
 ――老紳士のバリッチにとって、本を読むことができないのは、死んだも同然だった。それがいまや、盲目となってしまったのだ。まずは書物の整理をしてくれる人を募集し、次に朗読してくれる人を募集した。

 本への妄執を綴ったこの作品は、本書のなかではわりとオーソドックスな作品でした。本の牢獄というアッシャー家に囚われた老人の破滅……を感じてもよいですが、朗読係の娘と本に囚われた老人とのちぐはぐなやり取りにニヤリとするのもありでしょう。

 

「自力で」(Da sé,1913)★★★★☆
 ――どうも死者たちは、死ねば終わりだと思っているようだが、遺族が向き合う苦労や費用については考えもしないのだ。マッテオは自分で墓地まで歩き、自力で安らかな眠りにつくつもりだった。

 マッテオが木や石に向ける眼差しが、どこか「使徒書簡朗誦係」のトンマシーノの眼差しを思わせます。決意した死を前にして見る墓地の景色、空気、石ころ、花のなんと新鮮なことでしょうか。

 

「すりかえられた赤ん坊」(Il figlio cambiato,1902)★★★☆☆
 ――三か月の赤ん坊をさらわれて、別の赤ん坊が置き去りにされていた。母親によれば「ドンネ」という魔女のしわざらしい。そんなのは迷信にすぎない、夜のあいだに病気になって醜くなってしまったのだろう。

 自らのアイデンティティを保つため信じたいものを信じる母親からは『ヘンリー四世』を連想しますが、そこまで構えずとも、女一般というものを諷刺しているようにも読めました。

 

「登場人物の悲劇」(La tragedia d'un personaggio,1911)★★★☆☆
 ――日曜日の午前中は未来の登場人物の面接をするのが日課である。昨夜は送られてきた長篇小説を読んでいた。一人だけ生きた登場人物がいたのだが、作者が存分に生かせてはないと感じとった。

 ようやく『作者を探す六人の登場人物』の作者らしい作品がお目見えしました。他人の著作の登場人物にまで出てこられるとは、災難きわまりありません。

 

「笑う男」(Tu ridi,1912)★★★★☆
 ――アンセルモ氏は憤った妻に起こされて目が覚めた。その晩も眠ったまま笑っていたのだという。医者に相談したところ、覚えていないだけで夢を見て笑っているのだと説明を受けた。

 本書中のほかの作品でも時折り見られた、人生のささやかな真実。意味がわからなかったり、意味などなかったり、本人にだけ意味があったり、この世のことわりから離れた意味があったり、本書に出てくる人たちは、たとい奇妙に見えたとしても、特別な人間ではないのだと、心から感じました。

 

「フローラ夫人とその娘婿のポンツァ氏」(La signora Frola e il signor Ponza, suo genero)★★★★★
 ――どちらかの気が狂っているのは間違いありません。事の起こりはポンツァ氏が姑を町に呼びながら別の家に住まわせたことでした。ご婦人連は夫人に同情しましたが、ポンツァ氏によると亡くなった先妻が生きていると信じ込んでいる夫人を悲しませないための処置なのだそうです。

 あらすじから『ヘンリー四世』を思い起こさないわけにはいきません――というよりも、『ヘンリー四世』を本歌取りした久生十蘭ハムレット」の方により近いでしょうか。狂気をおもんぱかる優しさなのか、優しさを気遣う狂気なのか、掛け違い続けているのか噛み合っているのか、申し立てからだけでは誰にも判断ができません。

 

「ある一日」(Una giornata,1936)★★★★★
 ――なんの手違いか、列車からいきなり放りだされた。出発地も目的地も、荷物を持っていたのかどうかも記憶にない。身体をさぐってみると、革財布が見つかった。まったく覚えのない女性の写真があった。歩いていると、見知らぬ人々から挨拶されもした。

 人生という名の列車が走るレールから、少しのあいだだけ放り出されて、一日で経験した凝縮されたそれまでの人生は、他人の目で見るような新鮮さにあふれていました。ボケ老人の見た夢……というわけではないですよね。。。

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