Hatena::ブログ(Diary)

時代のセンサー<今を見つめ考える>

2018-08-20

大阪での容疑者逃走事件の深刻さについて

樋田容疑者が逃走してから一週間が過ぎました。逃走した当初引ったくりを繰り返していたと見られるますが、ここ数日はその足どりが分かっていないようです。

大阪府警は連日3000人体勢で捜査に当たっていますが、容疑者はそれをまるで〈嘲笑う〉かのように、逃走を続けています。その意味では、府警の面目は丸つぶれとなっている、と言えます。

そもそもは府警内の1警察署での不祥事が招いた事件ですが、本来市民の生命・安全を守るべき警察が、警察の留置場での管理が余りにお粗末だったがために、犯罪容疑者を逃走させてしまったことで、市民の安全を脅かす事態を招いている、というであり、極めて深刻な状況である、ということです。

今回の事件に限らず、警察ではこれまでも数々の不祥事が起こっていますが、その中には警察署内から容疑者が逃走した例がいくつかありました。しかし、今回似たような事がまた起こってしまったわけで、過去の事件の反省がまったく活かされなかったことをはからずも露呈した形となっています。

そうしたことからすると、警察組織全体での「情報共有」のシステムは一体どうなっているのか?そもそも全国的な情報共有がなされているのか?という疑問が生じてきます。しかし、これまで様々な不祥事が起きては繰り返されていることからして、仮に情報共有がなされていたとしても、それが現場に活かされることを阻んでいる何らかの要因があるのではないか、とも考えられます。

2018-08-19

富田林警察署での容疑者逃走事件について(2)

12日、樋田容疑者が弁護士と面会した際、弁護士に対して、「面会が終わったことは署員に自分が伝えるので、そのまま帰ってほしい」という内容の話をしていたことが新たに分かりました。そのため樋田容疑者はあらかじめ計画して逃走に及んだものと見られる、とのことです。

一方で、接見室のブザーの電池が抜かれていて、音がならないようになっていたことに関して、何故そのようにしていたのか?については、警察からは何も説明がない状態となっています。これについて私が想像するに、例えば「ドアの開け閉めのたびにブザーが鳴るのはうるさいから--」とかの単純な理由なのではないか、とも考えられます。

仮にそのような単純なと言うか〈くだらない理由〉でブザーの電池を抜いていた、とするならば、まさに〈お粗末〉の限りなのであって、「警察は一体何を考えておるんや!」ということになります。

これは単に〈気が弛んでいる〉とかいう問題ではなく、警察組織そのもの及びその中で従事している人間の精神構造の問題である、と考えられるのであって、その意味で極めて深刻である、ということです。

2018-08-18

富田林警察署での容疑者逃走事件について(1)

大阪の富田林警察署で勾留されていた樋田容疑者が、弁護士と面会したあと接見室から逃走した事件について、今週連日テレビなどで報道されています。

この事件は富田林警察署では接見室の扉を開けた時に鳴るブザーが、電池が抜かれていて使える状態ではなかったことが、そもそもの原因となっています。では何故ブザーの電池が抜かれていたのか?その理由は?ということに関しては、事件が発生してこれまで一切明らかにされていません。

また、事件発生以降の警察の対応にも大きな問題がいろいろと指摘されています。一つは、事件が発覚したのは、12日午後9時45分ごろでしたが、この事件の発生を知らせるメールが送られたのは、約9時間後の13日午前6時28分だった、ということで、市民への周知が余りのも遅すぎた、ということです。どうしてこうなったのか、と言えば、一番は警察の〈大失態〉をすぐには世間に知られたくない、という心理が強く作用したこと、そのため逃走した男を早く確保したうえで公表すればいい、ということで、捜査などを優先したが故に、結果として住民の安全確保を後回しにした、ということです。

次に、警察は樋田容疑者が逃走後、実家のある松原市で黒いミニバイクを盗み、翌13日に羽曳野市と大阪市の平野区、14日に生野区、そして15日は東住吉区でひったくりを繰り返していたことを、3日経った16日になってやっと公表しており、その情報提供の〈遅さ〉が問題視されています。

いずれにしても今回の富田林警察署での〈お粗末〉としか言いようがない不祥事は、警察そのものに対する我々市民に大きな〈不信感〉を抱かせるものであり、単に一警察署あるいは大阪府警察本部だけに止まらない、警察組織全体にとっての〈大失態〉である、ということが言えると思います。

2018-08-17

「ノモンハン事件」について(2)

辻政信を中心とした関東軍が参謀本部を無視して対ソ連の間に戦争を仕掛けて、ノモンハンで事変(戦争)を起こしたことの背景には、〈統帥権〉の問題が横たわっていました。

この統帥権について司馬遼太郎氏は『この国のかたち』の中で、ノモンハンとも関連づけしたうえで、次のように記しています。すなわち、統帥権は「国家をつぶそうがつぶすまいが、憲法下の国家に対して遠慮も何もする必要がない、といっているにひとしい。いわば、無法の宣言--である。こうでもなければ、天皇の知らないあいだに満州事変をおこし、日中事変を長びかせ、その間、ノモンハン事変をやり、さらに太平洋戦争をひきおこすということができるはずがない」ということです。

まさに〈狂気の時代〉であった戦前の昭和という時代、それが現実に目に見える形で如実に表れたのがノモンハン事件であった、ということができます。1941年の日米開戦前に起こったこの事件を、参謀本部は国民に対しては完全秘密にしました。何故か?と言えば、それが当時の戦争という手段に全国民の命を賭けるという暴走化した状態に突入した日本が、遠からず破綻の時期を迎えるであろうこと(1945年8月15日)をいわば予見するには充分だったからであります。

したがって、逆な言い方をすれば、ノモンハン事件を参謀本部が客観的に分析し、教訓としてその後に活かそうとしていれば、多くの国民の命を犠牲とすることがあらかじめ分かっているような日米開戦は回避された可能性もあった、ということが言えるのです。しかし、事件は参謀本部によってまるで何もなかったように握りつぶされ、その結果夥しい量の国民の血が流されることにつながって行ったのです。

2018-08-16

「ノモンハン事件」について(1)

15日のNHKスペシャルで「ノモンハン事件」が取り上げられていて、関心があるテーマだったので観ました。

1939年のノモンハン事件については、本ブログでも過去に司馬遼太郎氏に関連して取り上げています。司馬氏はノモンハン事件についてはついに書くことはなかったことは知られています。その理由として司馬氏は、もし書こうとすれば1年も経たないうちに〈発狂状態〉となるだろう、ということを語っています。

それだけノモンハン事件というのは〈異常な戦争〉であった、ということを示しています。番組ではノモンハン作戦を主導した人物として、関東軍の辻政信が上げられていて、その言動が非常に問題あったことが具体的に示されていました。

辻政信の作戦計画で問題だったのは、まず対峙する当時のソ連の軍事力を甘く見ていた(大したことない)ということ、次に戦争するに当たっての基本は精神力(日本人魂など)にある、と考えていた、ということ、さらには本土の参謀本部を無視して勝手に対ソ連作戦を立案して実行した、ということです。

辻政信を中心に策定された余りに〈無謀な作戦計画〉を元に、ノモンハンの国境を超えた先にある都市を関東軍が空爆したことにより、国境紛争は戦争へと発展することになりました。国境を超えての空爆は本来参謀本部しいては天皇の栽可を受ける必要があるのですが、それを受けることなく、勝手に決めて実行したのです。

このことを事の後に知った昭和天皇は、怒りを露わにした、と伝えられています。一方、参謀本部は「やってしまったことは仕方ない」とばかりに、追認するしかなかった、ということです。