不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

まっすぐに見つめ

 映画自体の感想と、刻まれた過去への考えなどから、例によってうまく文章にできなかったけど、それらを真正面から受けとめている作品だけに、俺も正面から書いてみた。
 『黄色い星の子供たち』を見た。監督、ローズ・ボシュ。出演、メラニー・ロランジャン・レノ、ガッド・エルマレ、ラファエル・アゴゲ。

 ついさっきまで友人・隣人で、お茶をしたりおしゃべりをしたり、明日の約束をしていた人たちが、突如排除の対象となる。その時、当事者以外は何を選択するだろう。助けの手を差し伸べるか、積極的に排除にまわるか、為す術もなく傍観するか。誰もが英雄になれるわけもなく、しかし勇気を持って行動できなかった人を責められない。大きな悪意と小さな善意、関心と無関心の境界線の上にいる。
 原題の「La Rafle」は「一斉検挙」の意だそうで、さすがに無骨すぎるとこの邦題になったのだろう。言うまでもなく「黄色い星」はユダヤ人である証拠であり、フランスでのナチスの悪行をこれでもかと描くのは過去を風化させないという一点からの選択だ。1942年にフランス政府の手によって行われた、裏切りとも言えるユダヤ人一斉検挙は、50年もの長き間フランス政府は認めなかった。
 映画としては焦点が多くぼやけてしまった感が否めないし、メロドラマにしすぎではないかと思う。ここで描かれた悲劇は事実だろうし、歴史を忘れないためにもこういった作品が必要なのはわかるが、メロに仕立て上げる事は歴史を画一化し、逆に過去を風化させる事にならないだろうかといつも考える。それでも忘れ去られるくらいならそれでいいという考えもあろう。歴史的悲劇を扱う時について廻る問題だ。
 実在した看護婦アネット・モノは演じたメラニー・ロランは、『イングロリアス・バスターズ』とは全く違う形で、再びナチスユダヤに直面する事になった。表情の硬さは相変わらずだが、本作ではその硬さが彼女の信念へと結びついていたし、瞳の光は常に強い。まるでアネットとリンクするように、やせ細り、身体を壊してもなお自身の仕事をやめない彼女の悲愴な美しさは、「作り物」である映画に現実を超える力を与えている。
 当時11歳で検挙されるも数少ない生還者の一人となったジョゼフ・ヴァイスマンも少しだけ出演している。彼が証言だけでなく出演までした経緯を俺は知らないし、心情もわからない。ただ、撮影裏でこんな光景があったと聞いた。
 少年ジョー役のユーゴ・ルヴェルデにヴァイスマンが「大丈夫かい? うまく言っているかい? 辛くないかい?」と声をかけた。少年は老人の目を見つめ、こう言ったという。
「あなたにガッカリされないようにしたいです」
 11歳の少年がホロコーストの事や、当時のフランス政治事情をきちんと理解しているかどうかはわからない。だが、時に少年の瞳と言葉は真実を射ぬく。