不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

あなた狂う人、わたし書く人

 梯久美子『狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮社)島尾ミホの評伝というよりも島尾敏雄・ミホ夫妻の評伝であり、しかし主眼は夫妻の人生ではなく、あの『死の棘』に「何を書かなかったのか」を探る謎解きミステリーと言ってもいい。最後の最後までスリリングに展開していくが、何よりもお互いの「書く/書かれる」という欲求/要求を完全に受け入れており、閉ざされた「二人だけの世界」を言葉にしてしまう、その業の深さに慄くしかない。こういった評伝で、もちろん実際にはいろいろな人との関わりがあって深い仲の友人もいただろう、しかし『死の棘』で「あいつ」が浅薄な存在であったように、他の人間関係が何だか浅薄に見えてしまった。夫婦の関係が深すぎるからだろうか。分厚いのに、まだ読み足りない気分。
 俺は島尾敏雄作品は『死の棘』『「死の棘」日記』『日の移ろい』正続しか読んだ事がなく、ミホ作品は一つも読んでいない。評伝を読めば他の作品などを読みたくなるものだが、この本の場合は読む気が起きなかった。この本でもう十分なのでは、と。いいかどうかはわからんが。ミホと関係ない小説ならいいかもな。
 物書きは嘘をつく。大小あれど、それは絶対だ。肝心なのは、「嘘でもいいから本当の事を」なのか、「本当の事に嘘を」なのか、である。そして、この二人に至っては全く境目が見えない。お互いの狂気の沙汰を受け入れてもなお「書く」への欲求は何なのか。何を描きたかったのか。誰が間に入る事ができたのだろうか。果たしてあの「十七文字」とは。いや、「十七文字」は本当にあったのか?
 著者は足掛け十一年間取材にかけたという。ノンフィクションにおける執念は大事な要素で、取材や資料探しへの熱量はすごい。ただ著者の、取材も、新資料発掘も、何だか稀代の記録魔である敏雄・ミホが執着した記録(つまり書く)への「記録への執着」の一端を担っていたように思ってしまう時があった。誰かに書いてほしかった――その怨念(というと悪いが)が、著者を動かしていたのでは、と。
 よいドキュメンタリー(ノンフィクション)は謎解き要素があるもので、本書も十分その要素はあるわけだが、読んでいると謎解きでドキドキするというより、「見てはいけないものを覗き見ている」気になってしまった。そしてたどり着いた終章、著者が手にしたものにはちょっとした怖さがあり、読み終えて本のカバーを外して目が合った表紙のミホの写真に、またゾクッとしたのであった。

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ