不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

ハクソー・リッジ/ぼくのたいせつなもの


 エドモンドの、信仰とは言いつつも手前勝手すぎる信念とその頑なさにイラつきさえ覚えるが、現実を飛び越えた彼の「正しさ」と、戦場という狂気で塗り替えた現実とが重ね合わさり、そこで聞こえた神の「沈黙」と誰かの声は、ある意味で彼を救ったのだろう。他人の感情を気にせず、己の信条(心情)を貫き通し、時に見せるにやけ顏がホラーにすら見えた。戦場の凄惨さはあれど、あくまで描かれたのは個で、わりとあっさりという印象。しかし対峙していた日本兵もまた理解はできぬ何かに殉じた事を浅くとも描いていたのはよかった。であるからこそ、本作のもう一つのハイライトシーンは「僕の聖書は?」という朦朧としたエドモンドの問いに対して、一瞬の逡巡の後で「待ってろ!」と一人の兵士が取りに行くシーンであろう。「自分が理解できないとしても、その人にとって大切なものとは何か」という点を、理解でも拒絶でもなく、「大切なもの」として繋がった瞬間だったのだから。
 メル・ギブソンが描きたかった人物と時代がここであっただけで、「沖縄戦」を特に描きたかったわけではない気がした。宣伝に沖縄の文字が出てこないのは無理もないと思う。これはエドモンドの物語であるし(タイトルにしているんだから、思い入れはあるだろうけど)、エドモンドはハワイでもノルマンディーでも硫黄島でも同じ事をしたはすだから。絶賛はしないけど、好きな映画だった。メル・ギブソンは10年ぶりにして、衛生兵というどちらかといえば地味な兵士の物語を描くのは、彼なりの挑戦だったろうし、いまこれを描くという信念があったはずだ。
 メル・ギブソンもまた、一人のエドモンドだったと言えるのかもしれない。

ブラッド・ファーザー/セラピーに通え


 監督作のつゆ払いというと作品に失礼だが、復活後の俳優としてのメル・ギブソンは追っておきたくてはせ参じた。血の滾りより血の轍を描く事に焦点を置き、現在のアメリカをまるごと反映させた物語で、そういう意味では『ローガン』以上に「アメリカ」の映画だったのはこちらだと思うのだが(髭が生えたヒュー・ジャックマンメル・ギブソンが、妙に似ていた)、残念ながら完成度としてはちと諸々中途半端だった。カット割りの多さはおもしろいリズムだったとは思うが。ところで、今作の惹句は「MADなアイツが荒野に完全復活」なのだが、振り返ってみれば本作のギブソンはかつてクズではあったが、極めて真っ当で正気のままであったと思う。むしろ復活三部作『復讐捜査線』『それでも、愛してる』『キック・オーバー』の方がよほどMADだった。地味で、嫌いにはなれない作品ではあるんだけどね。