御無沙ティ御無沙汰 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-05-21

[] そして再びアメリカ


最後の書き込みは、もう1年以上前じゃないか…。


日本に帰国してほぼ1年。仕事に復帰して、しばらくは余裕のない状態が続きました。


来月、またアメリカに行きます。今度は学校じゃなくて、駐在員です。最初はひとりで行きますが、秋には家族が合流する予定です。


渡航準備がいろいろ大変です。うー。

不識庵不識庵 2013/04/10 02:12 アメリカいいですね。ハワイ3か月ぐらいいましたが次は本土で仕事をしたいです。

茨鬼䑓茨鬼䑓 2015/03/24 07:44 もう更新されないのかな…

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2011-05-02

dream92011-05-02

[] 夕陽がきれいだ


沈み行く太陽飛行機雲。しばらくじっと見つめていました。


オサマ・ビンラディン殺害の話で持ちきりです。アメリカ人が狂喜乱舞する様子は、留学生の私たちには理解しがたいものがあります。


あんなに喜ぶもの?」「不思議だよね」


そんな会話を、留学生同士で、ちょっとヒソヒソと交わしてしまいました。

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2011-04-30

dream92011-04-30

[] 月日は流れ


どういうわけか、このところブログを書く気力が失せてしまっている。気がついたら、もう4月も終わりだ。


地震津波原発事故自分はいアメリカにいるというのに、日本で起きたこれらの出来事により、常に重たい何かを感じているような、そんな気分が続く。


アメリカ新聞テレビからは、いつの間にか日本地震関係のニュースは大幅に減っている。リビア情勢、竜巻の被害、そしてイギリスロイヤルウエディングへと移行してしまった。しかし、私の気分はなかなか晴れない。


この間、自分にとってプラスになったと思われることもある。


例えば、地震後、周辺の大学でのシンポジウムやパネルディスカッションに呼ばれたり、学生さんからインタビューを受けたりする機会が増えた。


例えば、地震後、こちらにいる日本人同士の結びつきが強くなった部分があり、今まで知らなかったたくさんの日本人たちと知り合い、祖国に対する複雑な思いを分かち合えた。


しかし、やはり何かが引っ掛かっている。


あとひと月ちょっとで日本に帰国する。帰国後、何ができるだろう。もう今からそれを考えている。もちろん、その前に、こちらでできることは、やっておかなければならないのだが。

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2011-03-19

dream92011-03-19

[] 地震津波原発被災に思う


私の仕事はある意味防災に深く関係しているため、この10数年間、地震原発については自分なりに勉強してきました。


いくつかの地震被災地を訪ねたし、原子力施設もいくつか訪ねています原子力発電所地震対策についても、少し研究していました。写真は、2005年福島第一原子力発電所を訪ねた時に撮影したものです。


にもかかわらず、今回の巨大地震と巨大津波、そして福島原子力発電所の被災はいずれも、私はまったく予想できませんでした。


この一週間ほど、Ustream経由でNHKニュースを眺め、ネット情報を集め、アメリカ新聞テレビもチラチラ見ながら、どんどん気分が落ち込んでいきました。虚無感? 虚脱感? 何とも表現しがたい感覚です。


宮城県沖のプレート境界型地震は平均37年周期で発生しています。前回の1978年宮城県沖地震から30数年がたっているため、政府地震調査委員会は数年前から、近々宮城県沖地震が発生すると警告していました。そのことは、宮城県周辺の方々や、地震防災関係者は全員知っていたと思います。推定されていた地震の規模はマグニチュード7.5前後。仮に震源が宮城県沖だけでなく、日本海溝のプレート境界の広い範囲に及んだとしても、マグニチュードは8.0前後予測されていました。


地震調査委員会はこれとは別に、三陸から房総沖にかけてのプレート境界が一気に動く地震についても評価していました。このタイプ地震は100年に1回程度の発生頻度であり、前回の地震からまだ40年ぐらいしかたっていないため、まだそれほど差し迫ってないということでした。マグニチュードは8.0前後と推定されていました。


津波については、三陸地方はこれまで何度も被害に遭っており、防潮堤建設や避難場所の整備、多くの住民を巻き込んでの避難訓練などが進められていました。


しかしながら、今回の地震では岩手県から茨城県沖までの広範囲でプレート境界がドカンとずれました。マグニチュードは9.0ということで、日本で起きた地震としては最大です。津波の最大の高さはまだ正確にはわかっていないようですが、高さ10メートル以上の津波防潮堤を軽々と越え、沿岸部の住宅地を襲いました。死者・行方不明者の数は現在も増え続けており、どうやら2万人を超えそうです。


自然災害は現代の科学をもってしても完全には防ぐことはできず、ましてや「次に来るであろう地震」を正確に予測することは困難です。それはそうなんですが、いくらなんでもこれは予測が外れ過ぎ、と思ってしまますマグニチュードが1.0増えると、地震のエネルギーは32倍になりますマグニチュード8.0の地震と9.0の地震では、まったくレベルが違います


私にとってはこれだけでも十分に驚きですが、さらに東京電力福島第一原子力発電所で大変なことが起きました。地震の揺れそのものには耐えたようですが、想定外の高さの巨大津波に襲われました。


地震直後に原子炉内に制御棒が挿入され、原子炉自動停止しました。核分裂連鎖反応は止まりました。停電が起きて外部からの電力供給が失われたため、非常用のディーゼル発電機が起動したそうです。


原子炉は停止しても、核燃料はまだ熱を持っているため、これを冷却しなければなりません。冷却には電力が必要なので、停電に備えて非常用ディーゼル発電機が設置されています。このバックアップ電源はとても大事な設備なので、原子炉1基につき2台以上設置されていて、1台だけでも原子炉の冷却ができるようになっています。また、月に一度、正常に起動するかどうかを確かめ試験をしています


原子炉が止まり、非常用ディーゼル発電機が起動した。ここまではよかった。


ところが、ここで想定外の高い津波がやって来ました。発電所全体が水浸しになり、屋外にあった多くの機器が流されました。大事な大事な非常用ディーゼル発電機が動かなくなりました。さらなるバックアップもあるにはありますが、時間的な限界があり、ついには核燃料の冷却ができなくなりました。


この後のことは世界中で大々的に報じられているので端折りますが、爆発や火災を経て、放射性物質を外部に放出してしまう事態になりました。


日本原子力発電所は非常時に原子炉を「止める」、原子炉を「冷やす」、放射性物質を「閉じこめる」という安全機能を何重にも備えているので、地震が起きても大丈夫。これまでそういう説明を何十回と聞いてきました。その説明を盲目的に信じていたわけではありませんが、常識的に考えれば、確かに破滅的な事故は起きないと思えました。


ところが、実際には起きてしまったわけです。想定外地震想定外津波想定外原子力事故福島第一原発の状況ははまだ現在進行形で、今後どのように推移するのか、まったく読めなくなってしまいました。今はただ、核燃料の冷却作戦が成功することを祈るばかりです。


この件はいずれまた、ちゃんと考察したいと思います

ナガ妻ナガ妻 2011/03/22 08:53 皆さまご無事でなによりでした。
原発について、科学的なことにまったく疎いわたしは何も知りませんでした。恥ずかしい。
ぜひ、dream9さんの考察の続きを読みたいです。

dream9dream9 2011/03/24 04:35 おお、ナガ妻さん。ご家族みなさん元気でいらっしゃいましたか?
状況は刻一刻と動いているようですが、ともかくうまく終息させてもらいたいものです。考察と呼べるほどの内容ではないけど、この件についてはまた書くつもりです。

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2011-03-18

dream92011-03-18

[] 災害は忘れた頃にやってくる


しばらくブログ放置してしまいました。東日本を襲った強い地震大津波東京埼玉にいる私の家族は無事だったんですが、東北地方被災地福島第一原子力発電所の状況から目が離せません。写真2003年大船渡市を訪ねた時に撮影した、津波警戒の看板です。


忘れないうちに、ちょっと時計の針を戻して、アメリカにいる私がどのように日本での地震発生を知り、どのように家族の無事を確認したかを記しておこうと思います。自分への備忘録です。


地震が起きたのは、日本時間3月11日午後2時46分ごろ。私がいるアメリカ東海岸では、3月11日午前0時46分ごろ。


私はツイッター地震発生を知った。友人のNさんに勧められて、3月9日の朝にツイッターを始めていた。地震のわずか2日前。何人かの友人たちをフォローして、みんなのつぶやきを読み始めていた。


米東部時間10日夜は、友人のYさんとツイートのやり取りを楽しんでいた。テーマ埼玉を拠点とするうどん屋さんチェーン「山田うどん」について。


その後、近所のスーパーに車で出掛けて、ちょっとした買い物を済ませた後、少しドライブした。11日午前1時ごろ、高速道路サービスエリアに寄ってトイレへ。ついでにiPhoneでYさんほか友人たちのツイートを読む。


ここで地震の書き込みを発見した。その10分ほど前の11日午前0時48分(日本時間11日午後2時48分)、東京にいる友人のMさんが「地震キターーー」「大きいぞ」とつぶやいていた。その直後の午前0時49分には、私をツイッターに誘ってくれたNさんが、日本気象協会震度速報をリツイートしてくれていた。宮城県北部で震度7福島県浜通り震度6強


ええーっ。震度7気象庁が発表する震度の最大値。1995年阪神大震災と同じだ。これは本当にとてつもなく大きい。


慌てて日本にいる家族に連絡開始。妻の仕事は、地震が起きると忙しくなるタイプ仕事。そこで、まずはメール11日午前1時7分(日本時間午後3時7分)に「地震大丈夫?」と送信。


次に埼玉でひとり暮らしをしている母。午前1時8分(日本時間午後3時8分)、母の家の固定電話に一発で電話がつながった。母は元気だった。よかった。揺れは大きかったけど、家具は倒れなかったらしい。目立つ被害としては、亡き父の仏壇の中がぐちゃぐちゃになってしまったこと。そうか、その程度で済んでよかった。


その次は、やはり埼玉でひとり暮らしをしている義母(妻の母親)。午前1時10から電話をかけ始めるも、つながらない。通話規制がかかっているらしく、固定電話携帯電話ダメ


妻の仕事邪魔してはマズイと思いつつ、午前1時11分、妻の携帯電話へ発信。つながらない。午前1時20分、義母の携帯に安否確認のメールを送信。午前1時21分(日本時間午後3時21分)、妻の携帯電話への何度目かの発信で、ようやく普通の呼び出し音が聞こえた。しかし案の定、留守電。「仕事が一段落したら連絡を」と吹き込む。


この後、日本への電話は一切つながらなくなる。息子は保育園にいるはずで、園内がどうなっているかからないけども、とりあえず保育士さんたちにお任せするしかない。


午前2時6分(日本時間午後4時6分)、妻からメールの返信あり。「私は大丈夫」。おお、よかった。さらに、妻は保育園電話をして息子の無事を確認していた。おお、よかった。しかし、妻も義母には電話がつながらないとのこと。


午前2時20分、ツイッターで「東京にいる妻と息子、それに埼玉にいる母の無事を確認」とつぶやく


午前2時32分、facebookにも家族の無事を書き込む。2時36分、すぐに日本にいる友人からコメントが付き、Ustrema経由で日本NHKテレビニュースリアルタイムで見られることを知る。ありがとう! さっそくiPhoneUstream接続すると、燃え上がる石油タンクが映し出されていた。日本は大変なことになっている。


午前4時25分(日本時間11日午後6時25分)、妻からメールで、義母の無事を知る。おお、よかった。電車が止まっているので、妻は保育園に息子を迎えに行けないかも知れないらしい。妻は既に、近所でいつもお世話になっているファミリーサポートさんに連絡を取り、代わりに息子を迎えに行ってもらうよう頼んだとのこと。


埼玉にいる姉にも電話がつながらないので、午前5時26分、姉に「地震大丈夫?」とメール。午前5時32分(日本時間11日午後7時32分)、すぐに姉から返信。一家全員無事とのこと。おお、よかった。


東京仕事をしている義兄(妻の長兄)にも電話がつながらないので、午前5時33分にメール。6時22分(日本時間11日午後8時22分)、無事との返信あり。おお、よかった。職場に泊まるらしい。どうか気をつけて。義兄も義母の無事を確認しているとのこと。


午前6時32分(日本時間11日午後8時32分)、義母からメール。義母は息子の保育園に迎えに行こうと近所の駅まで行ったものの、電車が動かず4時間近く待った後、いったん自宅に戻ったらしい。そうだったのか、すみません


この間ツイッターでは、東京の友人たちが次々に徒歩帰宅にチャンレンジして、現在地やその周囲の様子を報告していた。


午前7時7分、カナダに住んでいる義兄(妻の次兄)から電話日本にいる家族とのメールのやり取りの内容を伝える。


午前9時50分(日本時間11日午後11時50分)、妻からメール電車が動き始めたので、家に帰ることにしたとのこと。どうか気をつけて。


午前11時39分(日本時間12日午前1時39分)、妻から固定電話で「無事に帰宅した」と連絡。ファミリーサポートさんに預かってもらっていた息子も、家に連れて帰ることができたという。さらに埼玉から義母も到着して合流したらしい。自宅の室内は何の被害もなく、マンションエレベーターも非常用の1基が動いていたという。それはよかった。


とまあ、こんな感じでした。たまたまツイッターを始めていて、しかも会話を楽しんでいたからこそ、日本での地震をわずか15分後ぐらいに覚知できました。覚知が早かったからこそ、母の家に電話がつながりました。妻の携帯留守電を残すことができました。


そして、母以外の家族の無事確認はすべてメールでした。電話はだめでも、東京埼玉に限れば、ネットは通じていたみたいです。さらには、フェイスブック経由で知ったユーストリームでのNHKニュース視聴。すべて情報技術進歩のおかげです。


5年前、10年前、15年前だったら、地震覚知家族の無事確認も、こんなにスムーズはいかなかったと思います。

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2011-03-04

[] 5分の3へ


つい先日、大学院の同期5人の中で、この3月に1人、博士号を取得できそうだと書きました(コチラ)。


最新情報が入りました。さらにもう1人、何とかなりそうな感じです。よかった! もう期限ぎりぎりの6年間がたとうとしていますが、その間に、ともかく博士論文の本審査を受けておけば、7年目に少し突入しても大丈夫なのだとか。本審査での指摘事項を受けて、論文を修正するのに時間がかかる、という名目があればいいらしい。そうなのか。知らなかった。


私が日本に帰った後で、みんなでおいしいお酒が飲めるといいなあ。


私が博士論文執筆に悪戦苦闘していたのは、ほんの1年前のことです。それなのに、何だかもう、はるか昔のことのように思えます不思議です。


アメリカに来てしまうと、日本大学院日本語論文博士号を取る意義が、激しく減衰してしまう感じもあります。それでもやっぱり、取れるなら取れるうちに、取れるところで取っておいた方がいいと思います


昔の人はいいことを言いました。博士号は足の裏の米粒。取っても食えないが、取らないと気持ち悪い。


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5分の1から5分の2へ

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2011-02-28

dream92011-02-28

[] 留学の残りが減っていく


ああ。なんということだ。もう2月が終わってしまう。留学期間もあと3か月か。


あれ? 何か似たようなことを、以前も書いた気がする。


そうだ。2008年の暮れに、「育休の残りが減っていく」というタイトルエントリーを立てて(コチラ)、こんなことを書いていました。


ああ。なんということだ。もう11月が終わってしまう。育児休暇もあと1か月か。

休暇中にやろうと思っていたこと、やりたいと思っていたこと。たぶん10分の1も出来てない。


ひえー、同じじゃん(笑)


留学中にやろうと思っていたこと、やりたいと思っていたこと。10分の1も出来てないよ…。我ながら、進歩のない人間だなあ。


日本にいる時もわかっていたことですが、アメリカに来て改めて認識したこと。世界は広い。すごい人はすごい。絶対にマネできない。かなわない。自分には限界がある。やりたくても出来ないこともある。じゃあどうするか?


さいこから自信過剰気味なところがある一方で、でも本当は臆病で傷つくことを極端に恐れていた私。平気で他人を傷つける一方で、自分はちょっとつまずいただけでもズブズブと泥沼にはまってしまい、這い出す気力がなくなる。卑屈です。


ふと振り返れば、私は今のところ、かなり運がいい。この先はどうでしょう。何があるのかはわかりませんが、人生を楽しむことは忘れないでいたいものです。


写真ニューメキシコ州ロズウェルの国際UFO博物館に展示されていた宇宙人なんでやねん


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