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2005-10-27 阪神勝てば妻の会社が経済効果ウハウハのはずが・・・
■[歴史][資料] GHQの巧みな占領政策
かつての日本、戦前・戦中の日本には言論の自由がなく、出版物や新聞に対しても検閲が行われていたのは有名な話である。一方、敗戦後にマッカーサー率いる連合軍総司令部(GHQ)がやってきて、日本に自由がもたらされたかのような誤解があるが、実はそれは大嘘である。
戦前・戦中の検閲というのは文字が黒く塗りつぶされたり○○とか××などとされるものが主であったが、GHQによる検閲はそれとは比べものにならないくらい厳しく、そしてはるかに巧妙であった。どこに手を加えたかわからないように、印刷もすべて刷り直させるような徹底ぶりであった。そうして出版、映画、新聞、雑誌などに対して厳しく検閲がおこなわれ、これらはすべてGHQのコントール下に置かれた。さらに、検閲が行われている事自体について言及することも禁じられていた。実に巧妙である。
GHQによる検閲指針(削除または掲載発行禁止の対象となるもの)は以下の通り(抜粋)
(1)連合国最高指令官に対する批判
(2)極東軍事裁判批判
(3)連合国最高指令官が憲法を起草したことに対する批判
(4)検閲制度への言及
(5〜11)合衆国、ソ連、英国、朝鮮、中国、その他連合国側に対する批判
(12)満州における日本人取り扱いについての批判
(13)連合国の戦前の政策に対する批判
(16)戦争擁護の宣伝
(17)神国日本の宣伝
(18)軍国主義の宣伝
(19)ナショナリズムの宣伝
(20)大東亜共栄圏の宣伝
(22)戦争犯罪人の正当化および擁護
(23)占領軍兵士と日本女性との交渉
(24)闇市の状況
(25)占領軍 軍隊に対する批判
(29)連合国最高指令官または地方軍政部に対する不適当な言及
(30)解放されていない報道の公表
これら検閲は、War guilt information program(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)にのっとって行われた。そこでは原爆の投下さえも正当化された。
「原子爆弾の投下は、膨大な被害を出した戦いをなお続けようとするなら、日本は迅速かつ徹底的な破壊を被るという連合軍側の予告を、日本の指導者が無視し、何ら回答しなかったために実行されたのだ」
・・・要するに、原爆投下は日本がポツダム宣言への回答を連合軍にしなかったことへの当然の報いである、というような事を言っている。しかし、実際の原爆投下理由は違う。ポツダム宣言までに原爆を完成させたアメリカが、その新兵器の効果を試そうとしたことが一つ、もう一つは、ソ連の参戦がなくても原爆投下で日本を制圧できると見て、急いで投下したというのがもう一つの理由である。
アメリカは戦争終結のために原爆投下が必要だったと繰り返し強調する。未だにそう言っている。しかし、1945年8月の時点で日本にもはや戦う力がのこっていなかったことは明白になっていた。アメリカをはじめとする連合国側には明らかになっていた。にもかかわらずアメリカは原爆を投下した。その極悪非道の大量虐殺を正当化するため、徹底して「日本が悪いから原爆を投下された」と言って日本人を洗脳したのである。(こちらとこちら参照)
また、日本のポツダム宣言受諾は決して無条件降伏ではなく、あくまで「日本軍の無条件の武装解除」であったのを、無条件降伏であったかのような表現を繰り返し使う事で、日本国民をそう信じ込ませた。
さらに、上に書いた検閲の他に、「戦争協力者を公職から排除する」との名目で20万人以上もの人々の職を奪った「公職追放令」により、メディア以外の一般の人々も恐れをなし、口をつぐむようになった。
そして、「神道指令」によって、日本人の心のよりどころであった神社を、「侵略をもくろんだ日本の象徴」だとしてやり玉にあげ、極限まで押さえつけ、日本人の心から抹殺しようとした。靖国神社の焼却計画まで立てていた。
- 占領の終結とその後の日本
しかし、その後、朝鮮戦争勃発により、マッカーサーは日本が戦争をせざるを得なかった理由をようやく理解するに至る。朝鮮戦争が勃発すると、マッカーサーは朝鮮半島へ赴き、戦いの指揮をとった。そして韓国で彼が実際に共産軍と戦った事で、明治維新以来ずっとソ連の脅威を恐れてきた日本の立場を理解するようになった。北から強大な勢力が朝鮮半島に下りてきたとき、日本を守ろうとおもえば朝鮮半島を守らなければならなず、そこからも敵の勢力を追い払おうと思えば満州に出ていくしかない。ソ連と中国を後ろ盾とした北との戦いを通して、マッカーサーはかつての日本への見方を変えた。
1951年に米上院の軍事外交委員会でマッカーサーは、「日本が戦争に突入したのは、主として自衛のためだった」という趣旨の演説を行い、間接的に東京裁判の過ちを認めるに至った。日本の産業構造は絹以外に固有の資源がほとんど無く、外国にそれを求めざるをえない。「もしこれらの原料を断ち切られたら、一千万人以上の失業者が発生するであろうことを日本は恐れた。したがって、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった。」そうまで言ったのである。(こちらのエントリーの最後のほう参照)
これらのマッカーサーの証言により、「日本性悪説」はすっかり吹き飛んだ。日本に対するイメージは一新した。そして講和条約の交渉が一気に進み、この年にサンフランシスコ平和条約が締結されることになる。このような背景で結ばれたこの条約では、アメリカをはじめ、交戦国のすべてが日本からの賠償を放棄した。そしてサンフランシスコ平和条約の発効とともにGHQによる占領は終結。日本ははれて独立の日を迎えた。
しかし、GHQが去って日本が再び独立を取り戻しても、それまでにGHQの占領下で行われた情報統制による洗脳で、日本人には自虐的な歴史観がすっかり刷り込まれていた。それどころか、その後の日本の進歩的文化人・知識人や共産主義者らがそれらを受け継ぎ、マスコミや教育を通じて、繰り返し繰り返し刷り込みを続けた事によって、日本人の歴史認識は完全に自虐的なものとなり、それが「正しい歴史認識」であるとして、すっかり定着してしまった。
(参考書)
GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く―戦後日本人の歴史観はこうして歪められた(小学館文庫)
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■[読書] 対話・日本人論
ずいぶん前に、以下の三島由紀夫と林房雄の対談本を読んだ。その中で、参考になった部分をちょっと拾ってみる事にする。「民族と大衆」「日本のアメリカ化」について。
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- 民族と大衆
「第二章、縦の社会と横の社会」の中で林房雄が引用しているヤスーパースの民族と大衆についての考察がなかなか面白い。
民族
・さまざまな秩序に成員化
・生活方式、思惟様式、伝承において自覚的
・実体的で質的なもの
・共通した雰囲気をもつ
・この民族の出身の個人は、彼を支える民族の力によっても一つの個性をもっている
大衆
・成員化されていない
・自己自身を意識していない
・一様かつ量的
・特殊性も伝承も持たない
・無地盤であり空虚
・宣伝と暗示の対象
・責任をもたず最低の意識水準に生きている
個人は民族であると同時に大衆である。個人は民族である場合と大衆である場合とで、まったく別々な感情を抱く。状況は大衆たることを強い、人間は民族たることを固執する。例えば・・・
大衆としての私は普遍的なもの、流行、映画、そういうような単なる今日の現象を追い回す。ステージ上のスターに熱狂して声援を送る。数でものを考え、なにもかも積み重ね、水平化してしまう。
民族としての私は、具体的に生きているかけがえのない現実と歴史的に源泉的な伝統を欲する。私の内奥で生を越える音楽を味わう。価値の上下を区別し、組織立てて考える。
こうして整理してみると、どうやら今の日本人は民族としての側面を捨てて、ただひたすら大衆として存在しているように思える。
- 日本のアメリカ化
これまた三島の鋭い分析が光っている。アメリカについての見識は今でも通用する。下の文章でベトナムをイラクに置き換えて見る事も可能であるように思える。
(三島)・・・僕はアメリカの影響というのは、日本の戦後思想史には非常に強いというふうに考える。みんなが思っているよりも。というのは、アメリカという国は、十八世紀の古典的な理念が、おもて向きいちばんのうのうとして生きている国なんですね。アメリカはああいう人種の雑種の国ですし、歴史は浅いし、インターナショナリズム的な観念でも、国内でじゅうぶん充足するわけです。
・・・だから彼らは、自由といい、平和といい、人類というときに、それは信じていると思う。それは彼らの生活の根本にあって、そういうものでもって国家を運用し、経済を運用してやっている。それが日本にきてみた場合に、日本人がそういうような、ある意味で粗雑な、大ざっぱな観念で生きられるかどうかという、いい実験になったと思う。
・・・戦後になってやってみた結果、アメリカが与えたと同時に、アメリカ人の考えている自由、アメリカ人の考えている人類、アメリカ人の考えている平和というものは、ベトナム戦争もやれるものであるということがわかってきたということだ。これは大きな問題だと思う。そうすると、アメリカ人はベトナム戦争をやっても、やはり自由を信じ、平和を信じていると思う。これは嘘ではないと思う。彼らはけっしてそんな欺瞞的国民ではありませんし、彼らは戦争をやって自由のために戦っているというのは、嘘ではないですよ。彼らは心からそう信じている。ただ日本人は、そんな粗雑な観念を信じられないだけなんです。
(林)アメリカニゼーションは、日本の戦後のはっきりした現象ですが、その初期にはアメリカ出先機関のアメリカニゼーションだったな。
ちなみにこれは昭和41年の対談(私が生まれる前)なのだがしかし、これを読んでみて、アメリカという国はほとんど変わっていないのがよくわかる。一方、日本という国は、三島由紀夫が予想していたよりもはるかにアメリカ化が進んでしまったなあと、つくづく感じた。
三島由紀夫という人は、はじめて見た映画なんかでも、ちょっと見ると先のストーリーから結末まで全部予想してあててしまうような人だったらしいが、やはりあまりにも先が見えすぎていたようだ。生きていてくれたら・・・とは思うものの、彼は「生命以上の価値」というものの存在を証明するためにあのような行動に出たわけで、ああするしか証明する方法がなかった以上、「生きていてくれたら」などと望んでみても、意味のない事かもしれない。
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