Dr.マッコイの非論理的な世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード

[記事一覧] [政治] [歴史] [靖国] [天皇] [極東] [欧米] [反日] [売国] [社会] [報道] [科学] [読書] [音楽] [雑感] [資料]

2005-12-28

[][] 「日本的経営」を潰したのは誰か

昨日の朝、テレビを見ていたら、誰かが「仕事は会社のためではなく、自分のためにするものである」と言っていた。そりゃ、まあそういう面もあるだろうし、私なんかも偉そうな事を言えないが、「組織よりも個人」という価値観をことさら素晴らしいことであるかのように言い立てる風潮はいったい何だろうかと不思議に思う。

誰だって放っておけば他人より自分の事優先になるだろうし、組織のためより自分勝手に生きようと思うだろう。だからこそ、「自分のために生きろ」などという事をふりまくよりも、責任感だとか義務だとか、そういうものを大切にするべきだと思うのだが。身勝手な人間が増えている最近においてはなおさらだと思う。

このような個人主義が蔓延しやすい一つの土壌として、戦前・戦中は個人が国家のために「犠牲になった」ことに対する過度の反省があると思うが、そこへ来て、日本人のアメリカコンプレックスと、アメリカの戦略というこの3つの要素があると思う。

日本人がアメリカ人の真似をしてもアメリカ人にかなうはずがないのだから、日本の良さ、利点、強さというものをもういちど過去の成功から見直す必要があるのではないかと思う。

で、「国富消尽」をパラパラと見ていたら、最後に関連することが書いてあった。

国富消尽―対米隷従の果てに

国富消尽―対米隷従の果てに

◆集団主義的価値観こそ日本の強み・・・・関岡

(前略)

日米通商摩擦のころに読んだ米国人が書いた本のなかで非常に印象に残っている記述があります。「個人対個人なら、米国人は日本人に勝つことはわけもないが、集団対集団、組織対組織となると勝てない。なぜなら米国人は集団になると、誰もが内輪でリーダーシップを争い、あるいは功を競って足を引っ張り合い、気がついてみると集団で結束してことに当たる日本人に水をあけられている」と、その米国人は書いていたんです。おそらく米国は、そのことを日米通商交渉のなかで学習したのでしょう。そして日本人の集団主義に楔を打ち込み、個人主義という自分たちの土俵に引きずり下ろそうと考えたのではないか。

まあ、ここだけ読むと「陰謀論」と思われてしまうかもしれないし、続きも以下で引用します。

で、アメリカ人が優れていると思うのは、分析力だと思う。日本の「強さ」も日本人以上に分析して理解していると思う。で、その日本の強さがアメリカにとって脅威となりうるものならば、彼らは巧妙にそれを潰しにかかる。このやり方もまた巧妙である。日本人はお人好しでだまされやすいし、アメリカに対する強いコンプレックスがあるので、すすんで協力したりする。

「日本的雇用慣行を維持している」という理由でトヨタの格付けを引き下げた米国の格付け会社がありましたが、バブル崩壊の煽りでちょうど日本人が自信を失いはじめた時期、米国の経済ジャーナリズムや日本経済新聞などが中心になつて、終身雇用や年功序列といった日本的経営に対するネガティブ・キャンペーンが始まりました。その結果、日本的雇用慣行が崩れ去り、中高年のサラリーマンは年下の上司との人間関係に呻吟したり、リストラである日突然、街頭に放り出されるようになりました。

 さらに日本企業は、米国系コンサルティング会社のセールス・トークに踊らされ、こぞって「成果主義」という米国流の人事評価制度を導入しました。成果主義では、チームワークではなく、あくまで個人の貢献度が競わされます。

 こうして日本の組織や企業社会がゲマインシャフト的なものからゲゼルシャフト的なものへと激変していくなかで、日本人の会社への忠誠心や帰属意識は急速に摩減していきました。(中略)若い人々もそうした風潮を敏感に察知して、フリーターからニートへと、集団へ帰属することを忌避して「個」のなかに引きこもるようになつています。

まあ、このような流れなのだろう。上で日本経済新聞の話がちょっと出てきているが、この新聞、朝日新聞とは別の意味で反日的とすら言える(朝日と同じ意味での反日色もあるが)。「バブル」「IT革命」「成果主義」「中国経済」を無責任にあおってきた。

日本経済新聞は信用できるか

日本経済新聞は信用できるか

で、そのような、アメリカとアメリカかぶれの日本人によって繰り返されてきたプロパガンダによって、現状はどうなってしまったか。アメリカ人は日本人の良さを取り入れているのに、日本はその強みを自ら捨ててしまったと言って良い。以下驚きの世論調査結果・

 そしていま、わが国の現状は、まさに惨憺たるありさまです。2005年5月13日付の朝日新聞で紹介されている米国の世論調査会社ギャラツプの調査結果によると、会社への帰属意識や忠誠心や仕事への熱意は、調査が行なわれた一四カ国のなかで、何と米国が世界最高、そして日本が世界最低だったそうです。目を疑うような結果ですが、これは単に日本の国際競争力などといった産業や経済のレベルにとどまる話ではありません。未曽有の国難といっても過言ではない、国家の浮沈に関わる事態です。

 日本人が個人主義へとどんどん傾斜していき、その最大の強みであった集団への一体感と忠誠心を失っていく。いかなる集団へも帰属意識を持てない、孤独な個人が刹那主義に陥り、世の中の出来事に対する当事者意識を失い、外資に支配されて何が悪いという、誇りなき時代精神を醸成している。今日の日本の国力の衰退の真因は、まさにこの一点にあるのではないでしょうか。

 この惨状から立ち直るには、米国的価値観への迎合から決別し、われわれの父祖たちが築き上げてきた歴史と伝統の価値を再発見し、日本人が自信と誇りを取り戻す以外にありません。まだまだ勉強不足ですが、私自身これからそういうことを突き詰めて考えていきたいと思っています。

で、ここで書かれている集団主義についてはいろいろと定義や反論もあるかもしれないが、少なくとも「日本的経営」というレベルでみれば、それははっきりしているし、グローバルスタンダード(これはウソ英語らしい)なるものとは違う日本独特の形態であったのには違いない。それについては、「■[政治] 構造改革とは何か?」で西部邁の「無念の戦後史」から引用したが、さらに手短に抜き出して引用する。

技術革新にたいするものを含めた旺盛な勤労意欲と堅実な勤労態度、オイル・ショックを乗り超えさせたのは(当時の)この国民的な資質であった。

強い勤労意欲と良い勤労態度をもたらした原因は何か?

日本の歴史的な産物である日本的集団運営法が日本の高度経済成長および高質技術発展を支えたのです。この歴史的な勝れ物が持っている性質を「終身雇用、年功序列賃金そして企業内組合」の三点セットで表すのが普通です。

その三点セットは、人々の集団を「目的の共有」と「役割体系の確認」の面で強化して、「組織」に仕立て上げるための手立てであったのです。

勤労・労働の発揮のされ方の長期的な見通しをを少しでも確かなものにすべく組織が形作られるのです。

組織において「人間」が「長期」にわたって雇用されるということは、それらの組織構成員のあいだで、「価値」が共有され、「慣習」が普及され、「権力」が承認されるということなのです。つまり、価値という(意思疎通の)媒体を通じてコミュニティ(共同体)が、慣習という媒体を通じてソサイアティ(社交体)が、そして権力という媒体を通じてポリティ(政治体)が、経済の基底に横たわるということになります。

経済は、表面ではマネー(貨幣)という媒体をめぐるエコノミー(経済体)とみえるでしよう。しかし根底では、文化、社会、政治のすべてにかかわるコムプレックス(複合体)なのです。

無念の戦後史

無念の戦後史

社員は会社に帰属意識を抱き、会社の側は「三点セット」を持ってその意識に応えることにより組織が長期にわたって維持・存続可能となり、そしてまた組織が強固なものになり、会社は安定的に存続し、拡大・発展してきた。それなのに、社員の意識の側からは個人主義の浸透によって、また会社の側からは「三点セットの放棄」つまり日本的経営の否定によって、共同体としての会社を、契約で一時的に集まっただけのバラバラの個人の寄せ集めに変えてしまいつつあるという事だろう。

ともかく、最近の個人主義の風潮はかつての日本人の価値観とはずいぶん違ったものである。この「個人主義」にしたって、徹底しているのはアメリカくらいで、それが特別普遍的な価値ではないと思うのだが。どうもアメリカ人の徹底した個人主義というのはプロテスタンティズムと関係しているのではないかと思うが、ちょっとそのあたりは調べてみたい。

ともかく、この「国富消尽」という本、読みどころ満載であるし、かなりインパクトある内容だ。郵政民営化や小泉構造改革に賛成の人も、どうかこの本を読んで、そして説得力ある反論を展開していただきたい。でなければ、私の最終判断は、やはり郵政民営化は、より良い民営化のしかたがあったかもしれないという可能性は別にして、先に通過した郵政民営化法案による民営化は間違いであり、そして小泉構造改革路線のその先に待ち受けている日本の将来は、破滅とまでは言わないまでも、衰退への道に通ずるとしか思われないのである。ん?なんか文章がおかしくなってきた。

あ、私がどう思おうが関係ありませんか。そうですか・・・。

いずれにしろ、この本と関連した内容を、しばらくは追ってみたいと思う。

↓クリックしていただけると書く意欲が増します。

管理者Dr.マッコイにメッセージを送る

国富消尽―対米隷従の果てに

国富消尽―対米隷従の果てに

すがりすがり 2005/12/28 10:46 日本人の個人主義もアメリカ人なみの独立不羈まで行ってくれたらいいんですがね。日本人のはなんか腐った個人主義の感じがします

mackymacky 2005/12/28 12:04 夏目漱石の短い文ですが「私の個人主義」というものをもう一度みなよく読んでいただきたいものですね。 サッカーだって野球だって個人のためでもありかつ集団で競争するもので会社もその一員であるうちはその会社の一員として集団競技をするというのは当然のことなのにそんな簡単なことも日本人はわからなくなっちゃったのかなという思いです。

岩手の田舎人岩手の田舎人 2005/12/28 16:20 非常に興味深いテーマです。
陰謀論かどうかはわかりませんが、(笑
個人の成果主義だと一人の天才が組織を引っ張る、ダイナミックに状況変化に変化に対応できるという良さがあります。
そういう社会では学校教育システムもそういったことを目指して構築されるているでしょう。
日本は集団でやるという特質があったため、学校教育は基礎を、プロフェッショナルな部分は会社で教育・育成といった習慣でしたね。その結果、会社内では惜しげもなくノウハウを教えた(=組織の発展につながる)訳だが、人材流動が大きくなると身分保証がなくなるため、後輩の教育に力を入れるような先輩も居なくなるのはしょうがない。
組織にとって社員教育・レベルアップがノウハウの流出になるという構えた対応になってしまったら、発展無しです。
なので、発展的・永続的な、ノウハウを積み上げていく組織・会社なのか、ひとつのビジネスモデルで儲けられるところまで儲けておしまいにする会社なのかで様子が違ってくるでしょうね。(=次のビジネスモデルが次々と出てくる前提でないと、国・社会全体が、衰退・破綻するわけだが)
個人主義的なやりかただと、技術の継承・発展を軸に伸ばしていく農耕民族的?永続的な製造業には当てはまりにくいといえる部分が大きいでしょうね。
とにかく、どっちをとるかというよりも、業種の特性もあるといえるが、苦しいときに容赦なく切り捨てた会社は、忠誠心なんていう得がたいお宝は失ってしまったわけで・・・。。

岩手の田舎人岩手の田舎人 2005/12/28 16:35 追伸)
またぞろ新聞に出てきた靖国問題ですが、靖国を捨てるかどうかは、国家に対する忠誠心の問題なのだと思いますよ。
国家の危機に対して、命を投げ出しても守るという、強烈な忠誠心。国が約束を守らなかったら、忠誠心なんぞはできません。敵が来たら逃げる連中にばかりになってしまう。
靖国は、戦士との約束の問題だと思っています。
戦争賛美につながるなんてバカなことをいう「一般企業で激烈な競争を経験したことの無い、職業的に税金にたかったり特権・免許職業についている地球市民達」には、一生理解できないことでしょうな。

drmccoydrmccoy 2005/12/28 18:20 >すがりさん
ありきたりの解釈かもしれませんが、アメリカ人の個人主義の強さはやっぱりキリスト教とも関係していると思うんで、日本人にはなかなか真似できないと思います。

>mackyさん
夏目漱石の「私の個人主義」ですか。こんど読んでみます。アメリカ人だって案外会社とか(野球選手なら)チームとかに忠誠心を発揮するんですがねえ。なんか「自分のため」ってわざわざ言うのがカッコイイみたいな風潮はちょっと不思議ですね。

>岩手の田舎人さん
すごいハンドルネームですね(笑)。書かれている内容から判断するととてもそうは思えませんが。
おっしゃる通り、成果主義と個人主義が徹底され、長期雇用が保障されなくなれば、社員同士互いに足を引っ張り合い、技術の伝承がおこなわれなくなるでしょうね。それだけでも会社の機能は大きく低下するでしょう。
そういえば「新しいビジネスモデル」なんて言葉も最近よく耳にしますね。そんなもの、そう次々あらわれるはずもないのに滑稽ですよね。
まあ「忠誠心」までゆかなくても「帰属意識」くらいは持っていたほうが良いとは思いますね。あんまりおかしな風潮が蔓延するようなら、私は「過去の日本」とか「日本の歴史」にしか忠誠心を感じられませんね。現代の日本には正直言って忠誠心を抱いたり、守りたいという気がほとんどおこりません。現代の日本を守れば過去の日本の価値がどんどん破壊されてゆくだけという気がします。なんか話がそれました。

antonianantonian 2005/12/28 22:48 キリスト教というよりも「シチズン」というギリシャ哲学以来の概念もあるんではないでしょうか。ヨーロッパでは都市国家なども早くから出来ていたし。アメリカの場合移民が「自分達で作り上げた国家」という意識を強烈に持つ故に、帰属意識が能動的なものとなっているともいえますね。
プロテスタンティズムとの関わりという考えも聞いてみたいです。

drmccoydrmccoy 2005/12/28 23:09 アメリカと日本の違いは中間共同体だと言っている人がました。
http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20051005/p2
↑の後半部分でちらっとだけ引用しています。アメリカ人は中間共同体、いわゆる「組織」を嫌う傾向があるようですが、国家だけは別みたいです。つまり個人がいきなりストレートに国家というものに帰属意識を抱いている。国家とキリスト教の両方かもしれませんが。
ところが日本人の場合は国家の下位に多くの中間共同体が存在している(例えば会社でも学校でも、クラブ活動でさえも日本では共同体となってしまう)という違いがあるようです。
プロテスタンティズムとの関わりは・・・たんなる思いつきですので、ちょっとちゃんとした事が書けるかどうかは自信ありませんが。

drmccoydrmccoy 2005/12/28 23:12 ここに引用しておきます。橋爪大三郎著「アメリカの行動原理」という本に書いてあった事を要約した私の文章です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
同書によると、日本とアメリカの社会学的な違いとしてはっきりしているのは、中間共同体が日本の場合は肥大している事だそうだ。その原因は、「組織」というものに対する日米の考え方、意識の違いがある。

日本人は、組織を共同体とみなして、個人はその組織に帰属意識を抱いて組織本来の目的から離れて組織そのものの維持を重視する傾向が強い。一方のアメリカはより個人主義であり、組織というのはある目的のためだけに個人が集まったものであり、目的が達成されれば解散するし、その目的に関係無いことにかんして組織から個人が束縛されるという事はほとんどない。

これは会社でも何でもあてはまる事だろうが、一例として同書では、スキークラブの例が上げられている。アメリカでは、スキークラブのメンバーは、冬にだけ集まって活動し、春になれば自然に解散する。一方、日本の場合だと、スキークラブなのに、雪も降らない夏にまで集まって強化合宿などのトレーングをしたりなどの活動が続き、当然の事ながら、他のクラブに入って活動する個人の自由が阻害される。こうした傾向があるそうだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

早雲早雲 2005/12/29 12:35 岩手の田舎人さんと同じ、岩手の田舎人の早雲です。
日本の場合「クニ」と言うのは、一族郎党の住む、村落のことで、その「クニ」への帰属意識と忠誠心が基礎にあって上位の「国」や「国家」への帰属意識になってきたと思われます。八百万の神の一柱である自分達の神を通じて、天照神に帰属するようなもの何でしょうか。
一神教との違いなんでしょうね。

ChokmokChokmok 2005/12/29 12:59 こんにちは。

「国富消尽」の紹介が、こちらにもありました。
http://www.janjan.jp/culture/0512/0512246834/1.php

ただ、この評者である さとうしゅういち さんは、この本から受け取ったメッセージとして、日本は米国寄りではなく中国寄りになるべきだということにちがいない、と考えていらっしゃるのではないかという一抹の危惧を感じましたが。

なお、私自身は、まだ本を読んでおりません。

drmccoydrmccoy 2005/12/29 13:13 >早雲さん
なるほど、そういう比較をすると分かりやすいですね。やっぱり文化的というか宗教的な意識の違いに通じるんでしょうね。

>Chokmokさん
ご安心ください。関岡氏は決して単純な反米親中ではありません。東アジア共同体にも批判的です。中国が中華意識から脱却できない限り千年たっても中国といっしょにやるのは不可能だとも言っています。
で、実現の可能性はどうかわかりませんが、もっと壮大なビジョンを示してくれています。東アジアではなく、連携をアジア全体に拡張し、中東まで視野にいれることによって中国の影響力を弱めるというような事を言っています。
ここからは私の解釈ですが、今の資本原理主義というかグローバリズムというのは個人主義を背景としたWASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)と呼ばれる人々の価値観にすぎないので、WASP支配の国以外の、集団主義的な価値観を共有できる可能性のある国々(それがアジア〜中東)での連携を考えるべきではないかという事だと思っています。

岩手の田舎人岩手の田舎人 2005/12/30 00:38 > drmccoy さん
レスを頂くとうれしいものですね。(笑
気にしていたテーマでしたので、思いつくまま書き出したら長文になってしまって・・。
ここは(コメントされる方々も含めて)なかなか濃くて読み応えあります。
 「忠誠心」は何気なく使った言葉でした。「他社・ライバルとの競争」を意識して「組織を裏切らない&盛り立てる」という意味で使いましたが、会社に関しては「帰属意識」というほうがしっくりくるかも知れません。
まあ、実際の経験では、味方だと信じきって、内で足元をすくわれたりする。外での戦いより恐ろしい落とし穴があるのはみなさんご存知のとおり。(笑
>早雲さん
当方は陸中の北の方に生息してます。田舎人ではあっても田舎者であることがばれないように気をつけています。(笑
「中間共同体」、「自分達の神」を通じてというのは非常にわかりやすかったです。
いつのまにやら組織の存続が目的化してしまった「官」とか「公」の無駄がを排除しようとする荒療治っぽい壊し屋が小泉改革で、支持されていると見ればいいかな?と気付かされたしだい。
いづれまた、片付けばまた日本的になっていくんでしょう。たぶん遺伝子ですから。(笑

早雲早雲 2005/12/30 01:38 >岩手の田舎人様
私は陸中国のほとんど陸前国に接した辺りに生息する百姓です。

「クニ」への帰属意識は本物で、それこそ全存在を懸けたものでしたが、「国」へは義理もしくは建前だったように思われます。
「クニ」(現代では会社なども)への帰属意識を無くしてしまえば、原理的に依頼心の強い、自立しようない「個」が残るだけになります。
小泉改革は、組織の存在意義と組織の運用上の問題点を、多分故意に混同させ、運用の改善や、組織の再構成をするべき処を破壊に置き換えているのだと思われます。

早雲早雲 2005/12/30 01:45 >いづれまた、片付けばまた日本的になっていくんでしょう。たぶん遺伝子ですから。
私はそうは思えません。
人にとっての「遺伝子」は文化ですから、これ以上歴史と文化から離れてしまえば取り返しが就かないと危惧します。
岩手の田舎にいてはこの辺りの危機は感じにくいですが。

drmccoydrmccoy 2005/12/30 10:03 >岩手の田舎人さん
>思いつくまま書き出したら長文になってしまって
いえいえ、興味深い書き込みでした。以前、左方面の方が、画面を何度もスクロールしないといけないほど長文を、しかも意味不明のを書かれることがしばしばありましたが、あんなのとは違って、読み応えのある書き込みというのはありがたいです。

>早雲さん
私もこの部分には同意ですね。日本人の体、遺伝子に先天的に刻まれているというよりは、歴史によって培われたものだと思います。それらを切り離そうとすれば、わりと簡単に失われてしまうような特質ではないかと思いますね。

antonianantonian 2005/12/30 16:15 深い話が進んでいますね〜。
アメリカに住む妹が遊びに来ておりましたが、彼女にこの「忠誠心」について聞いてみました。まぁ当然ながらアメリカが多種民族(ルーツを異にする)人々の集まりゆえに内政での人種間の対立など様々な問題を抱えてはいるものの、いざ外患に出くわすとその団結力は凄いとのこと。やはり「アメリカ」という共同幻想の中に自由主義を担うモノのプライドが早くから刷り込まれているようだと。(しかし他者からすれば鼻持ちならないでかい態度だけどね・・・と付け加えていました)その帰属意識は歴史の浅い国だけに「自由」という名の神を置くことで、半ば言い聞かせに近い形で国家を理想化していくことで成立しているといえるでしょうね。アメリカ人(白人系)はマッチョで日本人のようにおとなしい民族とはやはり価値観やエネルギーがどっか違うとぼやいておりました。ある意味、貪欲。あと会社への忠誠心はないが、働きそのものの評価が転職するときのキャリアになるのでいったん会社に帰属するならそこで会社のために頑張る。しかしやめるとなると会社も本人も冷たいといっていいほど淡泊だそうです。
アメリカも個人主義ですがヨーロッパもかなりなモノです。しかしヨーロッパの場合、身体的な距離の近いものへの愛着(故郷と表現した方がよい「おくに」意識)はすごく強いですね。

早雲早雲 2005/12/30 18:05 個人主義ですが、出発は親子の関係から来ているように感じます。鶏とたまごかもしれませんけど。
江戸時代の日本の家では、子供をとてもかわいがっていたようです。しつけが厳しかった様な印象が強いですが実は家族中でかわいがっていた様なのです。
家長に全ての決定権が有ったために依頼心は強いのですが、かわいがられて育ったために信頼感、忠誠心は強くなります。
「クニ」はいわば大家族なんですね。家への信頼、忠誠が、全ての上部組織への信頼、忠誠につながっていた様です。
「天皇」は家族制の象徴の面が強いのではないでしょうか?
家族さえ壊してしまえば、全ての組織への帰属意識は失われ、不安定で依頼心の強い「個」が現れることになってしまいます。
そういう意味では、家族の解体の総仕上げが、天皇制の否定なのではと思います。
安心できる家族とその延長である社会に包まれて、個人の権利などを主張することも知らずに生きていて何が悪いのでしょうか?

drmccoydrmccoy 2005/12/30 18:34 >antonianさん
やっぱりアメリカは歴史が無いぶんヨーロッパの個人主義はまたちょっと違うんでしょうね。歴史という縛りがないぶん、「理念」が暴走しやすいというか・・・。

>早雲さん
昔はそのように天皇制が理解されていたと思いますが、そのあたりがすっかり解体されてしまいましたね。おっしゃる通り「鶏とたまご」でどっちが先かわかりませんが、家族の解体と関連があると思います。

antonianantonian 2005/12/30 22:16 マッコイ博士>
そうですね。「理念」という身体性(家族といった皮膚感覚的なモノ)をなくしたものが暴走すると怖いです。
早雲様>
家族といえば・・・イタリアは家族を大切にしますね。それはもう日本の方が淡泊と思えるほど。カトリックの場合「聖家族」というモデルを大切にしていたりするんで、案外その辺りの判りやすいキーワードが肝かもしれませんね(フランスの個人主義は啓蒙思想によって培われたか?ただ、田舎の人はかなり保守的だと聞きました)イタリアの個人主義は身体的距離による個人ルールという感じで、家族は自己のもっとも近しい範囲に入るんで、逆に国家の法とか、共同体のルールと対立すると自分ルールをまず優先する。(ただし駄目だと判ると文句たれながら従う)有名なのはイタリアの軍隊が弱いのは「マンマのスパゲティがない」からだという逸話ですね。あと「ノンナ(ばあちゃん)」の影響力は凄い。
家族はヨーロッパではかなり生きている気がします。50年年代アメリカの理想家族というモデルもあるけど・・何か性質が違うのは「家族の歴史」の問題か?

早雲早雲 2005/12/30 23:03 >antonian様
アメリカにしろヨーロッパにしろ家族は有りますが、日本が根本的に異なるのは、各階層の共同体が「擬似家族」であり、家族の論理・倫理で動いていたと言うことだと思います。
「先に生まれたる兄を長と云後に生まれたる弟を幼と云其の長幼の後先のついでを失わずに長は弟をよくよく取回し弟はよくしたしみて兄に從ひ互になかよくすべし。」
と言うような倫理で家族も共同体も貫かれていたことだと思います。
平等というような概念は無く、「分」と言うことが大事な概念だと思います。
分を知る、分別があるなど。

岩手の田舎人岩手の田舎人 2005/12/31 03:37 >早雲さん
遺伝子に頼るのは無理っぽいですか・・・。
何とかなるという期待も込めて楽観的に書いたんですが。(笑
現実には、日本在住の外国人&出稼ぎ犯罪者が多くなっている現状では、遺伝子うんぬんは完全に意味が無くなっていくのかもしれません。

ところで、そういった日本文化的なものの存在や文化的特質、価値について、当の日本人たちが無自覚であった(私の場合)ことが大きな問題なのでしょう。教育とか伝承の社会的制度や仕組み(家族・家庭も)も壊れてきてますね。
失ってから気がつくありがたさ? まず気付くのがはじめの一歩ですから、まずはいいことなんでしょう。

敗戦後の日本がアメリカに押されっぱなしだったというのはしょうがないです。
歴史上初めての全面敗北&占領、おまけに憲法押し付け?でしたしね。GHQによるアメリカ=正義、日本=悪、日本的なもの否定=自虐という洗脳政策?も効きました。
いまだに洗脳から抜けない(利用している?)サヨク教師がいるようですし。(笑

それでも日本は経済的には奇跡的な復興を成し遂げました。
アメリカに利用されたか利用したかといえば、アメリカの経済力軍事力を利用できた分、経済的にはラッキーだったといえるでしょう。とにかく、無条件降伏の敗戦国であったわけですから。
負けた相手がロシアや中国だったらどうだったかと考えたりするのは行き過ぎなのかな?
そんな中、国内は、親米派、嫌米派、親中(朝鮮)派、嫌中(朝鮮)派、旧ソ連の工作員入り乱れてのすったもんだでしたから、日本は懐の広さがあったとも思いますよ。イスラム国家ならテロ多発で、悲惨さが増したのではないかと思えます。(笑

長くなりましたが、続けます。

さて、ちょっと前1990年あたりまでは、経済的復興も成し遂げ、行け行けどんどん、ジャパンアズナンバーワンってな感じで有頂天だったともいえる日本がなぜ今、日本文化の見直しなのか? 
なぜある意味当然とも言えるアメリカの陰謀説まで引っ張り出すようになったのか?
しばらく(50年?)うまくいっていたのに、また、アメリカの陰謀でバブル&バブル崩壊でやられたという、経済的側面からの敗北感からの話だけでしょうか。

陰謀論を離れて、なぜ今、日本文化の話が盛り上がるのかということに関して、以下を上げてみたい。
1)バブル崩壊での痛手をアメリカの陰謀(あるいは、アメリカ的価値の安易な受け入れ)と重ねて見ることで、納得したい。
2)北朝鮮の拉致問題で脅威に目覚め、社会党や左巻き連中の嘘・欺瞞に気付き、自虐を捨て歴史・文化の問い直しを始めた。
3)特亜の陰謀というか、露骨で粗暴な歴史観の強要への拒否感、あるいは考え方の差異に文化の違いを見た。
4)共産主義かぶれの生き残り(サヨク)が文化破壊を画策していると認識して、対応策を練っている。
5)治安の悪化。奇妙としか思えない(=「かつての日本人なら有り得ない」と思える)犯罪の増加をきっかけに、外国人(中国人・朝鮮人)と日本人気質・文化の違いに焦点をあてている。

おまけ)
似たテーマ、陰謀観点での記事がありました。( http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-231.html#more )
この中の「フリージャーナリスト 関岡 英之さんに聞く」というあたりは、多くのアメリカ陰謀論支持者の主張のまとめに近いものでしょうか?

すがりすがり 2005/12/31 05:22 私などは敗戦直後の日本を写真とか短いフィルムでしか見たことはありませんが、かなりひどいです。「陛下、なぜ最後の一人まで戦えと言ってくださならい」と泣いた人々にとってトラウマはかなりひどかったと思います。大変な時代でした。こういう世代が死に絶えつつあり、影響が減ずるにつれ戦後生まれの日本人が常識化してきたことが主な原因だと思います。
防衛、伝統に対する国民の考えも変わりつつあると思います。

>無条件降伏の敗戦国であったわけですから
日本はポツダム宣言を受諾して降伏しました。ポツダム宣言は軍の無条件降伏を求めていますが、日本政府の無条件降伏は求めていません。日本を代表する日本政府が無条件降伏していないので、無条件降伏ではありません。「日本は無条件降伏をした」というのは戦後にGHQが広めたウソです。

drmccoydrmccoy 2005/12/31 10:25 みなさん、この話は関心お持ちなんですね。私は日本的な共同体が廃れつつあるのは、アメリカの陰謀が主とは思っていません。日本側がすすんでアメリカに隷属しているその結果だと思っています。アメリカという国は自国に都合のよいように世界中に働きかけています。それは別にアメリカに限らず、普通の国はそうなんでしょうが。で、日本の政界・財界人はその認識すらなくなってしまったのかと。日米経済摩擦がなくなったことが何よりの証拠でしょう。摩擦をおこさないよう、アメリカの要求をまる飲みしているからだと思います。もちろん日本の経済力にかげりがみえてきたという事もあるでしょうが。
あとは、左翼は日本の歴史を否定したいがために欧米の理念を追い求め、現実主義の人はとにかく軍事面でアメリカに頼らなければならないからとアメリカにもの言わず、経済人はバブル崩壊で自信喪失し、アメリカコンプレックスを抱いてしまったなどあるでしょう。

>すがりさん
たしかに無条件降伏ではなく、軍が無条件で武装解除する、有条件降伏だったのですが、軍が武装解除するとGHQが我が物顔で行動しだして、実質無条件降伏のようになってしまったんですよね。あれもGHQのルール違反だったと思います。本来なら日本の新憲法に口を出したり言論統制までするのは明らかな越権行為なんですが。

antonianantonian 2005/12/31 13:09 早雲様>
面白いのはカトリック教会に存在する疑似家族ですね。修道会の形成する家族形態は一蹴の疑似家族で、また教会における共同体も一種の家族を形成します。またイタリアは昔からマフィアをファミリーと称するように、疑似家族共同体概念を持っている。実は彼らのメンタリティがアングロサクソンなどに比べてずっと日本人に近いと思うことはありましたがその辺りもあるかも。あと「分際」と呼ばれる概念については伝統的なヨーロッパ概念にはありますね。カトリックなどはその辺りで批判されます。(ヒエラルキアの容認、あるいは自分自身の位置に対する満足が、すなわち諦めに通じるという意味で・・・)
もし現代日本が違うとするなら、やはり農村風景の喪失なども関わるのかな?今私は島に住んでいますが、ここは未だ古きよき日本のメンタリティが残っています。
マッコイ博士>
アメリカの自由とはアメリカの考える自由でしかないことを判っていない人も多いですよね。あと左翼も欧米の上っ面(近代以降の思想)だけ持ってくるので浅い。やはり歴史がない。

antonianantonian 2005/12/31 13:12 続けて投稿お許し下さい。
そういえばドストエフスキーが自由主義者を「白痴」で批判していましたね。権利のみ主張する声の大きな浅はかな若者として描かれていました。権利に伴う己の義務、責務が忘れ去られるというのはどのいつの時代にも見られる現象なんでしょうか。

すがりすがり 2005/12/31 16:19 1945年7月30日の米国務省の会議「ポツダム宣言は日本国に対し、降伏条件を提示した文書であって、受諾されれば。。。国際協定となるであろう。」と述べられています。

1945年9月6日トルーマン大統領のJCS1380/6大統領指令 第一項
「我々と日本との関係は、契約的基礎の上に立つのではなく、無条件降伏を基礎とする」

1945年9月15日GHQ検閲支隊長フーバー大佐声明
「マッカーサー元帥は、連合国がいかなる意味においても、日本を対等と見なしていないことを明瞭に理解するように欲している。。。。最高司令官は日本政府に命令する。。。交渉するのではない。」

このようにアメリカは、日本の降伏後に恥も外聞もなくポツダム宣言を無視しにかかってきました。ただし元々アメリカは日本の無条件降伏を求めていて、ポツダム宣言がものわかりが良すぎたとも言えます。もちろん、日本側から見れば、あるいは誰から見ても、アメリカの態度は無法と言えます。

drmccoydrmccoy 2005/12/31 16:52 antonianさん、すがりさん、参考になりました。どうもありがとうございます。

早雲早雲 2005/12/31 18:29 >antonian様
自由についてですが、ざっと見て以下のような概念があります。
西欧(現代日本?)の自由
1.社会的自由 団体又は個人が、他の団体又は個人から強制を受けていないこと
2.意志自由  意志決定を自己の決断で行いその責任が常に自己にある事
3.道徳的自由 人が自ら道徳法則の立法者となり、その法則に従って行為を選ぶこと 

日本の(仏教的)自由
「自に由る」「おのずから」は、自分から、という意味ではありません。仏教では、無我を説くからです「自から」とは、自分にもわからない、深いところにある「本願」を持った自分のことです。
欲望の中にあって欲望に執着しない、煩悩の中にあって煩悩に執着しないで本願に従うこと。
つまり、因縁の織りなす場での現象としての自分であると自覚するとことかなと思います。

道徳的自由には宗教又は、哲学の裏付けが不可欠です。
私にはとても西欧風の自由は引き受け切れません。日本人は日本的自由を捨て去ればニヒリズムしか残らないように感じます。

「家族」ですが、日本の「家族」は実は身体性は薄いかもしれない気もします。
契約によらない、会社の様な、或る意味では建前としての「家族」の様な気もします。
養子縁組もこだわりませんし、「家」に付属した土地での生産により生計を立てることが可能な「定員」を持った会社の様な一面も見られます。
とりとめなくなり、申し訳有りません。
みなさま良いお年をお迎え下さい。
drmccoy様、来年も鋭利な切り口のエントリーをお願い致します。
有り難うございました。

岩手の田舎人岩手の田舎人 2005/12/31 18:54 >すがり さん
無条件降伏の件、無知をさらしたかいがあってまた少し利口になったようです。ご指摘ありがとうございました。
まだまだプロパガンダや自虐史観に犯されているのかもしれないと思うと安易にコメントしにくくなりますが(笑)、気のいい知識人が集まる良質のブログでは指摘していただけるので、楽しい気分にさせられます。

ネットはおかしなマスコミの偏向した論を監視できつつあると認識する過信でしょうか?
朝日新聞やおかしな言論人が叩かれて、さらし者になっているというのはいい傾向です。
日本や日本人に愛情を持っていない評論家やマスコミは信用できません。発言を聞けば醜悪さが目立つものです。

私事で恐縮ですが住んでいる地域にADSL接続が可能になったのは2002年からです。それをきっかけにネット接続しました。
従軍慰安婦の嘘という記事にネットで遭遇し、あちこちのブログ・サイトを徘徊するようになったのが、3年後、2005年の今年の春です。
デジタルデバイドという問題も有るでしょうが、田舎の私さえそういった認識を少しばかり持てるようになっています。
(アジアに配慮した歴史教科書を書くようにって方向に持って行ったのは、岩手の鈴木善幸内閣当時だったそうで、みなさんすいませんね。(笑))

drmccoydrmccoy 2005/12/31 20:36 >早雲さん
いや、貴重なお話ありがとうございました。参考になりました。こちらこそ来年もよろしくお願いいたします。

>岩手の田舎人さん
まあ、ネットの場合は結構デマとかもありますし、特有の問題もあるとは思いますが、少なくとも複数メディアの情報を即座に比較できるということだけでも、ネットの果たす役割は大きいでしょうね。今までのマスコミの偏った情報にだまされない大きな力になるのは間違いないと思います。

早雲早雲 2006/01/02 01:39 あけましておめでとう御座います。
本年もよろしくおねがいします。
さて、こちらのエントリーに関連して経済コラムマガジンの同様記事紹介のエントリー「日本的経営の行く末」http://sun.ap.teacup.com/souun/20.htmlをたてました、よろしかったら覗いてみてください。

毘政毘政 2006/09/26 09:44 独立不羈といえば、福沢諭吉の「学問のすすめ」にも書いてあった気がします。
いまだに、実現していないのですね。(自分も含めて。)