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2006-08-31
■[政治] ここまで持ち上げるとはご立派
政治評論家の屋山太郎氏が、産経新聞の「正論」で、小泉政治の5年間を絶賛しまくっています。いやー、ここまで絶賛するとはすごいです。ほとんど説得力が無いだけでなく(短い文章だから仕方ないでしょうが)、ここまで批判力を失った人というのが実は「保守」の正体だったのかと思うと、失望させられます。
■【正論】政治評論家 屋山太郎 小泉政治の5年5カ月を総括する
■馬鹿げた絡繰りの数々ぶち壊す
≪米中韓外交では百点満点≫
5年5カ月に及ぶ小泉長期政権が終わるにあたって、その評価をしてみる。後継総裁はプラスの面を引き継ぎ、マイナスの面は補い、補修する必要がある。この引き継ぎ、補修の諸点について認識のない人は総裁候補の資格がないと心得るべきだ。
小泉首相は国際関係や外交政策について、その哲学を語ったことはないが、日米関係、対中・韓外交については結果的に百点満点に近い。かつてロン・ヤス関係というのがあったが、当時は米ソ冷戦の最中で、他に選択肢もなく、日米関係は極めて理性的な親密さで構築された。
過去に日本では、「人命は地球より重し」と言ってテロリストを釈放するとんでもない首相が出たが、小泉首相はテロと戦うという姿勢を国内法の制約の中で最大限に発揮したと思う。
最後の場面で小泉氏はプレスリー邸でパフォーマンスの極致を見せてくれた。あの場面をけなす人がいるが、米3大テレビ、3大新聞にいずれもトップで取り上げられた日本の首相は初めてである。
この1場面によってアメリカの大衆は、なぜ日本の首相を大統領夫妻が歓迎しているのか、なぜ外国人がエアフォースワン(大統領専用機)に乗れるのか、日米同盟の重さを感じ取ったことだろう。嬉しかったのは、ふざけん坊の日本人もいるのだぞと世界に見せてくれたことだ。
日米同盟を考えるとき、残った問題は集団的自衛権の行使という憲法解釈、あるいは憲法改正の問題だろう。憲法改正に不可欠な国民投票法案を流したのは痛かった。
≪何より良かった靖国参拝≫
対中・韓外交が悪化したからマイナスと評価する人が多いが、私は「異常な状態」が「正常な状態」に戻る兆しをみせていると評価する。何よりも良かったのは、総理が私人にせよ公人にせよ、国家のために殉じた人々に哀悼と感謝の意を表することを再開したことだ。国民国家なら当然のことで、この精神を失った国はいずれ滅びる。
それを1986年以来しなくなったのは、中国が靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されていると文句をつけ始めたからだ。これに国内の反日日本人と媚中派が便乗したのだ。しかし、中国が文句を言い出した動機は、改革開放、市場経済化にともなって「共産主義」に代わる新たな指導原理として「反日愛国主義」が必要になったからだ。A級戦犯が合祀されたのは78年で、中国が文句をつけ出したのは、その7、8年後のことである。
宮沢、橋本といった政権は、中国が叩けば謝る、さらに、金を出すという子分のような内閣だった。小泉氏は、このばかげた絡繰(からく)りをぶち壊した。中国は既にWTO(世界貿易機関)に加入しているのだから、日中交流は「政経分離」の原則で十分。首脳会談などは不必要だ。
≪残念な教基法改正見送り≫
内政における改革の象徴的なものは郵政公社の民営化だろう。個人金融資産1500兆円の4分の1、約350兆円が郵貯・簡保に集められ、「官」の手によって市場原理と離れたところで使われてきた。政府が8つの政策金融機関を持つなどという姿は、不良債権漬けの中国の国営銀行さながらだ。日本の官僚は、こういう不要の機関を設立し、そこに天下って、金を使うための仕事を興してきた。
この郵貯・簡保の資金を元にバラまき財政体質が培われ、それは一向に変わらなかった。1998年度には公共事業関係費は実に14・3兆円にのぼった。政府支出の対GDP(国内総生産)比はピーク時(96年)6・4%で、米英独仏の平均は常時、2%前後である。小泉政権で公共事業関係費は約半分の7・2兆円。政府支出の対GDP比も3・7%まで落とされた。
建設会社は世界に200万社あるが、そのうち60万社が日本にある。これはたばこ屋の倍の数であって、こんな異様な国は他にない。この土建屋体質を清算し、まともなモノヅクリ産業を育てるための構造改革が行われた。
一国で自給自足できない限り、流通や関税のルールは国際化せざるを得ない。各国は互いに要求書を交換しているが、米国の対日「年次改革要求書」を持ち出して、日本が米国に屈したと非難するのは見当違いだ。郵貯・簡保をハゲタカファンドに売り渡したという反対論も奇説というほかない。規制緩和、構造改革がホリエモンや村上ファンドを生み出したのではなく、教育の不在が「国家の品格」を損なっているのである。首相が教育基本法を一顧だにしなかったのは残念だ。地方分権と公務員の削減は成果がなかった。(ややま たろう)
まあ、色々と反論はあるんですが、最初に印象的だったのはここですかね。
最後の場面で小泉氏はプレスリー邸でパフォーマンスの極致を見せてくれた。あの場面をけなす人がいるが、米3大テレビ、3大新聞にいずれもトップで取り上げられた日本の首相は初めてである。
この取り上げられ方ですが、アメリカのメディアでも浮かれた小泉首相をからかうような、はっきりいって「ブッシュのほうがまだましだ」みたいな感じだったと聞きました。
アメリカ在住の友人から聞いた話で特にソースが無いのですが、ブッシュ大統領はすでにアメリカ国民からほとんど支持されおらず、かなり評価が低いですが、それでも日本の首相に比べたらまだましだという論調だったようです。
従って、あのパフォーマンスでわざわざアメリカまで行って日本の恥をさらしたんではないかというのが私の印象です。
また、あいかわらず郵政民営化に関してはデマをぶちまけています。郵政の資金はすでに法律が改正され、民営化しなくとも財政投融資として公共事業に使われることはなくなっています。
また仮に民営化したとて、その資金が市場に流れるとは限りません。市場で安全な運用先などそうないわけですから、結局は民営化されたとて、郵便局がローリスクな国債などを買ったりすれば同じ事です。
また、郵政の3事業(4事業?)をバラバラにして民営化するなんて、あまりにも非効率すぎます。たとえば郵便局の窓口業務を少し考えてみればわかるでしょう。小さな郵便局など、郵便窓口のほうで手が空いたら簡保とかそっちの窓口へまわって説明したりとか、少人数でうまく回っているのに、バラバラにしたらもっと人を増やさなければなりません。滅茶苦茶な法案なのです。
また、財政投融資を資金として、たしかに公共事業は土木関係にばかり投資されてそれがばらまきになっているという指摘はそうかもしれませんが、すべての公共投資が無駄なものだったというのはあまりに短絡すぎます。
無駄な公共事業というのもたしかにあったでしょうが、基本的にそれらの多くは子孫にとっての財産となるようなインフラ整備であると私は思います。
「官から民へ」とか言われていますが、「官から民」は官というものにたいして性悪説の認識を抱きながら、民にたいしては根拠のない性善説にもとづいて期待するものです。その結果がホリエモンや村上ファンドでしょう。民営化と言えば聞こえは良いですが、単なる私営化、公の私物化にすぎないという側面もあります。
そもそも公立・公営ということばに対するのは私立・私営のはずです。「公の私物化」をいつのまにか民営化と言い換えています。しかしこの民は別に民主主義の民でもなければ国民の民ですらない場合だってあるのです(外国企業なら国民ではない)。
また「市場活力に期待せよ」などと言っていますが、日本国民の潜在的な需要というか欲求は、市場で買えるものに関しては、すでに飽和状態に近づいていると思います。これは日本に限らず欧米でもそうです。
逆に満足行くレベルにない、国民が望んでいるのはそういう金で買えるもの、市場原理で動くものではなく、もっと安全で暮らしやすい社会にするためのインフラ整備であると思います。
具体的に言えば、危機管理、治安維持、資源・エネルギー問題、都市の景観や田園の整備・維持、家族や学校問題、職業訓練も含む教育問題などなどです。これらはすべて公的な課題ばかりで、市場原理にまかせればうまく行くような単純なものではありません。
したがって、市場活力を利用するにしても、こうした公的な活動に民間の資金をいかにローリスクで公共活動へと誘導するかということが重要になってくるわけです。
これをPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ=官民提携)と言ってここで重要になってくるのがPFI(パブリック・ファイナンス・イニシアチブ=公共資金調達計画)なわけです。そして西欧諸国はこれらに力を注いでいるのです。
西欧諸国から見れば日本の郵政民営化は「時代に逆行するもの」と見えたでしょう。なぜかと言えば、郵貯・簡保の350兆円は、PFIのための有効な資金となり得るものだからです。この資金を使う事によって官民提携により国の支柱をしっかりと形作るべきだったのです。
国は「国家の支柱」にかかわる公共事業に対してイニシアチブをとらなければならないのにそれを放棄しつつあると言えるでしょう。
公的な課題に「民」だけ「市場原理」だけでできる事などありません。重要なのはそうした公的な課題にたいして官民協調のプロジェクトをたちあげてそのイニシアチブを取ってゆくということです。それは政府にしかできない事です。
行政改革にしても財政改革にしても、そうした「官民協調のプロジェクト」を有効に立ち上げ効率よく運用することです。
政府が指揮をとらなければならない事を民間にまるなげするなど滅茶苦茶ですし、民を過信しすぎです。
この土建屋体質を清算し、まともなモノヅクリ産業を育てるための構造改革が行われた。
こんな話は聞いたことがありません、デタラメでしょう。モノヅクリ産業の土台をぶちこわし(なぜならそれらを下支えするの多くは中小企業であり、中小企業をぶっつぶす政策をとった)、ITだの金融だの実体の無い経済を主軸にしようとしたわけですから。
竹中大臣はいつも言っているでしょう。日本をアメリカみたいいにITと金融中心の国にすると。モノヅクリをないがしろにしてきたのです。屋山氏はデタラメを言わないで欲しいものです。
一国で自給自足できない限り、流通や関税のルールは国際化せざるを得ない。各国は互いに要求書を交換しているが、米国の対日「年次改革要求書」を持ち出して、日本が米国に屈したと非難するのは見当違いだ。郵貯・簡保をハゲタカファンドに売り渡したという反対論も奇説というほかない。規制緩和、構造改革がホリエモンや村上ファンドを生み出したのではなく、教育の不在が「国家の品格」を損なっているのである
ここはもう滅茶苦茶な事を言っています。
一国で自給自足できない限り、流通や関税のルールは国際化せざるを得ない。
というのはその通りですが、国際化と完全な自由化とは別です。アメリカは今中南米諸国にも小さな政府にして完全に貿易も自由化するように圧力をかけていますが、そんな事をすれば強い者が勝ち続ける、つまりアメリカだけが一人勝ちする国際社会になってしまいます。ですから中南米諸国は団結してアメリカにノーとつきつけています。日本は特別アメリカと渡り合うわけでもなく、言われるがままに受け入れているのです。
今言われているグローバリゼーションも国際化も、どちらも強い国アメリカがひたすら有利になり続けるための土台作りにすぎません。
小学生の1年生と6年生を競わせるなど滅茶苦茶ですが、それが「自由な競争」の正体です。大切なのは「自由な競争」ではありません。「公正な競争」こそ大切なのです。公正な競争を実現するためにはルールが必要ですが、そのルールを作ることをせずに、ルールなんてなくしてしまえと言ってしまっているのです。
米国の対日「年次改革要求書」を持ち出して、日本が米国に屈したと非難するのは見当違いだ。郵貯・簡保をハゲタカファンドに売り渡したという反対論も奇説というほかない。
おそらくこの最後の部分は最近関岡氏が言っていることにたいする反論だと思います。去年の文藝春秋に掲載されました。内容は以下で取り上げています。
この内容を含む本が最近出版されています。タイトルはズバリ「奪われる日本」です。
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近いウチに内容を紹介したいと思います。
ところで、この問題に関係していつも思うのですが、いわゆる「保守」と呼ばれる人たちの中には、すべて「陰謀論」で片づけてしまって耳を貸そうとしない人たちが多いです。
ルーズベルトが日本を開戦に追い込んだことすら認めようとしない岡崎久彦氏みたいなのもそうですが。
相手の善意に期待するというのは日本人の美徳の一つで、むやみに同盟国を疑ってはいけないという道徳的な感覚から発せられているのかもしれませんが、私はこれはおめでたい人々だと思います。
実際、私もアメリカの策略とか陰謀というよりも、このようにアメリカを信じ切っている人たちがアメリカを疑いもせず「自ら進んでアメリカの言う通りにしている」というのが実体だと思います。
つまり、アメリカはたいして策略をめぐらさなくとも、自分たちの言う通りに従う日本人が多いのだという事です。
ですから、私は「アメリカの陰謀」だとは思っていません。日本人の中に自分から喜びいさんでアメリカに従っている、アメリカの言うとおりにして良いことをしたと思っている人が多いということだと思います。ここが私と関岡氏とのとらえ方の違いです。アメリカが悪いというより、日本人のお人好しさのほうがタチが悪いと思います。
結局、日本には、中国に思いを寄せて中国に言われるがままに従ってきた旧橋本派みたいな媚中派と、アメリカに何の疑いも疑問も感じずに言われるがまま従う小泉・安倍系列の媚米派しかいないんじゃないか、というのが私の思うところです。
屋山太郎は
宮沢、橋本といった政権は、中国が叩けば謝る、さらに、金を出すという子分のような内閣だった。
と批判していますが、時の政権がとにかく中国にさえ反発してくれて、アメリカと仲良くしてさえいれば満足なのでしょう。それが、アメリカとはまともに交渉すらせず、言われるがままに従う子分のような存在でもかまわないと。
中国人に従うのは厭だがアメリカ人なら良いという、結局は何の独立心も自立心もない日本人が「保守」には多いということでしょう。
しかし本当の保守ならば何より自国の国柄や独立を大切にするはずです。自国の国柄や独立が、中国にさえ犯されなければ良くて、アメリカならまあ良いと考える人間が保守であるとは、私は到底思えません。
屋山氏みたいなのは、中国に対しては性悪説を適用して、アメリカに対しては性善説を適用しているわけです。媚中派はその反対になっています。もちろんアメリカのほうが中国より遙かに信頼できる面が多いとは思いますが、しかしアメリカは自国の国益中心主義の国です。
自国の国益のためには利用できるものは利用する、同盟国であっても押さえるところは押さえるというしたたかな国です。というか、それが普通の国でしょう。それくらいの事に早く気づくべきです。
むしろ、どこの国であれ、むやみやたらと信頼してしまう日本のほうが、お人好しの国すぎるだけなのでしょうが。だから諸外国にいいように動かされ利用されてバカにされるのです。
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