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2006-09-15
■[歴史] 東京裁判を受諾したら何なのか?
「■[読書] 小林よしのり氏について」のエントリーのコメント欄でこのようなコメントをいただきました。
名無しさん 『「脱ゴーマニズム宣言」に対する著作権裁判を見ればわかるように嘘、間違い、デタラメを吹聴していると指摘されてもそう簡単には過ちを認めません。
読者に対して誤った情報を与え続けたままでかまわないという態度は”国賊”者だと思いますけど、違いますか?
サンフランシスコ平和条約第11条に関してはこちらを。
・箸にも棒にもかからぬ愚論、「受諾したのは判決だけ」
その後、いそがしくてチェックしていなかったのですが、どうも左方面の方々は最近よくきく「サンフランシスコ講和条約で日本が受諾したのは東京裁判そのものではなく、判決だけだ」という論を「箸にも棒にもかからぬ愚論」と言って攻撃しているようです。
それに対する私のコメント欄での回答は、まあ面倒だったのでこんな感じで書きました。
よく言われるように、仮に東京裁判そのものを受諾して独立したからとしても、それが何だと言うのでしょうか?だったらそれは間違いだったと訂正すべきです。なぜなら、日本が東京裁判というものの存在を認めてしまったために、戦後の国際社会が滅茶苦茶になってしまった、戦争に勝った国が好き勝手やってしまう国際社会を作ってしまったわけです。反省すべきは東京裁判です。
上で東京裁判関連のエントリーを示しましたがこちらのほうが良かったので失敗でした。
ところで、上の「名無しさん」がコピペして紹介してくれたブログのId:Apemanさんがきこりさんのところで論争をしていて、それを興味深く拝見しました。
拉致問題以外できこりさんのこれほど気合いの入ったエントリーはめずらしいんじゃないでしょうか。かなり読み応えのある内容で、説得力もあると思います。
- 東京裁判をいくら批判しても一向にかまわない
きこりさんのところをざっと読んだ私の判断では、Apemanさんは
「サンフランシスコ講和条約によって日本が受諾したのは戦犯裁判の判決だけで、裁判そのものではない」という主張は「箸にも棒にもかからぬ愚論」である
ということが言いたいだけみたいです。
この問題であらためて思ったのですが、「サンフランシスコ講和条約によって日本が受諾したのは戦犯裁判の判決だけで、裁判そのものではない」という事を言いだしたのは、一体何のためだったのでしょうか?
たぶん東京裁判を批判すると日本は裁判を認めたと言われるから、それに対する反論として誰かが言いだしたことなのでしょう。講和条約11条の原文を読むと、judgementsと書いてあることを誰かが「発見」して、受諾したのは裁判ではなく判決にすぎなかったのだ!となったのではないでしょうか。私も一旦は「なるほど、そうだったのか!」と思いましたが、しかし今回よく考えてみると、ちょっと待てよと思いました。
裁判全体を受諾していようが判決のみだろうが、それは本質的なことではないのではないかと思えるからです。
仮にApeman氏の言う通り「「サンフランシスコ講和条約によって日本が受諾したのは戦犯裁判の判決だけで、裁判そのものではない」というのが「箸にも棒にもかからぬ愚論」であったとしても、
「東京裁判は勝者の一方的な裁きである」
「冤罪のでっち上げ裁判だ」
「事後法に基づく近代法の原則に反する裁判とは言えないものである」
「以上を総合して、東京裁判がその後に作り上げた日本悪玉歴史観は認められない」
ということをなぜ主張してはいけないのでしょうか?
「裁判を受諾したのだからそういう事を言ってはいけない」とはならないと思います。
繰り返しますが、日本が講和条約で裁判を受諾したからって、講和条約11条そのものが国際法の精神に反する(本来なら独立回復すれば直ちに戦犯裁判を無効として戦犯をただちに保釈できる)とか、早く独立したい日本の弱みにつけこみ、脅して条約をむすばせた卑劣なものであるとか、どうしてこういう批判ができなくなるのか、べつに裁判を受諾していようが判決だけであろうが、東京裁判や講和条約11条のおかしさはいくらでも批判できるし、それを批判してはなぜいけないのか、そこが本来の論点ではないかと思います。
そもそも日本は東京裁判を否定するようなことをすでに政府として正式にやっているのです。4000万人の署名がきっかけで遺族援護法・恩給法などの制定や改正によって戦犯を犯罪者として処刑されたのではなく公務死(または法務死)として無くなったことにして、戦犯には支給されない恩給も支払われているし、国内法的には明確に東京裁判を否定というかくつがえす決定を政府も国民もすでに行っています。(靖国神社HP「“A級戦犯”とは何だ!」参照)
- 国際秩序のためにも日本の信頼をとりもどすためにも、東京裁判を批判すべき
おそらくこの件に関してサヨクが言いたいのは、今や国際社会の「常識」になっている東京裁判をベースにした日本悪玉史観を否定すると日本は国際社会からの信用を失うから、そんな事をしてはいけない、とか何とか言うのでしょうか。
しかし、私は戦後日本が常に国際社会(というか主に極東3国)から常に「信頼できない」と言われるのは、そもそも東京裁判によって作り出された日本悪玉史観を戦後日本がずっと認めてきたことによるのだと思います。つまり、日本政府は戦後ずっと外に向かっては「かつての日本は100%悪かった」として謝罪しかしてこなかったから、それが問題なのです。
現在までの議論を見てわかる通り、国内にあるのは日本悪玉史観だけではありません。当然それ以外の歴史観、あの戦争には自存自衛、独立自尊のための戦いとしての側面があったと評価する人もいますし実際その通りと思います。そのことを国際社会に対して一切説明せずに、ひたすら過去に対して謝罪しかしてこなかったために、東京裁判や講和条約に批判的な議論をすると「国際社会の信頼を失う」ような現状になってしまったのです。
国内的には遺族援護法や首相の靖国参拝などによって部分的にしろ東京裁判を否定したり大東亜戦争の戦死者を国として顕彰し、あくまで部分的であるものの多少はあの戦争も肯定的に見る部分があるのに、外に向かってはあの戦争に関して100%謝罪しかしてこなかった、ここが最大の問題点なのです。
これでは完全な二枚舌外交です。外交というのは二枚舌でも一向にかまわないと思いますが、しかしやるならうまくやらなければならない、謝罪100%の日本外交はかなり稚拙なものだと批判されねばなりません。
小泉首相ですら、何度も村山談話を踏襲して、その上塗りをしています。これこそ、その場しのぎの先送り外交の典型でしょう。こういう事の積み上げによって日本は自分たち自身の手でどんどんと東京裁判の呪縛にがんじがらめにされていっているのです。
ここは、国際社会から本当に信頼得るためにも、一時的に信頼を失ったとしても日本はしっかりと主張してゆくべき、もしくは国際社会に対して少しずつ謝罪以外のメッセージも込めて発信してゆくべきだと考えます。
そもそも、何度も書いていますが、東京裁判というものが存在したために、戦後の国際秩序は国際法の精神からかけはなれた滅茶苦茶なものになってしまったのです。
私の以前のエントリー「無意味で有害だった東京裁判」から抜粋しますと
「東京裁判」は以下の5つの問題点を、戦後の国際社会に定着させるという弊害を生んだ。
第一「戦勝国は敗戦国を、国際法を無視して断罪してよい」という悪例を残した。
第二「戦勝国は敗戦国民の人権は無視してよい」という悪例を残した。
第三「戦勝国であるが故に戦争犯罪は免責される」という悪例を残した。
第四「日本と他の諸国との相互理解を妨げる」ことになった。
第五「アメリカの正義はいつも絶対に正しい」というイデオロギーを認めた。
「世界がさばく東京裁判」あとがきより
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東京裁判批判という国際正義を日本は掲げよ
「戦犯」の名誉回復は、東京裁判によって損なわれた国際法の権威の回復でもある。世界平和を願い、国際法を擁護するからこそ、私たちは「戦犯」の名誉回復に立ち上がるべきなのである。
国際秩序というものを考えるなら、東京裁判を否定的に見なければなりません。それが日本に課せられた使命とすら言えるでしょう。
東京裁判を批判的に見直すことは、戦後のゆがんだ国際秩序を見直し、国際法に基づいた世界平和を実現するための、重要な第一歩にもなると思います。そのためにも、我々は、「過去の反省が不足している」などという不当な批判にめげずに、東京裁判の不当性を国際社会に訴えてゆく必要があると思います。
- 東京裁判を裁判と捉える愚かさ
そもそも、東京裁判とは何かと言えば、あれは裁判という名前がついているために皆が騙されていますが、基本的には勝者による復讐劇です。
昔から戦争をして勝った相手が負けた相手の大将の首をちょんぎるという儀式というか復讐劇は一般的であり、その一種にすぎないものです。日本は例外的に武士道精神みたいのがあって、日露戦争なんかは敵の将軍に寛大な処置をなんて言っていますが、欧米人には武士道精神はありませんから。
何とかしてジャップに復讐をしたいと考えたわけです。しかし現代においてはさすがに露骨にそういうことはできませんから、それを無理矢理裁判に見せて行ったわけです。そういうやり方は欧米人が得意とするところです。植民地からの略奪や侵略戦争においても「未開の地を文明化させる」とか「自由と民主主義を実現する」とか何とか言って、自分たちを正当化するのにきれいごとの論理を巧妙に使ってくるのと同じです。
処刑された「A級戦犯」の人たちは東京裁判が復讐劇であることをよく自覚していたでしょう。まあ中でもソ連が一番露骨だったと思いますが。ソ連のやったことこそ侵略でしょう。ところが連合国側は、日本人に東京裁判を復讐劇と捉えられると占領統治がうまくゆかなくなるので、言論統制情報統制を行って、「A級戦犯」こそが日本国民を騙して日本を破滅に追いやった本物の戦犯であり、連合国軍は解放軍であると日本人を洗脳したわけです。そして日本が二度とアメリカに逆らわないよう、うまく飼い慣らしたというところでしょう。
あの時代を生きた人たちというのは、田原総一郎とかナベツネなんかもそうなんでしょうが、この洗脳にどっぷりそまった人たちなわけです。だからあの戦争に関して彼らの言うことが信用できないのです。
- 大切なのは国民の物語としての歴史認識
それから、何より小林よしのりの主張で大事な所は、きこりさんもおっしゃる通り、「歴史解釈権」を取り戻せというところでしょう。裁判がどうとか判決がどうとかは細かいことです。
戦後は日本にとって悪い事実(一部は捏造あり)ばかりならべて、それにもとづいて歴史観が作られてきました。しかし、あの戦争に関しては日本にもそれなりの言い分があるとかそれなりの大義もあったとか、日本以外の国にも非があったとか、そういう発言することが一切許されない空気がありました。
しかし、それはやはりおかしいし、日本が悪かったとばかり言うことは国際社会から本当の信頼を得られなくしているだけでなく、日本人自身が「昔の人は悪かった」「昔の人は愚かだった」という思考にはまりこんでしまい、それが日本という国の歴史の全否定、過去の全否定へむすびつき、日本をどんどんおかしな国に改造してゆこうとさせ、この国の将来を危うくしていしまいます。
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