Dr.マッコイの非論理的な世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2006-09-23

[] 植草論文はなかなか参考になる

先日チカンで逮捕されてしまった経済学者の植草一秀氏ですが、彼はわかりやすく現政府の経済政策のおかしさを指摘しています。今回はその論文を引用してみたいと思います。

ところで植草氏は残念ながら未だに拘束されたままに冤罪を主張していると言いますが、何でも以前に7回もチカンして示談ですませた過去があるという噂もあり、どうにも冤罪路線に突破口を見いだすのは(それが真実であったとしても)かなりの困難を伴うし、実際不可能に近いと思います。そんな主張をしてみても、逆に彼の影響力も信頼も完全に失う方向に拍車をかけてしまう可能性すらあるんではないでしょうか。

ここで私からの提案ですが、植草氏を支持している人は、罪を認め、「病気だ」という路線に変更してはどうでしょうか?欧米では性犯罪は病気として治療の対象になるようで、しっかりしたカウンセリングの制度もできているようです。

病気ということで治療が可能であるなら、治療した後に社会復帰ということも可能になりますし、病気なんだからそれによって社会的に抹殺するのは差別ということになりますし、病気が治れば社会復帰が可能ということになります。

仮に彼におかしな性癖があったとしても、経済学者としては立派な事を言っている、ということで世間から理解してもらうというのはどうでしょうか?

でもやっぱり現状では下半身がらみのネタは「治療の対象」という世間の常識もないし、やっぱりその路線で社会復帰を目指すのにも無理があるかな。

まあでも植草氏の書いた文章を読まれた事の無い方は是非読んでみていただきたいとは思うわけでして・・・ということで、最近「表現者」という雑誌に連載が開始になった「日本経済の深層」から引用させていただきたいと思います。

  • 小泉「改革」の三つの過ち

表現者 第7号 2006年8月号(隔月間)p94

日本経済の深層   植草一秀

小泉「改革」三つの大罪

(前略)

 長い記述になったが、二〇〇三年春の株価底入れは、以上のような経過によるものである。小泉政権の政策の成果としての株価上昇でないことは明白である。小泉政権の経済政策が破綻し、小泉政権が政策方針を完全放棄したことによって事態改善は生じた。われわれは真実を知らねばならない。

 小泉政権の三つの罪を指摘できる。第一は日本経済を破壊した罪である。小泉政権の経済政策を原因として株価暴落、地価暴落、景気悪化が広がり、失業、倒産、自殺が増えた。多くの罪なき国民が甚大な被害を受けた。

 第二の罪は、政策運営が明確なルールによらず裁量に基づいたことだ。二〇〇一年末に問題になった流通業では、「マイカル」が破綻させられたのに、「ダイエー」 は救済された。「りそな」 は救済されたが、「足利銀行」 は破綻させられた。「法の下の平等」 の原則が踏みにじられている。りそなが狙上に乗せられた背景も非常に不透明である。

 第三の罪はこうした施策が、外国資本への利益供与をもたらしてきたことだ。小泉政権は日本の資産価格を暴落させた。同時並行的に小泉政権は 「対日直接投資倍増計画」を進めてきた。日本の資産価格が暴落した局面で、本邦企業の資本力は激減する。暴落した資産価格を目の前にしても手も足も出すことができない。一九九〇年以降の十五年間で米国の株価は相対比で日本の十倍に上昇した。十倍の株価水準の米国が日本企業を呑み込むことは容易である。

 二〇〇三年五月の 「銀行救済」 は米国が用意したシナリオであった可能性がある。米国の指導を受けて、小泉政権が日本の資産価格を暴落させ、最後の局面で政策大転換を実行することがあらかじめ計画されていた可能性を排除できない。二〇〇三年以降、米国系ファンドが日本市場を買い占めてきたことは周知の事実だ。日本の優良な実物資産の所有権は音速の勢いで海外に流出している。この流れを経済政策から主導したのが小泉政権である。

 「改革」 の言葉に踊らされ、大手メディアは権力迎合の報道を氾濫させる。多くの国民はメディアにコントロールされてしまっている。誰かが現実を冷静に観察し、本質を掴み、人々に知らせなければならない。政治権力に対崎することには危険が付きまとう。しかし、その危険を冒してでも真実の情報を発信する責務を表現者は負っている。哩

 前半部分を略しているので、ちょっと説明不足になっているかもしれませんが、なかなか手厳しく小泉「改革」を批判しています。

 特に第三の罪の容疑に関しては、かなりしっかり調べて疑いを排除しなければ信用を失うと思います。ただでさえ、日本政府はアメリカ政府の圧力に用意に屈して、アメリカ政府の出してくる「年次改革要望書」通りに改革している、アメリカが望むように言われるがまま国益を売り渡しているとの指摘が最近よくなされているのですから。

つづいて、小泉「改革」が目指した「小さな政府」の問題点についてするどく指摘されています。私も今まで考えてみたこともなかった視点から説明されており、かなり参考になりました。



  • 「小さな政府」という言葉は何故肯定的に捉えられるのか?

表現者 第8号 2006年9月号(隔月間)p130

日本経済の深層   植草一秀

格差の元慶ー小泉的小さな政府ー

(前略)

 現代日本の国民は、日本経済の現状に強い不満と不安を感じている。バブル崩壊から十五年以上も経つのに日本経済は低迷を続けている。多くの国民が相対的な没落の感想を持っている。急速な高齢化が進展するなかで社会保障制度に対する不安が広がっている。年金、医療、介護の各制度は維持可能なのか。日本政府の債務が増大し、財政破綻が生じるのではないかとの不安も広がっている。こうしたなかで、官僚部門は国民の税金負担のうえにあぐらをかいているのではないかとの不信の念が蔓延している。

 社会保障制度の将来不安、国家財政の危機感は政策当局によって過剰に喧伝されてきた面が多分にある。国民は実情を判断し得るだけの基礎資料を持ち合わせていないし、仮に基礎資料を持ったとしても、その資料から正確に状況判断するための基準を持ち合わせていない。政策当局は独占して保持している情報を都合の良い形に加工して公表し、国民同様に確固たる判断基準も判断材料も持ち合わせていないメディアは、政府から発表される情報を独自に再調査も吟味もせずに世間に流布してゆく。

 メディアのこうした行動特性を活用すれば、政府はかなりの程度、世論誘導、世論操作を実行することが可能である。国民は日本財政の数値の悪化、政府部門の非効率について、日常的に多様な情報を一方的に聞かされている。税金を負担している国民の立場からすれば、「政府を効率的に運営し、無駄を排除し、財政を立て直し、社会保障制度の将来不安を取り除くべきだ」と考えるのは当然である。

 こうした背景があるなかで、「小さな政府」に賛成か反対かを問う質問をすれば、賛成多数となるのは当然である。そもそも、現代の経済社会環境の下では「大きな政府」は「小さな政府」よりも語感が悪い。

広く国民の間に財政危機の認識があれば、ムダをなくして効率的な政府を実現すべきとの考えが広まるのは当然で、国民は「政府を効率的に運営し、無駄を排除し、財政を立て直し、社会保障制度の将来不安を取り除くべきだ」という立場から「小さな政府」を目指すという政策を支持するようになる、というのはよくわかります。

では、問題は、小泉構造改革が目指して実現した「小さな政府」は本当にその目的にかなったものなのか、ということだろう。引き続き、その先を引用させていただきます。


  • 財政の三つの機能のどれにおいて「小さな政府」かが問題

(前略)

 ドイツの経済学者マスグレイデは財政の機能を三つに分類して示した。三つの機能とは、「資源配分機能」、「所得再分配機能」、「経済安定化機能」である。「小さな政府」を論じるときには、どの機能について論じているかを考察することが必要だ。

 「資源配分上の小さな政府」は「無駄なことをしない」を意味する。民間でできることは民間に委ね、政府は必要最小限を担う。政府部門の無駄は可能な限り排除する。この視点で 「小さな政府」に反対する国民は少ない。多くの国民が総選挙で自民党に投票した心情はここに根ざしていると考えられる。

 だが、小泉自民党の提案が本当に「無駄の排除」、「政府部門の効率化」につながるのかを考えねばならない。「郵政民営化」は本当に効率的な政府をもたらす切り札なのか。

 「所得再分配上の小さな政府」とは、経済活動の結果生じる格差を容認する姿勢を示す。経済活動は必ず結果における「優勝劣敗」を生み出す。「格差」が発生する。その格差を容認すること、これが「所得分配上の小さな政府」の意味だ。小泉政権はこの意味での「小さな政府」を推進した。竹中氏の言う「がんばった人が報われる社会」が目指されてきた。そして、小泉政権が目指す新しい社会の成功者の象徴として堀江氏などが位置付けられてきた。

 彼らの成功は本当に「がんばった」ことを源泉としているのだろうか。現代社会の結果における成功、失敗の理由には、「がんばった」、「怠けた」が当然含まれるだろうが、それ以上に初期条件における格差が強く影響しているのではないか。「汗水流し、血のにじむ努力をしながら一向に報われない人々」は無数にいる。結果における成功者のかなりの部分は、「がんばった」ことによってではなく、「恵まれていた」ことや「制度をうまくくぐり抜けてきた」こと、あるいは「政府と癒着することで利権を獲得した」ことによって成果を得てきたのではないだろうか。

 金融産業は非常に特殊な産業である。さまざまな偶然的要素が重なり、天文学的な利益が生まれることも生じやすい。ある種の確率分布にしたがって巨大な成功者が生まれることはあり得るが、そのような成功を政府推奨事例として政策の前面に掲げることが妥当と言えるのか。しかも、そのような成功が実は法令違反を伴って達成されることもある現実が、ライブドアや村上ファンドなどの事例でも明白になってしまった。

 経済活動に対する意欲、インセンチィデを刺激する意味で、結果における格差をある程度は容認すべきだ。しかし、小泉政権が示してきたような「手段を問わずに結果における成功者を賞賛する」基本姿勢には賛同しない。

(中略)

 筆者は先述した「政府の無駄排除の意味での小さな政府」を実現する施策は「天下り制度廃止」だと訴え続けてきた。「天下り制度」こそ日本の巨大なグレーゾーンと言われる特殊法人、公益法人を中心とする巨大準公共部門を生み出している元凶である。新しい時代に適合するように「天下り制度」を廃止することが「改革」の真髄ではないか。

 だが、小泉政権は結局、最後まで「天下り制度」を死守した。官僚利権は死守し、政治的、経済的弱者は情け容赦なく切り捨てる。これが小泉自民党政権の推進してきた「小さな政府」政策の真髄である。

 「経済安定化機能における小さな政府」についての論考は省略するが、民主党は小泉自民党の「小さな政府」論について、財政の三つの機能に照らして効果的な反論を展開すべきだった。「小さな政府」の意味を明確にしたうえで、その是非を問う論議が決定的に不足している。 

つまり小泉構造改革によってもたらされた「小さな政府」とは、非効率的でムダの多い政府のやる事を、より効率的に改革するための「資源配分上の小さな政府」に改革したのではなく、ただ「資源配分機能上の小さな政府」へと改革しただけであり、その結果もたらされたものは、ただ格差の拡大が進んだという結果であった、それがこの「改革」の正体であったと指摘しています。

改革すべきは「資源配分上の小さな政府」であり、そのためには郵政民営化は的はずれの改革であり、やるべきは天下り制度の廃止であったはずが、この点ではまるで改革されていない。(実際、道路公団は民営化されて、逆に天下りが増えたということもありますしね。つまり民営化された道路公団は民営化によって私企業となったため、人事に介入して天下りを制限したり、情報公開させたりすることが逆に困難になってしまったから。)

やるべき改革をやらずに、ただ格差拡大を促進する面でのみ「小さな政府」となってしまったというのが小泉構造改革の「成果」ということのようです。安倍氏はどう軌道修正するのかしないのか、注目して見て行きたいものです。

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