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2006-09-27
■[雑感] 小泉さんのおかげ?
小泉首相の退陣にあたってネット上でよく見かけた言葉ですが、「小泉さんのおかげで政治に関心が持てた」などというものがあります。
たしかに小泉首相になってから、ワイドショーでまで政治を扱うようになり、わかりやすい「ワンフレーズの連呼」や小泉氏の独特のキャラクターが、それまで政治に関心のなかった層の目を政治に向けさせたのは確かだろうと思います。
そして、この私にも少なからずそういう側面もあるのは認めます。しかし、そうであっても私には「小泉さんのおかげで政治に関心が持てた」などと臆面もなく言ってのける神経が理解できないのです。あまりに恥知らずな言い方ではないかと。
前のエントリーのコメント欄のレスでも書いたことですが、「小泉さんのおかげで政治に関心が持てた」という事は、裏をかえせば、今までは「誰も自分たちに政治への関心を持たせてくれなかった」とか、「誰も自分たちの心に届くようにわかりやすく説明してくれなかった」と言うことにも含むわけです。
自分が今まで政治に関心が持てなかったのは、自分のせいではなく、誰か他人のせいだと言ってしまっているわけです。これはあまりにも甘えん坊の考え方です。
そもそも自分が国民であるという自覚が少しでもあったならば、政治家が面白おかしいとかわかりやすく説明してくれるとか言う以前に、みずからこの国の成り立ちやしくみに関心を向け、それなりに考えてみようと思っていたはずです。
小泉首相が政治を「劇場化」もしくは「ワイドショー化」させてくれるまで政治に関心が持てなかったなどと言うのは、そのような自覚が自分に完全に欠落していたという事を告白しているわけであり、それはかなり恥ずかしいことでしかないと思います。
私にも少なからずそういう面があったのは確かですから、そう考える人を非難する資格が私にあるかどうか怪しいですが、しかし、ここはやっぱり「首相に感謝するところ」ではなく、「自らの未熟さを恥じるところ」でしょう。
きっかけは小泉さんの「劇場」のおかげであったとしても、その後は真剣に国のことを考えるようになったのであれば、以前の自分、政治に関心を持てなかった頃の自分を恥じて当然でしょうから、「小泉さんのおかげ」という言い方には自責の念が含まれるべきところが、単なる小泉首相への賛辞になってしまっています。これに違和感を強く感じます。無邪気に首相を褒めてる場合じゃないでしょう。
まあ自分がまだ若いならば、首相以外の誰もそういう事を教えてくれなかったことへ怒りを向けるというならわからないでもありませんが。
そもそも、小泉首相がそういう「ありがたい事」を教えてくれたと感謝している時点で、もう首相が立派に見えてしまう、まともな批判色を失ってしまっていると言えるかもしれません。いつまでもそのレベルの政治への関心の持ち方で良いのでしょうか?
そもそも、政府が国民に政治への関心を向けせるような「しかけ」をしなければ関心を持てなかった、そういう国民が多かったことがこの国の政治をだめにした最大の原因ではないでしょうか?
有権者の側がそういったことを自ら反省する必要はないのでしょうか?
「小泉さんのおかげで政治に関心が持てた」と言う言葉を見かけるたびに、そんな事を考えてしまいます。
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