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2006-09-29

[] サンフランシスコ講和条約11条の正しい解釈

ーーー日本政府は東京裁判の判決理由によって拘束されないーーー

■[歴史] 東京裁判を受諾したら何なのか?」というエントリーの続きです。まあ左方面の方々との議論は常に堂々巡りなので、あまりそちらを意識したことを書いても無駄という感じがしますので、それは置いて、今日は、「国際法」の見地から見た東京裁判とサンフランシスコ講和条約11条について書いてみたいと思います。

結論から言うと、「日本政府は、東京裁判については、連合国に代わり刑を執行する責任を負っただけで、講和成立後も、東京裁判の判決理由によって拘束されるなどということはない」というのが、国際法学者の間の常識です。

まず、前のエントリーで話題になっていた、

「サンフランシスコ講和条約によって日本が受諾したのは戦犯裁判の判決だけで、裁判そのものではない」という主張は「箸にも棒にもかからぬ愚論」である

についてですが、話の方向が「受諾したのが判決全体だろうが判決だろうが、東京裁判の中身を批判や否定はいくらでもできる」ということで、これはサヨクも認めているわけですが、ただサヨクな方々は「日本政府にはその自由がない」と主張しています。本当でしょうか?

しろうとサヨクの言辞をいくら聞いても時間の無駄なので、国際法の専門家の話を聞いてみたいと思います。というか著書からの引用です。

国際法学者の佐藤和男氏が監修した「世界がさばく東京裁判」という本で、佐藤氏の書いていることを引用させていただきます。

「サンフランシスコ講和条約によって日本が受諾したのは戦犯裁判の判決だけで、裁判そのものではない」を言い出したのは一体誰か気になっていましたが、それは近年になって講和条約11条を拡大解釈してそれを根拠に日本は東京裁判を受諾することによって独立できたのだから云々を言う人間が増えたから、国際法の専門家がそれに反論するために言い出したのではないかと思います。

専門家によると、やはり「裁判」と「判決」とでは、条文そのものの意味が随分変わってしまうそうです。

ちなみに、今回あらためて講和条約11条の問題の外務省訳の全文を読んでみたのですが、それだけでも、やはり「サンフランシスコ講和条約11条で日本は裁判そのものを受諾した」というのは明らかな拡大解釈+誤訳だと言うことがわかると思います。

ともかく、専門家の文章を引用したいと思います。以下では平和条約となっています。

世界がさばく東京裁判

世界がさばく東京裁判

日本は東京裁判史観により拘束されない

ーーーサンフランシスコ平和条約11条の正しい解釈

1 平和条約11条についての誤解

(前略) 

あくまでも東京裁判を肯定して、その判決中に示された日本悪玉史観を捧持し続けたいと考えている人々もいることは事実のようです。そのような人々は、えてして「日本は、サンフランシスコ平和条約11条の中で東京裁判を受諾しているから、東京裁判史観を尊重する義務がある」と主張する傾向があるように見受けられます。最近では政府部内にも同じような考え方で東京裁判史観に拘泥する人が若干いることが判明しています。しかし、平和条約11条を右のように解釈することは、国際法理上、間違っています。その理由を以下に説明します。

まず問題の11条の規定を次に掲げます。

「日本国は、極東軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一叉は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基づく場合の外、行使することができない。極東軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基づくの外、行使することができない。」(外務省訳)

右の11条全文を読めば、本条の目的が、いわゆるA級およびB・C級戦争犯罪人を裁いた連合国側の軍事法廷が日本人被告に言い渡した刑の執行を、日本政府に引き受けさせるとともに、赦免・減刑・仮出獄の手続きを定める点にあることが、明らかに理解されましょう。

これらの軍事法廷では、被告とされたのは個人で、国家ではなく、はっきり言えば、日本国家は軍事裁判には直接のかかわりを持ちません。その日本国家が連合国にかわって(国内の受刑者の)「刑を執行する」責任を負うなどするためには、「受諾」という行為が必要になるのです。

ところで、11条の日本文では「裁判を受諾する」となっている点が問題です。


(以下、「裁判」ではなく「判決」もしくは「宣告された刑」と訳すのが正しいというのを英語以外の各国語の訳を例に証明しています。日本語訳だけが判決ではなく裁判になっているという事です。皆さんすでにご存じかと思いますので、ここは省略します。)


以上、語義論的に説明しましたが、日本が平和条約11条において受諾したのが「裁判」ではなく、「判決」であることが、おわかりいたことと思います。「裁判」と「判決」とでは、条文の意味が随分変わってきます。もともと英語正文の翻訳を基礎に書かれた日本語正文で、なぜ「判決」ではなく「裁判」の語が使われたのか、その理由と背景を探ることは重要ですが、ここではこれ以上深追いしないことにします。

二 講和条約と国際アムネスティ条項

(略)

三 平和条約11条の機能

アムネスティ条項に関する理解を前提とすれば、サンフランシスコ平和条約11条の機能ないし役割は、おのずから明らかにされましょう。そなわち、11条がおかれた目的は、この規定が無い場合に、講和成立により完全な独立を回復した日本の政府が、国際慣習法に従って、戦犯裁判判決の失効を確認した上で、連合国側が戦犯として拘禁していた人々をーーー刑死者の場合はいたし方ないがーーーすべて釈放するかまたは釈放することを要求するだろうと予想して、そのような自体の生起を阻止することにあったのです。

長い歴史を持つ国際法上の慣例に反した11条の規定は、あくまでも自己の正義・合法の立場を独善的に顕示しようと欲した連合国側の根強い感情をしめしたものと見られますが、平和条約草案を検討した昭和26年9月のサンフランシスコ会議では、連合国の間からも11条に対し強力な反対論が噴出しました。

(中略)

筆者は昭和61年8月にソウルで開催された世界的な国際法学会(ILA・国際法協会)に出席して、各国のすぐれた学者たちと11条の解釈について話し合いましたが、アメリカのA・Pルービン、カナダのE・コラス夫妻(夫人は裁判官)、オーストラリアのD・H・N・ジョンソン、西ドイツのG・レスなど当代一流の国際法学者たちが、いずれも右のような筆者の11条解釈に賛意を表明されました。議論し得た限りのすべての外国人学者が、「日本政府は、東京裁判については、連合国に代わり刑を執行する責任を負っただけで、講和成立後も、東京裁判の判決理由によって拘束されるなどということはない」と語りました。これが、世界の国際法学会の常識なのです。

(以下略)

結局のところ、講和条約11条とは、(本来なら義務のない)「戦犯」の刑の執行を連合国側から引き継ぐことを条件に日本の主権回復を認めるものにすぎないという事です。従って、今の日本政府が東京裁判そのものの正当性を認めるかどうかという話とはそもそも無関係ということです。

これ以上何か私が追加して書くこともないように思います。要するに

「日本政府は、東京裁判については、連合国に代わり刑を執行する責任を負っただけで、講和成立後も、東京裁判の判決理由によって拘束されるなどということはない」

これは、国際法学者の間では常識なのです。

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