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2006-10-20

[] いじめを産む「自由・平等・人権・民主主義」

今日はちょっと話題を変えて、と言いますか、もともと政治専門のブログのつもりではなかったので、本来は世の中のことを色々と考えてみることも含めたいと思っていましたので、ちょっと別の話を・・・。

さて、最近はいじめによる自殺に関するニュースが立て続けに報道されています。しかしその報道を聞いていてかなり疑問に感じることがあります。悪いのは一体誰なのでしょうか?

「自分も先生からいじめ」=真相解明求める声も−男子自殺で三輪中生徒・福岡

 福岡県筑前町立三輪中学校2年の男子生徒(13)のいじめ自殺問題で、同校が全校生徒を対象にしたアンケートに対し、生徒らから「自分も先生からいじめを受けた」「学校が信じられない」などとする回答があったことが19日、分かった。

 自殺した生徒の母親(36)によると、学校側は自宅を訪れた際、16日に無記名で行ったアンケートの全生徒分の回答用紙を持参した。

 回答には「自分も別の先生からいじめを受けた」「体罰、暴力がある」「先生の好き嫌いによって差別された」「学校が信じられない」「誰を信じていいか分からない」など、学校への不信感が数多く書かれていた。

 中には「学校はうそをつかないで、きちんと遺族に話してほしい」と、自殺の真相解明を望む声もあったという。 

(時事通信)

この記事でまず思ったのは、生徒へのアンケートの結果をどうして無批判に信じてしまうのかということです。

色々と話を聞くと、いじめのきっかけを作った教師というのも確かにどうしようもないアホな教師のようですが、少なくとも自殺した生徒は教師にいじめられて自殺したわけではなく、同級生らからいじめられたことが直接の理由なわけです。

そう考えると、いじめた生徒たちが一番悪いに決まっています。そして、そのきっかけを作った教師が次に悪く、また子供の異変に気づかなかった親にも責任があるでしょう。そしてその次くらいに学校や教育委員会の管理責任などが問われる、順番としてはこういう感じだと思います。

このうち、一番叩きやすい教師ばかりを叩いて皆が正義の味方か救世主にでもなったつもり、そして自殺した親はやり場のない怒りをとりあえずは教師や学校に向けることで憂さ晴らししようとしていると言った感じではないかと思います。しかし親にも責任があるわけですから、それは責任のなすりつけ合いでしかないわけで、私としては親に到底共感できません。

そして一番の加害者である「いじめた生徒たち」についてはアンタッチャブルになってしまって、おまけに無邪気にも彼らにアンケートなんかしてその結果から早速教師への責任転嫁が行われています。

もちろん教師に責任があったのはその通りでしょうし、そりゃあ教師は大人ですからそれなりの責任を取らせれば良いのだと思いますが、教師叩きで終わっては無意味どころか逆効果でしょう。

肝心の加害者である子供達をどう扱うか、それが最も重要な事です。愚かな事にアンケートなんかするもんだから、加害者である子供達は自分たちの責任を完全に転嫁してしまっているのです。

本当に教育を考えるなら、いじめた子供達に徹底的に罪悪感を植え付けて反省させるとか言う意見のほうがまだ説得力があるように感じます。

「命が大切」と口先で言う割には、命を奪う側にまわった子供達については一切おとがめなしというのでは、説得力も何もあったもんじゃありません。

ところが、どうも大人達が寄ってたかって、いじめをした加害者である子供達を必死で守ろうとしているんじゃないかと私には思えます。

<文科省連絡会議>いじめ兆候の早期把握を要請 各教委に

 北海道滝川市と福岡県筑前町で児童、生徒がいじめを苦に自殺した問題で、文科省は19日、「都道府県・指定都市生徒指導担当課長緊急連絡会議」を開き、初等中等教育局長が「命を大切にする教育の充実に取り組んでいただきたい」と訴えた。また、いじめの兆候の早期把握などを求める通知を都道府県教育長らに出した。

(毎日新聞)

ここで「命の大切さ」という言葉が出いていて、ゲド戦記のCMで「命を大切にしない奴なんて大嫌いだ」みたいなのがしつこく流れて私などその安易さに不快感を感じたものですが、先日発売された「わしズム」で私の不快感を小林よしのりが見事に説明してくれています。別に頼んだわけでもないのですが。機会がありましたら読んでみてください。引用などはここではしませんんので。

教育においてもマスコミにおいても映画においても、何においても、戦争の反省から来るものなのか知りませんが、ひたすらに「命の大切さ」をくりかえし皆が唱え、そして皆の頭に刷り込まれてきたのが戦後の60年間でした。生命尊重主義、生命至上主義というやつです。

私には、その風潮に異議ととなえた人物として真っ先に三島由紀夫が連想されます。自衛隊市ヶ谷駐屯地を占拠した時に彼は「生命尊重のみで魂は死んでも良いのか?」と問うた後に、割腹自殺を遂げています。まさに、「生命以上の価値」の存在を示したわけです。

しかし、そうした三島の行動がまったく理解されず、「常軌を逸した行為」とか「狂気の沙汰」としか思われないほどに、戦後の日本では「命の大切さ」が最上の価値とされてきたのです。「人の命は地球より重い」と言った首相もいました。しかし、その結果はもたらされたのは、「生き方」に関する思考停止でした。

「命の大切さ」を言うだけではなく、「どのように生きるべきか」そして「どのように死ぬべきか」という二つの視点が完全に欠落しているのです。

生命というのは手段です。その手段の用い方を間違えば、それはもう尊くないのであって、たとえば、麻原ような人間の命など、これっぽっちも尊くないわけです。

「命そのものが最高に尊い」と言ってしまった瞬間に、「生き方によってはその命は尊くない」ことが忘れられ、ひたすら死なずに生きているのが最高だ、自分が生きるためには何をしたって良い、どんなにふしだらに自堕落に生きようが、命そのものが尊いのならそれで十分ということになってしまいます。

もっと生き方の質を問い、死の意味を考えることこそ大切だと私は思います。これについては、また別の機会にもっと書きたいと思います。

ところで上のニュースに戻りますと、滝川市の教育委員会も、いじめをなかなか認めなかったのは、上の話と同じく、いじめた側の子供を守ろうとしているのだと思います。この滝川市というのは私の出身地のごく近くの町なのですが、まあ北海道ですから戦後民主主義とサヨクヒューマニズムの聖地みたいになっていて、いかにもやりそうな土壌があると思います。

そこで、子供が自殺に追い込まれた親にしても、自分の子供を自殺に追い込んだ他の生徒たちを非難したいところが、教育委員会がいじめを認めないとなると、そういう非難もできないという事で、ごちゃごちゃしているというなら理解できます。

そうではなくて、最初の記事での話のように、いじめた当事者である生徒たちを糾弾できないから、糾弾しやすい教師や教育委員会と言った大人たちに怒りの矛先を向けることで憂さ晴らししているようなところがあるとしたら問題です。

もちろんいじめた子供達に何らかの罰や罪の意識を植え付けるような処理も必要なのかもしれませんが、まずはいじめの生じる原因を考えてみないといけないように思います。場合によってはいじめた子供の責任が問いにくい可能性もあるからです。

もしかしたら、現状ではどのような生徒であってもいじめる側にまわる可能性があり、いじめられる側にまわる可能性もあって、それを決めるのは偶然もしくは状況による可能性もあるという事です。

学校でのいじめというのが一体いつからあったのかわかりませんし、聞くところによるとかつての軍隊でもあったようですが、しかし今の小中学校でみられるいじめとかつてのそれとは、ずいぶんと異なるものなのではないでしょうか。

軍隊では階級がしっかりしていて、上官による下士官のいじめという構図ですが、今回の場合は対等で平等であるはずの同級生の間でのいじめですから。

しかも、昔の学校の教室というのは、それこそいろんな生徒や児童がごちゃまぜでしたし、ほとんど知恵遅れに近いようなのから優秀なのまで色々いましたが、最近は、わりと均質化していると思います。

実は、世の中がどんどんと平等になってくると、人々の平等化への不満がなくなるかと言うと実は逆で、まだ残る「微差」に対して過剰な不公平感や異質感を抱くということがあります。

ほとんど平等なのに、ほんのちょっとの差にたいして、著しく不公平感を募らせるというわけです。

それは学級においても同様のことが起こり、生徒間には大差なくなっているものの、その中に少しだけ人と違う生徒がいた場合に、その微差が著しく大きなものと皆が捉えるようになり、異物として排除されてしまうということが考えられないでしょうか。

そして、その排除を正当化するのが民主主義のイデオロギーです。底の浅い民主主義というのは単なる多数決のことでしかなく、この「底の浅い民主主義」が多数者による少数者の排除の論理として子供達の間にも定着し、いじめの正当化もしくはいじめの促進につながっているのだと思います。

今の学校では子供達にかなりの「自由」や「権利」が保障されて、教師の権限が制約されてしまっている事も、子供のいじめをエスカレートしやすくしています。教師から見ていじめに見えても、それを注意すると「ただふざけているだけだ」と言い逃れするでしょう。それを教師がさらにきびしく糾弾すれば、子供への人権侵害などと言われかねないのです。

そう考えると、学級における自由・平等・人権・民主主義の暴走が、深刻ないじめを産んでいると言って差し支えないように思います。

さらに言えば、それらを過剰に大切にしすぎた戦後日本の教育の、そのほとんどすべてが間違だったたと、すっぱり言っても差し支えないでしょう。

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sadatajpsadatajp 2006/10/20 10:08 私も似たような意見を書いてます。マッコイさんとは少々観点が違ってまして、それぞれに問うていい責任について書いてます。目を通してみて頂けたら幸いです。
http://d.hatena.ne.jp/sadatajp/
あと、今回のプログの中で一つだけ異議があります。いじめた子供に如何なる理由があったにせよいじめを行った以上その責任は負わせるべきと考えます。責任を取らせるといっても子供ですから叱るとか謝りに行かせるとかになるでしょうけど、ともかく理由の如何で罰を軽くすべきではないと考えます。現代ではなかなか賛同を得られない考え方だとは思うのですが、私はそう考えてます。

kat1999kat1999 2006/10/20 10:18 >「命そのものが最高に尊い」と言ってしまった瞬間に、「生き方によってはその命は尊くない」ことが忘れられ、ひたすら死なずに生きているのが最高だ、自分が生きるためには何をしたって良い、どんなにふしだらに自堕落に生きようが、命そのものが尊いのならそれで十分ということになってしまいます。

これに尽きると思います。命とは使うものだと。そしてそれは他者の為で無ければならないということを我々は散々教えられたはずです。

三島のくだりで言えば、彼の小説の中で、美とは行為か認識かという問いがあります。自信はありませんが、私は美とは行為であると信じています。

kat1999kat1999 2006/10/20 10:40 すみません。突発的に妙な書き込みをした気がします...。気持ちだけ受け取っていただければ幸いです。

rice_showerrice_shower 2006/10/20 11:11 仰るとおり。 いじめたガキ、そういう出来損ないのガキを育てた出来損ないの親こそ、その責任を真っ先に問われるべき。
教師の責任は、これとは別のphaseで、パラレルに同等に厳しく問われるべきでしょう。
もし出来損ないでない親が居て、「私の息子らに一義的な責任がある。教師と同罪だ」と名乗り出てくれれば、事はまともな方向へ修正されるかとも期待されますが、メディアの俗悪、低劣な様を目の当たりにすれば、恐ろしくて表にも出て来られないという要素もあるでしょう。

FKFK 2006/10/20 12:06 およそ恐ろしい議論を皆さんはしていると思います。
命とは貴方方ご自身のものであって誰のものでもない、だからこそ相手を大切にできるのです。行為とは何かをやることであって言葉を適当に遊ばないで下さい。一番の問題は恥の文化と責任転嫁です。最高に感じる高揚は自己そのものであって他者の者ではないのです。美とはその人にとっての美です。
日本的な道徳とか価値観は持ち合わせていない人間ですが、理解はできます。
夫婦喧嘩の元は90%過去の育ち経験に根っこがあるのはご存知ですか?

drmccoydrmccoy 2006/10/20 12:31 あまり時間がないので、とりあえずお一人にだけレスを・・・

>FKさん
>命とは貴方方ご自身のものであって誰のものでもない、だからこそ相手を大切にできるのです。

いやあ、それは違うでしょう。誰の命もみんな平等に大切だというのは、誰の命も危険にさらされていない平時にしか成り立たないきれいごとです。

たとえば、自分の命に執着してしまったら、相手の命より自分の命のほうが大切だからと言って相手を殺すことも状況によってはあり得ます。

自分の命が大切だから、相手の命も大切にできるというのは、まさに絵空事です。

さらに現実にはその逆の事として、自分の命よりも愛する家族の命のほうが大切だと思って自分の命を自ら投げ出して愛する人を助けるような状況だってあり得るのです。

「自分自身の命」よりも「他者の命を守るという価値」のほうが大切だという場合だってあるのです。

これはまあ自分の命と他者の命という、命どうしの比較ですが、その他にも、三島の例のように命がかならずしも最高の価値ではない事例など、いくらでもあります。

ちなみに、私は「命は大切ではない」とまでは言ってませんよ。手段として大切だとは思います。しかし最高位の価値ではない、それ以上の価値だってあり得ると言っているのです。

たかたか 2006/10/20 12:43 マッコイ博士のご議論におおむね賛成です。しかし自由、平等、人権などと規律、秩序、倫理、道徳などとは、やはりバランスをとって両方が必要なのではないかと思います。

議論の前提を崩そうとするわけではないのですが、この事件をTVなどで聞く範囲は、明白にいじめと言えないのではないかと思えるのです。
発端の学校を休んでエロサイトを見ていた、それを先生が言ってしまったこと。他の生徒に対して豚だのイチゴだの。
私が言いたいのはマスコミの報道姿勢のことですが、この先生が立派なことをしているとは言いません。しかし、上記のようなことは先生からのいじめに当たるのでしょうか? 自殺してしまったことを前提に考えると、とてもひどいことをしたように映りますが、自殺という前提がなければ、ひどい先生だ程度であって、ことさらに報道されるようなことではないと思えます。こういう先生はかなりの数いるんじゃないかと思います。

週間新潮にこの子の話が出てますが、「自殺当日にいじめっこの一人が机をバンバン叩いておまえ消えろと怒鳴った」このあとズボンを脱がされそうになります。常習的ないじめ集団があったのではないかと思わせます。しかし、そういうことはやはり生徒の責任が大であって、先生や学校を集中的に責める報道の態度はおかしいと思います。

Ma.wakizasiMa.wakizasi 2006/10/20 13:24 kat1999さん、卓見です。小林秀雄氏が「無常といふ事」で『‥美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない』と喝破いていましたね。花の美しさなんて夢見たいなことばっか言ってるから「命の大切さ‥」なんてノー天気なことが平気で言える「可笑しな人種」に麻痺してしまうのでしょう。

「子は親の鏡」、虐め(漢字はリアル)た餓鬼の親供が真っ当なはずがない。滅多なことじゃ「トンビは鷹を生まない」ですから。
それと前述の“虐め”じゃないけれど、“オヤジ狩り”、“援助交際”、“買春”、“いたずら”、“市民団体”、‥etc
どれもマスコミが創った【うすめ言葉】に異議を唱えず【勧善懲悪】的単純さに溜飲をさげる視聴者側もお互い様で痛み分けかもしれません。
勝ち負け、明暗、強弱、この単純なカテゴリーに分類されるほど人のいとなみは安っぽくはないはずなんですが‥。

FKFK 2006/10/20 14:08 誰かのために命を投げ出すことは貴方ご自身が美しいと思っているのであってそれは助けてくれたその相手にとって迷惑かもしれません。私が言いたいのは
誰かの為というのは所詮自分がそう思ったからだということです。どう判断するのかは残された人の自由です。我慢することが少なくなったから問題があるという意見は現在の生活面では恵まれた環境ではそう思います。親は子どものために働きも命も時には投げ出すでしょう。とにかく上っ面で感情でどっと動いていく日本人はよく物事を考えるべきですよ。私は母のあんたのためにというのは良い迷惑だったですね。それは自分の為だろうと言いたいところです。
恩着せがましいのは嫌いですね。私自身論理的じゃないけれど。

sakasaka 2006/10/20 15:07 >FKさん
あんたのために・・・って台詞がどの様な状況で言われたのかわかりませんが。
誰かが、自分の為に何かをしてくれたことに素直に感謝できないってのは悲しい事の様に感じます。
投げ出すのも、母親の言葉が自分の自己満足であったとしても、その人達が自分の為にしてくれた事はありがたいことなんじゃないでしょうか?

もちろん、見当はずれでありがた迷惑って事が無いとは言い切れませんけれど。

drmccoydrmccoy 2006/10/20 18:55 また時間が無いのでとりあえず一人だけ
>FKさん
>誰かのために命を投げ出すことは貴方ご自身が美しいと思っているのであってそれは助けてくれたその相手にとって迷惑かもしれません。

迷惑かもしれないような信頼関係の無い相手のために命を投げ出すアホはいませんよ。勝手に話をそらさないでください。

というか、もうあんたの言っていることは滅茶苦茶で話になりませんし、あまりに自分勝手に論点をそらしすぎです。それこそ敬語でレスするのも腹が立つくらい滅茶苦茶です。面罵してやりたいくらい滅茶苦茶です。

私も暇じゃないので、レスするのもアホらしい独りよがりな書き込みはやめてください。

少なくとも一つだけはっきりしているのは、あなたのような人間相手に命をなげだそうなんて、仮に母親であっても決してそう思うことは絶対にあり得ませんよ。だから安心してください。

DBGTSPDBGTSP 2006/10/20 19:15 私も同じような事を考えていました。一番責任があるのは
虐めていた生徒達。そしてその親。担任であった先生にも責任の一端はあるとは思います。わたしも戦後の教育のそのほとんどが間違っていたと考えざるを得ないです。
平等とは確かに素晴らしいですよ。美しい言葉かもしれません。しかし
「対等」ではないのです。親と子、教師と生徒、先輩と後輩、など対等ではないのです。それを平等=対等と考えたら叱ったり説教したりできなくなる。(聞き入れなくなる)権利には義務が、自由には責任がついてまわるという当然のことをあまりに
置き去りにして、すっぽり抜け落ちてしまったのではないでしょうか。
「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉すら聞いた事も無い子が多いのでしょう。
父母には孝行、夫婦和して、兄弟仲良く、友達同士信じあう
それが教育勅語の中の精神です。何か間違いがあるだろうか。
まずは感謝すると言う気持ちも具体的な話の中で言って聞かせる必要があるのです。
そして今回の場合、虐めた連中には徹底的に自分等のしたことに向き合わせ
謝罪と反省(そんなものではすまないのだが)をさせねばならんだろう。
それこそが教育だ。なんでも誰かのせいにして恥とも感じなくなってしまった連中には
厳しさこそが愛情だ。私は甘やかしを憎む。我が子さえ良ければと、身勝手になる親を
軽蔑する。マスコミも叩きやすいとこばかりいってるんじゃねえよ。
いつもそうだ。うんざりだ。感情的になってしまいました。すいません。
私も親には苦労させられましたが、今では恨んでない。恩にきせられても良いんだヨ。
誰かのために生きられるのって、本当に自分でも思わぬ力が出るもんだ。
自分だけのために生きてるうちは本当の人生を生きてないんだよ。

hicohico 2006/10/20 20:09 私もゲド戦記の「命を粗末にするやつはきらいだ」というセリフCMで聞くたびに嫌悪感を感じていました。
サヨクが日米安保破棄しろといって、じゃあ他国が攻めてきたらどうするのか?の問いに「植民地になればいい。戦争して大勢の人が死ぬよりましだ」と言っているから、子供にもその考えを押し付けようとしてるのかな。
マスコミは最近めちゃくちゃ変。いじめで死んだ子は本当にかわいそうだが、司会者が感情むき出し泣きじゃくって加害者とされる教師を罵倒するのはいかがなものか?

自殺したらみんなが同情してくれてマスコミが敵を取ってくれるなんて報道では、子供は連鎖自殺してしまう。

制限速度@%増し制限速度@%増し 2006/10/20 20:53 例の自殺騒ぎを無理やり在日差別に結びつけるおバカさん発見

ttp://www.koreanthe3rd.jp
自殺に思うこと

子どもの自殺の事件が報道されると胸が痛む。
ぼくも子どものころ、いじめられていたからだ。ぼくは在日3世の朝鮮人で、
10歳まで自分を日本人だと勘違いしていた。
だれかに言われたのか、自分で気がついたのかは覚えていないが、自分が在日だったのに
日本人なんかに思い違いをしていたことにひどくショックを受けたのは覚えている。
それと同時にひどいいじめにあった。
在日であることをエサに、同じクラスにいた何人もの日本人にいじめられた。
(中略)
幸いにも、成人してからは多くの同胞の助けもあり自分を在日として誇りある生活を送れるようになった。
帰化はしたがこれは政治的な活動を行いやすくするためであり、その心は在日として不動のものだと思っている。
今までのささやかではあるが、なんらかの実を結んでいると信じたい今までの活動を書籍にまとめた。
11月2日、オークラ出版から発売予定(1000円)。
オークラなだけにオクラ入り、なんてことはないのでご安心を(笑)

kat1999kat1999 2006/10/20 22:54 >Ma.wakizasi さん
卓見。大変恥ずかしながら辞書を引きました(汗)。「無常といふ事」も是非読んでみたいと思います。ありがとうございました。「虐め」真っ当ですね。私もこれからそう記すことにします。

hayasthayast 2006/10/20 23:13 ども、はじめまして。
自分とこでも最近の「いじめ」に関するエントリ書こうと思ってましたが、殆んど代弁されてます。ある意味残念ですがw
平等の恐さというか、自殺した子は当然かわいそうだが、苛め殺した子供もまた守るべき、みたいな子供(子ども?)=弱者を等式化し、子どもであればとにかく庇護すべしという風潮は正常じゃないですよ。そも、昔は今以上に子供が犠牲になった事件や少年犯罪があったわけですから、気持ち悪い(いじめを誘発した教師は問題外ですけど)。

あと、「命の大切さ」なんかもフィーリング似てます。
たとえが適当かどうかわかりませんが、人が仕事をするのは「生きるため」「金のため」だけにしているだけではないのです。何かそれ以外の価値を求めているからです(当然、そこに希望を持ち続けたり、失望したりするわけですが)。
「命は何より大切」ってのは、否定しませんが「拝金主義」とたいして変わらない気がしますが、世の中「拝金主義」の方は叩かれやすいんですよねえ。

あと、私の故郷も「滝川市」の近くです。どうでもいいことですけど。長々と拙文すいませんでした。

hayasthayast 2006/10/20 23:13 ども、はじめまして。
自分とこでも最近の「いじめ」に関するエントリ書こうと思ってましたが、殆んど代弁されてます。ある意味残念ですがw
平等の恐さというか、自殺した子は当然かわいそうだが、苛め殺した子供もまた守るべき、みたいな子供(子ども?)=弱者を等式化し、子どもであればとにかく庇護すべしという風潮は正常じゃないですよ。そも、昔は今以上に子供が犠牲になった事件や少年犯罪があったわけですから、気持ち悪い(いじめを誘発した教師は問題外ですけど)。

あと、「命の大切さ」なんかもフィーリング似てます。
たとえが適当かどうかわかりませんが、人が仕事をするのは「生きるため」「金のため」だけにしているだけではないのです。何かそれ以外の価値を求めているからです(当然、そこに希望を持ち続けたり、失望したりするわけですが)。
「命は何より大切」ってのは、否定しませんが「拝金主義」とたいして変わらない気がしますが、世の中「拝金主義」の方は叩かれやすいんですよねえ。

あと、私の故郷も「滝川市」の近くです。どうでもいいことですけど。長々と拙文すいませんでした。

kunikuni 2006/10/20 23:48 命の問題は、深く、簡単には結論は出ないでしょうが、言葉の使い方に、一つの考え方があるのではと思っています。
コメントされる方々も命という言葉を使われていますが、これを肉体と言い換えてみて、自分の考えの整理してみるのも、異なる視点からの考えとして重要な方法かと思います。
世界宗教は、すべて人間を、魂と肉体にわけて考え、当然肉体の存在より、魂の存在を重要視します。
と言うより、肉体は無くなっても、魂は神よりいただいだ、永遠不滅のものですから、そちらを大事にするのは当然のことです。
ですから、いじめも、たしかに問題ですが、より大きな問題は、たかが同級生や先生にいじめられたからといって、自殺してしまうようなことが許されてしまう社会のほうがもっと問題です。
キリスト教社会では、自殺は無条件に悪とされています。
それは、神様からいただいた、人生を無為に捨ててしまう行為だからです。
私は、いじめの原因や、その対策を考えるより、そんなくだらない人間の行為を気にするより、あなたに対して期待してくださっている、神(天)や親の期待に応えるだけの努力をすることをその子供に話してあげるべきだと思います。
自殺した子供に過剰の哀れみをかけることは、同じような悩みをもつ子供たちに、自殺すれば、こんなに世間が同情してくれるのだという、間違ったメッセージを与えることになります。
自殺はいかなる理由があろうと、明白な責任逃れであることを、子供達に教えるべきです。
異論があることは承知で、あえて苦言を呈します。

I11I11 2006/10/21 01:02 id:drmccoyさんに質問。記事中に「無記名で行ったアンケート」としっかり書いてある点については一切触れないまま、「生徒へのアンケートの結果をどうして無批判に信じてしまうのか」などという具にもつかない疑問を呈しているあなた自身のおかしな態度のおかしさについて、あなたが無自覚でいられるのはなぜなのでしょうか? id:drmccoyさん、あなたはアンケートに対して疑問を呈していながら、「いじめた生徒たちが一番悪いに決まっています」などとアンケートがあたかも絶対に正確であるような前提で結論だけを短絡的に結び付ける自己矛盾に気づいていないのはなぜなのでしょうか? 教師の生徒に対する態度がいじめの発生のきっかけになっていた事実が明らかになっていたことはご存じないのでしょうか? その事実を知っていたのであれば、なぜ教師を弁護し、生徒を執拗に攻撃したがるのでしょうか? いじめた生徒に対するid:drmccoyさんの攻撃姿勢こそがid:drmccoyさん自身が述べておられるところの「一番叩きやすい相手を叩いて正義の味方か救世主にでもなったつもりになりやり場のない怒りをいじめっ子に向けることで憂さ晴らししようとしている」態度と重なっていることに、id:drmccoyさんが無自覚なのはなぜなのでしょうか? id:drmccoyさん自身の中にある自己矛盾が、反論できないいじめっ子に対して向けられ、あげくの果てにはなんの関連性も無い民主主義に対する憎悪となって噴出しているのはなぜなのか、知りたいと思います。

drmccoydrmccoy 2006/10/23 10:31 無記名でおこなったアンケートだから信用できるとはどうして言えるのか、私は逆に無記名だから余計に信用ならないと言っているんですよ。

無記名だったら、でたらめも好き勝手も書けるでしょう。専門家とかプロが子供を一人一人みっちり尋問しなければ本当のことは出てこないに決まっています。

それにしても、教師など私は弁護した覚えはなく、いじめた子供にも責任があると言っているわけですが、教師以外に責任を問うと教師を弁護したことになるという「111」の論理には付いて行けませんね。もうすこし知能を補充してから来てください。あなたもFKなみですね。

まことまこと 2006/10/24 04:30  マッコイ博士、今回のエントリー
>『いじめを産む「自由・平等・人権・民主主義」』はすごいですね!その表題に全ての事が入ってますよ。これは全国紙の社説にしたいですよ。稀に見る名文と思います!私の頭の中もすっきりしました。

 今後とも頑張って下さい!応援しています。

drmccoydrmccoy 2006/10/24 09:50 まことさん、もったいないお言葉ありがとうございます。

こういう紛糾しそうなエントリーを書くと、不愉快なコメントも多いですが、賛同してくださる方も結構いるので、うれしい事です。

やまやま 2006/10/24 12:12 ちょっと、ひっかかったトコだけ。「平等」になっても、まだ残る「微差」に対して過剰な不公平感や異質感を抱くということがあります云々。 基本的には賛成です。ただ、基本的に人は「平等」を好まないのだと思います。それが基本原理だと。「微差」をプラス的に解消するのならば、イジメは発生しませんよね。マイナス方向に持ってゆく、言い換えると「増幅」しているのだと思います。自分が「下」になるのはイヤだけど、「上」にいる分は問題ないのです。「同」だったら・・・相手を落とすでしょ。「微差」はそのきっかけです。「平等」という概念をもう一度考え直す時期になってきているように思います。・・・考えが深くなくて申し訳ありません。 今後も拝見させていただきます。

ハンディ12ハンディ12 2006/10/25 08:01 おはようございます
まことさんに同感です
マッコイ博士の過去ログをいまから拝読して投稿なりメールさしあげます
http://www.geocities.jp/qrkkj727/

drmccoydrmccoy 2006/10/25 10:33 >やまさん
平等については色々と考えなければならないのはその通りですね。格差ばかりが言われ、中間層の破壊が問題だということもなかなか浸透していないように思います。話がちょっと変わるので、この事についてはまた書きたいと思います。

>ハンディ12さん
これまたもったいないお言葉ありがとうございます。