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2006-10-21
土日と旅行に行きますので、たぶん前のエントリーのレスや次の更新などは月曜以降になる予定です。すみません。
ところで、今日は、ふと思ったこと2つほどを書き留めておきたいと思います。
■[社会] 金儲けは善か悪か
ずいぶん前にテレビのある番組で「金儲けは善か悪か」という問いを発してパネラーが答えていたが、私はまずこの質問が馬鹿げていると思った。
金儲けというのは手段である。手段の善し悪しは状況によってかわる。
「包丁で切る」という行為は料理のために魚や野菜に対して用いられるのであれば、それは善であるが、人を刺すために使われれば悪にもなる。
金儲けだって、家族や社員たちをやしなうため、とか社会人として自立した生活をするためとか、納税の義務を果たすためとかいう目的のために、まじめに働いてまっとうな手段で金を稼ぐというなら善に決まっている。
そしてたとえば暴力団が活動資金を得るための金儲けなら合法的な手段であってもその金儲けは善とは言えないし、またいくら家族をやしなうためと言っても詐欺的行為や非道徳的手段によって金儲けをするなら、それは悪にもなる。
このように、善か悪かは目的と方法、つまり状況によって変わってくるものなのに、そうした状況設定を一切抜きにしていきなり「金儲けは善か悪か」と問うのは、じつに馬鹿げたことだ。
それはおそらく、金銭を得る行為というのが本来は「他の目的のための手段」にすぎないという事が忘れられ、金儲けそのものが目的となってしまう、つまり手段をいつのまにか目的にしてしまう事から生じているのだろう。「目的」ならば前提なしに善悪の判断が可能であるから。
何が言いたいかと言うと、本来手段であるものを目的としてしまう事でさまざまな歪みがあらわれるという事で、これは「命」についてもあてはまる事だと思う。
そう、つまり昨日のエントリーの続きの話が言いたいわけで、生命も手段だということ。生命の価値とはあくまでも手段んとしての価値であって、生きて何をするかによってその命は尊くなることも有れば、卑しくなることもあるのだ、ということだろう。
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■[雑感] テレビで見かけた変な女
水曜日の夜、ココリコの番組を見ていたら、アメリカ育ち(?)らしい元ミスユニバース日本代表か何かの若い女優?が、恋愛について語っていて、自分と料理を一緒に作らない男が許せないんだそうだ。
その理由が、たとえば「自分は料理が苦手だから一緒に手伝って欲しい」とか言うならまだわかるが、そうじゃなくて、「相手とは何事もフィフティ・フィフティでいたいから」、つまり「自分が作って相手が食べるのではなく、一緒に作って一緒に食べるんでなけりゃ、対等じゃない」みたいな意味のことを平然と言ってのけた。
何とドライで打算的で気色の悪いことを言う女だろうか。
別に料理は作ってあげても他の事でお返ししてもらえば良いじゃないか。
というか、そもそも相手とはフィフティ・フィフティというのは、ようするに、自分がしてあげたのと同じくらいの事が相手から返ってこないと気が済まない、自分は相手がしてくれたこと以上のことを相手に対してするつもりは無い、そんなのはバカらしいということだろう。
もちろん人間にはそういう打算があって当然だが、ビジネスの相手じゃない、恋愛関係にある相手との話なのに、まるで契約関係のようにフィフティ・フィフティでいたいなどと平然と言ってのける女がいるとはびっくりだ。それは果たして恋愛関係と言えるのか?
愛している相手には自分がしてもらった以上のことをしてあげたいと、私自身はぜんぜん実行出来ていないが、気持ちとしてはそれくらいの心構えでお互いが行動すればこそ、結果としてフィフティー・フィフティーになるんじゃないか。
自分がこれだけして、さあ相手から同じくらいの事が返ってくるかなあとか考えたり、相手がこれくらいの事しかしてくれないから自分はそれ以上の事はしないのだ、などと考えていたのだったら、その関係はどんどんとしぼんで行くに決まっているだろう。
だから、最初から「フィフティー・フィフティー」を目指すというのは、打算的で計算高いように思うが、よく考えると計算能力すら無い、ただのバカだとわかる。
まあそういうのをカッコイイと勘違いしているのかもしれないが。何か「自分は外国育ちだからそういうのがイイ」みたいな事も言っていたが、それが外国人の基準だと思っているんならバカ丸出しだし外国人対して失礼だろう。そんな打算的な外国人など、むしろ例外のはずだ。
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