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2006-10-28
■[社会] 「頑張った人が報われる社会」とは?
どうも最近、「頑張った人が報われる社会」という言葉の誤用が目に付くような気がします。先日の補欠選挙でも、自民党の候補が「格差拡大」への反論としてこの言葉を言っていましたし、去年の郵政選挙の時も、武部・竹中といった人たちがホリエモンを持ち上げて、あたかもホリエモンが頑張って報われた人の代表であるかのようにして、同じ事を言っていました。
しかし、本当にそうでしょうか?少し抽象的で大雑把な話になりますが、ここらあたりをちょっと考えてみたいと思います。
どうもネオリベ路線支持者、新自由主義の信奉者といいますか、市場原理主義者たちは「頑張った人が報われる」ためには「自由な競争」が大切だと言いたいのだと思います。しかし私はそれは間違っていると思います。
「自由な競争」ではなく「公正な競争」が大切なのだろうと思うわけです。
完全に自由な競争では、強い者も弱い者も同じ土俵で闘わなければならず、また勝てば勝つほど、金も情報もどんどん集中してゆき、勝ったものは勝ち続け、負けたものはずーっと負け続けます。
その結果、ごく一握りの勝者と圧倒的多数の敗者に分かれることになるでしょう。そのあとは、恵まれた立場に立てた人とそうでない人にわかれてしまいます。ようするに二極化するわけです。
そこで再チャレンジなんて言っていますが、二極化した社会では、恵まれた立場にある者以外は、最初からハンデを背負っている、というか恵まれた立場に立った側が圧倒的に有利なのですから、いくら努力したところで、競争などそもそも成り立つわけが無く、再チャレンジする側には最初から勝ち目など無いという状態になっているわけです。
そこで「機会の平等」を考えようとすれば、圧倒的強者にたいしてはなんらかのハンデを加えたり(累進課税とか大規模店舗の出店規制とか)、あとはたとえば柔道やボクシングの階級制のように、一方的な弱肉強食の状態にならないような、公正な勝負ができるような配慮が必要になってくるわけです。
「自由な競争」では大人も子供も同じ土俵で戦わされるのです。これはフェア(公正)とは言えません。卑怯でしょう。
大人と子供が競争するようなアンフェアはやめて、競争するのなら、大人は大人同士で、そして子供は子供どうしで公正なルールに則ってそれぞれ別の土俵でやるのでなければ、単なる野獣の如き弱肉強食、優勝劣敗、酷薄な社会になってしまうわけです。
だいたい、なんでもかんでも無理矢理戦わせて勝敗を決める必要などそもそもなく、場合によっては、お互いがお互いのなわばりを守って共存するほうが良い場合だってあります。
競争がまったくないのも問題ですが、誰彼かまわずとにかく競争しろというのもおかしいのです。
競争については、今の教育では「自由な競争」とはちょうど対極のこれまた極端な「平等主義」が蔓延しています。これもおかしいことです。今の学校では運動会で子供達をみんな同時にゴールさせたりとか過剰な平等教育をやっているわけです。
学校でそんな極端な平等を子供達に仕込んでおいて、社会に出た瞬間に自由競争だと言って1年生が6年生とが競争させられ、負けても負けても再チャレンジだと尻を叩かれる極端な世の中になりつつあるわけです。
どっちもおかしいと思います。「自由」や「平等」というのは、わかりやすいイデオロギーですが、わかりやすいものには、不正確さや矛盾が多く含まれるのです。小泉首相のワンフレーズしかりです。
そもそも「自由」と「平等」は相反するイデオロギーです。このような「わかりやすい」イデオロギーに飛びつくから、その場その場で両極端のどちらかに偏ってしまうのでしょう。そこで競争に関して「自由」と「平等」の矛盾を調整可能な「公正」という価値基準が重要になってくるのだと思います。
それから、話をもどして、もう一つ「頑張った人が報われる社会」のための条件は何かと言うと、「安定した社会」でなければならないことでしょう。
むやみやたらと人々の価値観や制度や物価がコロコロと変動すると、頑張ったかどうかとは関係なく、価値観や制度の変化の抜け穴をうまく付いた奴とか、たまたまラッキーなだけのやつがトクをして、努力した人が報われない社会になってしまうのです。
価値観や制度が急激に変化すると、法律が追いつかなくなります。法律というのは制定されるまでに時間がかかりますから、どうしても社会の変化にたいして後追いになってしまい、そこに隙ができます。その隙をついて、要領が良いだけの奴が卑劣な手段で金儲けをすることができるということも出てくるのです。それがホリエモンとか村上ファンドなんじゃないかと。
また、バブル崩壊のように物価や経済が激変すると、それまでコツコツ頑張って貯めた金でようやく買ったマンションが暴落したり、逆にバブル崩壊直前にたまたま売ったマンションがその後に急落したから再度買い戻して差額で大もうけしたりなど、努力と何の関係もないところで報われたり報われなかったりすることになるわけです。
だから社会の制度と経済の両面で安定しているということが重要だと思います。
ところが今やっているのは、とにかく改革だ改革だと言って制度を急激に変化させ、またとにかく規制緩和だとやたらめったら自由化させることを急激に進めています。制度の変化がはげしく規制が甘くなった社会はその穴をついた不法がはびこるわけです。ライブドアの偽装会計、村上ファンドや日銀総裁のインサイダー、姉歯やヒューザーの偽装設計などなど。
コツコツ頑張ってもルールが突然変わったり社会の価値観が急にかわったりしたのでは、とても報われないでしょう。
そのむくわれない社会を作っている張本人たちが、ヒルズ族のように結果的に成功しただけの人たちを持ち上げて、「頑張った人がむくわれる社会」などと言うのを聞くと、人をバカにするのにもほどがあるんじゃないかと言いたくなります。
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