Dr.マッコイの非論理的な世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2006-10-31

[] 造反議員復党の前に自民党は反省すべき

郵政造反議員の復党問題が取りざたされていますが、せっかくの機会ですから、これをチャンスにして自民党も先の選挙の滅茶苦茶な手法を反省してくれれば良いものの、ますますその路線を突進する道を選ぶのでしょう。残念なことです。

まず、造反組を産んだあの選挙はなぜおかしかったかと言うと、郵政民営化という一つの法案の是非を問うために解散総選挙を行った点です。これについては今までに何度か書いていますが、下でまた書きます。

次に、ただ一つの法案に反対しただけで党を追い出されたという点もおかしいです。これは深刻な矛盾をかかえています。でもこれは自民党内部の問題ですから、本来私のような部外者がどうこう言う話ではないのですが、

自民党というのは、根本理念すら違う公明党と連立を組んでべったりしているほどであり、内部には左派から右派までごちゃまぜであるのは民主党に負けず劣らずで、かなりのバリエーションに富んでいます。だから、一つの政策でいちいち排除していたら、自民党はものすごいちっちゃい党になってしまいます。

造反組の排除の背景には、この数年で政治が党主導から内閣主導にかわり、内閣を支える党執行部の権力が強烈に強まったことがあるわけです。つまり自民党が中央集権的になったことがあげられます。

依存症の独り言氏などは、こうした自民党の変化を手放しに進歩と見ているようですが、それはやっぱり脳天気というものです。変化=進歩という勘違いがここにも見られます。

たしかに中央集権化すれば権力が集中して意志決定が反映されやすくなるでしょう。しかし、同時に何事も少数者の判断に委ねられてしまうわけです。少数の者が独善的に決めれば決めるほど、間違えを起こす可能性は高まります。

議会が首相を指名する議院内閣制というのはただでさえ内閣が強大な権限を持っているのです。議会と完全に権力が分立している大統領とはくらべものにならないのです。

そして、権力が集中すれば、異議を唱える者を排除しやすくもなるわけです。しかし、その異議のなかには、全てとまでは言いませんが、少なくとも一部には党執行部が謙虚に耳を傾けておくべきまともな意見だってあるかもしれないのです。

郵政造反議員というのは(もちろん全員がそうだとまでは言いませんが)、彼らの中にはあきらかに法案の不備を指摘したり、法案の根本的な部分で皆が聞いておくべき意見を言っていたり、もっとしっかり議論しておくべきだという姿勢を問うている議員もいました。

党議拘束がかけられていたにもかかわらず反対したというのは並大抵のことではありません。彼らはもっと議論せよと言っていたのです。

しかし、彼らを抵抗勢力と言って敵にしてしまい、切り捨てることで国民の支持は得られたわけですが、私には大切なものが台無しにされたように感じられます。

まず、ああまでして反対を訴えた議員たちに対する国民の目でした。なんだか「空気の読めない間抜けな奴」という評価でした。

最近の日本人はおかしくなっています。言うべき事を言わず、巧妙に空気を読んで勝ち馬に乗ろうとする卑怯者を「したたか」と言って支持し、愚直に意見を訴えた議員を「空気の読めない間抜けな奴」と捉えているようです。このとらえ方には私は全く同意できません。

自民党の議員の中には、「ちょっとこの法案はおかしいけれども、小泉さんがあそこまで言っていて、彼は本気で解散するつもりだから、ここはとりあえずやりたいようにやらせて法案を通しておいて、後で修正なりなんなりすれば良い」という、空気を読んで勝ち馬側についた議員もいたのですが(片山虎之助がTVタックルでこのような発言を選挙後にしていた)、そういう保身ばかりで卑劣な議員のほうが有能であり、そんな事もわからず反対を投じた議員は間抜けだみたいな風潮には猛烈な違和感を感じました。

ここまで日本人のレベルが劣化しているとは・・・。

それから、話を最初にもどして、郵政民営化という一つの法案の是非を問うために解散総選挙を行った事が最大の過ちだと言いましたが、それはどういう事かと言いますと、まあ今までも何度も書いていますが、だいたい以下のような事です。

まず、国民に政策の是非の判断を直接委ねても、国民はその政策の中身について詳しく勉強して政策そのものの是非について判定を下すということは、能力的にも時間的にも不可能なことで、結局はマスコミ報道を中心とした表面的な情報から判断することになるでしょう。

まあそれくらいでも勉強して仕入れた情報から自分で判断しようとするならばまだ良いほうで、実際にはその政策を訴える政治家の姿勢に最大に共鳴して是非を判断する人のほうが多いように思います。

私は郵政解散でその事が証明されてしまったのだと思います。つまり、小泉首相があれだけ信念を示してどうしても郵政民営化が必要だと愚直に訴え続けたから、その中身についてはよくわからないものの、その姿勢に共鳴して国民が支持したのだという事です。

この文章を読んくださっている方は「いや、私は違う」とおっしゃるでしょうが、それはそうです。政治ブログなんか読んでいる人はもっと意識が高いでしょうから。あくまで、日常の仕事や家事で忙しく、ワイドショーとか週刊誌や新聞の見出し、ニュースキャスターの言葉などから政治を判断するような人たちの話を今しているのです。

そして、そういう人が圧倒的多数なのです。おそらく無党派層に限らず、大半の有権者がそうでしょう。

小泉首相はそういう有権者たちに、直接郵政民営化法案の是非を問うてしまったのです。

この姿勢、国民に直接訴えかける政治姿勢を見て、「国民のほうを向いてくれた」と評価するのはあまりに脳天気すぎます。私はこれは実に危険な事だと思います。

もし小泉首相の判断が間違っていたとするならばどうでしょうか?法案の作成をかなり急いで前例のないほど委員会をごり押しで通して必要な議論をかなりはしょったりしていたわけですが、その結果として中身に細かい不備などたくさんあるとしたらでしょうか。

国民はそこまで見ていたでしょうか。いや、むしろそういうところに目が行かないうちに法案を通すためにああいう強引な手法を取ったとすら言えるのではないでしょうか?

上でも書いた通り、少数者が独善的に物事を決めれば決めるほど、間違いが多くなります。でも法案の是非や細かい不備などを問うのは、国会の場ですから、そこで十分に議論が尽くされればまだギリギリ大丈夫かと思われます。

しかし、その国会での議論を不十分なまま打ち切り、あそこまで強引にやったのは何故か。考えれば考えるほど不安になります。

民主主義は最終的に多数決に委ねる制度ですが、まともな民主主義は単なる国民の多数決ではありません。

多数の側がいつも正しいとは限らず、間違えることもあります。判断するの多数の人間が素人であるならなおさらです。ですから、多数が間違えるリスクをなるべく低く抑える必要があります。そのための「議会制民主主義」なのです。

議会制民主主義における「多数の側が間違える可能性」を低く抑えるための機能には二つあって、一つはある程度専門知識と法案作成能力を持ったプロ(=国会議員)に委ねるということです。素人がなんでもかんでも「国民投票」みたいにして決めてしまわない、直接民主制より間接民主制のほうがマシだということです。

そしてそのプロである国会議員が最終的に多数決で決めるわけですが、もう一つの機能として、決を取る前に「十分に議論する」ことが必要なのです。議論することによって間違いが浮き彫りにされ修正される可能性も出てくるのです。その議論の場が国会なのです。

先の郵政民営化を問う選挙は、民主主義において絶対に守られなければならないこの二つのバックアップ機能を破壊するものでした。議会制民主主義の死と言っても良いかもしれません。

小泉首相はこの制度を麻痺させたわけです。そのやり方は、郵政民営化法案そのものの是非とは別にして、反則技だったと思います。議会制民主主義の否定につながったのです。この過ちは二度と繰り返してはいけないと思います。

仮に国民投票よって決めなければならないような案件があるというなら、やはり国民投票法を制定してやるべきで、そのようなルールの下で国民投票がなされるならまだしも、衆議院選挙を国民投票のように利用するのは、やはり問題だと思います。

本当の国民投票であるなら、是非が問われるのはその法案のみですが、あのようなやり方をすれば、ただ一つの政策に関する賛否によって他の政策がほぼ自動的に決められてしまうことにもなりかねません。

さらに問題なのは、たった一つの法案や、首相のキャラクター、党の政策のみに目を奪われて、それだけを基準にして投票してしまえば、例えば小泉チルドレンという箸にも棒にもかからないようなジャンク議員たちを大量に生み出して国会議員の質の低下という深刻な問題を生みだしてしまうのです。

その点、やはり小選挙区比例代表制という選挙制度にも問題があるように思います。やはり自分たちの代表として人格的にも能力的にも力を十分に備えていると思われる候補を見極めて投票すべきところが、比例代表だとまずそんな事はできませんし、小選挙区では自民党か民主党かどっちにの候補に入れるのかということになってしまい、候補者個人の国会議員としての資質を問うという姿勢がかすんでしまいがちです。

話がちょっとそれてしまいましたが、郵政造反議員の復党問題を議論するまえに、自民党執行部はまず先の選挙手法について深く反省することが必要です。

ああいう手法を取ることによって、自民党は勝利しましたが、それよりももっと大切なこと、まともな民主主義を担保する「議会制民主主義の軽視」という悪しき風潮を産んでしまいました。

ああいう解散総選挙は過去の汚点としてしっかりと反省し、二度とああいうことはしないと硬く誓うことが郵政造反組の復党の前にしっかりと議論されなければならないことです。

それができない自民党ならば、国民もろとも落ちぶれてゆくに違いありません。その予兆が、タイゾーとかシカみたいなどうにもならないジャンク議員たちです。

ああいう選挙を繰り返しているうちに、政治家どころか政治屋ですらないようなクズ議員たちが自民党にどんどんと増えて、信念と自覚を持った議員が排除されて行くことでしょう。

郵政造反議員の代表である平沼氏は、どうも落選議員らが政党助成金なども受け取れずに生きるか死ぬかの逼迫した状態にあることを見かねて、復党問題を急いでいるようで、それはわからなくもないのですが、やはりあの選挙の問題点を自民党の側にしっかり認識させ、何らかの反省を促すことができないうちは、復党を急ぐべきではないと思います。

平沼氏の側から頭をさげて復党させてくださいとお願いするのは、自民党にも平沼氏にも、そして国民にとっても百害あって一利なしです。

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