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2006-11-01

[] 「拉致と核」と「靖国」

あまり幅広いテーマを取り上げるよりも、一つのことを深く考えるほうが好きなのですが、でももう少し世の中の流れもおさえておきたいと思いましたので、備忘もかねて、記事の引用に一言二言だけ手短に。

そういえば、最近「特亜ネタが無いけれど何故!?」みたいなメッセージをいただきましたが、その答えは、「ウンコにさわるとウンコがつく」からです。なんちゃって。まあ他の皆さんが十分書いているから私はもう少し別の事を書いたほうが良いかなと、時間もそんなにないしということです。ご了承ください。

  • 北朝鮮、六カ国協議へ復帰

6か国協議再開後も北への制裁継続、米大統領が明言

とりあえず北朝鮮の六カ国協議復帰という事みたいで、無条件で復帰させたのは良いと思うのですが、六カ国協議の場でもし北朝鮮が核問題で妥協してきたらどうなるのでしょうか。

アメリカは金融制裁を解除するということになり、国際社会もその流れに追随するのかもしれません。そうなった場合に、日本は核問題の他にも拉致問題を抱えているわけであり、その時に一体どのような行動を取るのか心配です。


  • 秋の例大祭、首相も閣僚も参拝なし

どこのブログでもあまり取り上げていなかったようですし、色々とあって私も忘れかけていましたが、これは忘れてはいけない問題だと思い、書いておきたいと思います。

靖国神社例大祭終了、安倍首相は参拝せず

 靖国神社の秋の例大祭が20日終了し、安倍首相は例大祭中の参拝を見送った。

 首相は就任前、靖国参拝について「大切なのは何年も連続して参拝することだ」などと主張。特に春秋の例大祭に参拝すべきだとの考えを示していたが、中国、韓国両国への配慮から参拝を避けたと見られる。

(2006年10月20日20時35分 読売新聞)

秋季例大祭に合わせ、超党派の会84人が靖国神社参拝

 超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長=瓦力・元防衛長官)のメンバー計84人が18日朝、東京・九段北の靖国神社を参拝した。

 閣僚はいなかったが、山谷えり子首相補佐官のほか、田村憲久総務副大臣、木村隆秀防衛副長官の副大臣2人と、河合常則総務政務官、奥野信亮法務政務官ら政務官5人が参加した。

 17日から始まった神社の秋季例大祭に合わせた恒例行事で、衆院議員53人、参院議員31人が参拝した。

 内訳は自民党75人、民主党1人、国民新党3人、無所属5人。秘書らが代理で参拝したのは衆院70人、参院20人だった。

(2006年10月18日10時17分 読売新聞)

たしか三木首相の頃までは、例大祭での首相による靖国参拝はあたりまえの事だったのに、日本もずいぶんと変わってしまったようです。

ホント、バタバタしていて、村山談話河野談話とかその他で手一杯でしたが、とりあえずこの秋の例大祭には、閣僚もいなかった、閣僚のなかには、例大祭には欠かさず参拝されていた人もいるのでしょうが、そういう人も参拝しなかったということのようです。安倍首相も、首相になる前はそうだったのではないかと思います(正確には知りません)。だとしたら残念ですね。

安倍首相は任期中に1回だけ参拝するという裏での取り決めを中国としているんじゃないかと言っている人もいましたが、そういう真偽の分からない話は別にしても、「行くとか行かないとか、行ったとか行かなかったとか言わない」という安倍首相の「あいまい戦術(?)」も私には理解不能ですね。

対中国を考えると、裏取引みたいのが無いとすれば、あいまい戦術は首相が参拝したとたんに崩れてしまうものですから、当面の時間稼ぎにしかならないものです。

それから、「行くとか行ったとか言わない」というのも、小泉首相の「個人の自由」に近い発想で、とても公的な立場が優先される首相の発言とは思えないものです。

首相の靖国参拝は公的な気持ちから出てくるものです。そのような気持ちを忘れて私的な感情だけで参拝するしないを言う(言わない)というのでは、何かが忘れ去られているように感じられます。

首相たるもの、国家の建設に功績のあった人たちや戦没者たちの英霊に感謝しなければならない、その気持ちを公的な場で表明することが国家にとって何より大切な事であると考えるのでなければならないと思います。

今回も首相が直接参拝できないというなら、陛下が勅使を送られているように、せめて代理のものが参拝するとか・・・いや、当人がするのは当然かと思いますが、最低限それくらいはして欲しいですね。していたらすみません。

安倍氏みたいな人が首相になっても、あいかわらず閣僚になると参拝できないというのなら、今後も期待できないでしょう。傍観できる話ではないと思います。

春の例大祭には参拝するのかどうか、注目しましょう。

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[] いじめはどこまで防げるのか?

どうも、いじめ→自殺というニュースが集中していますが、何年か前にもこのような事があったのではないでしょうか?なんとなくの記憶なので断言できませんが、いじめで自殺した子供のニュースが報道されて騒ぎになると、いじめられている子供の中には自分も自殺すれば何らかの意趣返しができると考えてしまう、そういう子供が増えてしまうんじゃないかと想像しています。

ところで、学校側がいじめの有無をなかなか認めようとしないのは何故なんでしょうか?

1、本当にあったかどうかわからなかった。

2、いじめがあったとなると自分たちの管理責任が問われるから。

  →保身のため。

3、いじめがあったとなると、いじめた子供の責任が問われるから。

  →いじめた子供たちを守るため。

これくらいのことしか想像できませんが、たぶん、この3つの理由がいくらかの比率で混じり合っているんだと思います。

以下の記事を見ると

「原因は100%いじめ」 岐阜・中2の自殺 校長が両親に謝罪

 岐阜県瑞浪市の市立瑞浪中学2年の女子生徒が自殺した問題で、佐々木喜三夫校長は31日夜、市役所で尾石和正同市教育長らとともに、この日2度目の会見を開き、「いじめが大きな心の痛みとなり、死に追い込む結果になった。原因は100%いじめだと思う」と述べ、いじめが原因だったことを初めて認めた。

 佐々木校長らは会見に先立ち、女子生徒宅を訪れ、両親に最終見解を報告したうえで、「いじめはあった。大変申し訳ありません」と涙をぬぐいながら何度も土下座して謝罪した。

 佐々木校長らによると、30日に実施した無記名式のアンケート結果を精査したところ、それまで把握していなかったいじめの実態が判明、「総合的に判断した結果、いじめが自殺の要因になったと断定するに至った」という。

 新たに明らかになったのは、バスケットボール部の練習中に女子生徒の体に触れると大声で騒いだり、ゼッケンを交換する際「汗がきもい」などと嫌な顔をするなどの事例。また、いじめは5月ごろから始まり、練習試合でわざと女子生徒にタックルをするようなこともあった。

 これまでいじめに関する発言が二転三転したことについて、佐々木校長は31日午後の会見で、「いじめを定義した文部科学省の指針をめぐり、学校内でも解釈にばらつきがあった。決して事実を隠そうとしたわけではなかった」と弁明。さらに、「亡くなった生徒にとっては『うざい』という言葉も心を痛めるもので、受け止め方にも個人差があると認識すべきだった」と話した。

 一方、女子生徒の遺書で名指しされたバスケットボール部員4人の両親計8人が同日午後、女子生徒宅を訪れ、「いじめがあった。申し訳ない」などと謝罪。父親は「向こうの誠意が伝わってきた。それなりに満足している」と話した。

(産経新聞)

具体的にあったいじめの内容としては

バスケットボール部の練習中に女子生徒の体に触れると大声で騒いだり、ゼッケンを交換する際「汗がきもい」などと嫌な顔をするなどの事例。また、いじめは5月ごろから始まり、練習試合でわざと女子生徒にタックルをするようなこともあった。

ということのようです。おそらくこのようないじめが執拗に続けられたのだろうと思います。ただ一つ言うなら、世の中に出ればこういう事はかなりありふれているという事です。

ここでどのような事をすべきかと言うと、たぶんいじめをやめさせなければならないと考えるなら、いじめている生徒に何らかの指導を教師がしなければならないのでしょう。

しかし、今や学校においては子供の権利が守られなければならないとか言われているために、「おまえ、いじめをやっているだろう、やめろ」などと注意しようものなら、「教師による人権侵害」などと言って逆に教師の立場が悪くなりかねないのではないでしょうか。

もちろん、そんな風潮にながされずに、しっかりとした指導ができなければならないとは思いますが、そんなに有能な教師がそうたくさんいるはずもなく、圧倒的多数の普通の教師たちは、あいまいな対応をしてしまうのではないかと思います。

また、教師が介入することによって、いじめている側が素直に聞き入れておさまることなど希であり、それよりも、いじめがより陰湿化して激しくなるほうが多いのではないでしょうか。「あいつ、チクリやがったなぁ」とか言って(言葉遣いがちょっと古くさいですが)。教師にわからないようにいじめを続ける事だっていくらでも可能でしょう。

つまり、現状においては並の能力の教師が指導するのはかなり困難であり、子供の権利とか何とか言う風潮がそれに拍車をかけている、教師が介入しにくくしているのだと思います。

それから、ここ最近のいじめは、よく言われる「弱い者いじめ」というのとはかなり違うと思います。たとえばこの記事の女性の場合だと、今日見たニュースによれば、バスケットの試合なんかでも特に一生懸命声をだしたりと頑張っていたようです。

ところが、おそらく多くの部員達はそこまで頑張っておらず、「何そんなに頑張ってんだよ、空気読めよ」という冷めた目でみることからいじめがはじまったようです。

そう、ここでも空気だと思います。なんか周りの空気と違って妙に頑張っている。そういう部分が目に付いたんでしょう。こういうタイプのいじめをなくすのは、かなり困難に思えます。

ここで、学校はいじめのあったことを認めて校長は謝罪しろとか言っても、それにどこまで意味があるのか、私にはわかりません。

いじめた子供の両親が謝罪したからと言ってそっちは簡単に許していますが、この態度も疑問です。両親ではなくいじめた子供はどういう態度を取っているのか。後悔しまくりで傷ついているというならまだしも、そこらあたりがアンタッチャブルになっています。

いじめに関して、学校や校長だけが非難の中心になっていては、いまいじめをやっている子供達にいじめをやめさせるために役立たないでしょう。

今いじめをやっている子供たちに、いじめをやっても自分たちは守られてかわりに学校が責任を取ってくれるという間違ったメッセージを与えることにならないか心配です。

いじめた子供には、世の中から何らかの恐ろしい制裁が加えられるのだぞ、だからいじめはやめろという事が学校は言えなくなっています。

いじめで自殺したら学校が悪いということになってしまっては、やっぱりマイナスなんじゃないかと。もちろん学校にもそれなりの責任があるのはわかりますが、そこばっかり責めてもだめなんじゃないでしょうか?

それから、子供に自殺までさせないためには、いじめを無くすというのは難しいですから、やっぱり家庭が、親がなんとかしてあげなければならなかったのではないかと思います。

まあ親とて、そんなに完璧な親がそうたくさんいるはずもなく、普通はそこまでわからないものなのかもしれませんが。あとは親としてできることと言えば、復讐くらいでしょうか。

両親は、自殺した子供のためにも、いじめの責任を追求しなければならないと思っているのかもしれません。しかし、だからと言って親が居丈高に校長などに説教している姿を見て、なんかちょっと違うんじゃないか?と思ってしまいます。

昔、赤井英和主演の「人間・失格」というドラマがありました。あれはいじめられた息子が自殺したので、赤井英和がいじめに関わった子供や教師らに復讐してゆくというものでしたが、わたしはああいう親の気持ちのほうがまだ理解できますね。

親が校長とか教育委員会に謝罪させている映像ばっかり流している暇があったら、あの番組でも再放送したらどうでしょうか。

最初にも書いたように、いじめた子供や自殺した子の親の責任が忘れ去られ、学校の責任「だけ」が問われる今の報道では、いじめは減らないでしょう。いじめている子供も、いじめた相手が自殺しても、自分たちの責任はうやむやで学校や親が責任を取ってくれるだろうと思ってしまうかもしれません。

このようにマスコミがおかしな騒ぎ方をすれば、いじめを減らすどころかいじめを助長し、いじめで自殺する子供が増えることすらあり得るのではないかと思います。

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